マイナーローマ人紹介 そのⅠ(ティベリウス)いのっち
どうも~、いのっちです♪( – ω – )♪
約3ヵ月ぶりのブログ参戦ですね~
さて、何書こうかしら…
おや?
今月19日(4日前)は「アウグストゥス(ローマ帝国初代皇帝)」の命日じゃないか。
よっしゃ、古代ローマクラスタ(自称)としては語らない訳にはいかねえよなぁ?
というわけで2代皇帝「ティベリウス」の話をします!(ここまで前振り)
まあほとんどの方が「who?」となっていることと思いますが。
(どの世界でも言えることですが、2代目って大体影が薄いですからね~)
今回は個性派揃いのローマ皇帝たちの中でも、個人的にお気に入りの一人である彼について少し語ろうかなと思います。(アウグストゥスくん、ごめんね)
一言でいえば彼は「色々と不憫だった陰キャ」です。
(あくまで私個人のド偏見ですが)。
たぶん、本人は皇帝になんてなりたくなかっただろうし、帝国の為に尽くしても各方面から不満の嵐だし、心の癒しになり得る家庭は完全に崩壊してるし…
(ほんとにもう、よく最後まで匙を投げなかったねというレベル)
ティベリウスは共和政時代から続く名門「クラウディウス一門」に生まれます。そのままでも貴族の御曹司として裕福な一生を送れたんでしょうが、5歳の時に母が「オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)」と再婚したことで彼の人生は一変しました。
初代皇帝の継子となったティベリウスは内政や軍事、外交など皇帝一族の一員として様々な経験を積んでいきます。
ただしアウグストゥスは自分の血を引く者を後継者にすることに執念を燃やし続けた人だったので、彼は後継者候補とは見做されてなかったわけですが。
そして、この「継父の執念」がティベリウスの人生を狂わせます。
アウグストゥスは、あろうことかティベリウスを無理やり離婚させ、自分の娘と無理やり結婚させました。
元の妻を心から愛していたティベリウスは相当ショックを受けたようで、街中で彼女を見かけたときは涙を浮かべたといいます(可哀想)。
そんな経緯もあってこの結婚は長続きせず、彼は妻と別居して隠居、エーゲ海のロードス島に引き籠ります(引き籠り1回目)。
権力争いに巻き込まれると命の危険もあるという理由もあったんでしょうが、彼の性格的に家族に振り回されること自体が嫌だったんでしょうね。
ロードス島では趣味を嗜みながら悠々自適に過ごしていたとか(羨ましい)。
まあ、そんな生活もアウグストゥスにぶち壊されるんですが。(アーくんさあ…)
血の繋がった孫たちに先立たれてしまった彼は、ティベリウスを後継者に指名したのです。
まあ、正確にはアウグストゥスの親戚の若者が成長するまでの中継ぎ扱いだったわけですが。(遺言の中でも「かわいい孫たちに先立たれたので、仕方なくティベリウスを後継者に指名した(意訳)」といわれる始末)
無理やり引っ張り出しといてそれはないぜ、アーくん…
ともあれ「2代皇帝になってしまった」ティベリウスですが、即位早々に様々な難問に直面します。
例えば30年以上一進一退を繰り返していた「ゲルマン人との戦争」
自国の被害も甚大だった泥沼の戦争を終わらせるべく、ティベリウスは「ゲルマニア(ゲルマン人の居住区)」からの撤退を決断するのですが、そのせいで「情けない皇帝」だと元老院や市民たちから不満を抱かれてしまいます。
更に故アウグストゥスの積極財政の反動で破綻しかけていた財政を立て直す為に、市民への見世物などの膨大な支出を徹底的に削る、いわゆる「緊縮政策」を断行するのですが、「ケチな皇帝」だと一層評判を落としてしまいます。
帝国的には必要なことをやっているのに、支持率はどんどん暴落する一方…
なんというか政治ってホント難しいですね💦
こういう時は暖かい家庭が心の支えになりそうなものですが…
彼は家族運もとことん無い男。
信頼していた一人息子ドゥルーススには先立たれ、他の家族たちは次の皇帝の座を巡って権力闘争に精を出す始末。
はっきり言って公邸より自宅の方が心が休まらない有様でした…
つまりティベリウスは真面目に政務に取り組んだ結果、元老院や市民、そして家族たちなどあらゆる人々と関係がどんどん悪くなったわけです(う~ん、カワイソス)。
もしも上辺だけでも彼らに歩み寄る姿勢を示し、協調する態度を見せたならば多少なりとも評価も変わったと思いますが、彼はそういう「偽善」を嫌っていた節がありました。まあ嫌われ者の陰キャはそういう思考になりやすいよね(シンパシー)。
その点が貴族の御曹司らしい誇り高い一面なのかなと思う反面、「政治家」としてカエサルやアウグストゥスに遠く及ばない所であり、ある意味で人間らしい魅力の一つなのかなあとも思います。
とはいえ周辺の騒がしい空気に嫌気がさしたのか、ティベリウスはローマを側近のセイアヌスに任せ、ティレニア海の「カプリ島」に引き籠ります(引き籠り2回目)。
これでようやく心穏やかに政務に専念できる…とならないのが彼の宿命。
セイアヌスはティベリウスの信任を笠に着て横暴な振る舞いを見せるようになります。
挙句の果てにはティベリウスを亡き者にしてローマ皇帝の位を狙っているという噂まで立つ始末。
結局、ティベリウスはセイアヌスを処刑するのですが、「本当の地獄」はそこからでした。
愛息のドゥルーススは、野心家のセイアヌスに毒殺されていたことが発覚したのです。
ここに来てティベリウスは堪忍袋の緒が切れました。
セイアヌス一家は幼い娘まで含めて皆殺し、皇族や元老院議員といえども反抗的なものは容赦なく粛清していきます。
その記録はあまりに凄惨すぎてここには書けないのですが、今までで抱えてきた鬱屈が爆発したようでした。
当然「晩節を汚した」と評されて仕方ないとは思いますが、それまでの彼の人生を知っていると何だか複雑な気持ちになりますね。
しばらくして、ティベリウスは23年間皇帝を務めあげた後、79歳の生涯を終えました(長生き!)。
市民たちはティベリウスの死が確実という情報が入るまでは感情を押さえていましたが、その死が間違いないことを知ると大喜びしたといいます。
その後も、あらゆる歴史書においてティベリウスは「暴君」と断じられ続けました。堅実な皇帝としての治績が再評価されるようになったのは考古学的な知見も重要視されるようになった近代以降のことです。
古今東西関係なく、為政者は様々な評価を後世に与えらるのが宿命というものですが、ティベリウスは本当に評価が難しいローマ皇帝です。
初代皇帝の治世を引き継いで、帝国を盤石にした皇帝として評価されて欲しいとは思っていますが、やはり陰鬱なイメージは抜けきれないし晩年の恐怖政治はやはり擁護できないですもんね💦
まあ、そういった人間的な弱さも含めてお気に入りの皇帝の一人ということです。
政治力はカエサルやアウグストゥスには及ばなくとも、彼らの遺志を継いで帝国を確固たるものにしていった「影の薄い2代皇帝」がいたことをこの機会に御記憶頂けたら嬉しいです。
他にもローマ皇帝は個性的な人たちが多いので、また別の方を紹介出来たらいいなあと思ってます♪
下記動画は以前私が作成したものです。今回のブログ内容を深く知りたくなった際に是非御活用ください(ダイマ)。
では失礼致します!(`・ω・´)ゞ
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