日本財政は持続不可能だった? Bohn検定による検証※(米印)

財政の持続可能性とは?

 ドーモ、読者=サン。赤字スレイヤーです。
 
 ああ待って、ブラウザバックなさらないでください。
 ……こほん。改めまして、※(米印)です。
 今回は、Ihori et al.(2001)(以下、「井堀ら」と記します)を参考に、戦後日本(~98年)の「財政の持続可能性」を検討してみたいと思います。
 ただし、ひとつ注意していただきたいのは、これは政治的意図があるものではないということです。あくまでも「歴史」として捉えてくだされば。
 
 ではでは、本題に入りましょう。
 財政が持続不可能であるとはどういうことかというと、財政が持続可能ではないということです(小泉構文)。
 ……いやいや、大真面目な話なんですって。というのも、「持続可能」の基準は決して明確ではないのです。
 とくに近年の計量分析の進歩もあり、「○○が××だから持続可能!」みたいなことを安易に言ってしまうと、「素人質問で恐縮ですが……(素人ですらわかるとこに欠陥があるように見えますが)」とか「基本的な質問ですが(基本的な部分に落ち度があるんだが)」とか、「私もよくわからないのですが(え、そんな初歩的なミスやらかすとは信じられないんですが)」とかが飛んで来ますから……
 
 それを踏まえて井堀らの議論を紹介しますと(責任逃れ)、主に

  • 「公債の中立性」を確認する
  • Bohn(1998)の検定を用いる

の2段階によって評価しています。
 以下では、この2つについて紹介してゆきましょう。

バーロー、バローの中立性が保たれてなきゃしょうがないんだよ

 公債の中立性(中立命題)というのは、「財源に公債を使っても、増税を行っても、結局一緒だよね」という議論です。
 え、そんなことあるわけないじゃないか、と思うかもしれません。正直私もそう思います(え
 しかし、事実として公債はいずれ返さなければならないわけで、結局は増税を行うことになります。ですから、もし人類がめちゃくちゃ合理的な存在だとしたら、この増税を見越して経済活動を行うでしょう。そうなれば、「全然違わないじゃん!」となるわけです。
 もしこれが満たされていれば、公債をいくら発行しても、国民は賢明なことに「どーせ増税するんでしょ?」と考えて行動するので、ほぼ持続不可能にはならないはずです。
 
 これが中立性のおおまかな内容です。
 さらに細かい議論に入ってゆくと、中立性には「リカードの中立性」と「バローの中立性」があり、一般にバローの中立性の方が「強い」概念だとされています。
 バローの中立性は、子孫代々に対して遺産を残したい、という思いを想定していますから、「いやいや、どーせ増税するんでしょ?」が100年200年先にも適用できるという主張なわけです。
 ……うん、ちょっと過剰ですよね。
 ちなみに、リカードの中立性はその世代で返すという条件なので、もう少しマイルドです。
 
 で、日本財政はどうなのか、という話です。
 井堀らはこれらについて検討したところ、リカードの中立性についてはある程度認められるものの、バローの中立性は不十分であると指摘しています。
 リカードの中立性で保証されるのはあくまでも同一世代の間だけですから、クソデカ債務を抱えている日本の例ではちょっと物足りないと言わなくてはならないでしょう。
 つまり、公債の中立性という観点からは、持続可能性を担保できないという結論です。

ククク……Bohn検定が敗れたか。奴は我らの中でも最強……

 次にBohn(1998)の検定(Bohn検定)について紹介しましょう。
 これは簡単に言うと、「借金が増えたら、それを返そうとしているかどうか」ということの判断です。つまり、債務残高が増えたら、歳入を増やしたり歳出を減らしたりして、収支を改善しようとしているかどうかを見るわけです。具体的な説明はBohn(1998)、和文なら土居・中里(2004)などを参照してください。
 先にこのことを強調しておきますが、Bohn検定は決して一部の研究者のみが用いているものではなく、むしろ21世紀に入って支配的になってきた手法です。ですから、旧来の単位根検定、共和分検定などよりも優れた特性を有している、とされています。手法に対する疑念は(持たないこともまた不健全ですが)過剰に評価されるべきではありません。
 
 さて、井堀らの議論です。Bohn検定によって導き出された結果は、まず56年~98年、65年~98年のいずれの場合についても、前述の収支改善の反応は有意に観測できなかったということです。これは財政が持続可能であるという主張を支持しません。
 ただし、喜ばしいことに、長期的に見るともう少し事情が異なります。
 歴史をさらってみると、70年代、とくにオイルショック後に財政支出が大いに増えました。田中角栄内閣はもとより公共事業を盛んに行い、さらには福祉の充実も試みていましたし、もっと悪いことに(選挙対策として)合理性のない減税も行ってしまいました。このような減税は70年代を通じて見受けられますが、ひっくるめて言えば、与党が減税を唱えれば野党はさらなる減税を主張する、という悪循環に陥っていたわけです。
 しかし、80年代の行政改革、さらには消費税の導入をもって、90年代初頭には財政状況は大きく改善しました。これらの時期の財政収支を縦軸に、債務残高を横軸に取ると、井堀らが「二次関数的」と言ったような関係が成り立っています。
 少なくとも70年代~90年頃までは、一時的な債務拡大こそあれ、概ねにおいては「借金が増えたら、それを返そうとする」意識が保たれていたと言えるでしょう。
 ところが、井堀らの議論には続きがあります。バブル崩壊後、いよいよもって政府債務は手が付けられなくなりつつあるというのです。
 先ほどの財政収支と債務残高の関係で見てみると、98年には大きく悪化しています。
 これでは、「持続可能」と言うことはできません。井堀らは、「近い将来において、財政赤字を削減することが重要である」と結論付けています。

つまりどういうことだってばよ

 以上、井堀らの議論からは、70年後半と90年代後半の日本財政は、持続可能ではなかったと言う必要があるようです。70年代の場合はその後に回復期が一応ありましたが、90年代の場合は(井堀らには)それは示されていません。
 では、日本財政は破綻してしまうのでしょうか? しかし、実際そうはなっていません。この理由はなんでしょうか。
 
 たとえば、藤井(2010)は、同様の検定を行った結果、90年代以降の財政収支と債務残高の関係に同じく「二次関数的」関係を見出しており、持続可能と結論付けています。
 これを解釈するならば、小泉政権下での改革などによって、財政収支が(少なくとも一時的には)改善した可能性があります。井堀らの提言した「近い将来の財政赤字削減」は、まさにその直後に行われたのでした。
 つまり、中曽根行革、小泉行革はそれぞれ直近の財政状況を改善に導いたっぽいぞ、と言えそうです。
 
 さて、このことから得られる示唆はなんでしょうか。
 前段で言ったよう、「行革」には成果があった……と、本当に言えるのでしょうか? 実は、断言するためにはさらなる因果推論が必要です。それこそ、たまたまその時期の大蔵省(財務省)がちゃんと仕事を頑張った、というだけかもしれません。
 つまり、Bohn検定から「行革の時期に改善した」というのは事実として認められても、因果はあくまでも「っぽい」に留める必要があるでしょう。
 では、現在の財政状況についての示唆はどうでしょうか。これもどうにも一定しないように思われます。
 楽観的な視点からは、消費増税などによって財政収支は改善しただろう、という意見が言えます。
 他方で、悲観的な視点からは、少子高齢化による福祉支出増大や、アベノミクス下における財政支出増大、さらには直近の情勢に対する支出増大も指摘できるでしょう。
 加えれば、バローの中立性についても、少子化は悪影響を及ぼす可能性があります。つまり、「子孫世代」を持たない層の増加は、経済活動を大きく変容させる可能性があるのです。
 
 結局のところ、現在のことに対しては立場によって議論が異なると言わなければならないでしょう。当然、前述した時期とは状況も違いますから、おそらく現状に対するしっかりした研究が出るまでには数年はかかります。
 そもそも、今回紹介したBohn検定も、絶対的なものでは決してありません。たとえば、もしも想定期間中に状況が大きく変わっていれば、財政の持続可能性を断じることは困難です。実際、Bohn検定と同時にそのような変化(構造変化)を探る逐次Chow検定などを行って、さらに考察を深めているものもあります(前述した藤井の研究など)。また、あるいは私自身赤字スレイヤー(財政再建派)ですし、色眼鏡で見ている部分もあるでしょう。
 しかるに、やはり前にも述べた通り、どのように捉えるのかということは各々が(できる限りエビデンスに基づいて)決める必要があると言わなければなりません。
 けれども、Bohn検定は間違いなく一つのエビデンスとして有力です。そりゃもちろん、一般国民にとっては「積極財政」だとか「給付」だとか「減税」だとかは耳触りがいいかもしれませんし、あるいは官僚たちにとっては「黒字化」とか「健全化」とかの耳触りがいいかもしれませんが、どちらにしても、こういうエビデンスを踏まえて議論を行って欲しいな、と思うのです。
 ……なんか高尚な政治議論っぽくなっちゃいましたね。中和しておきましょう。
 
 んんっ……「日本政府は私だけに毎月非課税の1億円給付しろ!」

参考文献

  • Bohn, Henning. (1998) “The Behavior of U.S. Public Debt and Deficits.” The Quarterly journal of economics 113, no. 3.
  • Ihori, Toshihiro, Takero Doi, & Hiroki Kondo. (2001) “Japanese Fiscal Reform: Fiscal Reconstruction and Fiscal Policy.” Japan and the world economy 13, no. 4.
  • 土居丈朗、中里透(2004)「公債持続可能性:国と地方の財政制度に即した分析」、井堀利宏編『日本の財政赤字』岩波書店。
  • 藤井隆雄(2010)「日本の財政の持続可能性について」、日本財政学会編『ケインズは甦ったか』(財政研究 第6巻)、有斐閣。

など。

※(米印)

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