海軍と炭酸飲料のこばなし

海軍さんの嗜好品  戦争において士気などを維持するのに嗜好品は貴重なものでした。なにせ、やる気がない中仕事をしてもなかなか捗らないように、士気が低いと兵士も弱くなるのです。  第一次世界大戦でもフランス軍は、兵士1人につき毎日4分の3リットル(通常のワインの瓶1本に相当)のワインを無料で支給し、イギリス軍も一日一口程度のラム酒を支給して士気の維持に努めたほど。  第二次世界大戦では救国戦闘機のスピットファイアがフランスにいるイギリス軍の為に落下タンクにビールを詰めたり、仕事熱心な米軍のおにいさんが最前線の小島にアイスクリーム製造機を配備したりと……これらは「兵士を甘やかすため」ではなく「効率よく兵士のやる気を出させるため」に用意されたのです。   WWIでガリポリに上陸したフランス軍のワイン  そういう意味では、昨今のミリタリーオタクの皆さんが小馬鹿にしがちであるイギリス軍の現代戦車に搭載されている電気式湯沸し器も士気の維持という点では侮れない装備です。敵の砲爆撃の嵐の中でも安全な装甲に包まれた戦車の中で火をたかずに暖かい食事や飲み物が楽しめたり、布の消毒ができたりするのです。皆さんだって冷たいコンビニ弁当ばっかりだと少しは暖かいものが恋しくなるでしょう?それが安全にできるのですごいんですよ。 とてもつおいイギリス軍の湯沸かし器  ……っと少し話がそれてしまいましたね。  それでは士気向上の嗜好品を大日本帝国の海軍さんはどうやっていたのかというと、甘いものでやる気を出させていました。  泊地などではかの有名な給糧艦間宮の間宮羊羹などの甘味の補給が有名ですが、巡洋艦以上の大型艦には自分たちでそう言ったものを作る手段がありました。    それが「ラムネ製造機」です!  海軍艦艇には、火災の時に火を消すために「二酸化炭素消火装置」というものが備え付けてあり、それを転用して「ラムネ製造機」というものを設置したのです。  この装備の設置については戦前からであり、昭和三年の「艦舷「ラムネ」製造機装備の件」という訓令が出されており、横鎮、呉鎮、佐鎮長官あて(舞鎮がないのは、当時軍縮条約により要港部に格下げされていたため)に海軍省大臣官房から 『其府麾下所属ノ既成戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦、航空母艦、潜水母艦、給糧艦及其他必要ヲ認メタル艦舷ニシテ「ラムネ」製造機ヲ有セサルモノニアリテハ此際艤装品トシテ装備方取計フベシ 右訓令ス(後略)』  とあり、要約しますと 「横須賀、呉、佐世保の各鎮守府長官は、自分の部下所属で竣工済みの戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦、航空母艦、潜水母艦、給糧艦そのほか必要な艦船でラムネ製造機を取り付けていない艦があるのならば、この機会にすべて取りつけるように」  というものになります。ここで駆逐艦や潜水艦等がないのは、ラムネ製造機を設置するにはスペースなどの制約があるからなのでしょうかね?実際に駆逐艦島風や駆逐艦山雲といった艦にはラムネ製造機は設置されていなかったという記述を見たことがあるのでそういう事なのでしょう。  ちなみに火を消すための炭酸ですので、そう無闇に使う事もできません。なので停泊時は「ボンベに入った炭酸ガスを陸上から買って製造」していたそうです。    なおその頃、仕事熱心な米軍さんは大型艦にアイスクリーム製造機を導入しており、米空母艦載機が不時着した際に駆逐艦などがパイロットを回収して引き渡せば、お礼にパイロットの体重分のアイスが貰えたそうな……やっぱり格が違うなぁ……

この「コード」を額に入れて飾りたい

はじめに    近況報告になりますが、サムネイル制作者兼HP管理者だったましろさんが退会されたことで、私が今年の4月からましろさんのポジションにそのままスライドする形になりました。ですので、4月1日の「紫電改パート2」の動画からサムネイル制作を担当しています。最初は全く使い方が分からなかった「Adobe Illustrator」ですが、最近はある程度基本的なことはわかったような気がします。ましろさんからいただいたテンプレートを元に、毎回楽しくサムネイルを作っています。       Golang    最近はプログラミング言語のGoにハマっていて、Javaから浮気しそうな感じです。言語としては、Javaよりは若干レベルが低い感じがしました。ポインタの概念がある程度には低レベルですね。Javaより低レベルですけど、勉強の難しさはJavaより高い感じがします。Java8のドキュメントは日本語で転がっていますし、Javaの解説ブログ、動画の類いもたくさんあります。しかし、Goのドキュメントは多分英語しかないので、標準ライブラリの仕様を見に行く時に若干めんどくさいのです。まあ、日本語の解説ブログが全くないわけではないので、色々探してみると参考になるものがたくさんあったりします。   ・Java8のドキュメント(日本語) https://docs.oracle.com/javase/jp/8/docs/api/overview-summary.html ・Goのドキュメント(英語) https://go.dev    このブログを書いている10日くらい前から勉強を始めましたが、色々な方法で勉強しています。大学の課題を捌きつつ別のこともやっているので牛の歩みですが、主に下記の2種類の方法をやっています。    ・「A tour of Go」をすすめてみる。  ・競プロ(「AtCoder」とか「Paiza」)をやってみる。   「A tour of Go」  日本語で書かれたGo言語のチュートリアルです。ブラウザ上で記述して実行して結果が得られるので、実行環境をインストールしなくても使えるというのが利点でしょうか。現時点で、大体半分くらいやりました。 https://go-tour-jp.appspot.com/welcome/1   競プロ  以前Javaで書いたものをGoで書き直すとか、普通に新しい問題をやったりしています。あ、もちろん難しい問題は、そもそもJavaですら書けないのでやってません。Paizaで言うところのD,C,B問題、AtCoderの「AtCoder Beginner Contest」のA,B問題あたりをやっています。       この「コード」    結論から言えば、このブログのタイトルの「コード」とは、標準入力を受け取る一連の処理のことです。このブログを額に見立てて最後に飾っておきましょう。  勉強を始めてから昨日までは「fmt.Scan(&n)」で何も問題がなかったのですが、今日解いた競プロの問題では使えなかったのですよね。短い文字列であれば問題なくて、長いと不具合が生じるのではないかと、私は思ったりしました。これを解決するために、いろいろネットの海をさまよって、それっぽいコードを見つけてきました。しかし、意外とこのコードが複雑で理解に少し時間がかかってしまいました。  そもそも、標準入力から文字列を受け取るというのは競プロの問題では初歩の初歩といいますか、前提条件、出来ないやつは提出することを許さず、的なものです。したがって、この理解したものを消してしまうと、次に書く時に覚えていられる不安になりました。そういうわけで、この初心者コードを貼り付けておきたいと思うに至ったわけです。   package main import ( “bufio” “fmt” “os” “strconv” ) func main()… Continue reading この「コード」を額に入れて飾りたい

フォンスティ音楽教室① 音楽史の話をしようとしましたが楽器分類法の話

皆様お久しぶりです!!世界史べーた(仮)様のOP曲、アイキャッチ効果音、及び音楽史動画を主に制作しているスティーヴです!!ブログを書くのも本当に久しぶりですね……。その間に新しく入会される方もいれば、去られた方もおり……時の流れ、そしてそれが過ぎ去る速さを直に感じておりました……。   前までは私がキングダムなりアド・アストラなり好きな歴史漫画について語っていたのですが、せっかく私も本格的にべーた様の音楽要員として活動を開始したので、今回からはフォンスティーヴのクラシック教室と題し、この私スティーヴがとにかくクラシック音楽、そして世界の様々な作曲家、音楽史について語ろうと思います!!Youtubeの方で投稿されている音楽史動画のこぼれ話をするかもですし、行き当たりばったりなのでちょくちょく話が脱線すると思います……どうか温かい目で見守ってください……ちなみに次回は未定です!!   さて、じゃあまずはベートーヴェンの話でもしますか、ベートーヴェンが生まれたのは1770年、日本ですと明和7年、江戸時代です。そもそも日本って元から独自の音楽文化を持っていたんですよね。卑弥呼について記されたことで有名な「魏志倭人伝」には、邪馬台国内では葬儀で歌舞をしていたと言う記述があります。また、日本書紀には第14代天皇の仲哀天皇が琴を弾奏していたと言う記述があるそうです。 「琴」という楽器は未だに謎が多くてですねぇ……。古代の日本では呪術に使われていたという噂もあります……。一応「琴」という楽器は弦を使って音を出すので「弦楽器」という分類に入るのですが、ヴァイオリンと琴が兄弟、仲間ってのは少し無理がありますよね笑 弦楽器にはヴァイオリンのように弦をこすって音を出す擦弦楽器、ギターのように弦をはじいて音を出す撥弦楽器、ピアノのような弦を叩いて音を出す打弦楽器(弦打楽器)の、主に三つの種類があります(古代祭りの時の動画で話したっけな……。)。あと古代祭りの動画ではオーケストラで使われる楽器は主に「弦・打・吹」の三つに分かれると言ったと思うんですけど、実はそれよりももっと細かい分類があります(このままだと例外が結構ありますしね)。その分類はドイツの音楽学者である「クルト・ザックス(1881-1959)」とオーストリアの民族音楽学者「エリッヒ・モーリツ・フォン・ホルンボステル(1887-1935)」の2人によって20世紀初頭に作られました。この分類法は2人の名前からとって「ザックス=ホルンボステル分類」と呼ばれています。 ザックスホルンテス分類(以下HS分類)では、楽器は「体・膜・弦・気」の4つの属性に分けられています。現代ではそこに新しく「電」というものが加わったので厳密には5種類ですが、電は少しイレギュラーなケースなので4+1種類と言った方がいいですね。例外はなく、この世にある楽器は全てこの4+1属性がベースとなっています。では体・膜・弦・気とはどういう意味なのか。結論から言いますと、これの鍵は「発音原理」です。 「体」は「体鳴楽器」の略。楽器そのものが発音体となっているケースです。具体的な例ですと「シンバル」や「カスタネット」など。息や弦を必要とせず、楽器をぶっ叩いてそのまま音を出すことができますよね。じゃあ「体は打楽器のことなの?」と言われたらそうでもありません。あとで説明しますが「ティンパニ」や「タンバリン」は膜属性に分類されます。また、「オルゴール」もこの体属性に分類され、ワイングラスやコップに水をはってその縁を湿った指でなぞることで音を出す楽器かどうかすらも怪しい「グラスハープ」もこの体属性に分類されます。例えば、黒板を爪で引っ掻いて「キィィィィィィ!」という音を出すアレは、引っ掻くことで黒板そのものが発音体となっているので体属性に分類されます(どちらかと言えば雑音ですが……笑)。実はそれだけではなく、体属性の中でも、奏法や作りによってさらに細かい分類がされます。例えば細かい音程があるもの、それだけでメロディーを演奏することができるものは「旋律体鳴楽器」、できないものは「非旋律体鳴楽器」と呼ばれたり、それとは別にグラスハープのように擦って音を出すんだったら「擦奏体鳴楽器」、それよりもシンバルのように直接的な方法で音を出す場合は「打奏体鳴楽器」と言われたりします(そしてさらにその中で細かい分類があったり(T_T)……。)。ですが四属性より先の分類に関しては学者や国によって大きく解釈や名称、方法が変わってしまうのであんまり気にしすぎずに聞いてください笑。 「膜」は「膜鳴楽器」の略で、まぁ日本で使われている太鼓は大体これだと思ってもらって大丈夫だと思います。名前の通り木の筒や枠などに薄い皮や紙でできた「膜」をはることで体鳴楽器とはまた違う形の振動を起こします。まぁこれにももっと細かい分類はありますが、他の3つに比べたら簡単だと思います(多分)。ドラムセットで使われるスネアやキックも膜属性が大半だと思います。 「弦(やっとここまできた……)」は、まぁイメージの通り弦鳴楽器です。弦を発音体として振動を起こして音を出す、まぁほぼ弦楽器ですね。さて、最初の琴とヴァイオリンの話に戻りますけど、弦属性って少し特殊でして、ザックスの分類法によるとまぁまず弦属性は四つに分かれるそうです。それぞれ「ツィター」「ハープ」「リュート」「リラ」。 「何度も言うんですけど、この話はマジで諸説がありまくりんなので私のこの話だけでなく、自分の納得できる答えを探してください。無責任ですんません!!!」 まず結論から言いますと、まず琴は「ツィター属」に入ります。ですが、ヴァイオリンは「リュート属」に入るんですね。あと、ピアノも実は「ツィター属」です。なのでどちらかと言えばピアノはヴァイオリンよりも琴の方が仕組みは近いんですねぇ……。 いや、ほんとにここの分類はマジでめんどくさいです。 まずツィター属なんですけど、”主には”共鳴体とされる筒なり箱なりに弦をはったものを指します。なので琴はこれに属します。 「あれ?でもヴァイオリンもそれに近くない?」 そう思った方もいると思います。わかります。ではリュート属ってなんなのかと言いますと、ネックがついているタイプの弦楽器です。ネックがついていたら何ができるのかと言いますと、演奏しながらネックを指で押さえて弦の長さを調整することができるんですね。そこが大きな違いです。ギターもリュート属に入ります。もちろんヴァイオリンも。   はい、この分類法で一番めんどくさくなってくるのが我らがピアノくんです。先ほどは琴とピアノはかなり近い位置にいると言いましたが 「琴とピアノが兄弟?そんな分けねぇだろ!!」 と、そう思いますよね、ご安心ください。私もそう思ってます!!!   この話の中で一番大事になってくるのは楽器の構造、そして発音原理です。ピアノという楽器はかつて「チェンバロ」という楽器でした。音は今と比べればギターに近い音で、仕組みとしてはピアノとさほど変わりません。ですが、実はそのチェンバロの前身のような楽器も存在していました。「ツィンバロン」という楽器です。ピアノのご先祖様のようなものですね。 ピアノとツィンバロンの一番の違いは鍵盤の有無です。ツィンバロンには鍵盤がありません。じゃあどうやって音を出していたのでしょうか……? 実際に画像を調べてみてもらったらわかると思うのですが、ツィンバロンはピアノの面影はあるものの、弦は剥き出しになっていて、鍵盤を介さず直接指で弾く、もしくはバチのようなもので叩くという方式をとっており、またその構造はツィター属の定義である「共鳴体に平行に弦をはる(琴をイメージしてもらったらわかりやすいかと)」というのに当てはまっています。そしてそのツィンバロンに鍵盤をつけ弦を直接叩く作業を簡略化したのがチェンバロ、さらにそのチェンバロを改良したものがピアノですので、発音原理的にはピアノはツィター、そして琴と同じなんですね笑。     さて、本当はね、気と電の話をした後に日本音楽史の話に戻ってベートーヴェンの話もしたかったんですけどね……。 意外にも筆が乗ってしまってブログの癖に星新一のショートショートぐらいの分量になってしまいました……。 めっちゃ中途半端なところだと思うんですけど、一旦、一旦今回はここで終わろうと思いますッ……。 いやマジですいません、私もここまで話が広がってしまうとは思ってなかった……。   次回は「楽器分類法後編」「日本の独自の音楽文化」「ベートーヴェンこぼれ話」 の三本でお送りします。お楽しみに!!

ヤンデレの道真好きに徹底的に恨まれて眠れない防府天満宮縁起

道真以外道真じゃないの  こんにちは、※(米印)です。  ひょっとしたらご存じの方もいるかもしれませんが、実は私、菅原道真が大好きなんです。  それはもう、世界史べーた(仮)で最初に出した動画がこれですもの。 (ただ、一応免罪符として置いておきますが、私はあくまで「好き」なだけで専門家とかではありません。その点は十分ご注意ください)   この漢詩……道真のじゃないよね。誰の?  さて、そこで問題になるのが海鳥さんのこのブログ記事です。海鳥さんは旅行に際して防府天満宮を訪問されたようでして、その由緒などを載せています。まだ読んでいないという方はぜひぜひ。  天満宮の参拝者が増えるのはいち道真ファンとしてとっても嬉しいことで、去年のくないさんの太宰府天満宮訪問を聞いたときと同じく踊り狂いました。    ところが、落ち着いて肩で息をしながら改めて記事を読んでみますと、そこにはこんな文がありました。 「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」  頬を冷や汗がつたいました。「これ、知らない」と。  言葉遣いや音の数からして、和歌ではなさそうです。それなら漢詩か、しかし見覚えがない。「菅家文草」や「菅家後集」に収録されている漢詩なら、見かけたことくらいはありそうなのに……  瞬間、脳内に死ぬほど愛されて眠れなくなりそうなどこぞのヤンデレがインストールされ、「道真のこと世界で一番わかってるのは私なの! 他の誰でもない、私!」と叫び始めます。いやさすがにそれは思い上がりにもほどがある。ガチ研究者とかに勝つのは無理じゃん。そも専門家じゃないし。ただのファンですら私より上がいくらでもいるし……    ともあれ、脳内のヤンデレ妹(妹要素どこ?)をなだめるために、私はこの文について調べなければならなくなったのです。   道真は優しくてかっこよくて、でもちょっと脚色が多すぎるところはわかってた  最初に元文を確認してみましょう。防府天満宮さんのHPによりますと、「九州大宰府への西下の途中」に、「防府の勝間の浦に御着船」し、「『此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ』」と願ったのだといいます。  つまり、昌泰の変により左遷された際のものと考えるべきでしょう。    あれ? 「御着船」なの? 陸路じゃなくて……?  早速雲行きが怪しくなっていますが、ともあれまずは一般のご家庭にある川口久雄校注『菅家文草 菅家後集』を引っ張り出してみます。  道真の左遷後ですから、もし収録されているとすれば年代的に『後集』しかあり得ません。  しかして、川口本を見る限り、昌泰四年(左遷はその年初)の最初の詩は「自詠」で、 離家三四月 とあるのですが、「離家」(=左遷)から数か月経っていると言っているわけで、これは時期的にも既に大宰府に着いてから詠まれたものと思われます。  実際、他の詩を見てもそれらしいものはありません。したがって、『後集』には載っていないことがはっきりしました。    次に確認すべきは『大鏡』です。大鏡も地味にいくつか漢詩を載せており、有名どころでは「一栄一落是春秋」(一応川口本も載せている)はこちらに引きます。  が、駄目……っ! やはりそれらしきものはナシ。念のため和歌も確認しましたがやはり無い。    ひとまず、脳内ヤンデレ妹は「やっぱり私の知らない詩……」と、お兄ちゃん(道真)の浮気を恨みつつも、自分の記憶違いではないことの安堵をわずかばかり含んだ声色に変わりました。よしよし。この調子で頼むぞ。 でも菅家伝さんって面白いっていうより信頼性がないよね  薄々察していたのですが、やはり『後集』や『大鏡』にはなかった。実はこの辺であのツイートをしています。ヤンデレ妹を必死に抑えながら。  となると、次に見るべきはおそらく菅家伝。なお、「菅家伝」というのは俗称でありまして、基本的には『北野天神御伝』というものがそう呼ばれます。  しかし、残念ながら私のような一般家庭にはそんなものは置いてありません。デカい図書館か逸般の誤家庭を訪ねて見せてもらうほかない。  ちょいと出かけまして、一番参照される(と思われる)真壁俊信校注の神道大系本(『北野』(神社編11))を用意しました。    さて、分厚い本をひっくり返してみた結果は……ない。ここにもない。念のため頭から後ろまで漢詩は全部チェックしたのにそれっぽいものがひとつもない。  脳内ヤンデレ妹はこんらんしている!    いや、まぁこれも薄々気づいていたんですよ。防府天満宮の話なんだから防府天満宮の縁起読まなきゃ出てこないかもな~って。なので、読みます。読みました。    用意したのは『防府天満宮縁起集』、ここに『松崎天神縁起絵巻』の詞書が載っています。  で、パラパラめくって漢詩らしきものを探すと……ない、ない!? マジで?   そんなの道真じゃない!!  ヤンデレ妹がいまにも暴発しそうなのですが、なんとかKOOLになって考えます。  こういうときは元文に戻るのがセオリー。「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」ともういっぺん睨めっこをしてみます。    にーらめっこしーましょ。わーらうっとまっけよ。    ……これ、ほんとに漢詩か?… Continue reading ヤンデレの道真好きに徹底的に恨まれて眠れない防府天満宮縁起

条約ができるまで

こんにちは。せるヴぁんだです。 今週のブログ担当、略してブロ担となりました。 皆さんは『条約』という単語をご存じですか? 世界には数えきれないくらいの条約が存在しています。 日本に関係する有名な条約だと、日米安保条約・ワシントン海軍軍縮条約などがありますね。(社会科の授業で聞いたことあるはず!) 時代を遡れば、いわゆる不平等条約と言われた日米修好通商条約なんかもあります。   たくさんある条約の種類 実は、『条約』と名がついているものだけが条約ではありません。タイトルの最後に必ずその文言を付けて『〇〇条約』とする必要はなく、名称は何でもよいのです。 条約と名がついていないからと言って、条約でないということにはなりません。 国際連合憲章 国際連盟規約 国際司法裁判所規程 いずれも『条約』という文言は入っていませんが、立派な条約なのです。   条約ができるまで 条約案の作成 まずは条約案を作らないといけません。 たくさんの国が加盟国となるような条約(多数国間条約)の場合、その成立にはそれなりの期間を必要とします。 例えば、国際連合が旗振り役となっている条約の場合、最初から国連の全加盟国が条約の作成に関わるというよりも、一部の国が作業部会といった委員会を立ち上げて条約の骨子を作成することのほうが多いように感じます。   失礼ですが、全権委任状はお持ちでない? 各国は『全権代表』と呼ばれる代表者を自国から派遣し、条約交渉に関わるプロセスの責任者とします。 昔は、全権委任状という書状を提示しなければ、全権代表であると認めらませんでした。 明治時代に岩倉使節団がヨーロッパへ条約改正交渉に赴いた際、全権委任状がなかったため改正交渉に参加させてもらえず、大久保利通と伊藤博文が慌てて日本まで取りに帰ってきたというエピソードが有名です。   条約案がまとまったら 出来上がった条約案は、条約作成会議の全出席国の間で採決にかけられます。 要は、あなたの国はこの条約内容に賛成ですか?反対ですか?という訳です。 原則は全出席国の同意がなければ、条約として採択されません。けれども、非常に多くの国が参加している場合、全会一致が難しいことも多くあります。 そのため、出席国の2/3以上の賛成があれば成立する場合もあったりします。 そうして賛成多数/全会一致で条約内容が認められると、晴れて採択となり、各国代表の署名によって内容が確定します。   署名したら終わり?もう帰っていい? 署名行為には「条約の内容を確定させる」という効果があります。しかし、条約が正式に『法的文書』として拘束力を持つには発効要件を満たす必要があります。 例えば10か国の署名が必要だとか、アメリカを含む20か国の批准が必要、といった具合ですね。 前者では、10か国が署名されすれば、条約は法的拘束力を持ちます(発効)。ところが、発効要件が後者のような場合、さらに批准という手続きを踏まねばならず、署名の段階では、極論『紙切れ』状態にすぎないのです。   さぁ閣下、これに批准にしてくださいね 批准とは、『国家として正式に条約に従う意思を表明する』ことと言われます。重要な条約のほとんどは、署名だけではなく批准手続きを要求しています。それはなぜでしょうか。   第一に、全権代表(署名をした人=国連大使等)が、その国の本来の条約締結権を持っている人(国家元首等)の意思に反していないか、与えられた権限を越えて署名していないか、ということを確認するためです。   第二に、条約締結権者に「やっぱりや~めた!」の機会を与えるためです。最初見たときはイイと思ってGOサインを出しちゃったけど、改めて考えてみるとダメだこれ!なんてことがあるかもしれません。署名から批准に至るまでに、もう一度熟考してくださいね、という意味も込められているのです。   第三に、民主的手続きのためです。言い換えれば、議会において本当に結んでよいか判断するためです。自衛隊の文民統制と同じような考え方で、条約の締結にも民主的な統制をはたらかせるべき、というものです。 日本国憲法では、条約の締結は内閣の仕事です。したがって、原則として議会は条約締結の手続きに関与しません。しかし、それでは条約の民主的な統制が効かず、内閣が好き勝手に条約を結びまくることができてしまいます。 そこで、次の3つの性格のいずれかに当てはまる条約については、締結(批准等)に際して国会の承認が必要な条約として国会に提出しなければならないとしています。 法律事項を含むもの 財政事項を含むもの 政治的に重要で、批准が発効要件となっているもの この考え方は、1974年当時、外務大臣だった大平正芳氏の答弁に基づくものであるため、『大平三原則』と呼ばれています。   批准しましたことをご報告申し上げます 最後に、批准した旨を寄託国と呼ばれる国に通知します。条約の発起国だったり、大きな国だったり様々です。国連事務総長が寄託者になることもあります。… Continue reading 条約ができるまで

誰でも読める! 今日から読める! 英語論文の読み方

論文を読もう!  急に何か知りたいことができたとき、皆さんならどうしますか?  そりゃあ、まずは今この記事を見ているパソコンやスマホから検索するのだと思います。wikipediaとか見たりして。お手軽ですしね。  ただ、やや込み入った内容になったりすると、wikiちゃんだけでは物足りなくなってくるでしょう。そういうときには違う媒体に浮気する必要があります。  真っ先に思いつくのは書籍です。本にありついてしまえばこっちのもの。もうwikiちゃんのことなんて、末尾の参考文献くらいしか見なくなります。    とはいっても、本を読むためには図書館なり本屋なりに行かないといけません。お外怖い……花粉怖い……  ネットで注文して届くのを待つという手もありますが、いずれにしてもちょっと時間がかかります。    ああ、図書館の中に住めたら良いのに!! できれば国会図書館の中に!    でも、その「図書館」が目の前の小さなハコに収まるような手段があったとしたら……? 一度外に出たら目の痛みと呼吸困難に襲われるこの最悪の季節でも、部屋の中から一歩たりとも出ずに、書籍と同じか、場合によってはそれよりも正確で充実した情報を無料で摂取できる方法が、あるとしたら……    それこそが論文です。    論文もお金かかるんじゃないの? と思うかもしれません。いいえ、そうでもないのです。近年はとくにオープンアクセス化が進んでおり、かなりの割合の論文は無料で読むことができます。  お目当ての論文を見つけた後は、たとえば、「Unpaywall」というgoogle chromeの拡張機能などを使えば、その論文のPDFを合法的にダウンロードできる方法を探してくれますよ。  さらに、もしもあなたが大学生や大学の教員、または研究機関の職員等である場合、論文ジャーナルと包括的な契約が結ばれている可能性が高く、有料で出版されている論文たちも読むことができるかもしれません。    論文はお手軽です。お金はかからない、本よりずっとページ数が少ない、しかも、だいたいは一つの決まった目的のために書かれているので、趣旨も理解しやすい。  「論文」なんて言うから小難しく感じるだけで、英語にすればだいたいはarticle「記事」かpaper「ペーパー」ですから、そんな大げさなものじゃあないのです。むしろ本よりずっと楽ですよ。 英語論文を読もう!  さて、これでもう皆さんは論文を読もうという気概に満ち満ちていると思いますけれども、ついでにもう一つおすすめしたいことがあります。  それは英語の論文を読んでみないかということです。    英語。イングリッシュ。えげれすやあめりかという、はいからな国々で使われているらしいあの言語のことです。  「英語なんて読みたくないよ~~~大学入試でもう一生分読んだよ~~~」というそこのあなた。お気持ちはわかります。けれども、どちらかといえばこれは英語で読まなければならない、読まざるを得ないという話なのです。  とくに経済学では顕著なのですが、一流の研究はほとんどが英語です。今一番流行っている研究が、というだけでなく、これまでに積み重ねられてきた、研究の核になる重要な文献がみな英語なのです。  ほとんどの自然科学、社会科学、また歴史や地域研究であっても、よほど日本に密着している研究でもなければ、大抵の研究は英語です。  なんなら、私の高度経済成長(まさに日本史!)の動画ですら、参考文献を見ればLincolnさんの”Japan, Facing Economic Maturity”という本があります。    私たちは英語を避けては通れません。その分野を研究し続けようとすれば、いつかは英語文献に出会ってしまって、読むしかない状況に追い込まれてしまうのです。「わたし英語文献、いまあなたの後ろにいるの……」と。 英語論文、ざぁ~こ  けれども、実は英語論文なんてなんにも怖くありません。雑魚ですよ雑魚。  大真面目な話、あなたが思っているよりも3000倍は楽勝です。「英語読むのやだな~」を乗り越えるのが一番難易度高いレベル。  この落差にはちゃんと理由があります。大きく分けて2つ、前提知識があることと、「数字」があることです。    大学入試や何かで英語に苦手意識のある方、ご安心ください。あれはむしろ大学入試の難易度がおかしいのです。  他言語の文章を読む際に大切なのは、文脈の理解と言葉の理解の両面です。試験でよくある長文読解の問題は、いきなり文脈も何もないで英語が羅列されるのですから、読めたもんじゃありません。単語から必死に文脈を推測するという、わけのわからない作業が要求されてしまいます。  一方、あなたが自分から英語論文を読もうとするなら、それはあなたが既に日本語の文献で既に知っている分野のものでしょう。前提知識、とりもなおさず文脈への理解が十全にあるのです。多少単語がわからないくらい、どうとでもなります。  それに、別に試験のような重箱の隅をキツツキのようにつつきまくるような問題を解く必要もありません。だいたいの意味がつかめれば勝ち。あとは気になったところだけしっかりと読めばもう120点です。    もう一つの理由なのですが、これはとくに経済学や理系分野では「数字」だけでなくアイツがいます。そう「数式」が。  日本語で学んでいる間、おそらく皆さんを散々苦しめたであろう数式。けれども、日本語だろうが英語だろうが、数式の書き方は何一つ変わりません。つまり、数式が理解できているなら、日本語であれ英語であれ、あるいはいっそもっと違う言語だとしても、同じように通用するのです。  散々戦ったライバルがいざというときに味方になる熱い展開です。もちろん、そういうゲームにありがちな、「味方になると弱い」なんてこともありません。むしろ、ある友人は数式だけ追っときゃ文章なんて読む必要ないと言い出すほど。……それは言い過ぎだと思いますけどね。  もちろん、文系分野でも、近年は統計やデータを用いた研究が増えています。こういった部分は、ただ数字が羅列されているだけですし、英語の能力がなくとも簡単に理解することができます。そして文脈がわかっていれば、データの意味もある程度推測がつくわけで。内容も「やっぱりそういうこと言いたいのよね」というように、すんなり入ってきます。   論文の読解テクニック  ようやくこの記事の題名と関係しそうなところにやってきました。  さて、いざ英語論文を読む覚悟がついたとして、では頭から最後まで通して一気に……というのではちょっと大変です。私もやりません、そんなこと。  ならばどうするか、ちょっとしたテクニックを使います。… Continue reading 誰でも読める! 今日から読める! 英語論文の読み方

海鳥腰慰安旅行 ~in 湯田温泉~

皆様お疲れ様です!海鳥です! 先日、私のサークルで旅行に行きました。今回はJR西日本さんの「サイコロきっぷ」を利用しての旅行でした。 「サイコロきっぷ」とは、5000円で新大阪から西日本各地の決められた場所への往復切符が手に入る切符です。今回の目的地には福岡県「博多」、島根県「出雲」、山口県「湯田温泉」、石川県「加賀温泉」の四か所でした。 いざサイコロ! さぁ回すぞ!とのことで 私ともう一人で回し、私が「出雲」。もう一人が「湯田温泉」でした。 温泉好き二人は迷わず湯田へ。まさかの一週間前に決定。金無し二人による限界旅行が始まりました。 旅一日目 集合は新大阪。マジで毎週新幹線乗ってる生活を過ごしているおかげか、集合はすぐでき二人で喫煙所へ。 紫煙を交えつつ近況報告を済ませ、我々はホームへ。 ヤニカスの海鳥の為に指定席は喫煙ルーム目の前に。最高な気遣いである。 新山口到着!! 新山口について時刻は12時過ぎ。新山口で一度改札を降り昼食へ行きました! 私はピザを、連れはステーキを注文し、昼からのお酒で気分は最高!いざ湯田温泉へ! ところが… 車社会山口が我々に牙を向けました。 なんと次の列車は一時間後。新山口周辺で遊べるようなところは見つけることができませんでした… 逆方向!防府へ! 私たちはとりあえず防府へ向かいました! 防府といえば「防府天満宮」! 防府天満宮は「日本最初の天神さま」と言われています。 防府天満宮が祀っているのが菅原道真公 時は平安時代。承和(じょうわ)12年(845年)~延喜(えんぎ)3年(903年)を生きた平安貴族であり学者、漢詩人、政治家だったそうですね。 昌泰4年(901年)、時の権力者藤原氏によって無実の罪を着せられ、九州大宰府へ左遷されることになりました。その2年後、大宰府で薨去されました。 その後、都では天変地異が続き左遷にかかわった人々が次々に亡くなりました。このことから人々は「道真公の怨霊の仕業に違いない」といい、京都で神として祀られたらしいです。今の北野天満宮ですね。 「いや、じゃあここいつできたねん」って話ですけど。道真公が薨去された翌年にできたみたいですね。 道真公は、九州大宰府への西下の途中、時の周防国(山口県)国司である土師氏(道真公と同族)を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に到着。 「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」(解釈:この港を出発すれば次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。願わくはここ松崎の地に住まいを構え「無実の知らせ」を待っていたい。) と願い九州へ向かったそうです。そしてそれから二年後、道真公が薨去された丁度その日、府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせたそうです。 国司を始め里人たちは道真公の御霊魂が光となり雲となって「此地」に帰ってこられたと悟り、翌年の延喜4年(904)道真公の願われた通り、御霊魂の「居」を「この所」である松崎の地に建立して「松崎の社」と号したのが始まりだそうです。 これで私は「太宰府天満宮」、「北野天満宮」、「防府天満宮」の「日本三大天神」すべてへ訪れることができました! なんだかんだ忙しくて行けなかった初詣ということで、おみくじを引かせていただきました。 おみくじ「恋愛:ちょっと待ちなさい」 いやいやいや、ちょっとまて。そんな直球あんの!?マジで笑いましたわ笑 これ以外は普通で「今年も努力しましょう」って感じだったので頑張りたいと思います! そして我々はホットチョコで体を温め湯田へ… 湯田温泉到着! もうマジで最高でした。 温泉大好き海鳥ちゃんたちは即温泉へ!温まりながらここまで来て一生サークルのことを話し続ける物好き二人。のぼせかけたころ我々はお湯から上がり、居酒屋へ! 鯨や馬刺しなどを食べながら酒を飲み交わし、またサークルの話。 もうめちゃくちゃよかったですね。 これだけで終わるはずもなく二軒目へ… 記憶ないです。   旅二日目 なんだかんだ朝早起きすることができました。速攻朝風呂へ向かい、ホカホカになった後「狐の足あと」へ向かいました。 この悪魔配合を食しました。 プリンもお酒もめちゃくちゃおいしかったですね! 一階には中原中也のコスプレがあったのでパシャリ 帰るわよ 新山口へ戻りまた居酒屋へ… 海鮮居酒屋でしたがめっちゃおいしかったですね~ おわりに 山口でも湯田と防府は初めて訪れたのですが、めちゃくちゃ楽しかったですね。山口はお酒もおいしいしまた行きたいですね!今度は「獺祭」をいただきに行きたいと思います! ではこんな適当なものを読んでいただきありがとうございました!… Continue reading 海鳥腰慰安旅行 ~in 湯田温泉~

『オックスフォードブリテン諸島の歴史1 ローマ帝国時代のブリテン島』読書メモ

今回のブログも読書メモです。 前回は世界史リブレットと言う軽い本でしたので、今回はオックスフォード(慶應義塾大学出版会の翻訳版)からヘビー級の『オックスフォードブリテン諸島の歴史1 ローマ帝国時代のブリテン島』です。 本書のシリーズは今までイングランド史が中心になりがちだったUK周辺の歴史を、非イングランド地域での近年の国民意識の高まりを受け、その他の地域もまとめて「ブリテン諸島」として地理的区分としてとらえなおすという、欲張りな試みをしています。とはいっても一人の筆者や編者が体系的に通史を組み立てて書くことは難しかったようで、各分野の専門家による論文集に近い体裁です。 シリーズ内において本書はローマ時代を扱います。この時代について編者ピーター・サルウェイ氏は序論で、研究者には大きく二種類の態度があるとしています。一つはローマ帝国の一辺境に過ぎず、その歴史を叙述するには絶えず帝国の中心の動きを見据え続ける必要があるというもの。もう一つはローマの支配は表面的なものに過ぎず、真の意味でのローマ化はなく、独自の地域であったというものです。地域主義が盛んな昨今において、後者の方が受け入れられやすいのは容易に想像できましょう。編者は客観的な視点を重視するべきとしていますが、ローマンブリテン研究では特に公平性が保たれていないと考えています。そうした古くからの研究者の態度に警鐘を鳴らしつつ、本書の序論は終わります。 さて各章を見てみましょう。本書を通じて意識されていることはブリテン島が当時どれほどローマ的であったかと言うことです。ローマによって文字がもたらされたブリテン諸島。文献史学をやるならローマから見るしかないのです。それ以外のことが知りたければ考古学をやりましょう。実際イギリスの文化財保護政策や新しい調査手法によってローマン・ブリテンには新たなメスが通ずるっ込まれているのです。考古学による成果を交えつつ本書は新しいローマン・ブリテンの叙述を目指しています。 第1章「ブリテン諸島の変容 カエサルの遠征からボウディッカの反乱まで」 本章を担当したティモシ―・ウィリアム・ポター氏は古代ローマ専門の考古学者にして大英博物館の先史・ローマ時代ブリテン島部門の学芸員でした。そして2000年に55歳の若さで亡くなっています。本章では限られた資料の中でローマ時代初期のブリテン島の様相を叙述しています。本章でとりわけ注目されるのが、カエサルによる占領失敗からクラウディウスによる南部ブリテン島の占領までの期間に、すでに社会変化が始まっていたということです。社会変化の内容として挙げられるのは記録される部族名の違いなどから考えられるブリトン人社会における混乱(戦乱)、発掘により発見された品々から推測されるローマ文化の受容です。そしてカエサルによる占領後もブリトン人社会では保守派と新ローマ派に分かれ、不安定な状況が続いていたと考えています。今っぽく言えば、治安が悪かったのが初期ローマ時代のブリテン島だということです。筆者はブリトン人の自主性を評価し、ブリトン人自らがローマ化に進んでいったと考えているように思えました。 第2章「新たな出発 ボウディッカの敗北から三世紀まで」 本章を担当したマイケル・フルフォード氏は後期鉄器時代の定住地考古学、ローマ時代の都市と農村の考古学が専門のレディング大学の先生です。本章は第1章の続きとして読むことのできるものです。治安の悪かったブリタニア属州もローマの急速な拡大が止まり、安定へと舵を切り始めた時代を説明しています。イングランドの数か所の都市では、ボウディッカの反乱により形成された焦土層が年代特定の鍵となることなど、日本とは違ったイギリスの考古学の面白い特徴を紹介してくれています。この時代に北辺では長城を建設していますが、長城建設そのものに莫大な資材や労力が必要なことを考慮すれば、長城の建設ができたこと自体、ブリタニア属州の安定と豊かさを示しているとみています。ブリタニア属州は兵士の貯蔵庫的な役目も果たし、余裕があるときはカレドニア(スコットランド)に攻め入り、そうでないときは他所に兵を引き抜いて防御に徹したことも興味深い内容です。しかし3世紀ともなるとローマ内部での騒乱に巻き込まれ、属州内の都市も防御を迫られたようです。本章ではローマ側の記述が多く、ブリテン島はローマの一部として語られ、ブリトン人の動きに関する記述は少ないです。 第3章「古代末期のブリテン島 四世紀以降」 本章を担当したP.J.ケイシー氏はローマ時代末期のブリタニアについての著作のあるダラム大学の人です。なんかネットで拾えるよさげな情報が少なかったです。本章では第2章の続きでもあり、どうもローマ衰退期のブリタニアでは豊かな生活が維持されていたらしいことが記述されています。ローマで四分統治などが始まったころ、属州でも地方分権が進んだ結果、ブリトン人エリートが政治に関わりやすくなり、結果としてローマがブリタニアから手を引いたときにブリトン人政権が安定することができたのではないかとしていますが、資料が少なすぎてよくわからないようです。ローマが撤退した結果文明を支えられる人種がいなくなって元の先史時代の生活に戻ったかのような書きぶりだった昔の歴史叙述には批判的なのは確かです。とはいってもゲルマン人侵入以後急速にローマ的制度が失われていったことは認めています。ブリトン人がローマに順応し、ローマの制度を活用できていたとするあたり、ブリトン人に対する高評価が見て取れます。まぁゲルマン人に飲み込まれたんですけどね。 第4章「属州ブリタンニアにおける文化と社会の関係」 本章を担当したジャネット・ハスキンソン氏はイギリス版放送大学、オープン大学で古典の講師をしています。そのため著書はローマの文化史のものが多く、もちろんローマン・ブリテンについても著書があります。古典の先生であっても考古学的な成果を無視することはありません。本章以降は通史から離れて各分野の専門家による解説となります。かつて歴史家によって失敗と言われていたローマン・ブリテンの美術については、なぜそのようになったのかを考察するべきであるとし、その悲劇の弁護を試みています。ブリトン人の文化の中にローマのものが入ってきたんだからただ単純にまねしたんじゃないんじゃないかと言うことです。でも作品だけじゃそれが何だって言うのかよくわからないし、解釈はいくらでもできてしまうというのが限界のようです。 第5章「景観への影響 農耕、定住地、産業、インフラ」 本章を担当したリチャード・ヒングリー氏とデイヴィッド・マイルズ氏はいずれも考古学者。ヒングリー氏は鉄器時代とローマ時代のブリテン島の考古学で特に景観に注目しています。マイルズ氏についてはイングリッシュ・ヘリテッジという、イングランドの文化財行政を担う場所で主任研究員をしているようですが、同姓同名の人が多く、ネットではあまり多くのことが分かりませんでした。景観とは人の手が加わった地理のようなものと言えるでしょう。かつて森林が生い茂っていたブリテン島は狩猟者が獣を集めるために木を切ったり、農地を広げたりすることでハゲはじめ、土壌流出を引き起こし、低地には土砂がたまって湿地のようになったという話などです。居住地でいえば、ローマ兵の駐屯地を中心にローマ的な地区があり、それが道路で結ばれてその間にも広がり、低地部はローマ的な景観を見せていたようです。しかし山間部などはローマ以前の様式を残し、環濠定住地を使い続けたようです。それでもそうした遺跡の中からローマの工芸品が出てくるので、ローマの影響から逃れられていたわけではないそうです。ローマがブリテン島を放棄したのちもローマの景観は残り続けたという話は第3章と共通し、5世紀末にはその景観は消え失せたとしています。 第6章「世界の縁 帝国最前線とその向こう側」 本章を担当したデイヴィッド・J・ブリーズ氏はローマ時代の辺境に関する考古学の専門家で、スコットランドでの調査も行っていたようです。調査の成果によりアントニヌスの長城が世界遺産に登録されています。本章はローマの領域から目を離し、特にカレドニア(スコットランド)を解説しています。しかし、非軍事的定住地の出土遺物は少なく、遺跡の分布調査や発掘もそれほど進んでいないという悲しい現実があるようです。はっきりしていることはスコットランド、特に北部ではローマ由来の出土遺物はかなり少ないということで、先住民の意図なのか交易がなかったのか、とにかくローマ側との交流が少なかっただろうという話です。 結論 編者ピーター・サルウェイ氏による結論では、私のように集中して全部理解して読み切ることのできなかった人のために本書を改めてまとめています。あ、こんなこと書いてたっけなぁ見落としたなぁなど思いながら読む場所ですね。 さてここまで偉そうに読書メモを書きましたが、私自身読書力が弱いので、鍛えるために書かせていただいております。この読書メモを見たうえで本書を読んで、全然違う、まったく読書の助けにならなかった、などご指摘があるかもしれません。そこについてはすべて私の浅学の責任であるためここであらかじめお詫びいたします。ひとまず最後まで読んでいただきありがとうございました。 以下メモを書かせていただいた書籍のアマゾンのページです↓ オックスフォード ブリテン諸島の歴史〈1〉ローマ帝国時代のブリテン島

『宮廷文化と民衆文化』読書メモ

歴史を学ぶものは動画なんか見ずにちゃんとした本を読むべきなのは当然のことなのですが、私は動画を作るために本を読んでばかりで、いつの間にか本を読むことを目的とした読書ができなくなっておりました。 そこで今回からは今後の読書モチベーションのために本を紹介していくこととしました。しかし、読書がはかどっていなかった私に紹介できる本は今のところこの以下の本ぐらいでしょうか。 『宮廷文化と民衆文化』世界史リブレット …薄い本です。今度はごつい本を紹介するので許して… 本書はブルゴーニュからブルボンまでの宮廷文化とフランスの近世民衆文化を取り上げて、その二者がブルジョワ階級の勃興で統合されるところまでを扱っています。とはいっても内容はほぼ宮廷文化で、民衆文化とブルジョワの説明はわずかです。私は民衆文化やブルジョワ文化などより宮廷文化に興味があったので全く問題ありませんでしたが、民衆文化側に興味を持たれている方にはお勧めできないでしょう。ただし18世紀の生活に付随した文化を勉強し始めるためならいいのではないかと思います。 さて軽く各章の内容をお伝えしますと以下のようなものです。 ①ブルゴーニュとウルビーノの宮廷 本章で宮廷文化の始まりは15世紀ごろのブルゴーニュであると述べられています。それ以前の宮廷文化、シャルル・マーニュやアリエノール・ダキテーヌと分けたのは武だけではなく文の力を有して形成された文化だからだとしています。晩餐はもちろん、音楽や蔵書、入市式などの儀礼において当時西欧において最も壮麗なことでブルゴーニュは知られていたのです。そのブルゴーニュに次いで紹介されるのはルネサンス期のイタリア宮廷であり、特にウルビーノを中心にしています。宮廷は王の住居であるだけでなく、それまでの修道院や教会に代わる文化の発信地でもあることが様々な部分から語られています。 ②フランスの宮廷 宮廷と言えばだれもが思い浮かべるバロックからロココの時代のヴェルサイユ。ベルばらの聖地です。ブルゴーニュやウルビーノが栄えていたころのフランスは、内乱やらペストやらで悲惨な状況でした。それが収まっても宗教改革による動乱が起こり、七転八倒の時代が続きました。そうした状況の中でも着実にルイ14世時代に花開く宮廷文化の下地が出来上がっていることを示しています。特に下積み時代のフランスに特徴的な移動宮廷の記述は興味深いです。そのあとは皆さんご存知の、ヴェルサイユに固定された宮廷文化の王道です。国王の行動がすべて儀式と化す、24時間舞台の上のような生活。そして収入源を求める貴族たちの阿諛追従。そりゃプチ・トリアノンに農場を作ってのんびりもしたくなりますね。 ←プチ・トリアノンです。こっちはヴェルサイユ宮殿。たまに来る分には豪華でいいところですが、ここで暮らせとなれば話は別。   ③民衆文化 民衆文化は普段の自分の周りでも何か片鱗が見えてきそうな内容です。不安から逃れるようにお祭りの時には騒ぎ、情けない男は集団でつるし上げて制裁する。暴力性が垣間見える部分もありますが、なんだ人間ってそんなに変わってないんだなと思えます。庶民本の普及で本が非日常を与える役割を担い始めたと書かれているところは、あぁ古き良き時代が去っていくのだなと郷愁を感じずにはいられません。 ④ブルジョワ文化による統合 本章はわずか4ページです。放埓な財政が生み出した買官制度により宮廷にやってきたブルジョワが、宮廷外にその高度な文化を持ち出していくというところを説明しているのですが、それがどうやって民衆文化と融合して現代文化になったかまでは説明してはいません。そこからさきは読者が調べる課題なのかもしれません。   と以上のように後半は記述が少ないのですが、その直後に参考文献が列挙されています。初学者にやさしい世界史リブレット、とりあえず何から読んだらいいか悩んだときにぜひおすすめのシリーズです。