どうも~、いのっちです♪( – ω – )♪ 約3ヵ月ぶりのブログ参戦ですね~ さて、何書こうかしら… おや? 今月19日(4日前)は「アウグストゥス(ローマ帝国初代皇帝)」の命日じゃないか。 よっしゃ、古代ローマクラスタ(自称)としては語らない訳にはいかねえよなぁ? というわけで2代皇帝「ティベリウス」の話をします!(ここまで前振り) まあほとんどの方が「who?」となっていることと思いますが。 (どの世界でも言えることですが、2代目って大体影が薄いですからね~) 今回は個性派揃いのローマ皇帝たちの中でも、個人的にお気に入りの一人である彼について少し語ろうかなと思います。(アウグストゥスくん、ごめんね) 一言でいえば彼は「色々と不憫だった陰キャ」です。 (あくまで私個人のド偏見ですが)。 たぶん、本人は皇帝になんてなりたくなかっただろうし、帝国の為に尽くしても各方面から不満の嵐だし、心の癒しになり得る家庭は完全に崩壊してるし… (ほんとにもう、よく最後まで匙を投げなかったねというレベル) ティベリウスは共和政時代から続く名門「クラウディウス一門」に生まれます。そのままでも貴族の御曹司として裕福な一生を送れたんでしょうが、5歳の時に母が「オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)」と再婚したことで彼の人生は一変しました。 初代皇帝の継子となったティベリウスは内政や軍事、外交など皇帝一族の一員として様々な経験を積んでいきます。 ただしアウグストゥスは自分の血を引く者を後継者にすることに執念を燃やし続けた人だったので、彼は後継者候補とは見做されてなかったわけですが。 そして、この「継父の執念」がティベリウスの人生を狂わせます。 アウグストゥスは、あろうことかティベリウスを無理やり離婚させ、自分の娘と無理やり結婚させました。 元の妻を心から愛していたティベリウスは相当ショックを受けたようで、街中で彼女を見かけたときは涙を浮かべたといいます(可哀想)。 そんな経緯もあってこの結婚は長続きせず、彼は妻と別居して隠居、エーゲ海のロードス島に引き籠ります(引き籠り1回目)。 権力争いに巻き込まれると命の危険もあるという理由もあったんでしょうが、彼の性格的に家族に振り回されること自体が嫌だったんでしょうね。 ロードス島では趣味を嗜みながら悠々自適に過ごしていたとか(羨ましい)。 まあ、そんな生活もアウグストゥスにぶち壊されるんですが。(アーくんさあ…) 血の繋がった孫たちに先立たれてしまった彼は、ティベリウスを後継者に指名したのです。 まあ、正確にはアウグストゥスの親戚の若者が成長するまでの中継ぎ扱いだったわけですが。(遺言の中でも「かわいい孫たちに先立たれたので、仕方なくティベリウスを後継者に指名した(意訳)」といわれる始末) 無理やり引っ張り出しといてそれはないぜ、アーくん… ともあれ「2代皇帝になってしまった」ティベリウスですが、即位早々に様々な難問に直面します。 例えば30年以上一進一退を繰り返していた「ゲルマン人との戦争」 自国の被害も甚大だった泥沼の戦争を終わらせるべく、ティベリウスは「ゲルマニア(ゲルマン人の居住区)」からの撤退を決断するのですが、そのせいで「情けない皇帝」だと元老院や市民たちから不満を抱かれてしまいます。 更に故アウグストゥスの積極財政の反動で破綻しかけていた財政を立て直す為に、市民への見世物などの膨大な支出を徹底的に削る、いわゆる「緊縮政策」を断行するのですが、「ケチな皇帝」だと一層評判を落としてしまいます。 帝国的には必要なことをやっているのに、支持率はどんどん暴落する一方… なんというか政治ってホント難しいですね💦… Continue reading マイナーローマ人紹介 そのⅠ(ティベリウス)
Category: ヨーロッパ
中世イングランドの国体で考えてみたこと
まず最初に断っておくと中世に国民体育大会はありませんでした。国体は国のありようと言うことです。考え方としては戦前でよく言われてたのような国体に近いのですが、イングランドでは文字通り「体」のように考えられていたようです。国王を頭として軍隊や貴族、忠誠、臣民、税、宮廷、修道院、さまざまな構成物がまるで人体のように相互に支え合って国体が動くというわけですね。 さてこうした国体は中世を通じて同じであったわけではありません。ローマ帝国崩壊後の異民族の侵入の頃の状況はよくわかっていないのですが、この時期の族長の周囲が国体のもとになり、次第に膨れ上がっていったのです。 まず族長の周囲には長老だとか人望のある人だとかが集まってあーするべきだとかこーするべきだとか意見を聞くための集団がいます。ノーサンバランド王のエドウィンはキリスト教に改宗したヘプターキー時代の人物ですが、改宗に当たって重臣たちを説得しているシーンが年代記に残されています。こうした重臣たちの集まりは後にウィタンと呼ばれていたそうです。イングランド議会はHPでこのウィタンがルーツの一つであると説明していますが、中世に三権分立などと言う概念があるわけがなく、最初の実態としては全ての権限が混然一体となった偉い人たちの会議でしょう。もっとイメージしやすく言うなら会社の重役会議だとかヤクザの組長の舎弟たちなわけです。 組長=王 舎弟=貴族 子分=宮廷の使用人など 舎弟がいれば子分もいます。こんな風に書くと仁義なきイングランド史というタイトルが頭をよぎりますが、実際未発達で暴力に頼らざるを得ない社会だったので自然と似てくるものなのだと思います。子分の仕事は組長の身の回りの世話となるでしょう。今と違って家事労働は大変なこと、一人暮らしなんて修行者の域だったかもしれません。衣装を管理し、財産を管理し、食事の場をセッティングし、馬を世話し…いろんな仕事がありますね。こんなの家政婦の仕事で子分の仕事じゃないなんて思わないでください。今だって弟子が師匠の身の回りの世話をするような芸事があったりするでしょう。実際王のトイレの世話は貴族たちの間でも特に信頼の厚い人物にしか任されなかったのですから。 さて、子分たちの話に移りましょう。ヘプターキー時代も終わりが近づくと族長と言うか王の支配領域は広がります。市町村レベルから大きめの県レベルまで大きくなります。王は広い領土を旅しながら治めました。各地の諍いを解決するために、住民の忠誠を引きとどめておくために、反乱の芽が出ていないか確認するために。この移動に伴って王の衣装も財産も動くのです。と言うわけでチェンバレンが生まれました。チェンバレンは王の寝室に関連する仕事をしていたのですが、今でも寝室には重要なものが置かれることが多いように(ネットで元空き巣の証言を読んだところ、基本的にリビングか寝室には現金があるなどと言ってました)、重要な書類や財産の管理を任されました。しかし王たるものそういったものは山ほど抱えることになります。膨れ上がった貴重品をすべて寝室には置いておけません。そこでトレジャリが生まれます。トレジャリは宝物庫を管理する役職ですが、あまりにも多い財宝はウィンチェスターに定着しました。そしてこのウィンチェスターにある財産を適切に管理しているか調査をしたり、王の収入を把握するためにエクスチェッカー(財務府裁判所)が作られるのです。この辺りの歴史はまだ私の中では腑に落ちないし分からないことも多いので、立ち入った話はできませんが、どうもただの会計ではなくて裁判もしていたようなのです。ちなみに行政面についても多方面にわたって活躍したようです。イギリス史ではやたら不思議な裁判所がたくさん出てくる気がするのですが、そもそも三権を分立させていない状態だとすべては司法の下に属するらしいです。一方で金勘定して一方で会計をごまかした人物に罰を与え、しかも同じ会合で全く財政とは関係のない事務処理や裁判までついでにやっていたのかもしれません。学級会で掃除当番を決めていたら突然弾劾裁判が始まってしまうような…カオスな役所だったのでしょう。このあたり、名前に引きずられて組織の仕事を判断してはいけないなとよく思います。あと、コートの法廷に代わる様ないい訳はないのかと思いますね。 舎弟に話を移しましょう。組長は多くの舎弟を従えることになります。特にノルマンコンクエスト以降の重役会議はクーリア・レギスと呼ばれます。ここも会議で掟を決めているかと思えば裁判もしているところです。クーリア・レギスめちゃくちゃいろんな人が出席するようになったので、大会議と小会議に分かれました。小会議が様々な行政機関や専門裁判所として成長し、大会議は議会として国体の土台に変貌していきます。まるで胚が細胞分裂で一つの細胞から様々な臓器に変わっていく様子みたいですね。ちなみに小会議は枢密院を生み出し、枢密院は内閣を生み出しています。そう、そしてその内閣の下に教育省だとか運輸省だとか国防省があるんです。 ところでノルマン朝やアンジュー朝はフランスを本拠地とした勢力です。いくらイングランドの土地が豊かでも本拠地はフランスです。そのため、イングランド王はノルマンディーにいるのが基本でした。なのでイングランドの統治を担当したのはジャスティシアー(最高法官)と呼ばれた人です。このジャスティシアーがいた頃がちょうどクーリア・レギスの分裂が活発だったころでもあり、王の不在と言うのはイングランド独特の行政制度の発展に大きく寄与したと思われます。ジョン王がノルマンディーを失い、イングランド王の本拠地がイングランドになるとその発達した行政機構や裁判所が王を迎え入れることになりますが、そこで王と貴族の確執がマグナ・カルタを生み出し、議会が税の承認をする伝統が生まれました。 議会と言うのは今でこそ立法府ですが、中世においては課税の承認をする機関で、その代償として各地域の陳情を持ち込んでいたようです。上納金を納めるからには自分の組のいざこざや困りごとの面倒は見てほしいですからね。この陳情が時には権利の請願だとかウェストミンスター条項、改革勅令になるわけで、議会を強くしていきます。しかし議会は王を懲らしめたいわけではなく、やはりその権威に依存しましたので持ちつ持たれつ、議会の中にあって王は主権を有するなどと言うあいまいな国政論となるのです。このぼんやりした制度は王を体の一部とした、つまり王が単独では生きていけない状態を作り、国体と言う発想になったのかななどと思ったりもします。 イングランドの複雑な政治史の驚くべきところは、大きな切れ目なく現在まで続いていることです。私たちの暮らしを支える国のシステムは近代(この言葉のせいで18世紀以前の世界と必要以上に距離を感じますね。同じ体を持つ人々だというのにまるで違う生き物のようにさえ感じてしまいます)に突然生まれたものではなく、中世から脈々と受け継がれてきた、秘伝のたれのようなものです。私たちを取り巻くシステムは、暴力渦巻く民族移動の時代から、試行錯誤や改良を重ねて生まれてきたもの。この知恵はもちろん現代の制度を知ることでも得られるでしょうが、その神髄は歴史に触れることでより一層分かるのではと思って、ずっとイングランド史を続けています。たぶん。
やあやあ!我こそは(中略)なり!!!
はじめに動画の話をしよう。 お久しぶりです。一ケ月ぶりくらいですかね? さて、無事にロレンス解説、全四回が終了しました!(予定より一回多いのはナイショ) にしても、全然まだまだ紹介できるお話は残っているんですけれどね…… 例えばヒジャーズ鉄道の爆破の際に、導火線が短すぎて爆風をモロにくらって血まみれになったり、ロレンスの「人生初の殺人」を味方のアラブ部族のいがみ合いを解決するために決断して行ったりと本当にたくさんのエピソードがあるんですよ。君はもっと落ち着いて第一次世界大戦を生き抜くことはできないのか? そう、生き抜くと言えば、大戦に従軍したロレンスの兄弟たちはどうなったのかと言いますと。 ロレンスの弟であるフランクは1915年5月9日、フランス北部のアラスにて塹壕内にいたところ、爆弾の破片によって即死。 同じく弟のウィルは英国航空隊の監的手(砲撃の着弾観測)に志願し、1915年10月23日ウィルの乗った飛行機はフランス上空にて撃墜されて戦死。26歳の彼は前線に出て一週間という短さで天に召されてしまいました。 五ヶ月の間に二人の弟を失ったロレンスの心境は内向きとなってしまい、それから数ヶ月の両親に対する手紙は間隔があいていき、その内容もぶっきらぼうなもので、フランクの事は書かなくなり、ウィルの事は一回漠然とほのめかした以外はそれを認めた記録もないそうです。 参考文献とか貼っていきませう。 という事で、今回の動画に使用した参考文献です。 ・コット・アンダーソン 著 ・山村 宣子 翻訳 ・出版社 白水社 ロレンスがいたアラビア(上)・(下) はい、これだけです。 あとはフサインのウィキペディアを少々といった感じですかね?資料少なくて恥ずかしくないの?(恥ずかしい) 次は何をやるんだい!? 次の動画ですけれど……今度はお家芸ともいえる兵器開発なんかをやったりやらなかったりしようかなと、思ったり思わなかったりしています。 ですので、来月以降も適当に待っていただけると幸いです。
スティーヴさんが好きな漫画について語るだけ② 「アド・アストラ編」
どうも皆様こんにちは、お久しぶりです。作曲家をしていますスティーヴと申します。今回も例のごとく書くネタが見つからなかったので、私の好きな漫画について語ろうと思います。 ということで今回ご紹介する漫画はこちら!! 『カガノミハチ』様、著の、『アド・アストラ スキピオとハンニバル』です。スキピオとハンニバルと言うと、おそらく聞いたことがある人もいるでしょう。この漫画は紀元前ローマ、共和政ローマ時代の『第二次ポエニ戦争』を描いた漫画です。第二次ポエニ戦争というのは、紀元前200年頃に地中海沿岸に位置していた『共和政ローマ』と『カルタゴ』の間で起きた戦争です。この戦争は第一次、第二次、第三次と、計三回にわたって行われ、結果的に海洋貿易国家カルタゴは滅亡の一途をたどりました。このポエニ戦争は、世界史の教科書では一ページにも満たない、約三行ほどでしか語られていないのですが、調べてみたら意外と奥が深いものです。 現在このような形で世界史べーた(仮)様に所属して活動をさせてもらっていますが、実は私は一年ほど前は、文化史なんてもってのほか、歴史が大っ嫌いな人間でした。おそらく学生時代に古代史、中世史でつまずいてしまったのが原因だと思っています。ですがある時、Youtubeにて、この漫画でも登場する、『ハンニバル・バルカ』について語った漫画動画を目にしました。そして、私は少しですが、このポエニ戦争に興味を持ちました。そしてネットでこのポエニ戦争を描いた漫画、アニメはないものかと探していた中出会ったのがこの漫画でした。この漫画は、私の歴史好きへの扉を開いた漫画と言っても過言ではありません。今でも何度かこの漫画は読み直しています。 と、これ以上語ったらネタバレを漏らしかねないので、今回はこんな感じで締めようと思います。ご視聴ありがとうございました。 とても面白い漫画ですので、皆様も是非読んで見てください!! お相手は、作曲家:スティーヴでした。
やあやあ!我こそはロレンス(中略)なり!!!
はじめに お久しぶりです。ニケ月ぶりくらいですかね? なんか二ヶ月の間に同人誌即売会に二回ほどサークル側で参加していたらいつの間にかこんな時期になっていました。なんか早いですね、時が経つのって ちなみに9月にも即売会に出る予定です。会場でジークさんと握手だ!!! そんなことより、動画の話をしよう そうです。動画の話ですよ。 といっても前回は第一次大戦序盤、発言力が無かったばっかりに傍観者でしかなかったロレンス君。 それが今回では、自信のあるアラビア半島でのゆめ作文が思ったより評判が良く、本人は不本意ながらもアラビア半島へ行くって感じですね。 ちなみに、動画では尺の都合でほとんど触れていませんけれど、ロレンスがアラビアでフサインの息子たちに会っている間、どっかのカエル国家が虎視眈々とアラブの土地を狙ってたり狙ってなかったりするんですよね。 そして、そんなカエル君の右手には悪名高き英国三枚舌外交の産物「サイクス・ピコ協定」が…… この時期になってくると同盟国である英国ですら眉を顰めるほどフランスのアラブに対する領土欲が露わになってきます。なんせ本土の北部がジャガイモ国家と地下足袋だけになって泥遊び(総力戦)してたら砲弾や毒ガスまみれでもうめちゃくちゃですからね、その補填としてオスマンの土地を欲しがったのでしょう。知らんけど。 そのせいでロレンスもなかなかに妨害されたりされなかったり……(ここら辺も動画に出せたらいいな。多分無理) そんなわけで、恐らく次回にはロレンスの解説動画も完結になる予定です! ……終わるよね? 終わらなかったら7月も画面の向こうでジークさんと握手だ!!!!!
各国陸軍の教範を読む
各国陸軍の教範を読む 教範とは、各国の軍隊が編纂する教科書・マニュアルのようなもので、 各国の軍事行動のドクトリン(基本的な思想・原則)が反映されている。 したがってこの教範を読めば、その軍隊の戦術教義を理解することができるのである。 本書では、第二次大戦までに編纂されたドイツ、フランス、ソ連、日本の各陸軍の、 師団から軍レベルの運用に関する教範を平易に読み解き、行軍、捜索、攻撃、防御などそれぞれの局面で、 各国軍がどのような戦術に基づいて戦おうとしていたのかを探っていく。 各国軍の戦術の基本となった「教範」から第二次世界大戦の陸戦を研究する一冊である。 理解を助ける図版・図表など40点以上を収録。 おすすめ本です 近代軍事史において、なぜドイツが電撃戦を採用し、なぜソビエト軍は縦深戦術を採用したのかというのがこの「教範」を読むことである程度理解することができます。つまり、各国の戦術志向の根幹を知ることができるのです。これを知っているか、知らないでいるかで「戦史」というものの見方はそれなりに変わってくるかもしれませんね。 書籍情報 著者:田村尚也 翻訳者:– 編集者:– その他:– 出版社:イカロス出版 出版年:2015/9/10 ISBN-10:4802200633 ISBN-13:978-4802200639
薔薇戦争新史
シェイクスピア史劇を軸にした、わかりやすく本格的な初の通史! 英国初の内戦(1455-1485/87)であり、シェイクスピア史劇(『リチャード二世』『ヘンリー四世』(第1 ~ 2 部)『ヘンリー五世』『ヘンリー六世』(第1 ~ 3 部)『リチャード三世』)の題材としても知られる薔薇戦争を、史劇を足掛かりに、ワット・タイラーの乱、百年戦争、ジャンヌ・ダルクなど戦争期間以外の背景も丁寧にたどり、新説を取り入れながら詳細に記述した英国・欧州中世史・軍事史研究の基本図書。 【アマゾン書籍情報から引用】 おすすめ本です たぶんこれが一番詳しいと思います(日本語では)。 といって私は全部読んだわけではありませんが。やはり歴史をとことん調べるときには一次史料などにあたるのですが、何の事前知識もなく入るのは非常に大変です。読書はステップを踏んで進むものだと思っています。この本は2ステップぐらい踏んだ人が読むことをお勧めします。 本は薔薇戦争の始まる50年以上前までさかのぼって経緯を説明しています。そこまでさかのぼる必要があるほど薔薇戦争は経緯が複雑なものだからです。そもそもランカスター家はなぜ生まれたのか、そしてそこにはどんな問題があったのかを意識すると薔薇戦争は分かりやすくなるでしょう。 ところでプランタジネット朝以降のイングランド史は王に対して次々と有力者たちが行動をエスカレートさせた様子とそれに対し折り合いをつける様子を見ることができます。ヘンリー2世とリチャード1世の時代は王家で争いが起こり、ジョン王の時代には反乱者がマグナカルタを突き付け、ヘンリー3世の時代には反乱者が議会の元を生み出しました。エドワード1世は議会と協力し中世の名君となりましたが、エドワード2世は廃位されて息子が王位につきました。この時イングランドで初めて王が貴族に殺されるのですが、王朝の交代は起こりませんでした。そこから飛んでリチャード2世は子を持たず王朝交代が起こったのですが、このことが50年もたって百年戦争敗戦による諍いが起きたときに利用されたのです。 さて、薔薇戦争は結果として国王の廃位が30年で4回も起こる混乱を引き起こしました。この混乱後はテューダー朝の体制が出来上がるのですが、それも宗教問題で混乱が起こり、引き継がれたステュアート朝では財政問題と合わさって、ついに国王不在の政治体制が出現しました。 イングランドの長い歴史の中で薔薇戦争はどんな意味を持ったのか、そこも考えてみるのも面白いと思います。浅学の身の私ではまだまだ難しいことですが。 書籍情報 著者:トレヴァー・ロイル 翻訳者:陶山 昇平 編集者:– その他:– 出版社:彩流社 出版年:2014/7/24 ISBN-10:4779120322 ISBN-13:978-4779120329
興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国
興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国 人類の今後を占ううえで、「人類の経験のすべてがつまっている」といわれる古代ローマ史ほど、参考になるものはない。小さな都市国家を強大化に導いた、「共和政ファシズム」の熱狂的エネルギー。猛将・ハンニバルが率いるカルタゴとの死闘。カエサルとアウグストゥスに始まる帝政。地中海はもちろん、ブリテン島から中東にいたる「世界帝国」の現出。そして、ローマ帝国が終焉を迎えた時、古代文明はどのように変貌していたのか。 古代ローマの歴史を知りたい方におすすめ! 古代地中海に君臨した「ローマ帝国」の通史を知ることが出来る一冊です! 「都市国家から始まったローマはなぜ地中海の覇権を握るほどの大国に成長できたのか?」 「皇帝が支配する仕組み「帝政」はどのような過程を経て成立したのか?」 「隆盛を極めた大帝国はどうして衰えていったのか?」 そして「帝国が後世に与えた影響は?」 などなど これらの疑問は他の地域や時代の歴史を学んでいく上でも重要なキーワードになると思います。 古今東西問わず、歴史に興味がある方々に是非とも一読して頂きたい一冊です♪ 書籍情報 著者:本村 凌二 翻訳者:– 編集者:– その他:– 出版社:講談社 出版年:2017/9/12 ISBN-10:4062924668 ISBN-13:978-4062924665
やあやあ!我こそはロレンス動画を作ったZEKE22と言ふ者なひけり!!!
じこしょうかいなんかするよ! どうも、ブログの世界では初めまして。ZEKE22と申します。 最近だと動画の世界では「豊和銃解説の人」Twitterでは「肉屋の人」なんて言われています。つまり要約すると「豊和製の銃を乱射している肉屋」ですね。なんて物騒な奴なんだ。 そんな事は置いておいて、もう少しだけ真面目に自分を紹介していきましょうか。 名前の「ZEKE22」とは中学の頃、とある蛇が潜入ミッションするゲームをプレイする時に英語のニックネームしかつけられず、その頃からミリタリーオタクをやっていた私は「英語なんも分からんし、前にコンビニで買った軍用機の本に乗っていた零戦のコードネームで良いか!」と「ZEKE」と名付けたのです。 「中学のガキならば普通に自分の名前でも付けろや」とか言われそうですが、その頃に一緒によく遊んでいた友人が「自分の名前つけるとかダセエし、何よりネットリテラシーがねえぜ!」と言って名前を変えていたので、その影響を大きく受けた結果ですね。 それから暫く「ZEKE」を使っていた私。ある日とあるロシア企業(最近ウクライナで起きた騒乱で本社がEUに移っていたの知ったけれど)の戦争ゲームをプレイする際、いつものようにニックネームをつけたところ「ZEKEは既に使われてるぜバーカ」と言われ、尾びれに22がついた「ZEKE22」という今のスタイルに落ち着いたという訳です。 ちなみに22の数字は零戦の二二型を意識しています。カッコイイですよね二二型。初期生産の二一型、特徴的な翼端の三二型、戦争末期の五二型系列なんかに比べるとパッせず、人気もイマイチな気がしますが、二一型よりラジエーターが減ってスッキリとし、五二型のように無理に性能を上げるべくゴチャゴチャと排気管が付いているわけでもない、まさに「美しい零戦」は二二型だと個人的には思っています。そんな二二型でも個人的には九九式二号三型20粍機銃に換装された甲型が好きです。翼から突き出た20粍機銃の銃身がとてもエッチで良い……と脱線はこれまでにしときましょう。 とまぁ、つけた理由が適当で「いつかニックネーム変えてぇ」と思っていたのですが、ありがたいことに投稿した動画は再生数が伸び、肉を売りだしたら「ジーク肉」なんて妙なブランド名がついてしまったので、このニックネームとは生涯仲良くしていくんだろうなぁ……なんて思っています。はい。 ……ってかこんなに自分について語ってても良いのかな?他のメンバーの自己紹介があまりにもあっさりしすぎていて不安になるんですけど。 ロレンス動画について語ろうね ……と言っても、ロレンスについて話したいことは大体動画に落とし込んでしまっているので「ロレンスの話が聞きたい?動画見ろや!」となってしまうんですよね。うーんこの。という訳で動画の話をしましょう。動画!トーマス・エドワード・ロレンスですよ!アラビアのロレンス!(謎テンション) 編集時については……あれは難産でした。はい。 なんせ、いつも解説に扱っているのは兵器等の「物体」で「人物」について深堀した解説って今回が初めてなんですよね。「物体も人物もさほど変わらんやろー!」と私自身もタカをくくっていたんですけれど、案外勝手が違う。 兵器等の人工物は、見たり読んだりしていると「設計者の意向」というのがある程度推測できるのですが、人物だとそういった意向が少し見えにくい。なんなら「何してんのお前」という部分もあるんですよ。 人工物なら「これは、謎です」と言えば済む(済ますな)のですが、人物は「どこまで心理を読み解けばいいんだこれ……」と悩んでしまいました。ひとつに「解説」といってもいろいろ違うんだなと思い知らされた瞬間でした。 まぁ、来月も似たようなことを書くのでこの辺りにしておきましょう。では、来月にまた。
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
兵隊王 フリードリヒ=ヴィルヘルム1世は後代のフリードリヒ2世の大きな功績に隠れていますが、プロイセンという国の力を増やした王様です。けれども、戦争という華々しい功績がないためか、世間的にはあまり有名ではないかもしれません。 兵隊王は、あだ名が表しているように軍隊の強化に全力を注ぎました。 ・カントン制(農民徴兵区域) ・将校団の形成 主要な功績はこの二つだと思います。これに加えて、8万人の軍隊を維持するだけの財力をつけました。詳しくは動画を見てもらった方が早いので、省略します。 動画以上の情報はなんだかんだ言って専門の書籍を当たるのが一番だと思うので、下に動画で使用した本を載せておきます。 年表 1688年 生誕 1701年 プロイセン公国が王国になる 1713年 プロイセンにおける王に即位 1715年 大北方戦争に参戦 1720年 スウェーデンと講和 1723年 総監理府を設置 1730年 皇太子逃亡事件 1732年 ザルツブルクから追放された新教徒を東プロイセンに入植 1733年 カントン制 1740年 崩御 (4月7日追記、始まり) 動画の台本 動画の台本を、この場を借りて載せておきます。 注意点ですが、台本なので読みやすいように作ってありません。 所々編集中にセリフを変えてる場所もあると思います。 また、ボイロちゃんに読んでもらう関係上、どうしても句読点が多い文章になってます。 導入 『君主は国家第一の下僕である』 これは啓蒙君主フリードリヒ大王の言葉です。 フリードリヒ大王はシュレージェンと西プロイセンを獲得し、オーストリア、フランス、ロシアなどと戦った七年戦争にも勝利しました。 さて、今回紹介する人物は、そのフリードリヒ大王のお父さん、「プロイセンにおける王、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世」です。 前置き フリードリヒ=ヴィルヘルム1世とは1713年から1740年に在位していたプロイセンという国の王様です。 治めていた領地はこの地図の通りです。 現在のドイツからポーランドを中心に、東西にロシア、オランダあたりまで。 けれど、プロイセンという地域は東の方で、先祖代々受け継いできたベルリンを中心としたブランデンブルクという場所の王様ではないのです。 この経緯だけで動画一本作れるので詳細は省略しますが、簡単に説明すると、王様という称号があまりにも尊すぎたので上司の神聖ローマ皇帝から許可が出なかったということです。 「まあ、辺境の地域、プロイセンにおける王様なら名乗っていいよ」と言われ、プロイセン公国は、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世の先代フリードリヒ1世の時代、1701年に王国になりました。 軍隊について … Continue reading フリードリヒ=ヴィルヘルム1世