最近の戦跡巡り事情

はじめに 初めてのブログですが…今回は私の趣味でもある戦跡巡りについて書いていきたいと思います。 まず私がどこに行ってきたのか簡単にまとめていきます。いずれ動画でも触れる可能性があるので簡単に触れます。 どういう場所に行くのか? 私は瀬戸内海周辺の遺跡によく行ってます。特に砲台跡ですね。砲台跡は残りやすいですし地形のみでもそれなりに残り続けていますのでわかりやすいです。もちろんそれ以外の場所も行きますが今回は芸予要塞メインで書かせていただきます。 芸予要塞とは? 芸予要塞とは日露戦争前後に瀬戸内海への敵船の侵入を防ぐために設置された砲台跡群で、現在のしまなみ海道(愛媛 今治ー広島 尾道)の真下にある「大久野島」と「小島」に設置されています。 これらの島は今も渡し船があり安価で渡ることができます。 それぞれの島にはそれぞれのいいところがあり、大久野島は今では「うさぎの島」として人気のある観光地となっています。 今回は小島の説明は省かせていただいて「大久野島」のみ説明させていただきます。 大久野島 うさぎの島? 前述の通り、大久野島はうさぎの島として非常に有名です。理由としては島には1000羽近くのうさぎが生息しておりどこを歩いてもウサギに会えるほどです。とても癒されました。本当に良かったまた行こう。 そんな「うさぎの島」大久野島ですが、実は影の歴史が存在します 大久野島に砲台が設置されたのは日露戦争前の1897年で、1900年に竣工しました。その後、四国佐田岬半島の先にある豊予要塞の完成で1924年に廃止されました。しかしその後1929年より毒ガスを研究、開発するための施設が旧日本陸軍により設置されました。これがこの島の影の歴史です。 この島は「うさぎの島」と言われている一方「毒ガスの島」とも言われています。 当時は軍事関係でもあり「地図から消された島」でもありました。その痕跡は今も見ることができ当時の様々な施設が現存しています。毒ガス研究で使われた貯蔵タンク置き場などでは戦後米軍によって無毒化のための焼却作業が行われた証拠として壁や天井に黒い煤が今も残り続けています。個人的にきれいだと思ったのは発電所跡ですね。すっごいきれいでびっくりしました。 現在もその汚染は続いており島に存在する井戸水は使用禁止となっており、土壌からはヒ素が検出された事例もあります。 ですが現在は国民休暇村があったり非常に安全に観光できました!是非次訪れた際には一泊でもしてみたいです。 ちなみに島には「毒ガス資料館」なるものがあり島の歴史を知ることができます。(展示物は日本軍のものと言われるソ連製兵器があったりソースが怪しい毒ガス使用記録が複数見られましたが歴史的価値はあるものも複数あります) 他にもこの島では様々なことが言われていますが争いの種になりうるので割愛させていただきます。 さいごに 今回は芸予要塞の大久野島について説明させていただきました。興味を持たれた方は是非訪れてみてください!ウサギに癒されます。(うさぎのエサは本土の乗船場で購入しましょう。) ではまた。   アクセス方法 広島県 忠海港→大久野島 愛媛県 大三島盛港→大久野島   大久野島休暇村公式HP・・・https://www.qkamura.or.jp/sp/ohkuno/access/

ホッブズ編集後記

哲学系の動画はほとんど上げてきたことはなかったのですが「少しは勉強した方がいいだろう」と言うことで挑んでみました。もともと哲学に興味があったわけではないのですが、知識人と言われているような人はよく哲学用語などを使いますので、私もカッコつけたいという不純な動機で哲学をかじるようになった次第です。 さて、ホッブズ以前の時代と言うのはキリスト教が科学であり法律であり、教育でした。何か物事を考えるうえでは何かしら神にさかのぼることが当然のことだったわけです。なぜ王が国を支配できるのか、それは神に選ばれた存在だからです。そうした思想を背景に儀式などが進められているのは聖書に倣って即位時に油を塗られることなどからもわかるでしょう。しかし、宗教改革でキリスト教が分裂すると宗教と言うものが相対化されます、本来宗教は一つの正しいものがあってそれ以外はこの世界の説明に適さないものでした。宗教改革では様々な説明が生まれました。この世界に人が死後天国に行くにはどうすればいいのか、善行を積めばいいのか、神様があらかじめ決めているからどうしようもないのか。どれか一つが正しい説明であるならば、そして神が存在するならば、誤った方が消えてもよいと思うのですが、そうはならず、様々な見解が長年にわたって共存することになりました。私は浅学の身なのでこの辺りに限らず思想史についてはまだまだ読書不足ですが、このカオスの中で神を抜きにして世界の説明を試みる人が現れても不思議ではなかったのでしょう。ホッブズは王が国を支配する理屈において、神を抜きに語りました。ホッブズ自身は無神論者だとは言っていませんが、他人からは無神論者だといわれる程度には神と言うものを重視しする説明はしていなかったようです。 神を手放してしまったことについて、私はそこまで理性的な人間ではないので、実にもったいないことをしたなと思います。特に小学生の頃でしたが、自分は死んだらどうなるんだろうかと言うことを考えて恐怖を覚えたものです。脳機能が停止して夢すらも見ることが無くなった「私」はどこに行くのか、外部からの刺激が一切ない真っ暗闇の中永遠の時を過ごすのか、そもそも永遠の時を認識する「私」はいなくなっているのだろうか、でもいまキーボードをたたく「私」が途切れたとしてその先に何があるのか。死んだ人の体験談が聞きたいのですが、死んだのなら聞けるはずもなく、死ぬ時まで持っていく疑問なのだろうと思います。死んだら煉獄に行くやら、もう一度生まれ変わるやら、単純にそう信じて、信じ込んでおきたかったなと思う次第です。

『経済史』は何の役に立つの?

A. 立ちません  正直に言うと、経済史は本流の経済学とはあんまり縁がございません。え、そもそも「本流」ってなんだよって? ……なんだろうね。  さておき、大多数の経済学は経済史の、あるいはもっと言ってしまえば歴史のことを顧みようとはほとんどしません。せいぜい、統計の数字として見るだけなのです。  もちろん、一般向けの本なんかには具体例として過去の事例が挙げられていたりはしますが……   「歴史学」の中の経済史  けれども、それはあくまでも「経済学」として捉えるから、「要らなくね?」みたいな目で見られてしまうのです。発想を変えましょう。「歴史学」の一分野としての経済史、ということなら、まぁ受け入れてもらえる……のではないでしょうか? 受け入れて欲しいな。受け入れてください。受け入れろ。  というわけで、受け入れてもらいました。  でも、ここで一つ問題が生じます。   「歴史学の一分野なら、経済学者じゃなくて歴史学者がやればいいんじゃないの?」    つまり、「経済史」に経済学者っている? という疑問ですね。 A. いる。夕飯のおかずにする  経済学を修めた人間は肉の柔らかさが違う……とかそんなカニバった話ではございません。    冗談は置いておいて、経済は「イメージ」で語られがちです。たとえば、1920年代ごろの日本に目を向けてみましょう。  この時期は、ときには「慢性不況」とか言われるほどに、不況が続いた時代でした。20年ごろから第一次大戦後の戦後恐慌、23年の関東大震災による震災恐慌、さらに震災手形問題が金融恐慌を引き起こし、落ち着いたかと思えば今度は世界恐慌が襲ってくる(昭和恐慌)。まさに泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目です。  でも、だからと言って経済成長をしていなかったかというと、そういうわけでもありません。  事実、名目価格は下落基調にありましたが、実質経済は平均して年率およそ3.5%程度の成長を続けていたと言われています。不況感のイメージは名目価格の下落によるものだったのではないか、というのが中村隆英の議論です。  古典派の二分法と言って、名目と実質はまったく独立したものとして(新古典派経済学では)扱われますから、名目価格が下がっていようと経済は成長していた、と言えるはずです。    では、不況はただのイメージだったのかというと、それも言い切れるものではないでしょう。そもそも、インフレやデフレには様々な弊害があります。  また、これは経済全体の状況を表したものですから、たとえば昭和恐慌では農村が大打撃を受けたように、特定の経済分野だけの成長(や不況)の可能性は十分に考えられることです。ですから、もっと厳密な議論がなされる必要があるわけですね(こんな素人の雑語りブログでは説明しきれるわけがない)。  さらに言えば、どのような経済理論やモデルを採用するのかという段階でも、十分な議論が必要です。  具体的には、冷戦期に日本ではマルクス経済学とかいうゴミカス理論が流行したせいで、経済史がめちゃくちゃになりました。もちろん学べるものがまったくなかったとは言いませんけど……  ……いやほんとに申し訳ない。その節は歴史学に大変ご迷惑をおかけしました。    つまるところ、そういう細かな議論が必要だから経済学者を入れて欲しいなって話なのです。 まとめ  というわけで、まとめます。 経済史は経済学とはご縁がない 歴史学の一分野として受け入れてやってくだせえ そこにできれば経済学者を入れてくださると嬉しいです  ではでは、こんなところで今回は失礼します。  ※(米印)がお送りしました。   あっちょっと待った(宣伝)  今度、ボイコネで本が出ます。ww2期日本の百合小説です。経済学はまったく関係ないんですけどね!  詳しくはzekeさんのTwitterか私のTwitterでも見てやってください。  

よく使う素材について

メスキィタがよく使う素材サイトです。動画を作りたいという方がいらっしゃったら、参考になさってください。   音源 クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~   http://www.yung.jp/index.php 効果音ラボ      https://soundeffect-lab.info/ wikimedia        https://commons.wikimedia.org/wiki/Main_Page DOVA-SYNDROME     https://dova-s.jp/ 画像 いらすとや   https://www.irasutoya.com/ wikimedia   https://commons.wikimedia.org/wiki/Main_Page   画像の切り抜きにはGIMP 2.10.6を使用していますが、PSDファイルの加工にはFireAlpaca64を使用しているため、今後変わる可能性はあります。 動画編集ソフトはAVIUTLで、音声合成ソフトはVOICELOIDのキャラクターを使用しています。AVIUTLには各種プラグインやスクリプトを導入しています。

世界史べーた(仮)のWEBページにようこそ

このWEBページでできること はじめましての人ははじめまして。世界史べーた(仮)でWEBを担当しております眞白(ましろ)と申します。歴史にゆかりのある学部卒ですが、歴史のことはアカデミーに置いてきました私です。会長(?)のいのっちさんにお誘いいただき再び少しでも歴史に携われることを嬉しく思います。この場を借りて御礼申し上げます。では、ゆるっとこのWEBサイトでできる主なことをご案内させていただきます〜。   ロゴの鑑賞 はい、最初から完全に余談です。世界史べーた(仮)のロゴがご覧いただけます。世界史Bといえば高校生が学ぶ歴史の科目の1つですよね。今回、団体のコンセプトとして高校生に限らず広い世代に向けて世界史の魅力を伝えたいということで、親しみやすさをベースにロゴを制作させていただきました。ロゴを制作しているときにはこんなに活発に活動されるとは思っていなくて、今でも精力的な活動に驚きを隠せません。   開講予定テーマの確認 これからどんな人・話題がYouTubeに投稿されるのか、事前情報が出ている場合は予めご確認いただけます。是非、ご自分の興味のある歴史上の人物や範囲が公開されるかどうかチェックしにきてくださいね。   365日今日は何の日?の復習 WEBサイトのheader(頭の部分ですね)部分とTwitterで毎日公開される365日何の日?のアーカイブを見ることができます。この365日、どこかのテンプレートを使っているわけではなく、メンバーさんが一から考えて画像を探して作っています。恐ろしい情熱ですね!   世界史べーた(仮)のメンバー確認 どんなメンバーが世界史べーた(仮)に参加をしているのか、また、世界史べーた(仮)以外での活動についてもご確認いただけます。ニコニコ動画や個人YouTubeで活動されている方もいらっしゃいますので、もっとこの人のことが知りたい!という際に是非ご確認ください。   メンバーブログの閲覧 「普段メンバーの方がどんなことを考えているのか」また、「あの動画の制作の裏話」という動画にはない情報をご覧いただけます。動画はエンコードしてしまった後は修正や補足が難しい媒体ですが、あのとき実は入れたかったけどこんな情報もあるよ!という追加情報も見れるかもしれません。   さいごに 世界史べーた(仮)の”(仮)”の部分はいつまでも進化を目指す発展途上を示されているそうです。WEBサイトに関しても徐々に先を目指していくような運用ができればなと考えております。 もし、こんな機能がWEBサイトに欲しいというものがありましたらコメント欄に記載していただけますと検討させていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。  

ガンディーの動画について

今回の動画 皆さん、おばんです。今回の動画はガンディーになります。なぜ、この人物を取り上げたかと言うと私 と同じ誕生日だからという理由からなんですね。なので、インドでは私の誕生日は祝日で、インドに生 まればよかったかなと思ったりもします。 閑話休題、今回のブログでは今日のインドでガンディーがどのように評価されているか、簡単に紹介し ようと思います 今日のガンディー像 経済成長が著しい現在のインドではガンディーの評価は日本ほど良いものでありません。時代が経つにつ れて、ガンディー神話は薄れていきました。そして、農業を重視し、近代化を否定する彼の姿勢は、経済 成長が著しい現在のインドでは受け入れられにくくなっています。   また、ヒンドゥーナショナリズムを掲げるインド人民党(BJP)が台頭すると、ムスリムに融和的である ガンディーの姿勢は批判されるようになり、一部にはガンディーを暗殺したゴートセーを英雄視する人 もいるそうです。   そんな中、2006年に『Lage Raho Munna Bhai』(ガンディーの姿が見えるようになったチンピラがガンデ ィーの言葉を借りてラジオで人生相談する)という映画がインドでヒットし、作中出てくるガンディー ギリー(ガンディー的やり方)という言葉が流行語となり、ガンディーの運動が再注目を浴びることに なりました。  

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