ホッブズ編集後記

哲学系の動画はほとんど上げてきたことはなかったのですが「少しは勉強した方がいいだろう」と言うことで挑んでみました。もともと哲学に興味があったわけではないのですが、知識人と言われているような人はよく哲学用語などを使いますので、私もカッコつけたいという不純な動機で哲学をかじるようになった次第です。 さて、ホッブズ以前の時代と言うのはキリスト教が科学であり法律であり、教育でした。何か物事を考えるうえでは何かしら神にさかのぼることが当然のことだったわけです。なぜ王が国を支配できるのか、それは神に選ばれた存在だからです。そうした思想を背景に儀式などが進められているのは聖書に倣って即位時に油を塗られることなどからもわかるでしょう。しかし、宗教改革でキリスト教が分裂すると宗教と言うものが相対化されます、本来宗教は一つの正しいものがあってそれ以外はこの世界の説明に適さないものでした。宗教改革では様々な説明が生まれました。この世界に人が死後天国に行くにはどうすればいいのか、善行を積めばいいのか、神様があらかじめ決めているからどうしようもないのか。どれか一つが正しい説明であるならば、そして神が存在するならば、誤った方が消えてもよいと思うのですが、そうはならず、様々な見解が長年にわたって共存することになりました。私は浅学の身なのでこの辺りに限らず思想史についてはまだまだ読書不足ですが、このカオスの中で神を抜きにして世界の説明を試みる人が現れても不思議ではなかったのでしょう。ホッブズは王が国を支配する理屈において、神を抜きに語りました。ホッブズ自身は無神論者だとは言っていませんが、他人からは無神論者だといわれる程度には神と言うものを重視しする説明はしていなかったようです。 神を手放してしまったことについて、私はそこまで理性的な人間ではないので、実にもったいないことをしたなと思います。特に小学生の頃でしたが、自分は死んだらどうなるんだろうかと言うことを考えて恐怖を覚えたものです。脳機能が停止して夢すらも見ることが無くなった「私」はどこに行くのか、外部からの刺激が一切ない真っ暗闇の中永遠の時を過ごすのか、そもそも永遠の時を認識する「私」はいなくなっているのだろうか、でもいまキーボードをたたく「私」が途切れたとしてその先に何があるのか。死んだ人の体験談が聞きたいのですが、死んだのなら聞けるはずもなく、死ぬ時まで持っていく疑問なのだろうと思います。死んだら煉獄に行くやら、もう一度生まれ変わるやら、単純にそう信じて、信じ込んでおきたかったなと思う次第です。