『翔ぶが如く』はいいぞ。(おすすめ大河ドラマ紹介 第3回)

※今回は、とある大河ドラマ紹介文です。 ネタバレ注意!   こんにちは、いのっちです!   いよいよ「23年度(令和5年度)」が始まりましたね。登録者も1000人を突破し、新メンバー(メ塩さん)も加わった新たなスタートをきる世界史べーた(仮)を本年度も何卒よろしくお願い致します!   最近は春らしい陽気が続き、ほんわか過ごしている私ですが、今日も歴史好きになった理由の一つ「大河ドラマ」の御紹介をさせて頂きたいと思います(今回で3回目!)。   過去ブログはこちら ⇒ 第1回「草燃える」  第2回「花神」   今回御紹介させて頂くのは、幕末の動乱から「西南戦争」・「紀尾井坂の変」に至る明治維新の激動と葛藤を主に薩摩の人々の目線で描いた作品『翔ぶが如く』(1990年[平成2]放送)を御紹介します! (放送当時、まだ生まれていたわけではないのですが💦)   本作は前回御紹介させて頂いた「花神」と同様に、司馬遼太郎さんの長編小説『翔ぶが如く』が原作になった作品です。   ただし、明治以降が舞台の原作に対して、ドラマは主人公の「西郷隆盛(演:西田敏行さん)」と「大久保利通(演:鹿賀丈史さん)」がまだ若かった時代から始まっており、「第一部(幕末編)」「第二部(明治編)」の二部構成になっています♪ (大河史上初の『二部構成作品』)     因みに「翔ぶ」という言葉は本来「とぶ」と読むことは出来ません(当て字ですから)。それにも拘わらずこの当て字を使っていることをよく目にするので本作の影響力は計り知れませんね♪   本作は舞台が九州(「鹿児島」や「熊本」)ということもあって、九州出身の私にとってはかなり身近に感じられる作品です。父も「司馬遼太郎ファン」ですので西南戦争に関する史跡(熊本城や田原坂)をよく一緒に回ったものです。     本作の名シーンとして有名なものは、征韓の是非を議論する会議の場における「西郷と大久保の激論」でしょうね。   遣欧使節の一員として諸外国を視察し新たな国家体制の構築が急務だと痛感した合理主義者の大久保と、その留守を預かる中で新時代に取り残された人々の嘆きや怒りを一身に引き受けてきた情に厚い西郷は、たとえお互いを最大の理解者だと認めてあっていても激しく衝突せざるを得ませんでした。 (両者とも最期の瞬間は共に過ごした青春時代を思い出していました。(泣))   議論が白熱する中で、普段は標準語を使っていた大久保も薩摩弁(鹿児島弁)に戻り、まるで若かりし頃のように激情をぶつけ合う二人の姿が非常に印象的です。   結局、政争に敗れた西郷は下野(鹿児島へ帰郷)するわけですが、それを告げられた大久保は「赤子にように始末が悪い!」と激怒します。それが二人の別れとなるわけです…   かつて同じ夢を追いかけていたはずの幼馴染二人の悲劇的な決別は、「明治維新」という新時代を創造する一大事業の困難さを象徴するものだと思います。   その過程で生じる矛盾や歪みを二人はハッキリと理解しており、西郷に至っては「(新しい世の中を創る為に行った倒幕の戦で)もっともっと人が死ぬべきだった。公家も大名も士農工商全てを焼き尽くして、その焼け跡の中から新しい日本を築くべきだった。(要約)」と今の大河ドラマでは絶対主人公が言えないような「かなり過激なこと」を言っています(戦後の日本を彷彿とさせる台詞ですね)。   様々な役を大河ドラマで演じてきたことで有名な西田敏行さんですが、その懐の深い将器を有する好人物ながら、時に謀略も厭わず狂気じみた革命論を吐露する本作の西郷隆盛役が個人的には一番好きでね♪(会津を有する福島県出身の西田さん的には複雑な役どころだったみたいですが…)   本作には他にも、実務能力や先見性を評価されながらも急進かつ攻撃的な性格が災いして新政府内で孤立、後に反乱の指導者となる「江藤新平(演:隆大介さん)」。野心家で保身のためには同志も切り捨てる冷徹な面がある一方で、厳しい局面においては身分の低い公家から成り上がっただけの度胸・胆力を見せる「岩倉具視(演:小林稔侍さん)」。若い頃は軽率な面が目立ったものの、経験を積むうちに見識高く成長、後に「敬愛する兄・隆盛」と「尊敬する先輩・大久保」との板挟みで苦しむことになる「西郷従道(演:緒形直人さん)」など様々な魅力的な人物が登場しますよ!   是非御自身の眼でお確かめください!   それでは今回はここで筆をおかせて頂きます。 これからも機会があったら好きな大河ドラマを紹介していきますね♪   それでは失礼致します! 〇(><)

海鳥腰慰安旅行 ~in 湯田温泉~

皆様お疲れ様です!海鳥です! 先日、私のサークルで旅行に行きました。今回はJR西日本さんの「サイコロきっぷ」を利用しての旅行でした。 「サイコロきっぷ」とは、5000円で新大阪から西日本各地の決められた場所への往復切符が手に入る切符です。今回の目的地には福岡県「博多」、島根県「出雲」、山口県「湯田温泉」、石川県「加賀温泉」の四か所でした。 いざサイコロ! さぁ回すぞ!とのことで 私ともう一人で回し、私が「出雲」。もう一人が「湯田温泉」でした。 温泉好き二人は迷わず湯田へ。まさかの一週間前に決定。金無し二人による限界旅行が始まりました。 旅一日目 集合は新大阪。マジで毎週新幹線乗ってる生活を過ごしているおかげか、集合はすぐでき二人で喫煙所へ。 紫煙を交えつつ近況報告を済ませ、我々はホームへ。 ヤニカスの海鳥の為に指定席は喫煙ルーム目の前に。最高な気遣いである。 新山口到着!! 新山口について時刻は12時過ぎ。新山口で一度改札を降り昼食へ行きました! 私はピザを、連れはステーキを注文し、昼からのお酒で気分は最高!いざ湯田温泉へ! ところが… 車社会山口が我々に牙を向けました。 なんと次の列車は一時間後。新山口周辺で遊べるようなところは見つけることができませんでした… 逆方向!防府へ! 私たちはとりあえず防府へ向かいました! 防府といえば「防府天満宮」! 防府天満宮は「日本最初の天神さま」と言われています。 防府天満宮が祀っているのが菅原道真公 時は平安時代。承和(じょうわ)12年(845年)~延喜(えんぎ)3年(903年)を生きた平安貴族であり学者、漢詩人、政治家だったそうですね。 昌泰4年(901年)、時の権力者藤原氏によって無実の罪を着せられ、九州大宰府へ左遷されることになりました。その2年後、大宰府で薨去されました。 その後、都では天変地異が続き左遷にかかわった人々が次々に亡くなりました。このことから人々は「道真公の怨霊の仕業に違いない」といい、京都で神として祀られたらしいです。今の北野天満宮ですね。 「いや、じゃあここいつできたねん」って話ですけど。道真公が薨去された翌年にできたみたいですね。 道真公は、九州大宰府への西下の途中、時の周防国(山口県)国司である土師氏(道真公と同族)を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に到着。 「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」(解釈:この港を出発すれば次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。願わくはここ松崎の地に住まいを構え「無実の知らせ」を待っていたい。) と願い九州へ向かったそうです。そしてそれから二年後、道真公が薨去された丁度その日、府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせたそうです。 国司を始め里人たちは道真公の御霊魂が光となり雲となって「此地」に帰ってこられたと悟り、翌年の延喜4年(904)道真公の願われた通り、御霊魂の「居」を「この所」である松崎の地に建立して「松崎の社」と号したのが始まりだそうです。 これで私は「太宰府天満宮」、「北野天満宮」、「防府天満宮」の「日本三大天神」すべてへ訪れることができました! なんだかんだ忙しくて行けなかった初詣ということで、おみくじを引かせていただきました。 おみくじ「恋愛:ちょっと待ちなさい」 いやいやいや、ちょっとまて。そんな直球あんの!?マジで笑いましたわ笑 これ以外は普通で「今年も努力しましょう」って感じだったので頑張りたいと思います! そして我々はホットチョコで体を温め湯田へ… 湯田温泉到着! もうマジで最高でした。 温泉大好き海鳥ちゃんたちは即温泉へ!温まりながらここまで来て一生サークルのことを話し続ける物好き二人。のぼせかけたころ我々はお湯から上がり、居酒屋へ! 鯨や馬刺しなどを食べながら酒を飲み交わし、またサークルの話。 もうめちゃくちゃよかったですね。 これだけで終わるはずもなく二軒目へ… 記憶ないです。   旅二日目 なんだかんだ朝早起きすることができました。速攻朝風呂へ向かい、ホカホカになった後「狐の足あと」へ向かいました。 この悪魔配合を食しました。 プリンもお酒もめちゃくちゃおいしかったですね! 一階には中原中也のコスプレがあったのでパシャリ 帰るわよ 新山口へ戻りまた居酒屋へ… 海鮮居酒屋でしたがめっちゃおいしかったですね~ おわりに 山口でも湯田と防府は初めて訪れたのですが、めちゃくちゃ楽しかったですね。山口はお酒もおいしいしまた行きたいですね!今度は「獺祭」をいただきに行きたいと思います! ではこんな適当なものを読んでいただきありがとうございました!… Continue reading 海鳥腰慰安旅行 ~in 湯田温泉~

世界史小話~十分の一税とはなんぞや~

中世のヨーロッパでは、すべてのキリスト教徒は収穫や収益の十分の一を神への献げ物として洗礼を受けた教区教会に支払うことが義務付けられていました。これが十分の一税と呼ばれるものです。ただし聖職者や俗人領主層は支払いを免れていたので、実際に支払ったのは農民や商工業者だったといえるでしょう。また、十分の一税は旧約聖書の律法に由来するにもかかわらず、制度として定着したのはローマ=カトリック圏に限られ、その起源はカロリング朝のピピンやカール大帝の時代にあったとされています。 課税対象は、穀物・野菜・果実などの農産物、商取引や手工業品の売り上げ、家畜・乳・卵・羊毛・皮革など実に広範囲に渡りました。それらの十分の一を教区司祭もしくは代理人の徴税請負人が取り立てたわけです。徴収の実態については史料的な制約から必ずしも明らかではありませんが、十分の一を算出すること自体はそれほど難しくはなかったでしょう。ただし厳密に十分の一を算出したというより、各時代の各農村・都市ごとの慣習によったということ、また、算出するのは常に取り立てる側だったということに留意するべきです。 さて、十分の一税を支払うことができないとどうなるかというと、 「教皇が贖宥を濫用するため、教区民が司祭をあなどり十分の一税を払おうとしない」 といった苦情からもうかがえるように、零細な教区司祭の場合、徴収に困難をきたす例もあったと思われます。 しかし、多くの場合、教区教会は俗人領主が創設し、司教や修道院に寄進したものでした。俗人領主はその見返りに十分の一税の徴収権の一部または全部を貸与されました。つまり十分の一税の徴収には 「神への献げ物」 という観念と共に領主権力が大きくかかわっていたのであり、支払いを拒否することはかなり難しかったといえます。 罰則規定に関しては、まず支払いを拒否した場合、贖罪と何倍かの罰金が科されます。一例として、十一世紀初期に流布したヴォルムス司教 ブルカルドゥスの贖罪規定書には 「神のものであるべきものを四倍にして神に返し、二十日間パンと水で贖罪しなければならない」 と記されています。さらに度重なる警告にもかかわらず従わない場合は、破門され、財産を没収され、追放に処されることが教会会議の教令に記されていますが、しかし、それがどの程度実施されたかは不明です。 

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栗田艦隊の反転について。お話しします。

~まえがき~ 以前、世界史べーたのマシュマロにこのような質問がありました。 戦後、米戦略爆撃調査団に対して「我々の主目的は機動部隊で湾内に入る目的は無かった」「(空母と輸送船が)両方いたら私は断然戦闘艦艇とわたりあったでしょう」という栗田中将の回答が全てを…続き→https://t.co/cJgagQuLrB#マシュマロを投げ合おう pic.twitter.com/FHUUeUHB3h — 世界史べーた(仮) (@sekaishibeta) July 31, 2022 これについてはツイートにもあるように、栗田長官は輸送船団と空母機動部隊を天秤にかけた結果。より価値のある空母を求めて艦隊を反転させたという訳です。 と言われても全然判断材料が足りないでしょうからそこらへんのお話をしていきましょう。 ~謎の反転。その真実~ 1944年10月25日0911時。サマール島近海。 第77.4任務群に属する「タフィ3」と称される護衛空母群との戦闘を終えた栗田艦隊旗艦大和は「逐次集レ」を命令。 大和からの命令を受けた各艦は終結を開始しますが、その中でも米軍機からの空襲は続いており。その規模は徐々に組織だったものになってきていました。 レイテに再度進撃を開始した栗田艦隊ですが、進撃中も空襲は続き、栗田長官の懐疑心は最高潮を迎えていた事でしょう。 なにせレイテ湾の敵情が全く分からないのです。 『サマール沖の戦闘中に目指す輸送船団は退避してしまったのではないか?』 『前日の0650時に最上艦載機の偵察情報であった戦艦4、巡洋艦2からなる戦艦部隊がレイテ湾で待ち構えているのでは?』 『空襲が組織的になってきたのは三群あると思われる敵空母機動部隊の残り二群が向かってきているのではないか?』 この時、小沢艦隊がハルゼー機動部隊を北方に誘引することに成功した報は栗田艦隊には届いておらず、サマール沖で撃破した空母部隊は正規空母の機動部隊の一群と考えられていました。 そして、ここで決定打となる入電が1100時に入ります。「ヤキ一カ」電です。 「0945スルアン灯台ノ5度113浬二敵機動部隊発見」 この南西方面艦隊からの情報に栗田艦隊司令部は大いに揺れました。 もととり「空船(輸送船)との心中は御免」という空気が艦隊首脳部に流れており、目指すレイテも昨日の最上機の情報以外、敵情が一切わからない中での機動部隊発見はまさに闇に差し込む唯一の光と言ってもいいでしょう。 例え戦死するなら艦隊決戦に死に場所を求めていた。栗田長官、小柳参謀長、大谷作戦参謀らによる協議の結果、艦隊は北方の敵艦隊に向かう事を決意し、未だに対空戦闘中だった1236時、栗田長官は「第一遊撃部隊ハ『レイテ』泊地突入ヲ止メ『サマール』東岸ヲ北上シ敵機動部隊ヲ求メ決戦爾後『サンベルナジノ』水道ヲ突破セントス」と打電。 ここに歴史は決したのであります。 ~もしも、栗田艦隊がレイテ湾突入をしていたら~ これはIFのお話です。と言ってもざっくりとしたのは以前にツイッタで話しましたが…… まぁ、あそこで栗田艦隊がターンしないでレイテ湾に突入しようにも、突入前に西村艦隊を打ちのめしたオルデンドルフ艦隊とぶつかるのは必死。 先のサマール沖海戦の結果も加味して日本艦隊が勝てたかというと……まぁ無理寄りでしょうなぁ https://t.co/X1XsCe6ZOt — 肉のZEKE22 (@zeke_22) July 31, 2022 それじゃあ、彼我の戦力差など夢物語では語れない、現実的な架空のお話をしていきましょうか。 さて、サマール沖海戦の後で栗田艦隊に残されていたのは 戦艦 大和、長門、金剛、榛名 重巡 羽黒、利根 軽巡 能代、矢矧 他、駆逐艦8隻といった陣容でした。 栗田艦隊には他にも重巡の鳥海、筑摩、鈴谷、熊野がいましたが、いずれもサマール沖海戦の米軍機による空襲や駆逐艦の雷撃により落伍または撃沈しており、鳥海には駆逐艦藤波、筑摩には野分が警戒艦として派遣されていました。(後に落伍艦、警戒艦は全て米軍の攻撃で撃沈している) その一方で、対峙するであろう米軍は半日前にスリガオ海峡で西村艦隊を撃破したジェス・B・オルデンドルフ少将の上陸支援艦隊が待ち構えており、TF78とTF79から成っており、その陣容は 戦艦 ミシシッピ、メリーランド、ウェストバージニア、ペンシルバニア、テネシー、カルフォルニア 重巡 ルイヴィル、ポートランド、ミネアポリス、シュロップシャー(豪海軍) 軽巡… Continue reading 栗田艦隊の反転について。お話しします。

紫電改part1 参考資料兼一部詳しく

紫電改part1参考資料兼一部詳しく 今回は紫電改解説動画part1の参考資料や動画ではマニアックすぎた内容の一部をご紹介します。 参考資料 ・碇義朗「最後の戦闘機 紫電改 起死回生に賭けた男たちの戦い」光人社  ・野原茂「海軍局地戦闘機」潮書房光人新社 ・海鳥の今までの取材内容一部 非公開の内容 紫電改の改造前機「紫電」では元になった十五試水戦(強風)から多くの変更点がありました。こちらは動画でご紹介しました、発動機、カウリング形状、側面形、垂直尾翼周辺など多くの変更点がありましたが動画で紹介していないものでは、「水銀式センサー自動空戦フラップ」、「操舵比変更装置」はさらに改良を重ねたものを搭載していました。 水銀式センサー自動空戦フラップ 水銀式センサー自動空戦フラップとは、フラップを空戦時に下ろし揚力を高め、旋回半径を小さくする、すなわち運動性能を向上させる空戦機動を”自動的に”最適の舵角をとれるようにしたものです。 作動のメカニズムは、発信機と称した、センサーの下部にある水銀槽の中の水銀が、ピトー管から入る静圧、動圧、および、旋回時の機体にかかる重力によって、上方に伸びる硝子筒の中を上下動します。 この上下動により硝子筒内の二つの電極に水銀が触れると電流が流れ、フラップが作動するメカニズムになっていました。 ちなみに、フラップの最大下げ角は30度となっており、零戦の60度に比べると半分ほどしかありません。 この自動空戦フラップに加え、川西技術陣が、操縦系統に採り入れたメカニズムがもう一つの技術「操舵比変更装置」です。 操舵比変更装置 通常、航空機は高速になるにつれ、各動翼の受ける風圧も強くなり、操作が重く、強い力が必要となります。速度が上がれば舵の動きが少しでもよく効くようになります。 逆に低速飛行時は、舵の受ける風圧が弱いと、操作が軽く、強い力を必要としなくなります。しかし、舵を大きく動かさなければ舵は効きません。 零戦の場合、各操縦索を通常よりあえて細めにし、剛性を低下、つまり伸びやすくし、一定の操縦感覚にしていました。 これを零戦より1tも重い紫電、紫電改で採用するのは不遇であったので、川西航空機は「操舵比変更装置」を作りました。 これは、操縦桿、および方向舵踏棒と昇降舵、方向舵操作索の間に、油圧で連動桿の固定位置を移動できる操舵比変更部を組み込み、フラップの動きに連動し、離着陸時(低速)、飛行時(高速)の二段階に切り替わるようにしたメカニズムです。 これにより、低速飛行時は操縦桿。方向舵踏棒を少し動かすだけで大きな舵角がとれ、高速飛行時はその逆になる、まさにパイロットにとって理想的な操舵感覚が得られました。 実はこれらの「自動空戦フラップ」、「操舵比変更装置」は当時の欧米各国に例がなく日本航空技術として十分誇れるものでした。すごいね 武装 強風 7.7mm機銃二梃 20mm機銃二梃 紫電、紫電改 20mm機銃四艇 上記のように20mm機銃四艇に武装が強化されていました。 まとめ 紫電改part2は紫電→紫電改まで行ければいいなって思ってます。頑張ります。 今週土曜日は神戸に撮影に出かけ「神戸戦跡巡り動画」を作ります。こちらはリアル映像なので私のチャンネル「海鳥のカフエラテ(カフェラテ)」で投稿します。こちらのチャンネルでは毎週土曜日21時から競馬予想配信してるので是非~ 紫電改part1もぜひご覧ください!  

スティーヴさんが好きな漫画について語るだけ③「キングダム編」

どうも皆様おはようございます。世界史べーた(仮)様の作曲家、スティーヴです。今回でこのシリーズもなんと3回目となります!!嬉しいですね!!ですが3回目にして早くもネタ切れの未来が見えてきました……笑 まあそんな前置きは置いといて、今回は少し有名な漫画をご紹介しようと思います。 集英社、原泰久様著の、「キングダム」です!! 実写映画も大ヒット上映中の、言わずと知れた古代中国春秋戦国時代をテーマにした漫画です。秦の始皇帝でお馴染みの「嬴政」、そして秦の将軍として後に名を馳せる「李信」を主人公としたバトル漫画で、他にも歴史マニアなら知っているであろう趙の大将軍「李牧」「廉頗」、戦国四君として有名な「春申君」、そして秦の大将軍として有名な「王翦」「白起」が登場するなど、歴史マニア、特に中華歴史マニアにはたまらないであろう内容となっております。 私もこの漫画に出会わなければあまり中国史には興味を示さなかったと思います。 現在はアニメ化もされ、第四期まで放送されています!!単行本は現在60巻以上も発刊され、個人的に私は今有名なワンピースや名探偵コナンが完結したら、そのポジションにこの漫画が入ってくるのではないかと思っています笑 オリジナルシーンやオリジナルキャラがかなり多いので、最初は「ほんとに面白いのかなぁ」と思って手を出せずにいたのですが、実際に読んでみてから後悔しました。なぜこんな面白い漫画をずっと食わず嫌いしていたのかと。 最初は友人からの勧めでアニメから入ったのですが、最後の方まで見たところで次のシーズンを待ちきれなくなり、とうとう漫画を買ってしまいました。そして現在はもう次の巻が待ちきれないと思ってしまうほどどハマりしてしまっております笑 他にもこちらの作品はアニメ、漫画だけではなく実写映画も大成功してることで有名ですね。私には今年でもう80歳くらいになるおばあちゃん友人がいるのですが、試しにそのおばあちゃん友人にこちらのキングダムの実写映画を見させてみたらなんとびっくり、どハマりしてしまいました笑。今では「これの続きって見れないの?」と言われるほどです笑。 内容も非常にわかりやすいものとなっているので、子供から大人、そしてご年配の方でも楽しめるような作品になっていますね。 と、今回も語らせて頂いたのですが、いかがだったでしょうか?もしも気になる方がいらっしゃいましたら是非チェックしてみてください!!アニメから入るもよし、最初っから漫画で入るもよし、実写映画から入るのもよしです!! では、また次回のブログでお会いしましょう!! お相手は作曲家スティーヴでしたッ!! さようなら〜 |彡サッ!