AIは仕事を奪ってくれない、という話

chat gptはマジですごい  お久しぶりです。※(米印)です。  今回はちょっと軽めでお送りします。もともとはもうちょっとちゃんとしたブログを書く予定だったのですが……まぁその、だいたい花粉が悪い。  あれなんなんですかね。仕事してる間はまったく気にならないのに、娑婆に出た瞬間に悶絶する羽目になる。そのことを友人に話したら、「会社は換気がちゃんとしてるからでは?」とのこと。明日から24時間会社で過ごそうと決めました。  ……なんて話はさておき。今日は最近あちこちで話題沸騰、千客万来、会社人口、じゃねえ、膾炙人口、のAIについてちょこっと触れようかと思います。  実際すごいんですよ、最近のAIは。たとえば、私はプログラミングがあんまり得意じゃなかったんですけれども、AIちゃんのおかげで効率が爆上がりしました。  ……いやまぁ、「○○のコード書いて!」って聞いた結果を丸写しして、怒られたらエラーメッセージをまた丸コピして「chat gptえもうん、また[任意の言語]に怒られたよお」と泣きつくだけなんですが。  これがかなーりすごいんです。なんなら、コメントとかもちゃんと書いてくれますんで、過去の自分が書いたコードよりも数億倍意図がわかりやすい。  それでも、けっこうちゃんとプログラミングとかやってる友人に言わせると、「それはもう昨年には通り過ぎたんだが」とのことで、私はたぶん相当周回遅れらしく。こんぴーたーの時代はすさまじい速度だなぁ、と思うなど。  とはいえ、そういうすさまじい変化を後々から見て、「いやぁ、こんなの当然のことで」と偉そうにご高説を垂れることこそ経済学の本領です。今回もそれに倣おうじゃありませんか。  やってみせろよ、ピケティ! なんとでもなるはずだ! ダルトンだと!?(ピグー・ダルトン条件)  あっはい、まじめにやります…… えっ、上司のお世話をかわってくれるんですか?  ○○年後には××%の仕事が奪われる! みたいなニュースを目にしたことがある方は、かなり多いんじゃないでしょうか。  安心してください、それは事実です。  「いま」私やあなたが行っているお仕事は、多くの場合、AIやロボット、あるいはほかの何かによって、置き換えられることでしょう。  なんとなれば、このブログさえ、私の文章を大量に学習させたAIや何かを作ってしまえば、容易に用意(ここ激ウマギャグ)できてしまうものです。 あ、一応言っておくと、私はこのブログはAIやらを使わずに書いていますよ。自分の手で「激ウマギャグ」とか打ち込んでいるわけです。悲しくなってきたな。やっぱ今からでもAI使ってたってことにならんか?  話を戻して、AIの話です。もちろん、今のAIはいっくらすごいすごいと言っても、だいたいは「入社1日目の大型新人」みたいなものです。贔屓目に見ても、「今日きたばっかりの有名コンサル」あたり。  とにかく、「その会社」やら「その状況」で何が求められているのか、ということをまったく理解してくれません。AIとやらは、ネ申エクセルの使いかたも学ばなければ、上司の不機嫌のサインを発見することもできないのです。だから、今はまだ私たちも、満員電車に揺られてはブルシット・ジョブにいそしみ、上司にぺこぺこしてお賃金を貰えているわけです。  しかし、たとえばAIにも「社員教育」ができるようになったらどうでしょう。ちょうど新入社員にやるのと同じように。  そうしたら、もはや人間とAIの間に、違いはほとんどなくなってしまいます。どころか、ほとんどの領域では、AIの方がうまくやるかもしれません。彼らは、パソコン入力にキーボードとマウスなんて前時代的な遺物は不要です。他人と話すよりも、アレクサと話す方がストレスは溜まらない、という人も少なくないでしょう。  とにかく、大事なのは、私やあなたのやることは、将来的にはAIにもできる可能性が高いということです。経済学者らしい、小難しく嫌味ったらしい言い方をすれば、AIは人間と代替的な関係になり得るのです。  これを経済学的に理解すれば、人間とAIが同じ市場(労働市場)で競争する羽目になる、ということになります。  であれば、問題は労働の「価格」――賃金です。  もしもまったく同じ商品、たとえば明治のヨーグルトとしましょう。これが右の棚では150円。左の棚では100円で売っていたら、誰だって左の棚のヨーグルトを手に取ります。  もちろん、世の中にはヨーグルトにお金を払うことに快感を覚える人もいるかもしれませんが、それは相当な少数派です。せいぜいは、やたらめったら疑り深い人が、「何か違うものがあるんじゃないか」と右の棚からも1つ買うかどうか、というくらいでしょう。  労働についても、同じことが言えます。企業は、もしもまったく同じ人が2人いたら、少しでも安い給料で雇える方を選びます。  それが、「まったく同じ人」でなくて、「まったく同じAI」でも、「まったく同じ(仕事ができる)人間とAI」でも、結論は変わりません。  つまり、あなたの仕事を、あなたが今貰っている賃金よりも安く行うことができるAIが生まれたら、あなたの仕事はAIに奪われるのです。  そして、その可能性は決して低くはありません。なにせ、chat gptは1か月あたり20ドル(3000円程度)なのですから。 ろうどうからは にげられない!  では、仕事を奪われたら、どうなるのでしょうか?  「ひょっとしたら、働かなくてよくなるんじゃないか?」とか、期待しましたか?  しかし まわりこまれてしまった!  残念ながら、そうは問屋が卸しません。その理由は、やはり賃金です。  たとえば、神の舌を持つAIがあらわれて、ヨーグルトソムリエ100人全員が職を奪われたとしましょう。  そうしたら、今度は職にあぶれた人間が100人世の中に増えるわけです。(いったん、失業保険などの社会保障を無視すれば)彼らは、そのままではご飯を食べていくこともできませんから、それまでよりもずっと安い賃金でも働きたがることになります。  そうすると、「もう少し安い給料でなら、追加で雇ってもいいかな」と思っていたヨーグルト工場が手をあげるわけです。「うちにおいでよ!」と。  こうして、元ヨーグルトソムリエはヨーグルト工場員として再就職を果たすわけです。もちろん、どんな産業でも、同じことが起きます。  ヨーグルト工場がロボットを導入して人間が要らなくなったら、今度はまた別の仕事を探します。これの繰り返しです。そのうち、またヨーグルトソムリエに就くことになるかもしれません。  だから、あなたも私も、今の仕事をAIが奪ってくれたとしても、次の仕事を探して働き続けることになるのです。  安心してください、仕事はいくらでもあります。私たちの欲望は底なしで、AIがどんなに多くを作っても、さらに多くを求めます。新しい仕事がいくらでも生まれます(記憶に新しいところでは、ウーバーイーツなんかがそうですね)。  最低限度の生活でなくて、「便利な世の中」とやらで暮らし続けたいのであれば(というか、そう思っているからこそ、あなたは今日も職場に足を運んだのでしょう)、そうした仕事たちから、少しでも自分にとってマシな働き口を探して、ずっと働き続けなければならないのです。  知らなかったのか……? 労働からは、逃げられない…………!! とはいえ、暗い話ばかりでもなくて  ところで、AIに仕事を奪われる、というと、なんだかとても嫌なことに感じるかもしれません。  しかし、よくよく考えてみると、そうなったとしてもどうせ働き続けるのですから、昨今の皆さんが励んでいる転職とたいして変わらないのです。  むしろ、AIが急速に進歩して、私たちの仕事を次々に奪っていく時代は、私たちにとって定期的に転職の機会、つまり、より自分に合った仕事へと移る機会が与えられるということでもあるかもしれません。  何も、元ヨーグルトソムリエが全員ヨーグルト工場に勤める必要はないのです。その舌を活かして別のソムリエになったり、あるいは料理人になったり、それともまったく別の仕事をはじめたり。選択肢は山ほどあります。  彼らが最初にヨーグルトソムリエになったのは、たとえば大学の卒業直後で、自分の適性を何も知らない状態で就いたものだったかもしれません。そうしたら、転職するタイミングでは、ヨーグルトソムリエとしてのキャリアを積む中で、自分のことをもっと深く理解できていることでしょう。  その上で、星の数ほどある仕事から、いちばん自分にあっている(と思う)ものを選ぶわけですから、「私にはヨーグルトソムリエしかなかったんだ!」という六花みたいな例外を除けば、だいたいはそう悪くない結果になるはずです。… Continue reading AIは仕事を奪ってくれない、という話

フォンスティ音楽教室③ 小澤征爾様について超ざっくり

おひさしぶりでっす。フォンスティーヴ(タコP)です。 大分間が空いてしまいましたね……。 さて、早速前回の続き……と行きたいところなのですが、これを書こうとしたちょうどその時、私の元に衝撃的なニュースが飛び込んできました。あの日本が誇る大指揮者、「小澤征爾」様がご逝去されてしまったと……。 ということで久々の執筆なのですが、少々話題を急カーブさせ、今回は先日お亡くなりになった小澤征爾さんについてお話ししようと思います。 ※この記事には独断と偏見、主観的意見が多分に含まれます。ご了承ください。 先日の小澤征爾様の訃報はネットニュースやメディアでデカデカと掲載されたので目に入った方は多いと思いますが、その中ではそもそも小澤征爾様が何者なのかご存知ない方もいらっしゃったと思います。 小澤征爾(以下敬称略)自体、主に20世紀に活躍された方で、近年では癌の影響であまり表舞台に姿を現していなかったので、おそらく昨今の10代20代の方々は特に知らない方が多いと思います。 小澤征爾は1935年に誕生した日本の指揮者で、おそらく近代日本音楽史の中で最も偉大な人物のうちの1人です。 彼はその生涯で日本人としての様々な偉業を成し遂げていますが、その中で特に偉大なものはやはりニューイヤー・コンサートの指揮でしょう。 クラシック音楽の本場であるオーストリア、ウィーンでは毎年元旦に「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」と評してコンサートが開かれています。 元旦の「ニューイヤー・コンサート」という名目ではウィーンだけでなくヨーロッパ各地、それこそ日本でも行われていますが、その中でもウィーンフィルニューイヤーコンサートだけは別格で、その場に指揮者として呼ばれるということはクラシック界の中では最高峰の名誉として扱われます。 そして、今までの歴史上そのコンサートに呼ばれた日本人は1人しかおらず、その人こそが「小澤征爾」なのです。 また、それと同じように数十年にも及ぶ長い伝統を誇るフランスのブザンソン国際指揮者コンクールでも日本人として初めて優勝。またドイツやアメリカなど、世界の様々な機関から勲章やメダルを授与されています。現代でも世界で活躍する日本人指揮者は多くいますが、これほどの功績を持った日本人は未だに現れていません。   また、ナチス政権のドイツを生き抜き、20世紀最高の指揮者とも名高い「ヘルベルト・フォン・カラヤン」、同時期のアメリカに生まれ20世紀のクラシック業界の最先端を走り常にリードしてきた「レナート・バーンスタイン」といった偉大な指揮者たちとも親交が深かったことも理由の一つに数えられます。   昭和当時の日本の音楽文化を西洋と対等まで押し上げた立役者の1人だと、筆者は考えます。   小澤征爾様、約半世紀、ありがとうございました。   それではみなさま、ご拝読ありがとうございました。

ホームページの更新が面倒だった

はじめに  最近は、DKIMやらDMRACを設定していないメールの存在価値がなくなりつつあります。このブログサイトことWordPressから送られてくるメールについても例外ではなく、なんなら結構前からメールが届かない状態でした。それでも、新しいメンバーが増えたときや、メンバーがパスワードを忘れたとき以外はメール機能を全く使用しないので、そこまで問題はありませんでした。  けれども、影響がないからと言って放置しておくのも問題と考えたため、メールの問題は外部のメールサーバーに転送してもらうことで解決を図りました。まあ、今回の本題はメールではないのですが。     FTPってめんどう  私がこのサイトの運用を担当することになってから、そろそろ1年になると思います。精力的に運用に取り組んでいたかと言われれば全くそうではなく、強いて言えば「革命祭」のページを追加したくらいです。  ページを更新するときはどのような作業を行うのか、簡単に説明します。   1 ダウンロード済みのページソースを編集する 2 ローカルで仮想環境を立ち上げ、動作を確認する 3 サーバーの管理画面からFTPでアクセスできるようにする 4 FTPソフトを立ち上げて、サーバーに接続する 5 該当のページが格納されているフォルダまで移動し、アップロードする 6 本番環境で動作を確認する    そんなに難しくなさそうと思った方もいるかもしれません。私も最初の方は面倒ではありませんでした。しかし、最近になって急にこの開発フローが面倒に感じるようになってしまったのです。一番面倒なのは、サーバーのパスワードをパスワードマネージャーからいちいちコピーしてこないといけないことでしょうか。  私は断片的かつ曖昧な知識で突っ走る人間です。しーあいしーでー(CI/CD)とか、えすえすえいち(SSH)とか、どこかで聞き齧った言葉を引っ提げて、どうにかならないか考えることにしました。ただ、借りてるサーバーのプランによると、SSHでの接続はできないようでした。最初にローカル開発環境を作ったときに、データベースの中身を引っこ抜くのですら、すさまじく面倒だった記憶がよみがえりました。ところどころでVPSよりAWSやGCPが便利なことがわかる気がします。でも、スケーラビリティと使いやすさを犠牲にしても、グループで運用する場合は定額課金であるメリットはめちゃくちゃ大きいです。     git-ftp が良さそう  最初は、GitHubのメインブランチにマージされたコードが自動でアップロードされてくれないかなと考えていましたが、色々と難しそうだったので、「git-ftp」というソフトを使用することにしました。設定方法などは下記を参照ください。   『【Git】git-ftpを使ってFTPアップロード』 https://qiita.com/narcolepcy_/items/621986bfe0c2183781a1 (閲覧日:2024年1月16日)    おそらく、すべてをgitで管理させると不都合が起こるので、トップページやメンバーページのソースコードが置いてあるフォルダのみを管理することしました。あとは、gitignoreを使って面倒そうなものを弾いてよしです。     どのように便利になるのか  これの便利なところは、動作確認後は 「git ftp push」 のコマンドで自動的に差分をアップロードしてくれるところです。なので、ローカルでの動作確認からアップロードまでの面倒さがかなり少なくなります。上記の手順だと、4と5を一つのコマンドでやってくれています。  

共通テスト(世界史)を解いてみた 2024

どうも、いのっちです!    今更ですが、新年明けましておめでとうございます!✨ そして、年末年始に開催した動画投稿祭「革命祭」の応援、本当にありがとうございました♪      多くの動画投稿者様に御参加いただき、ニコニコ動画をはじめ多くの方々にもサポートをいただき、何より多くの視聴者の方々に動画を御視聴いただけたということで、べーた一同大感激✨です。   重ね重ね、本当にありがとうございました! (また似たような企画をやれたらいいなあ)   近いうちに「まとめ動画」や「生放送」という形で振り返りをさせて頂きますので、またご覧いただけると幸いです♪   あと私事ですがまだ投稿できていない後編も頑張って作成します…💦 (年末年始は体調を崩していたので勘弁してください)      さて、「世界史べーた(仮)」お祭り開催中にチャンネル登録者が2000人を超え、チャンネル開設2周年を無事に迎えることが出来ました。   そんなめでたい年始に行われるといえば「共通テスト」! 私の頃は「センター試験」と呼ばれてましたが(懐かしいなあ)   高校時代、世界史をほとんど履修出来なかった私ですが、去年までに世界史通史動画を半分(全12本予定の内6本)投稿したわけですし、 今なら半分以上解けるはずだ(皮算用)!     ということで、早速「世界史B」に挑戦してみました! 結果は…               88点!(ドドン) おお、意外と解けているではないか(33問中4問不正解) 「オットー大帝」や「ノルマン・コンクェスト」など前回の動画で触れた人物や事件が出ているのも嬉しかった♪  知識が無かったとしても、しっかり文章を読めば考察できる問題が増えている印象でした。(完全なグラフ読解問題とかもありましたし)   しかし、やはり近現代が苦手…💦 それに読解で正解したような問題も知識でスパスパ答えられるようになりたい…! ということで後半の世界史動画もコツコツと制作していきたいと思います♪   そして、いつかは「世界史検定」を受けてみたい! そんな目標を語りつつ、今回のブログはここまでにしたいと思います。     本年も「世界史べーた(仮)」をよろしくお願い致します!!

AtCoderで茶色になりました

はじめに    私は毎学期ごとの長期休みに、何かに取り組むことにしています。去年の夏は基本情報技術者の勉強を、冬は応用情報技術者の勉強をしました。残念ながら応用情報技術者の春季試験は午後問題の点数が59点で落ちてしまったので、来月に秋試験を受ける予定です。けれども、今年の夏も冬にやったものと同じことをしても、打ち込んだとは言えないような気がしたため、今年の夏はAtCoderを少し頑張ってみようと思いました。     取り組む前  さて、AtCoderをやろうとして最初にABC(AtCoder Beginner Contest)に何回か参加しましたが、まず気づいたことがありました。私が全くプログラムを書けないということです。一番痛感したのは、単純なソートの実装を標準ライブラリを叩くのではなく、愚直にバブルソートで書いていた点です。遅くてTLEします。そのため、最初にやった競技プログラミングの勉強は、標準ライブラリを用いてソートを行う方法でした。これがおそらく7月の真ん中辺りだったと思います。     何をしたか  最初の方は、有名な「競技プログラミングの鉄則」の星4までの問題をヒューリスティクスを除いて9割くらい解きました。そして、AtCoderのサイト上で常設されている「競プロ典型 90 問」の星4までを30問目まで進めました。その後は実際の問題を解いた方が良さそうと考え、直近のABCの過去問を少なくともC問題まで、できればD問題までを解くようにしました。「AtCoder Problems」によると、7月終わりから1ヶ月間でおよそ150問くらい解いたみたいです。いつの間にか「Longest Streak」という値が1ヶ月分を超えて、結構順位が上がってきたので、最近は忙しくても最低1問解くようにしてます。多分、どこかでやり忘れるとは思いますが……       結果  一回レートがあまり伸びなかった回がありましたが、それ以外では50前後ずつ順調に伸びていき、9月2日のABCで茶色になることができました。しかし、まだ本番でD問題を通したことがないので、もう少し勉強しないとすぐに頭打ちになってしまいそうな感じがします。    最初の方は、Go言語のスライスの意味のわからなさや文字列の扱い方に悩まされましたが、個人的なライブラリの整理や簡単なドキュメントの整備などをして対応しました。他の言語では標準ライブラリを叩くだけのものが、Go言語では結構な分量を書いて実装しなければいけない点は少し大変でした。    プログラムの問題を解くサイトではAtCoderの他にPaizaもやっていましたが、このサイトは一回Sランクを取ってしまうと、頑張るインセンティブがなくなってしまって、それ以降は全く開いていません。PaizaでSランクを取れても、当時のAtCoderランクは灰色だったので、いかにAtCoderのレベルが高いかがわかりますね。   ・AtCoder https://atcoder.jp/users/kunaisn  

国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭参加作品参考文献リンク集

※本ブログはメスキィタ主催による動画投稿祭のまとめ的なものです。投稿祭開催告知動画はこちらです→https://www.nicovideo.jp/watch/sm41574665 ご挨拶 今回も多くの動画投稿者の方にご参加いただけました本投稿祭でございますが、前回よりも参考文献数の多い動画が目立っております。好奇心旺盛な視聴者の皆様方に置かれましては、すべて読んで動画の内容の正否を確認したいと思われることでしょう。しかし、それぞれ文字をタイプして検索するのは大変面倒であります。そこで今回主催が参考文献のリンク集を作成しました。本リンク集をご活用いただき、イングランド史に対する関心が世でさらに高まることを期待しております。 なお参考文献の書式については統一するのが面倒であったので、各投稿者のもの及び、主催者によるフリーダムな書式としました。ネットで無料で閲覧できるものは太字としています。 学生か先生か、学術系データベースにアクセスして情報を入手していると思われる投稿者もいらっしゃいますね。つまり一般人が容易にアクセスできないものも含まれています。 リンク集  【英蘭祭】ケルトの要塞ヒルフォート【VOICEROID解説】 https://www.nicovideo.jp/watch/sm42150520 Hillfort survey – notes for guidance ヒルフォート現地踏査に関する手引書 https://hillforts.arch.ox.ac.uk/assets/guidance.pdf MAIDEN CASTLEについてのEnglish Heritageのサイト https://www.english-heritage.org.uk/visit/places/maiden-castle/ 木村正俊編著『ケルトを知るための65章』明石書店、2018 https://www.akashi.co.jp/book/b351970.html 高野美千代「17世紀好古学文献の変容と読者の受容」『山梨国際研究 : 山梨県立大学国際政策学部紀要』第8巻、2013、pp.46‐pp.56 https://www.yamanashi-ken.ac.jp/media/kgk2013005.pdf 新納泉『鉄器時代と中世前期のアイルランド』岡山大学文学部研究叢書37、2015 https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/53167/20160528120953688360/pso_37.pdf 久末 弥生「イギリスの考古遺産法制と都市計画」 『創造都市研究e』 12巻1号、大阪市立大学大学院創造都市研究科電子ジャーナル、2017 https://e-journal.gsum.osaka-cu.ac.jp/ejcc/article/view/774 Campbell, Lorrae”The Origins of British Hillforts: A comparative study of Late Bronze Age hillfort origins in the Atlantic West”. PhD thesis, University of Liverpool,2021 https://livrepository.liverpool.ac.uk/3135296/ 孫文、清国公使館に囚わる!?~倫敦被難記~【第二回イングランド史投稿祭】 https://www.nicovideo.jp/watch/sm42161162 Sun, Yat-sen(1897) Kidnapped… Continue reading 国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭参加作品参考文献リンク集

空母機動部隊のなおしかた。(日本海軍の場合)前編

何もしてないのに機動部隊が壊れました。 1942年6月5日、日本海軍はミッドウェー海戦において空母四隻を失う大敗北をしました。 この敗因は、米軍が暗号を解読したことによる待ち伏せだったのですが、日本海軍は「攻勢に使える手札が大きく減った事」と「米空母部隊を撃破しない限り作戦行動が不可能になる」という点で大きな衝撃を受けていました。 なにせ、本海戦も前のポートモレスビー攻略作戦も米空母部隊の反撃により頓挫しており、これを撃破してしまえばそもそも待ち伏せを受けることもないという考えに至ります。 この時点では、後年に言われるような「攻勢から守勢に変わった転換点」と日本軍は考えておらず、あくまで「攻勢」を諦めていなかったのです。 その為、以後の日本海軍は「待ち伏せする米空母部隊の排除」を念頭に置いた対空母戦に特化した艦隊編成や搭載編成へと変わっていくのです。 さぁ、空母を緊急で増産しませう。 ミッドウェーでの敗戦で海軍は空母の緊急増勢計画を研究し、⑤計画等既定の軍備計画修正の中に含められることになり『戦艦、超甲巡の建造は全て取りやめ、航空母艦の建造を優先する。軽巡洋艦の建造隻数を減少し、駆逐艦、潜水艦、掃海艇、海防艦、駆潜艇の建造を大幅に増加する。』という内容の改⑤計画に改められていきます。 この改⑤計画で新造される空母は 5021号艦(改大鳳型)5隻 302号・改302号艦(雲龍型)13隻 となっていました。 ですが、空母の新規建造は最低でも2年の年月を必要とし、今すぐに空母が欲しい現状では即効性に欠けました。 それらに対し、比較的短期間で戦力化が望めそうだったのが使い道のなくなった水上機母艦・甲標的母艦を軽空母に改装することと、艦爆による先制攻撃の母艦として低速戦艦を改装することでした。 軽空母は、当時すでに飛行甲板の狭さから現行の機体を運用するのがやっとであり、次期新鋭機(彗星や天山など)の運用は困難なのは火を見るよりも明らかだったのですが、上層部は現状の対空母戦に対処できればいいと考えていたのだと思われます。 まぁ、その結果、軽空母が空母部隊に増えていくことで現地部隊は扱いに困ることになるのですが、それはまた別のお話。 さらに言うと、使い道がないと思われていた甲標的母艦が、直後のガダルカナル島輸送作戦で一番必要とされていた高速輸送艦の要件を満たしており、投入の機会を空母改装により逸したのもまた別のお話。 さぁ、ある物で機動部隊を再編しませう。 1942年6月12日に軍令部に出頭した源田実中佐はミッドウェー海戦の戦訓も取り入れた空母部隊再建案を提出します。 その内容は、一個航空戦隊の空母を大型空母2、小型空母1とし艦戦、艦爆の搭載数を増加させ代わりに艦攻減らすというものでした。 小型空母は主に艦隊の防御を担当し、大型空母を攻撃に専念させることを目的としており、空母の絶対数が不足している現状で使い道の限られている二線任務に割り当てられていた小型空母を艦隊で活用させようとしたのです。 また艦爆の増加は1939年頃の編成にあった機動航空隊の任務である敵機動部隊を先制攻撃し、飛行甲板を爆撃によって使用不能にするという方針に回帰した物でした。 また、戦前の艦隊決戦構想の最終目標であった米戦艦部隊の撃破は開戦劈頭の真珠湾攻撃により達成されており、日本の戦艦部隊はこの時にはすでにその存在意義を失いつつありました。また、艦隊決戦構想では空母部隊、巡洋艦部隊が前衛として進出し、決戦の障害となる米空母部隊を撃破した後に戦艦部隊同士の決戦に臨むといった方針でしたが、ミッドウェーではそれが逆に仇となり、航空決戦に敗れ制空権を喪失したために連合艦隊は戦艦などの有力な戦力を持ちながら撤退を余儀なくされただけでなく、その後の敵航空部隊の追撃に苦しみました。 その結果、当然の帰結ではありますが艦隊決戦のメインとなった対空母戦の艦隊編成として、巡洋艦部隊を進出させ、その後方に空母部隊を配置して米空母部隊を攻撃するという編成になり、たとえ先制攻撃を受けたとしても米空母艦載機の攻撃は前衛で吸収し、その間に後方の空母部隊の攻撃隊が米空母を叩くという構想になっていきます。 そして「艦隊決戦の主力艦隊」であった第一艦隊は解体が進み、伊勢、扶桑型の戦艦四隻は航空戦艦への改装が検討され、艦隊決戦の秘密兵器であった重雷装巡洋艦の大井と北上は南西方面艦隊への輸送作戦用として転出していくことになります。 こうして、戦前に日本海軍が夢見た「大艦巨砲主義による艦隊決戦構想」はここに崩壊したのでした。   そしてこの「航空機主体による艦隊決戦構想」がそのような結果を迎えたのかは次にお話することにしましょう。

フロリダ旅行の備忘録

はい皆様ここではお久しぶりです。 新型コロナの流行も一段落はして、最近海外旅行に関する広告や案内が増えてきた気がします。 しかしまだまだ自由に旅行できる雰囲気ではない上、私自身としても年一で海外旅行ができた自由な身分ではなくなってしまったため、やはり今回も過去を懐かしみながらブログを書いていこうと思います。 今回紹介していくのはアメリカのフロリダ旅行の様子です。 フロリダには何がある? なにがあるでしょう。正解はディズニーランド。 ディズニーランドと言えば我々日本人には東京ディズニーリゾートが定番ですが、本場アメリカのフロリダにあるディズニーランドは何もかも桁違いです。 まず広さが110平方キロメートルあります。日本のは0.465平方キロメートルなので本当に桁違いです。その差は200倍以上! 私は一週間フルで回りましたが、半分も回りきれませんでした。おそらく隅から隅まで全制覇するには一ヶ月いるんじゃないかな。 しかしながら一週間しか猶予がない中で、私も面白そうなスポットを厳選して臨みました。 今回はその中でも特に面白かったアトラクションを3つご紹介します。 ロックンローラー・コースター   エアロスミスの音楽に合わせて暗い空間をハイスピードで駆け抜けるジェットコースタータイプのアトラクション。(wikipediaより引用) スペース・マウンテンなどと異なり方向転換が少なくスイスイと大回転してくれるので色んな意味でノリやすかったです。 ディズニーパークで最もハードなアトラクションとの評価もありますが、恐怖感は少なく楽しいコースターだと思います。 エクスペディション・エベレスト 2つ目は通称エベレスト、これも絶叫系。名前の通りエベレストを模したコースを駆け抜けるアトラクションとなっています。 最初の上りのコースが長く、途中で線路がなくなったと思えば後ろ向きに超スピードで下るので良い意味で恐怖感満載のコースターでした。 ストーリーもタワー・オブ・テラー並に結構作り込まれていて、没入感もあるクオリティの高いアトラクションとなっていると思います。 ディズニーパークで最も高いアトラクションと言われており、山頂の高さは60.8mあります。 テスト・トラック 最後はテストトラック、名前の通りテスト用の自動車型のアトラクションに乗り、様々なテストを行っていきます。 そして最後には走行テストが待っており、これが最高時速105kmとディズニーパークで最も速いアトラクションとなっています。 ビッグサンダーマウンテンのように外を高速で駆け抜けるコースターなので、爽快感が最もあるアトラクションなんじゃないかな。   いずれのアトラクションも日本にはありませんが、Youtubeで検索すれば乗ってみた動画があがっているので気になる人は一度見てみてほしいです。 また、日本のディズニーランドのアトラクションで、私の中で評価が一番高いのはスペース・マウンテンですが、どうやら2027年までリニューアル工事で閉鎖されるみたいですね。 果たしてどんなアトラクションに進化するのか楽しみです。4年後か……。   そんなわけで今回はここまで、また機会があればお会いしましょう、ではでは~。

アメリカの裁判所について

お久しぶりです。せるヴぁんだです。今回のブログ担当ということで、「アメリカの裁判所」について徒然なるままに書き散らしたいと思います。   アメリカ「合衆国」というちょっと変わった国 The United States of America, 略してU.S.A。一昔前(?) に同タイトルの曲が流行りましたが、日本人としてよくよく考えてみれば、アメリカという国は奇妙な国家形態をしています。日本の場合、「国」と言えば日本国そのもの、その下の行政単位は県、市、区、群、町…というように刻まれていきます。(道州制万歳!) 一方のアメリカは、いわゆる連邦制国家なのです。2023年現在、全部で50州を抱える国ですが、この「州」という存在がいささか厄介なのです。おそらく、多くの人が州=県のようなイメージを持つのではないでしょうか。愛知県豊田市≒ミシガン州デトロイト市のように。   しかし、実際のところ、アメリカの各州は日本の都道府県よりもはるかに強い権限を持っています。なんたって「州の憲法」が作れてしまうのですから。(おまけに州兵という州知事直轄の軍事組織まで!そう、某Grand Theft Autoなゲームで手配度が最高になるとやってくる人たちですね)このため、アメリカという国には、連邦政府たる「アメリカ合衆国政府・議会・司法」と、小さな国家とも呼ぶべき、「州政府・議会・司法」が二重で存在しているのです。日本の地方自治体にもそれぞれ議会と行政は存在し、条例も制定できますが、さすがに憲法や法律(※1)は作れません。国の唯一の立法機関は国会のみと憲法で定められています。(第41条) ※1…多数ある「法」の中でも国会で制定された法を特に「法律」と呼びます。   一番の違いは「裁判所」の構造かも アメリカと日本は「三権分立」型の構造をしています。議会(立法)・行政・司法の三すくみですね。そのなかで、議会と行政については、上に見た通り、権限の強弱があるとはいえ、ある程度は似通っています。しかし、司法たる裁判所はまったく違う構造をとっています(なぜでしょうね?)この違いの原因を探るところまではパワーがないのですが(すみません。。。)ここでは組織構造の違いを簡単に紹介しようと思います。   1.日本 日本の場合、司法制度の頂点たる最高裁判所が1つあり、日本を八つの管区に分けて高等裁判所が設置されています。その下に第一審となる地方裁判所・簡易裁判所・家庭裁判所がたくさん存在することになります。このように、最高裁をトップとする単一ピラミッド構造が日本型司法制度ですね。   2.アメリカ アメリカはというと、裁判所も「連邦政府」と「州政府」の2つのピラミッド構造を取ります。アメリカの統治システムは原則として州政府が責任を負い、州政府ではできないことや特に必要とされる場合に、連邦政府に権限があるようになっています。たとえば、合衆国憲法の解釈・適用に関する問題は、州の裁判所ではなく連邦裁判所が審理する権限(管轄権)を持っています。このように、連邦裁判所が管轄権を持つのか・連邦と州いずれの裁判所にも管轄権があるのかなど、個々の訴訟問題の性質によって、どこで裁判するのかが決まります。連邦と州を比べると、連邦の方が力があり、上下関係があるようにも思えますが、州の裁判所システムが連邦の裁判所システムに従属しているようなことはありません。あくまでも「異なる別の裁判所システム」としてそれぞれ独立しており、管轄権の競合があった場合にのみ、個別に調整されています。(たいていは連邦法が優先します)   A)州裁判所システム アメリカで提起される訴訟のほぼすべては、州裁判所へと持ち込まれます。州の裁判所システムは各州によって様々であり、特に統一されているわけではありません。基本的には州地方裁判所(District Court/Trial Court)・州控訴裁判所(Court of Appeals/Appellate Court)・州最高裁判所(Supreme Court)の三審制ですが、州によっては控訴裁判所がなく、第一審と最高裁判所の二審制を採る州も存在します。(デラウェア州、サウスダコタ州、ワシントンD.C.など)   さらに、州によって憲法や法律の内容、蓄えられた経験(先例となる判例法)も違うため、同一の訴訟を別々の州で提起すると、必ずしも同じ結論や量刑にならない可能性もあります。有名な話では、国際的な企業が準拠法と管轄裁判所(※2)を選ぶ際、アメリカではニューヨーク州とデラウェア州が多いそうです。(デラウェア州なんて何もないのに!)これは、2州が企業紛争に関する豊富な先例を蓄えているからと言われています。 ※2…事件・紛争が起きた時、どの国・州の法律に基づいてどこの裁判所で審理するかということ。   また、アメリカ裁判所制度の最大の特徴と言ってよいのが、「巡回裁判所(Circuit Court)」の存在です。巡回裁判所はその名の通り、管轄する地区をぐるぐると巡回して移動式の裁判をしていたのです。残念ながら今はもう存在しませんが、馬に簡易的な審理台を引かせて、判事が裁判をして回っていたそうですよ。(当時は上等なクッションもなかったので、長時間の移動と審理で判事のお尻が破壊されたとの説も)   (画像引用:HJ Erasmus, Circuit courts in the Cape Colony during the nineteenth century: hazards and achievements,Fundamina… Continue reading アメリカの裁判所について

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重い本が読めなかったので、軽い本をご紹介します。 フランスの文豪、バルザックによる「役人の生理学」。なお、私は文学好きではないので、バルザック作品など初めて読んでいます。なぜ読んだか?行財政史が好きだからですかね… 本書が書かれたのはバルザックにとっては晩年に差し掛かる1841年、7月王政期のフランスでした。当時のフランスといえば産業革命の時代ともいえます。王政といえども、1830年憲法下の立憲君主制であり、貴族制や世襲制が廃止され、直接税200フラン以上の制限選挙(有権者は全人口の1%に満たない)が実施されており、当時としては民主的な社会が始まっていました。そんな社会の縁の下の力持ちが大量の事務を公正に実施する役人たちです。住民登録、都市計画、公金の管理、公共事業の実施。どれをとっても民営化などしたら公共サービスが平等に国民にされず、誰もが平等なはずである民主的な社会の基盤が揺らぎます。今なお私たちを支える黒子たちですが、まぁ、評判が悪いところでは悪いものです。税金泥棒、仕事が遅くて融通が効かない、どうでもよさそうな細かいところばかり気にする、挙げ句の果てにはそう言った仕事のやり方をお役所仕事などと…。そんな悪評は今に始まったことではありません。バルザックの時代も同じ。いえ、むしろバルザックの時代ぐらいに始まったそうです。 以前の時代、第一帝政時代ですが、その当時のことをバルザックは皮肉を込めて懐古的に語ります。 「役人ほど素敵な商売はないといわれた時代があったことを知ってはいる。」 バルザックによれば、当時の役人は最高級の社交界にも出られたし、メチャメチャモテたそうです。というのも皇后など君主の一族が贔屓にしていた役人たちがいたからだそうで、役人の公共性というものがまだ確立していなかったからなのです。それが7月王制の立憲君主制により、信賞必罰をわきまえた君主から、忘恩の大衆に仕えることになり、閑職は攻撃対象となり、その栄華は終わりを迎えたのでした。 7月王政下で役人は事務室に拘束され、自由に立ち去る権利はなく、出世していないものは良いとは言えない賃金で働き続けました。バルザックがとりわけ注目したのはパリの中央官庁に勤める役人でした。今と変わらないじゃないかと思うものがある一方で、細かいところを見ていくと、現代(日本)との違いが浮き出てきます。19世紀のパリにはパソコンはおろか転写機もありません。謄本係という、今ならプリンターで十分代用可能な役職がありました。電子化されたデータもないので、今なら職員の誰かがちょっと兼任すれば済む文書管理責任者が整理係として独立した集団に。縁故採用が根強く、強力な後ろ盾があれば出世できるが、そうでなければ相当な忍耐力や適応能力が必要、などなど。 また、現代日本では見られない雇用形態も興味深いものです。それが試補→書記→課長補佐と続くもので、フランスでは1940年代まで続きました。試補(原文ではsurnumeraire、定員外の職員と言った意味のようです)とは正式な役人ではなく無給の見習いで、実家が太くない者は大変苦労したようです。戦前日本にも同名のもの(翻訳の都合でしょうが)があった制度で、明治20年勅令第37号において定められた「文官試験試補及見習規則」にあります。公立大学か試補試験合格者が役人になると最初に通る道でした。フランスにおいての採用基準の細かいところはバルザックは書いていません。もとよりこの本は役人の実態を詳細に記録するものではなく「こういう奴いるよな」と共感を誘い、一時の娯楽にするためのものなのですから。 そしてこのエッセーの真髄は、行動様式ごとに分けた役人分類で、ごますりだとか蒐集家(オタク)だとか商人だとかに分けています。スプラトゥーンのオオモノシャケみたいで面白いです。この中には大っぴらに副業が許されていた当時の役人事情を反映しているものもあります。その副業の程度は人により様々で、劇作家や小説家(三島由紀夫は大蔵省出身でしたね)、会社役員、演奏家、妻側の内職や店舗経営などなど。当時の役人生活はその薄給から副業せざるを得ず、バルザックはそのことで、国家が役人から俸給を奪い、役人が国家から時間を盗むと嘆いています。または、ロスチャイルド銀行の職員の待遇と比較し、あまりにも無駄があると。講談社学術文庫版では付録がついており、その中の『役人』というエッセイではフランス政府に対する改革案が載せられ、役人にはしっかり給料を支払い、人数を減らしてしっかり働かせるべきだと論じています。 バルザックの視点を離れ、山川出版社の世界歴史体系を見れば、高官は貴族やブルジョワに切望されたポストで、高い俸給にありつけば大ブルジョワ並みの生活となったそうです。昇進や指名の基準はあいまいなため、縁故採用、官職売買の慣行も続いたようです。そして積もり積もった不満はやがて1846年の凶作に端を発した不況、高学歴ワーキングプア、有望な王位継承者の不足から二月革命を招いたそうですが、それは本書の原書の最初の出版の後の話です。