サンタさんは大悪人!? プレゼントの経済学※(米印)

水差し野郎こと経済学さん

 クリスマス。ある人は家族と、ある人は恋人と、ある人は友人と。みな楽しく過ごす日です。
 いくら経済学者たちの性格が一人残らず捻じ曲がっていて、恋人はおろか友人だってろくすっぽ作れるはずがないという事実があるとはいえ、クリスマスくらいは場を読んで、水を差さないように気を配るに違いありません。
 
 ……と言いたいところなのですが、残念ながら、経済学者の性格のひねくれようは我々の想像をはるかに超えています。
 その経済学者がやり玉にあげたのは……

 

クリスマスプレゼントだろ!!

 クリスマスの象徴、プレゼントなのです。
 
 もちろん、いくらあの経済学者たちであっても、どこぞのイーデン校の経済学担当の先生のような無根拠の難癖をつけることはそれほど多くありません。
 そこには一応の経済学的根拠があります。何も僻みや妬みだけで言っているわけではないのです。
 
 ……ここまで経済学者の面の皮よりぶ厚いオブラートに包んでいますけど、流石にこの先は放送禁止用語が出かねんぞ。
 
 というわけで(?)、このブログ記事では、経済学の観点から(クリスマス)プレゼントについて議論します。
 ではでは、さっそくやっていきましょう。
 

ここは読み飛ばしてもおkです

 まずは、教科書的なプレゼントの経済学的な意味について述べ……るために、経済学の考え方の基礎をお話します。
 数学があんまり好きじゃないって人はここは読み飛ばしちゃっても構いません。
 
 経済学の世界においては、私たちは日々難解な数式を解き、効用(うれしさ)を最大化すべく消費計画を決めることになっています。
 代表的な効用最大化問題は、こんな感じです。

 (x_iは第i財の消費量、p_iは第i財の価格、Yは予算)
 これを皆さんは世の中の膨大な量の財に対して解いているのです。
 
 え、そんなわけないだろって?
 ごもっとも。もちろんそんなわけがありません。こんなの、世の中の人間の9割は解き方すらわからないと思います。
 とはいえ、私たちは理由もなく消費計画を決めているわけではありません。皆さん自身は、何か商品を買ったり買わなかったりすることを、「なんとなく」決めていると思い込んでいるかもしれませんが、実は非常に多くの要素を考慮に入れた上で判断しているようなのです。
 
 皆さんの意思決定はとても複雑で、ほんとうに様々な要素に左右されています。たとえば、今日の朝聞いたニュース、お隣さんの噂話、給料日、お財布の中身、空腹感、などなど。
 しかもその上、時々の選択が必ずしも一つの目的のために行われている訳でもありません。これらをそのまますべてモデル化する、つまり数式で表すことは、どう考えてもできっこありません。
 しかし、他の近似、とくに数学が扱いやすい形で表すことは可能です。これこそが上の効用最大化問題というやつなのです。
 
 つまり、私たちは次のように考えます。
 人々はあたかも効用最大化を行っているかのように行動する、と。
 
 これなら、皆さんもある程度納得できるのではないでしょうか。そして、この考えの当てはまりは非常に良いのです。
 
 ……ここまでずいぶんと文字数を使って説明しましたが、結局は、この記事では効用最大化で考えますよ、というだけの話です。
 そして、効用最大化を前提にすれば、「プレゼント」の意味がひっじょーーーーにわかりやすくなるのです。
 

経済学者「『これプレゼントするね!』はすべて悪」

 経済学上では、プレゼントはおおむね2種類に分けることができます(厳密にはグラデーション様だとは思いますが)。
 
 第1がお金、ないしはそれに近い金券などのプレゼントです。代表例はお年玉でしょうか。最近ならアマギフもここに含まれると思います。
 このようなお金のプレゼントは、当然ながら受け取り手が自由に使い道を決めることができます。何かおいしいものを食べてもいいし、自分の趣味に使ってもいいし、どこかお出かけをしてもいい。もちろん貯金することも可能です。
 上の経済学的なお話を踏まえて言うと、「予算」が増えるということになります。もっとも、その分贈り手のお金は減っていますが。お金がただ移動するだけなので、皆が効用最大化を行うとみなせる限り、社会全体の効用はほとんど変わりません。
 私が自分で1万円を使って本か何かを買っても、その1万円を娘の六花にプレゼントして、六花が六花自身のために何かを買っても、経済学の観点で見れば、結局この家族のうれしさは同じくらいになるのです。
 
 第2が具体的な財やサービスのプレゼントです。ふつう、皆さんがイメージするプレゼントと言えばこちらでしょう。
 このようなプレゼントは、お金と違って、受け取り手は自由に使い道を決めることができません。
 お菓子をプレゼントされから、その価値の分のCDを買う、なんてことは無理な話ですね。あるいは飛行機のチケットを貰っても、お腹はちっとも膨れません。貯金なんてどうあがいても不可能です。パンを貯めておいたら腐ってしまいます。
 これまた上の経済学的な話からは、特定の財の消費量だけが増えるということになります。この場合も、贈り手のお金が減っていますね。
 先の効用最大化で言うと、厳密には第i財の消費量がプレゼントされた量以上になる、という制約が入ることになります。一般に、制約が多いほど最大化された値は小さくなってしまいます。したがって社会全体の厚生は下がります。
 このとき、その非効率性によって下がった厚生を死荷重(deadweight loss)と言います。逆に言えば、現金のプレゼントには死荷重が発生しません。
 
 私が1万円で自由に数学の本を買えば、100嬉しいとしましょう。しかし、六花にその本を贈ったら、六花にとっては60しか嬉しくないかもしれません。
 ここが大きな違いです。もし、お金をプレゼントして、六花自身の予算が1万円多くなったのであれば、上の通り六花は効用最大化をしますので、本当に使いたいこと、たとえば化粧品を買いたいだとか、友達と遊びたいだとか、そういうものに充てることができます。したがって、死荷重は0です。
 ところが、財のプレゼントは、それが受け取り手が欲しいものでなかった場合、死荷重が発生してしまいます。
 経済学の観点からは、財のプレゼントはふつう非効率的なのです。
 

Waldfogel (1993)における実証分析

 では、実際には財のプレゼントはどの程度の死荷重を生むのでしょうか?
 これについて研究した論文に、少し古いですがWaldfogel (1993)があります。
 この研究では、プレゼントされた財に対する受け取り手の評価額を調べ、実際の価格と比較検討しました。その差が大きいほど、プレゼントは非効率であるということです。
 
 少し「評価額」について詳しくお話すると、この研究では、いわゆるwilllingness to pay(WTP)とwillingness to accept(WTA)について検討していると見なせます。
 WTPは、ある財やサービスに対して「最大限いくらまで支払ってもよいと思うか」という金額です。
 たとえば、六花の肩たたきというサービス(もしくは肩たたき券)が今ここにあるとしましょう。私は5億円までなら支払ってもよいと思っています。したがって、私のWTPは5億です。
 一方、WTAは、今持っている財やサービスに対して、「最低限いくら貰ったら手放してもよいと思うか」という金額です。
 先ほどの六花の肩たたきというサービス(の権利)を今私が持っているとしたら、誰かに「10億円で売ってくれ」と言われても絶対に売りません。したがって、私のWTAは少なくとも10億よりも高い金額です。
 
 「はいはい、またいつもの発作ね」とでも思っていらっしゃるそこのあなた! いいえ、これは経済学によって裏打ちされた事実なのです。
 私たちには、WTPよりもWTAの方が高くなる傾向があると言われています。これは「保有効果」と呼ばれます(ただし、保有効果に対しては色々と議論があります)。
 ですから、件の研究でもWTPとWTAに差が生まれます。したがって、その人にとっての真の評価額は両方の結果の間のどこかにある、と考えるべきです。
 
 それでは、Waldfogelの実験結果を見てみましょう。前者のWTPを用いた検討では、WTPは実際の価格の7割程度となりました。他方で、後者のWTAを用いた検討では、WTAは実際の価格の8割~9割程度となりました。
 したがって、プレゼントの非効率性によって、プレゼントの価値が10%~30%程度毀損されていると言えます。これは無視できない死荷重が発生していることを非常に強く示唆します。
 
 これらを踏まえ、Waldfogel (1993)はさらに詳細な検討をしています。興味深いのは、どのような場合に、より非効率性が大きく/小さくなるのか、ということです。
 まず、関係の深さがあげられます。叔父、叔母よりも、父や母から贈られたプレゼントの方が非効率性は小さくなるようです。また、友人からのプレゼントも非効率性は小さいようです。
 実際、親子であればそれだけ相手の欲しいものを把握しやすいでしょうから、自然な結果です。私も六花の欲しいものはよく把握してますからね。
 
 また、年齢の差が大きいほど、非効率性は大きくなります。これも妥当ですね。
 私も六花の「○○が欲しい」は知っていても、「○○」自体が何なのかわからないことが多々あり……
 
 んんっ……ともあれ、Walfogelの示唆は理論的な予想を裏付けていると言えるでしょう。財のプレゼントは効用最大化問題に制約を加えます。これは一般に非効率的で死荷重を生みます。それは贈り手が受け取り手の選好(好きなもの)を良く知っているほど、非効率性は小さくなりますし、他方でよくわかっていない場合は非効率性が大きくなります。
 

それでもプレゼントを贈りたいあなたへ

 ここまで、散々に意地の悪い経済学の観点を使って、財のプレゼントの非効率性を指摘してきました。そしてそれは、少なくとも(価格理論の)経済学においては、間違いなく成立しているようです。
 
 しかし、それでも私たちはプレゼントを贈ります。お金ではなく財のプレゼントを贈ります。
 この事実は無視できません。いったいなぜでしょうか?
 
 可能な説明のひとつは、やはり経済学です。
 私たちが誰かにプレゼントを贈ろうとするとき、実はこれまで無視してきたあるコストが発生しています。
 大事な相手に贈るプレゼントは、とくに悩むでしょう。たくさん考えます。こっちがいいかな、それともそっちの方が、いやいやあっちも捨てがたい。こうしたプレゼント選びは、たとえば時間的コストとして現れます。ひょっとしたら、下調べもするかもしれません。贈る相手の好みを他の友達に聞いたり、それとなく探ってみたり。これらもやはりコストになってしまいます。。
 
 しかし、それこそが正当化する理由になるのです。
 受け取り手の好みに合ったプレゼントは、贈り手が「あなたのために」コストをかけたことの、恰好のシグナルです。
 皆さんも、自分の好みのプレゼントを受け取った際には、その商品をただ手に入れたときよりもずっと大きな喜びを感じるのではないでしょうか。それは贈り手が強い関心を持ってくれていることの表れなのですから。
 
 少しだけ深堀りすると、これはゲーム理論における「シグナリング・ゲーム」の枠組みで人間関係を捉えた場合の考え方です。その際には、シグナルは送り手に適切な量のコストを発生させていれば、どんなものでも構わないことが知られています。有名なものに、労働市場における学歴や、中古車市場の返品オプションなどがあります。さらには、クジャクの派手な羽もこの枠組みで捉えられるとも言われています。
 なお、この場合、非効率性の正当化は自明ではありませんが、シグナルがない場合にはもっと厚生が悪化すると考えることは、それほど不自然ではないでしょう。
 
 
 また、財のプレゼントそのものについて、非常に重要ながら、意図的に説明しなかった部分がありました。
 それは、財を売ることができない、という仮定を暗黙に導入していたことです。
 たしかに、人からプレゼントで貰った品を売ることは失礼にあたりますが、それも経済学者なら平気でやる程度のことです。……まぁ経済学者がプレゼントなんて貰う機会があるのかは疑問ですが。
 
 このことも、財のプレゼントの正当化に貢献するかもしれません。というのも、多くの場合、不要なプレゼントを贈って来るのは関係の薄い相手です。それならば、売ってしまっても構わない、と考える人は決して少なくないと思われます。
 事実、「クリスマス後は、アクセサリーがメ〇カリにたくさん出品される」ことが観測されています。
 その場合、財のプレゼントが毀損する価値はそれほど大きくならないのではないでしょうか。
 
 
 最後に、もっとも重要で、私にとって一番納得できる正当化をお話しましょう。
 それは、「私が自分でお金を使うよりも、六花が喜んでる姿を見る方がずっと嬉しい」ということです。それも私が贈ったプレゼントで喜んでくれるのなら、なおさら!!
 
 あえて経済学的解釈をするなら、マクロ経済学で使う、いわゆる「王朝モデル」に近いかもしれません。親は、自分の子や孫のうれしさを、一定程度割り引いた形で共有しているのだ、というものです。ただし、実際には世代が重複しているので、議論はより複雑になりますが。
 このような場合、プレゼントは社会的厚生をむしろ増大させる可能性があります。
 
 つまり私が六花にクリスマスプレゼントを贈るのは社会貢献!!!
 

まとめ

  • 経済学者は性根が捻じ曲がっている
  • 私たちの行動は効用最大化で解釈できる
  • 財のプレゼントは非効率的
  • 財のプレゼントの非効率性は実証でも確かめられている
  • ただし、私は六花にプレゼントを贈ってもよい

 
 まとめとしてはこんな感じです。
 一部、若干議論が甘いところがあったような気がしないでもないですが、六花へのプレゼントを買うという大仕事に比べたら些事ですので、この辺りで失礼させていただきます。ではでは。
 

参考文献

  • “Economic Focus: Is Santa a Deadweight Loss?” The Economist 361, no. 8253 (2001).
  • Waldfogel, Joel. “The Deadweight Loss of Christmas.” The American economic review 83, no. 5 (1993): 1328–1336.

など

※(米印)

By ※(米印)

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