やあやあ!我こそは(中略)なり!!!

  はじめに動画の話をしよう。 お久しぶりです。一ケ月ぶりくらいですかね? さて、無事にロレンス解説、全四回が終了しました!(予定より一回多いのはナイショ)   にしても、全然まだまだ紹介できるお話は残っているんですけれどね…… 例えばヒジャーズ鉄道の爆破の際に、導火線が短すぎて爆風をモロにくらって血まみれになったり、ロレンスの「人生初の殺人」を味方のアラブ部族のいがみ合いを解決するために決断して行ったりと本当にたくさんのエピソードがあるんですよ。君はもっと落ち着いて第一次世界大戦を生き抜くことはできないのか?   そう、生き抜くと言えば、大戦に従軍したロレンスの兄弟たちはどうなったのかと言いますと。 ロレンスの弟であるフランクは1915年5月9日、フランス北部のアラスにて塹壕内にいたところ、爆弾の破片によって即死。 同じく弟のウィルは英国航空隊の監的手(砲撃の着弾観測)に志願し、1915年10月23日ウィルの乗った飛行機はフランス上空にて撃墜されて戦死。26歳の彼は前線に出て一週間という短さで天に召されてしまいました。 五ヶ月の間に二人の弟を失ったロレンスの心境は内向きとなってしまい、それから数ヶ月の両親に対する手紙は間隔があいていき、その内容もぶっきらぼうなもので、フランクの事は書かなくなり、ウィルの事は一回漠然とほのめかした以外はそれを認めた記録もないそうです。   参考文献とか貼っていきませう。 という事で、今回の動画に使用した参考文献です。 ・コット・アンダーソン 著 ・山村 宣子 翻訳 ・出版社 白水社 ロレンスがいたアラビア(上)・(下) はい、これだけです。 あとはフサインのウィキペディアを少々といった感じですかね?資料少なくて恥ずかしくないの?(恥ずかしい)   次は何をやるんだい!? 次の動画ですけれど……今度はお家芸ともいえる兵器開発なんかをやったりやらなかったりしようかなと、思ったり思わなかったりしています。 ですので、来月以降も適当に待っていただけると幸いです。

日本の「インダストリアル」revolutionと「インダストリアス」revolution

日本の「産業革命」  皆さんは、「industrial revolution」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本語に訳せば「産業革命」です。  「バカを言うな、それくらい誰だって知ってらぁ」という声が聞こえて来そうですが、ちょっとばかしindustrial revolutionの話を聞いてってくだせえ。  「それはいいけれど、英語にしてるのがしゃらくさい」ですって? それにもちゃんと超重要な意味がありますから、しばしお付き合いをば。    さて、皆さんは、「産業革命」と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか。機械の導入、飛躍的な生産効率向上、労働者の誕生……  おそらくは「革命」という言葉に引っ張られて、まるで天地がひっくり返るかのような大転回をイメージしがちなのではないかな、と思います。しかし、この世の大概の物事については(クソデカ主語)、「革命」などと大上段から論じるのはナンセンスと言わざるを得ません。  むしろ、緩やかな、しかし着実な変化にこそ注目しよう……というのが、近年の政治史や経済史研究の潮流なのです。  極端な話になると、いわゆる産業革命否定論なんてのも出てきますけれども、とりあえずのところ、本稿では少なくともその時代に起きた進歩の行程は肯定してあげましょう。行程だけに。 在来産業「私のこと、忘れちゃった……かな。あはは……私、影薄いもんね……」  では、そのindustrial revolution、「産業革命」というやつはいつ日本で始まったのでしょうか。ほとんどの人は、明治期だろうと答えると思います。事実として、この時期の殖産興業政策などを経て、日本には機械化の波が押し寄せてきました。その結果、有名な富岡製糸場なんかがにょきにょき生えてくるわけです。    しかして、皆さんがイメージするような、でっかい機械がガッコンガッコン動くような工場労働というのを、みんながみんなやっていたわけではありません。  この辺りはマルクスファンクラブの皆さんが喧々諤々の議論をやっていらした分野で、彼らが言うには工場での機械工業の前に、「マニュファクチュア」(工場制手工業)という段階があるという話になっています。で、さらに彼らの議論を紹介するのですが、日本は幕末期には「厳密な意味でのマニュファクチュア」に達していたのではないかと言います。  厳密がどうこうってのについては神学論争が掃いて捨てるほどあったのですけれども、ともあれ、幕末期に一部では工場制手工業が見られていたのは事実です。    もしかすると勘の良い方は気づかれているかもしれませんが、この「一部では」という文句が重要です。というのも、結局のところ、「いっせーの」で工場が降ってきたり、機械がぽこじゃか湧いてきたりするわけがないんですよね。ファンクラブの方々が「マニュファクチュア」よりもさらに前段階だとしていた家内工業までも、明治期以降も随所にみられるわけです。なんなら、大隈財政期ころならば、工業製品の大部分は江戸期以来の技術によってつくられていたのです。    日本経済は、工場で機械を動かすような近代産業と、旧来の在来産業が併存しながら発展しました。在来産業は読んで字のごとく江戸期から存在した産業ですから、私たちが注目したい対象そのものです。  それでは、近代産業は江戸期からの連続性がなく、西欧からどんぶらこ、カイコクシテクダサーイとやってきただけのものなのでしょうか。もちろん違います。そこには江戸期からの連続性ももちろんあります。    それこそが、日本における近代産業発展の要因の一つ、industrious revolution(勤勉革命)なのです。 ただの言葉遊びなんだ。すまない  賢明な読者の皆様は既にお気づきのことかと思いますが、速水らが唱えた「industrious revolution(勤勉革命)」の「インダストリアス」は、「industrial revolution(産業革命)」の「インダストリアル」にかけているのです。だから、私は先ほど「超重要な意味」があると述べたのですよ。    ……あんまりこんなことをやっていると、そのうち批判的なトマトがカイコクシテクダサーイと飛んで来そうですので、本題に行きましょう。  速水らの主張は次のようなものです。  江戸期には、長時間の労働を行うことで生産量を高めるという「勤労」が、人々の間に広まりました。これは彼らが「独立した経済主体として行動し得るようになった」ことによるものであり、より具体的には、生産量を高めることで生活水準を高められる、という信頼が生まれたことによるものです。    何を当たり前のことを、そんなのオセアニアじゃ常識なんだよ! と仰る方もいるかもしれません。  たしかに、私たちはふつう、働けば働くほど豊かになると信じています。もちろん部分的にはそうでないこともありますが。たとえば3人分の仕事がなぜか1人に押し寄せているとか、それを下手に頑張っちゃうと補充が来ないとか……  んんっ、ともあれ、少なくとも社会の大部分にはその信念が成り立ちます。成り立つことにしておいてください。成り立たなかったら悲しいので。  ところが、前近代の、とくに農業セクターでは必ずしもそうではありませんでした。  というのも、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るもの」などと言われたように、農業従事者のもとには最低限を残して、それ以外を全部年貢でとってしまう、というようなシステムも珍しくはなかったのです。    しかし、近代に向かうにつれ、「勤勉革命」が起きてゆきました。  そのためのひとつの画期は、速水らも提示している「定免法」の導入です。  それまでの、生産量に応じて年貢量を決める「検見法」に対して、毎年一定量の年貢を取るシステムを「定免法」といいます。すなわち、米俵で10俵と年貢が決まっていれば、15俵収穫しても、20俵収穫しても、あるいは100俵収穫しても、10俵以外は全部自分のものにできるのです。    これは経済学者の大好きな「インセンティブ」(動機)というものに他なりません。定免法は生産量を増やすインセンティブとして機能したと考えられています。  そして、生産量を増やせば、余分な分を生活水準向上に使ったり、あるいはさらに翌年の生産量を増やすための肥料を買ったり、なんてこともできるようになるのです。そこで、先に述べたような、「生産量を高めることで生活水準を高められる」という信頼が生まれます。これが「勤勉革命」です。    維新後の近代産業導入の中で、「勤勉革命」は様々な形で表出します。たとえば職工の勤労はわかりやすい例でしょうし、あるいは庶民の教育への意欲もこの文脈に位置づけられるかもしれません。  既成の経済成長モデルであるSolow-Swan modelなどは、もっぱら資本蓄積と技術進歩(と人口)に着目しますから、速水の労働力の投下への着目は非常に鋭い指摘だったのです(と私は思います)。 まとめにかえて  今回は、主に「産業革命」前後の連続性に着目して論じました。ただし、私が「一部」や「~もある」という言い方を繰り返してきたように、これらは連続性「だけ」で語れるものでもありません。そこには断絶だって存在しますし、さらには連続性と断絶性がミックスされたような分野もあります。  経済は複雑なのです。それを言っちゃあおしめえよ、という感じですが、論文一本や書籍一冊なんかで語り切れるものでは到底ありません。いわんやこんなブログをや。  けれども、他のブログでも言及したと思いますが、それを理解した上でどのような視角で見るのか、というのが大切になってきます。… Continue reading 日本の「インダストリアル」revolutionと「インダストリアス」revolution

やあやあ!我こそはロレンス(中略)なり!!!

はじめに お久しぶりです。ニケ月ぶりくらいですかね?   なんか二ヶ月の間に同人誌即売会に二回ほどサークル側で参加していたらいつの間にかこんな時期になっていました。なんか早いですね、時が経つのって   ちなみに9月にも即売会に出る予定です。会場でジークさんと握手だ!!!   そんなことより、動画の話をしよう そうです。動画の話ですよ。   といっても前回は第一次大戦序盤、発言力が無かったばっかりに傍観者でしかなかったロレンス君。 それが今回では、自信のあるアラビア半島でのゆめ作文が思ったより評判が良く、本人は不本意ながらもアラビア半島へ行くって感じですね。   ちなみに、動画では尺の都合でほとんど触れていませんけれど、ロレンスがアラビアでフサインの息子たちに会っている間、どっかのカエル国家が虎視眈々とアラブの土地を狙ってたり狙ってなかったりするんですよね。 そして、そんなカエル君の右手には悪名高き英国三枚舌外交の産物「サイクス・ピコ協定」が……   この時期になってくると同盟国である英国ですら眉を顰めるほどフランスのアラブに対する領土欲が露わになってきます。なんせ本土の北部がジャガイモ国家と地下足袋だけになって泥遊び(総力戦)してたら砲弾や毒ガスまみれでもうめちゃくちゃですからね、その補填としてオスマンの土地を欲しがったのでしょう。知らんけど。   そのせいでロレンスもなかなかに妨害されたりされなかったり……(ここら辺も動画に出せたらいいな。多分無理)   そんなわけで、恐らく次回にはロレンスの解説動画も完結になる予定です!   ……終わるよね?   終わらなかったら7月も画面の向こうでジークさんと握手だ!!!!!

歴史総合について

2022年度から学習指導要領が大きく変わったのはご存じでしょうか?新しい指導要領ではすべての教科に「主体的・対話的深い学び」が重視され、歴史分野では「歴史総合」が必修化されました。 中学、高等学校において社会科、地歴科は「暗記科目」であると考えられてきました。この歴史=暗記科目から脱却するのために近現代の世界史と日本史を統合して「歴史総合」が生まれました。この教科では知識を学ぶだけではなく、知識を活用して歴史的思考力を身につけさせることが求められています。 歴史総合の教科書では、最初の章において「近代とは何か」という問いが設定されています。皆さんにおいて、近代というのはどのような時代だと思いますか?色々な観点があると思いますが、私は時間という概念が大きく変化した時代だと思います。今日、私たちは時間に縛れています。学生は授業時間、社会人は就業時間を意識して生活を送っています。それは、工業化が進み、時間規律を重視した労働慣行が成立したことが背景にあります。そして、この変化には学校教育も大きな役割を果たしてきました。 明治時代の小学生徒心得には次のように書かれています。「第二条 毎日参校は授業時限10分前たるべし。第七条 もし授業の時限に後れ参校するときは、みだりに教場に至るべからず。遅刻の事情を述べて教師の指示を持つべき事」 「時限に後れ参校する」というのは、今風に言うと「遅刻」するということです。つまり、労働条件の変化、学校制度の進展などを通じて、時間規律が強化されて、その結果「遅刻」をするという概念が生まれたのです。 さて、長くなってしまいましたが、これからも進化を続ける世界史ベータを今後ともご贔屓のほどよろしくお願いします。

やあやあ!我こそはロレンス動画を作ったZEKE22と言ふ者なひけり!!!

じこしょうかいなんかするよ! どうも、ブログの世界では初めまして。ZEKE22と申します。 最近だと動画の世界では「豊和銃解説の人」Twitterでは「肉屋の人」なんて言われています。つまり要約すると「豊和製の銃を乱射している肉屋」ですね。なんて物騒な奴なんだ。   そんな事は置いておいて、もう少しだけ真面目に自分を紹介していきましょうか。 名前の「ZEKE22」とは中学の頃、とある蛇が潜入ミッションするゲームをプレイする時に英語のニックネームしかつけられず、その頃からミリタリーオタクをやっていた私は「英語なんも分からんし、前にコンビニで買った軍用機の本に乗っていた零戦のコードネームで良いか!」と「ZEKE」と名付けたのです。 「中学のガキならば普通に自分の名前でも付けろや」とか言われそうですが、その頃に一緒によく遊んでいた友人が「自分の名前つけるとかダセエし、何よりネットリテラシーがねえぜ!」と言って名前を変えていたので、その影響を大きく受けた結果ですね。 それから暫く「ZEKE」を使っていた私。ある日とあるロシア企業(最近ウクライナで起きた騒乱で本社がEUに移っていたの知ったけれど)の戦争ゲームをプレイする際、いつものようにニックネームをつけたところ「ZEKEは既に使われてるぜバーカ」と言われ、尾びれに22がついた「ZEKE22」という今のスタイルに落ち着いたという訳です。 ちなみに22の数字は零戦の二二型を意識しています。カッコイイですよね二二型。初期生産の二一型、特徴的な翼端の三二型、戦争末期の五二型系列なんかに比べるとパッせず、人気もイマイチな気がしますが、二一型よりラジエーターが減ってスッキリとし、五二型のように無理に性能を上げるべくゴチャゴチャと排気管が付いているわけでもない、まさに「美しい零戦」は二二型だと個人的には思っています。そんな二二型でも個人的には九九式二号三型20粍機銃に換装された甲型が好きです。翼から突き出た20粍機銃の銃身がとてもエッチで良い……と脱線はこれまでにしときましょう。 とまぁ、つけた理由が適当で「いつかニックネーム変えてぇ」と思っていたのですが、ありがたいことに投稿した動画は再生数が伸び、肉を売りだしたら「ジーク肉」なんて妙なブランド名がついてしまったので、このニックネームとは生涯仲良くしていくんだろうなぁ……なんて思っています。はい。 ……ってかこんなに自分について語ってても良いのかな?他のメンバーの自己紹介があまりにもあっさりしすぎていて不安になるんですけど。 ロレンス動画について語ろうね ……と言っても、ロレンスについて話したいことは大体動画に落とし込んでしまっているので「ロレンスの話が聞きたい?動画見ろや!」となってしまうんですよね。うーんこの。という訳で動画の話をしましょう。動画!トーマス・エドワード・ロレンスですよ!アラビアのロレンス!(謎テンション)   編集時については……あれは難産でした。はい。 なんせ、いつも解説に扱っているのは兵器等の「物体」で「人物」について深堀した解説って今回が初めてなんですよね。「物体も人物もさほど変わらんやろー!」と私自身もタカをくくっていたんですけれど、案外勝手が違う。 兵器等の人工物は、見たり読んだりしていると「設計者の意向」というのがある程度推測できるのですが、人物だとそういった意向が少し見えにくい。なんなら「何してんのお前」という部分もあるんですよ。 人工物なら「これは、謎です」と言えば済む(済ますな)のですが、人物は「どこまで心理を読み解けばいいんだこれ……」と悩んでしまいました。ひとつに「解説」といってもいろいろ違うんだなと思い知らされた瞬間でした。 まぁ、来月も似たようなことを書くのでこの辺りにしておきましょう。では、来月にまた。

最近の戦跡巡り事情

はじめに 初めてのブログですが…今回は私の趣味でもある戦跡巡りについて書いていきたいと思います。 まず私がどこに行ってきたのか簡単にまとめていきます。いずれ動画でも触れる可能性があるので簡単に触れます。 どういう場所に行くのか? 私は瀬戸内海周辺の遺跡によく行ってます。特に砲台跡ですね。砲台跡は残りやすいですし地形のみでもそれなりに残り続けていますのでわかりやすいです。もちろんそれ以外の場所も行きますが今回は芸予要塞メインで書かせていただきます。 芸予要塞とは? 芸予要塞とは日露戦争前後に瀬戸内海への敵船の侵入を防ぐために設置された砲台跡群で、現在のしまなみ海道(愛媛 今治ー広島 尾道)の真下にある「大久野島」と「小島」に設置されています。 これらの島は今も渡し船があり安価で渡ることができます。 それぞれの島にはそれぞれのいいところがあり、大久野島は今では「うさぎの島」として人気のある観光地となっています。 今回は小島の説明は省かせていただいて「大久野島」のみ説明させていただきます。 大久野島 うさぎの島? 前述の通り、大久野島はうさぎの島として非常に有名です。理由としては島には1000羽近くのうさぎが生息しておりどこを歩いてもウサギに会えるほどです。とても癒されました。本当に良かったまた行こう。 そんな「うさぎの島」大久野島ですが、実は影の歴史が存在します 大久野島に砲台が設置されたのは日露戦争前の1897年で、1900年に竣工しました。その後、四国佐田岬半島の先にある豊予要塞の完成で1924年に廃止されました。しかしその後1929年より毒ガスを研究、開発するための施設が旧日本陸軍により設置されました。これがこの島の影の歴史です。 この島は「うさぎの島」と言われている一方「毒ガスの島」とも言われています。 当時は軍事関係でもあり「地図から消された島」でもありました。その痕跡は今も見ることができ当時の様々な施設が現存しています。毒ガス研究で使われた貯蔵タンク置き場などでは戦後米軍によって無毒化のための焼却作業が行われた証拠として壁や天井に黒い煤が今も残り続けています。個人的にきれいだと思ったのは発電所跡ですね。すっごいきれいでびっくりしました。 現在もその汚染は続いており島に存在する井戸水は使用禁止となっており、土壌からはヒ素が検出された事例もあります。 ですが現在は国民休暇村があったり非常に安全に観光できました!是非次訪れた際には一泊でもしてみたいです。 ちなみに島には「毒ガス資料館」なるものがあり島の歴史を知ることができます。(展示物は日本軍のものと言われるソ連製兵器があったりソースが怪しい毒ガス使用記録が複数見られましたが歴史的価値はあるものも複数あります) 他にもこの島では様々なことが言われていますが争いの種になりうるので割愛させていただきます。 さいごに 今回は芸予要塞の大久野島について説明させていただきました。興味を持たれた方は是非訪れてみてください!ウサギに癒されます。(うさぎのエサは本土の乗船場で購入しましょう。) ではまた。   アクセス方法 広島県 忠海港→大久野島 愛媛県 大三島盛港→大久野島   大久野島休暇村公式HP・・・https://www.qkamura.or.jp/sp/ohkuno/access/

ご挨拶と今回(ジャクソン大統領)の動画について

皆さまこんにちは、Fieseler(フィーゼラー)です 自己紹介 南北戦争など近代アメリカ史に興味があり、個人企画ではその戦史解説をしていければと思っております。ただ洋風かぶれなのでこれまで興味が欧米に偏っているので、日本史に詳しいメンバーの方が語るお話や動画で皆さまと学んで行ければと思います。 今回の動画について このページを視聴者の皆さまがご覧になる頃には「アンドリュー・ジャクソン人物紹介」の動画が上がっていると思います、ここでは少し動画制作時のお話をさせて頂きます。 動画に入れるエピソードを考えていた際 「そう言えばジャクソン大統領って弾劾訴追されてたっけ……」 と思っていたのですが、動画制作に当たって生涯を調べていても一向にそんな記述は見当たりませんでした。 それもその筈、弾劾訴追を受けたのは アンドリュー・ジャクソン大統領 ではなく、南北戦争後の南部の再建(リコンストラクション)で活躍した アンドリュー・ジョンソン大統領 なのでした。そのころ弾劾訴追が話題となったトランプ大統領がジャクソンを尊敬していたことや名前の似ていることより、実際に取り違う報道もあったようです。 取りあえず思わぬ罠を回避したり久しぶりの動画制作の感覚を取り戻しながら完成したこの動画を楽しんでいただければ幸いです。