栗田艦隊の反転について。お話しします。ZEKE22

~まえがき~

以前、世界史べーたのマシュマロにこのような質問がありました。

これについてはツイートにもあるように、栗田長官は輸送船団と空母機動部隊を天秤にかけた結果。より価値のある空母を求めて艦隊を反転させたという訳です。

と言われても全然判断材料が足りないでしょうからそこらへんのお話をしていきましょう。

~謎の反転。その真実~

1944年10月25日0911時。サマール島近海。

第77.4任務群に属する「タフィ3」と称される護衛空母群との戦闘を終えた栗田艦隊旗艦大和は「逐次集レ」を命令。

大和からの命令を受けた各艦は終結を開始しますが、その中でも米軍機からの空襲は続いており。その規模は徐々に組織だったものになってきていました。

レイテに再度進撃を開始した栗田艦隊ですが、進撃中も空襲は続き、栗田長官の懐疑心は最高潮を迎えていた事でしょう。

なにせレイテ湾の敵情が全く分からないのです。

『サマール沖の戦闘中に目指す輸送船団は退避してしまったのではないか?』

『前日の0650時に最上艦載機の偵察情報であった戦艦4、巡洋艦2からなる戦艦部隊がレイテ湾で待ち構えているのでは?』

『空襲が組織的になってきたのは三群あると思われる敵空母機動部隊の残り二群が向かってきているのではないか?』

この時、小沢艦隊がハルゼー機動部隊を北方に誘引することに成功した報は栗田艦隊には届いておらず、サマール沖で撃破した空母部隊は正規空母の機動部隊の一群と考えられていました。

そして、ここで決定打となる入電が1100時に入ります。「ヤキ一カ」電です。

「0945スルアン灯台ノ5度113浬二敵機動部隊発見」

この南西方面艦隊からの情報に栗田艦隊司令部は大いに揺れました。

もととり「空船(輸送船)との心中は御免」という空気が艦隊首脳部に流れており、目指すレイテも昨日の最上機の情報以外、敵情が一切わからない中での機動部隊発見はまさに闇に差し込む唯一の光と言ってもいいでしょう。

例え戦死するなら艦隊決戦に死に場所を求めていた。栗田長官、小柳参謀長、大谷作戦参謀らによる協議の結果、艦隊は北方の敵艦隊に向かう事を決意し、未だに対空戦闘中だった1236時、栗田長官は「第一遊撃部隊ハ『レイテ』泊地突入ヲ止メ『サマール』東岸ヲ北上シ敵機動部隊ヲ求メ決戦爾後『サンベルナジノ』水道ヲ突破セントス」と打電。

ここに歴史は決したのであります。

~もしも、栗田艦隊がレイテ湾突入をしていたら~

これはIFのお話です。と言ってもざっくりとしたのは以前にツイッタで話しましたが……

それじゃあ、彼我の戦力差など夢物語では語れない、現実的な架空のお話をしていきましょうか。

さて、サマール沖海戦の後で栗田艦隊に残されていたのは

戦艦

大和、長門、金剛、榛名

重巡

羽黒、利根

軽巡

能代、矢矧

他、駆逐艦8隻といった陣容でした。

栗田艦隊には他にも重巡の鳥海、筑摩、鈴谷、熊野がいましたが、いずれもサマール沖海戦の米軍機による空襲や駆逐艦の雷撃により落伍または撃沈しており、鳥海には駆逐艦藤波、筑摩には野分が警戒艦として派遣されていました。(後に落伍艦、警戒艦は全て米軍の攻撃で撃沈している)

その一方で、対峙するであろう米軍は半日前にスリガオ海峡で西村艦隊を撃破したジェス・B・オルデンドルフ少将の上陸支援艦隊が待ち構えており、TF78とTF79から成っており、その陣容は

戦艦

ミシシッピ、メリーランド、ウェストバージニア、ペンシルバニア、テネシー、カルフォルニア

重巡

ルイヴィル、ポートランド、ミネアポリス、シュロップシャー(豪海軍)

軽巡

デンバー、コロンビア、ボイシ、フェニックス

他、駆逐艦27隻というものでした。

これらの艦隊が対峙した際、両軍の戦艦火力は

日本軍:46センチ9門、40センチ8門、36センチ16門

米軍:40センチ16門、36センチ48門

と、砲撃火力でも米軍側の方が優勢であると言わざるおえないでしょう。

これで日本側に勝利の期待があるとすれば46センチ砲によるアウトレンジ戦法で、大和の最大射程は40200メートル。対する米戦艦は31360メートルから32000メートルで、およそ10000メートルの優位がありました。

しかしながら、そういった距離の優位が机上の空論であることは、この前に行われたサマール沖海戦の現実が殴りかかってきます。

サマール沖海戦で大和は31500メートルから砲撃を開始し、戦闘終了まで104発の一式徹甲弾を発射、これで沈んだのは護衛空母1に駆逐艦2、護衛駆逐艦1で、その戦果も大和単独というよりは主に接近して攻撃した羽黒と利根、そして他の戦艦よりも接近して攻撃した金剛の戦果と言えます。

日本の戦艦部隊の砲撃が振るわなかった主な理由は視界不良でした。

戦場となった海域はスコールが何度も発生し、米艦隊はそれに逃げ込んだり、駆逐艦の展開する煙幕により光学測距に頼る日本艦隊の砲撃精度は著しく低下しました。

高精度だった二二号電探の電波出力を上げ、電磁喇叭を延長させて射撃用として使用された二号二型改四スーパーヘテロダイン式受信機付を利用して行われた電測間接射撃も付け焼刃で無理やり射撃用とした電探では性能が足りず効果は望めません。

米艦隊も同様に視界不良には悩まされるでしょうが、日本側よりも高精度で行える電探射撃が可能が米戦艦が有利に砲撃戦を行うのは想像に難くない事でしょう。

次に弾薬数ですが、オルデンドルフ艦隊は西村艦隊との戦いで弾薬を使い果たしたという説がありました。

実際、上陸部隊の支援群であるため、使用するのはほとんどが榴弾。実際、積載されてる砲弾で徹甲弾の割合は25%程度だったとされ、事実「弾薬の残量が乏しい」という報告も行われています。

しかしながら、砲弾が底をついていたかというとそうでもなく、ペンシルバニアは徹甲弾360発、テネシーは327発、最も少ないウェストバージニアで107発であり、発射速度を落とすなどの必要があったとしても十分に戦闘は可能だったと言えるでしょう。

そして何よりも、日米の巡洋艦、駆逐艦の差が激しく。直掩艦の少ない日本艦隊は米駆逐艦の接近、魚雷発射を許し命中しないにしても回避運動を強制される為、さらに砲撃戦は日本側の不利になることでしょう。

そして栗田艦隊はこの戦闘の前後から米軍機の空襲を受け続けており、サマール島沖では栗田艦隊が撃破したタフィ3の他に12隻の護衛空母が健在だったのです。

それに栗田艦隊はサマール沖海戦終了時で満身創痍と言った状況でした。

浸水により3000トンを吞み込んだ大和。空襲で測距儀を破壊されている金剛。マリアナ沖海戦の傷がいえずに速力が低下したままの榛名。そして三日三晩不眠不休の将兵たち……

この状況でさらにレイテの最深部に向かえば日本艦隊はまともな戦果を残せずに壊滅。史実より悲惨な結果になった可能性は高いと言えるでしょう。

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