『経済史』は何の役に立つの?※(米印)
A. 立ちません
正直に言うと、経済史は本流の経済学とはあんまり縁がございません。え、そもそも「本流」ってなんだよって? ……なんだろうね。
さておき、大多数の経済学は経済史の、あるいはもっと言ってしまえば歴史のことを顧みようとはほとんどしません。せいぜい、統計の数字として見るだけなのです。
もちろん、一般向けの本なんかには具体例として過去の事例が挙げられていたりはしますが……
「歴史学」の中の経済史
けれども、それはあくまでも「経済学」として捉えるから、「要らなくね?」みたいな目で見られてしまうのです。発想を変えましょう。「歴史学」の一分野としての経済史、ということなら、まぁ受け入れてもらえる……のではないでしょうか? 受け入れて欲しいな。受け入れてください。受け入れろ。
というわけで、受け入れてもらいました。
でも、ここで一つ問題が生じます。
「歴史学の一分野なら、経済学者じゃなくて歴史学者がやればいいんじゃないの?」
つまり、「経済史」に経済学者っている? という疑問ですね。
A. いる。夕飯のおかずにする
経済学を修めた人間は肉の柔らかさが違う……とかそんなカニバった話ではございません。
冗談は置いておいて、経済は「イメージ」で語られがちです。たとえば、1920年代ごろの日本に目を向けてみましょう。
この時期は、ときには「慢性不況」とか言われるほどに、不況が続いた時代でした。20年ごろから第一次大戦後の戦後恐慌、23年の関東大震災による震災恐慌、さらに震災手形問題が金融恐慌を引き起こし、落ち着いたかと思えば今度は世界恐慌が襲ってくる(昭和恐慌)。まさに泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目です。
でも、だからと言って経済成長をしていなかったかというと、そういうわけでもありません。
事実、名目価格は下落基調にありましたが、実質経済は平均して年率およそ3.5%程度の成長を続けていたと言われています。不況感のイメージは名目価格の下落によるものだったのではないか、というのが中村隆英の議論です。
古典派の二分法と言って、名目と実質はまったく独立したものとして(新古典派経済学では)扱われますから、名目価格が下がっていようと経済は成長していた、と言えるはずです。
では、不況はただのイメージだったのかというと、それも言い切れるものではないでしょう。そもそも、インフレやデフレには様々な弊害があります。
また、これは経済全体の状況を表したものですから、たとえば昭和恐慌では農村が大打撃を受けたように、特定の経済分野だけの成長(や不況)の可能性は十分に考えられることです。ですから、もっと厳密な議論がなされる必要があるわけですね(こんな素人の雑語りブログでは説明しきれるわけがない)。
さらに言えば、どのような経済理論やモデルを採用するのかという段階でも、十分な議論が必要です。
具体的には、冷戦期に日本ではマルクス経済学とかいうゴミカス理論が流行したせいで、経済史がめちゃくちゃになりました。もちろん学べるものがまったくなかったとは言いませんけど……
……いやほんとに申し訳ない。その節は歴史学に大変ご迷惑をおかけしました。
つまるところ、そういう細かな議論が必要だから経済学者を入れて欲しいなって話なのです。
まとめ
というわけで、まとめます。
- 経済史は経済学とはご縁がない
- 歴史学の一分野として受け入れてやってくだせえ
- そこにできれば経済学者を入れてくださると嬉しいです
ではでは、こんなところで今回は失礼します。
※(米印)がお送りしました。
あっちょっと待った(宣伝)
今度、ボイコネで本が出ます。ww2期日本の百合小説です。経済学はまったく関係ないんですけどね!
詳しくはzekeさんのTwitterか私のTwitterでも見てやってください。
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