自己紹介

ご挨拶   皆さま、はじめまして。現在Youtubeで主に戦史解説を目的に活動している、まるくすと申します。よろしくお願いいたします。 さて、これをご覧の皆さまの中で「まるくす」と聞くと赤い国や赤い思想を連想される方が何人かいらっしゃると考えられるのですが、如何でしょうか?…結論から言わせて頂くと、私の名前は実は「そっち」の「まるくす」では無く、かのローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌス由来なのです。   ただ、私と彼の接点を話すとなが~くなってしまうため割愛し、私自身特段ローマ史に詳しい訳でもなんでもないので、彼についての詳細は専門の方に言をお譲りします(なんやねん)。なにはともあれ、私は彼の生き様に感化されて戦史に関心を持つきっかけとなったのです。 人は幸福を追求する生き物であり、また争いを止むことの出来ない哀しい種族であるということは、この世の真理のように考えさせられます。かつて「哲人皇帝」と称されたマルクス=アウレリウス=アントニヌスは、その半生を戦地に身を投じながら、幸福とは、人とは、人生とは何か、生涯それらのことを思索し続けた人としても知られています。私が普段勉強し、取り上げている「戦史」は人の生き様、幸福と不幸、また争うことの意味を、あらゆる方向から教えてくれます。   歴史を知る人であれば、「古代オリエント史」や「古代ローマ史」、「三国志」等のような英雄譚や人物列伝を好む方も中には少なからずいらっしゃるかと存じます。私が普段解説させて頂いている「日露戦争史」は、先述に列記した古代史に優るとも劣らない程、数多くの個性あふれる人物が登場します。 例えば上記リンクの解説動画「鴨緑江会戦」で主役として焦点をあてた黒木為楨(敬称略)は、日露戦争中の日本陸軍第一軍司令官として出征し、知る人ぞ知る勇猛さを持つ「猪突猛進」の軍人として知られています。「三国志」を引き合いに例示すると楽進(字は文謙)に近いイメージでなないでしょうか(城壁よじ登りフレンズ)。しかし近年、彼は知られざるもう一つの非凡な「個性」を備えていたことが明らかにされています(下記に続く)。 黒木将軍が備えるもう一つの個性、それは「第六感」です。はい、所謂「シックスセンス」と呼ばれるそれです。「オカルトの話してる?」と思った方、暫しお待ちください。これはオカルトでも伝説の話でもなく、これは史料的根拠に基づくれっきとした事実なのです。 時は1904年七月三十日から八月一日にかけてロシア軍と日本軍との間で行われた戦闘「楡樹林子・様子嶺の戦い」での出来事です。黒木大将率いる第一軍はケルレル中将麾下のロシア軍と様子嶺の陣地を巡って激戦を交えていました。 戦闘が経過したある時、第一線近くの小山で横臥していた黒木は突然起き上がり「副官!」と叫びました。驚いた副官が駆け寄ると黒木は「副官、大急ぎで予備隊へ、前進を命じろ」と命令しました。副官が前進目標を聞こうとするも黒木は「早く、早く」と連発したため、副官は急ぎ馬で予備隊の下に駆け付け「軍司令官命令、予備隊前進!」と叫びました。 その後しばらくして第一線から敵兵退却の報が伝わりました。ロシア軍が退却した理由は指揮官のケルレル中将が戦死したため、ロシア軍が陣地攻撃を断念したことにありました。つまり黒木は第一線の指揮官(師団長)や幕僚が戦況を見極める前に、敵兵退却の兆候を読み取り、軍予備隊の前進を直接命令したのです。副官の反応からもわかるように、軍幕僚は黒木がなぜ予備隊に前進命令を出したのかを理解していませんでした。(『新史料による日露戦争陸戦史』及『金星の追憶 回顧八十年』に基づく) 当時第一軍参謀だった福田雅太郎は黒木を評し「丁度老船頭が潮の満干を見て、天候を卜すやうに、戦闘の潮合を見ることの非常な老巧者であつた」と述べています。まさに、黒木は老船頭が持つそれの如く「第六感」を備えた人物であったのです。 さて、上記で紹介した黒木将軍のように「戦史」においては、非凡な個性や意外な側面をも有す数多の「人物」の生き様と接することが出来ます。私は戦史を探求し、その関心の輪を広げていけるよう、これからもyoutubeを通して活動を行います。もしこのブログを読んで、戦史や人物伝、或いは歴史そのものに興味を持った方がいらしたとすれば、それは私にとって至上の喜びです。