道真第二回の参考文献と、寛平遣唐使問題の諸説

文人官僚の限界を超えて♪ 道真は来たんだよ  おひさしぶりです。「みっちざねにしてあげる♪(してやんよ)」という曲(捏造)が頭から離れない※(米印)です。    菅原道真解説の第二回、ご覧いただきありがとうございます(見ろよ、という圧)。  さて、今回は文献紹介と補足解説を行っていきます。前回も言いましたが、私は平安期日本史の専門家ではありませんので、参考程度にしてくださいね。   参考文献紹介 渤海使関連   上田雄(2004)『渤海国 東アジア古代王国の使者たち』講談社学術文庫。 ※文庫本なのでお手軽。渤海使の基礎情報はほとんどこれが網羅しています。ちなみにこれは1992年の『渤海国の謎 知られざる東アジアの古代王国』(講談社現代新書)を元にした本なので、どっちかが見つかればぜひ読んでください。   古畑徹(2018)『渤海国とは何か』(歴史文化ライブラリー 458)、吉川弘文館。 ※渤海の国自体についてはこれがおすすめです。ただ、渤海使についてはそこまで詳しく扱っていないのです……   上田雄(2002)『渤海使の研究 日本海を渡った使節たちの軌跡』明石書店。 ※専門書です。各回の渤海使(違期入朝含む)を詳細に記しています。ちなみに都言道くんの下心もこれのおかげで知りました。   寛平遣唐使問題 渡邊誠(2013)「寛平の遣唐使派遣計画の実像」『史人 5号』広島大学大学院教育学研究科下向井研究室。 ※論文です。増村~石井の議論がよくまとまっています。寛平遣唐使問題に興味を持った方はまず読んでみてください(リポジトリに公開されているので無料で読めます)   石井正敏著、村井章介、榎本渉、河内春人編(2018)『遣唐使から巡礼僧へ』(石井正敏著作集 第二巻)、勉誠出版。 ※石井の論文集です。「いわゆる遣唐使の停止について」と「寛平六年の遣唐使計画について」、それから「寛平六年の遣唐使計画と新羅の海賊」が寛平遣唐使問題を扱っています。「いわゆる~」は「其日」問題、「~新羅の海賊」は「新羅賊」説まわりの否定なので、もし個別に論文を探すなら「~計画について」(道真の二つの文章の読解)をどうぞ。   増村宏(1988)『遣唐使の研究』同朋舎出版。 ※結構古いですが、だいぶ先進的な議論を行っています。ただし、他説批判がメインなので増村自身の説は見えにくいかもしれません。だいたいの古い説は「増村を見ろ」で終わります(え   滝川幸司(2019)「菅原道真と遣唐使(一) 『請令諸公卿議定遣唐使進止状』『奉勅為太政官報在唐僧中瓘牒』の再検討」『詞林 65』大阪大学古代中世文学研究会 滝川幸司(2020)「渡唐の心情は詠まれたのか 寛平の遣唐使と漢詩文」『語文 115』大阪大学国語国文学会。 ※滝川先生の論文です。直前までこれに気づかずに作ってしまって、「まぁどうせそんな変わらんやろ」と読んでみたら論理でぶん殴られてしましました。上のやつはweb上で公開されてますので、ぜひ読んでみてください。   道真の再検討要請の理由の諸説(紹介しきれなかったもの) 鈴木靖民の「新羅賊」説  石井らが否定。そもそも、史料を素直に読めば道真が理由にしたのは「唐に着いてからの困難」だったはずなので、唐に着く前(渡航)を問題にするのはナンセンスだと私は思う。   「大義名分説」や「社会経済説」などなど。  増村によくまとまってるからそっちを読んでください……でよろしいでしょうか。早期の説なのでちょっと……   「藤原氏陰謀説」  藤原氏が道真を遠ざけようとして、というのは明らかに無理筋。ただし、個人的には、本編で述べたような「意思疎通不足」は陰謀に求めることもできなくはないのかなと思ったり。というのも、道真は結構全方面から嫌われていたので(悲しい)、宇多の近臣に道真を疎む者が居てもおかしくはない。ただ、あえて陰謀があったと考える必要性は薄いと思う。   ほか、私の個人的な雑感  滝川は遣唐使再検討の根拠は「中瓘の録記」と断じているが、個人的には早計な感がある。道真が個人的に持っていた伝手を辿ったり、(場合によってはあまり公にできない)商人などから得た情報をもとにしていた可能性は考えられる。その場合は森説に近いものがあるのかもしれない。  ただ、中瓘録記未読説を取らないなら、中瓘の録記で既に渡唐停止を勧めているわけで、それ以上に何か決め手となる情報とは一体なんぞや、という疑問は残る。やはり本編で出したようなコミュニケーション不足に求めた方が無難な気が……しかし根拠はないわけで。やっぱりわからん。        今回は寛平遣唐使問題をかなり深堀りできたと思います。たぶん最新研究とそこそこ同じ景色が見られているのではないかと。ただ、そのせいでちょっと次回の目途が立っておりません……6月に投稿できたらいいなぁ……(そして今回に比べたら薄味でも許して下さい。むしろ今回が異常なんです)

スティーヴさんが好きな漫画について語るだけ① 「ジェリコー編」

皆様初めまして、こんにちはこんばんはおはようございます。 この度ご縁がありまして世界史べーた様に入らせていただくことになりました作曲家のスティーヴと申します。よろしくお願い致します。 せっかくの第一回のブログなので何か面白いことを書こうと思っていたのですが、何も思いつかず現在3月21日、かなり急ぎで書いています。何を書こう何を書こうと思い、今ふと思いついたのが、「私の好きな漫画について書こう!!」という考えでした。私自身漫画や小説を読むのが好きで、現在部屋にも数千単位の漫画本、小説があります。なのでこの度の私のブログではその私の部屋に埋まっている漫画本の中から一冊をピックアップしてご紹介していこうと思います。 ということで今回ご紹介する漫画はこちら!! 中原たか穂様 著の「ジェリコー」です!! ジェリコーと聞いてピンと来た方もいらっしゃるのではないでしょうか、この漫画は「メデュース号の筏」で有名な、1 9世紀前半のフランスの画家、「テオドール・ジェリコー」を描いた漫画です。テオドール・ジェリコーは、かの有名なフランス7月革命を描いた「民衆を導く自由の女」の作者、「ウジェーヌ・ドラクロワ」と親友だったともされています。 私がこの漫画に出会ったのは、私が漫画雑誌を買いに本屋に立ち寄った時です。かなり特徴的な表紙だったので真っ先に私の目に入りました。会計を済ませ自宅で読んでみたらびっくり、ページを読む手が止まらないんです。19世紀ヨーロッパを舞台にしたオシャレな華々しい物語かと思いきや、意外にダーク、そしてドロドロ。テオドール・ジェリコーは先ほど出した民衆を導く自由の女を制作したウジェーヌ・ドラクロワに多大な影響を残したのと同時に、絵を描く参考にするために死体すら使っていたことでも有名で、最初の好青年のようなイメージを持つジェリコーがどんどんおかしく、狂っていく様は自分の心を揺れ動かされます。ドラクロワの他にも、ちょい役ですがフランス革命のナポレオン、フランス国王ルイ18世も登場します。 この素晴らしい漫画を、是非、皆様実際にお手にとって読んでみてください。人間とは何か、人生とは何か、その確信に迫る物語です。 ということで今回のお相手は作曲家スティーヴでした。Youtubeやニコニコの私のチャンネルでは自分で制作した楽曲を投稿していますので、もしもお時間がありましたら聞いていただけましたら幸いです。皆様のおすすめ漫画も是非コメント欄で教えてください!!

男いのっち一人旅! in 鎌倉 その2(「鶴岡八幡宮」周辺編)

さあ前回のブログ(リンク)の続きです! 本当は前後編にまとめようと思っていたのですが、後編が長くなりそうでしたので「全3回」でお届けすることにしました♪💦 北鎌倉駅から「巨福呂坂(縁起良さそうだけど、鎌倉幕府滅亡時の激戦地)」を徒歩で超え、ついに鎌倉の中心といっても過言ではない「鶴岡八幡宮」に向かいます!   それにしても学生の集団の多いこと多いこと(修学旅行?)。 大河ドラマが放送中ですし、人気のスポットなのでしょうか? 彼らの中から新しい「歴史好き」が生まれるといいですね♪✨ さあ、そしてあの「鶴岡八幡宮」(公式HP)です! 鎌倉を発展させた「源頼朝」はこの鶴岡八幡宮の社殿を中心に「鎌倉の街路」や「幕府の中枢」を整備していきました。つまり文字通り「鎌倉の中心」というわけです。   因みに鶴岡八幡宮の基になった「由比若宮(元八幡とも、鶴岡八幡宮とは別の場所にあります)」(紹介ページ)を創建したのは頼朝から見て約100年前の先祖にあたる「源頼義」という人物です。   その辺りのお話については下記の拙作動画にまとめておりますので是非御覧になってください(ダイマ)♪ リンク:3分で歴代天皇紹介シリーズ! 「70代目 後冷泉天皇」   早速「世界史べーた(仮)」の更なる発展を祈願した後、境内を散策しました(幸せ)。 そして、今年限りの観光スポットにも足を延ばしました。 それは「大河ドラマ館」(公式HP)です!  八幡宮の境内にあるんですね。✨ 「作中で使用された衣装や小道具」、「ドラマ制作の裏側を紹介するムービー」など大河ドラマファンなら興奮必至の展示の数々。九州民の私が2年連続で「関東の大河ドラマ館」を訪問することが出来るとは夢にも思いませんでしたが、素敵な思い出になりました。✨ 今年鎌倉を訪れる予定がある方は是非足をお運びください♪   しかし、「鎌倉弾丸旅行」はまだ中盤。 名残惜しいですが、これからドラマにも登場する人々ゆかりの地を歩いて回らねばなりません!💦   というわけで次回は「お墓参り」編です! (そんなタイトルでいいのか💦)

菅原道真解説の参考文献と、参考文献じゃないけどおすすめな本

道真好きによる道真好きの道真好きのための……  はじめまして、道真を千と二百年前から愛してる(アクエリオン並感)※(米印)です。    菅原道真解説の第一回はいかがでしたでしょうか。  さて、今回はまず純粋におすすめな本と、参考文献の中でとくに紹介したいと思った本を載せておきます。  ただし、断っておきますが私は平安期日本史の専門家ではありません。あくまでも参考程度にどうぞ。 純粋におすすめな本 灰原薬『応天の門』(BUNCH COMICS)、新潮社。  comicです。漫画です。でもこれがほんっとーに良いんだわ。  私の道真イメージドンピシャだし、在原業平なんてそういやこの男に口説かれたわって記憶が捏造されるレベルだし、島田忠臣ですらほのかな薄暗さがよく似合ってるし、紀長谷雄もドリブルがうまい。  紀長谷雄の扱いだけは若干気になりますが、これが将来あんな立派になると思うと目頭が熱くなるのでやっぱり良いかもしれない。  年齢性別種族生死問わず全存在が読んでください。    本来は「リンクはちゃんと用意するよ~」って言われてるけど我慢ならんのでもう貼っちゃいます。  全人類が読む(しなさい)(極度乾燥しながら)   応天の門 1巻(book walkerさんのサイトにジャンプします)       滝川幸司(2019)『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中公新書。  正直これだけ読んでおけばいいんじゃないかな。滝川幸司氏は後述する専門書も書いていらっしゃる方なので、信頼性も十分。それでいてわかりやすく道真を紹介しています。  あれ? 私の動画の存在価値どこ……? となってしまったので、私は「ここに載ってないことを解説してやろう」とか思ってしまったんですね。    その結果がこれ(大量の資料の山)だよ!   参考文献 (以下、文献はそれぞれ年代順に並べています)   漢詩メインタイプ 川口久雄校注(1966)『菅家文草 菅家後集』(日本古典文学大系 72)、岩波書店。 ※ちゃんと漢詩を読むならこれは必須。冒頭の「解説」には川口久雄の道真論が載っている。これだけでも読む価値あり。ただし価格が……   後藤昭雄(1993)『平安朝文人志』吉川弘文館。 ※題の如く、平安期の漢詩について触れている。菅原是善、島田忠臣(この本では「嶋」の字を用いている)、紀長谷雄にもそれぞれ一章を割いていることが特徴的。道真の兄弟についての議論はこの本に大いに助けられた。ただし、このような悪く言えば些末な議論が多いため、全体の流れをつかむというような趣ではないように思う。   小島憲之、山本登朗(1998)『菅原道真』(日本漢詩人選集 1)、研文出版。 ※漢詩がメインの書籍。「はじめに」の議論には見るべきところがあり、また本編では川口以後の研究もある程度反映されている。が、全体としてみれば川口の下位互換という感じが否めない。「お金ないけど道真の漢詩読みたい」という場合には選択肢に入るか。   興膳宏(2005)『古代漢詩選』(日本漢詩人選集別巻)、研文出版。 ※万葉歌人から道真までの漢詩を載せている。菅原清公の漢詩も解説付きで載っていたり。また、道真の師の島田忠臣にも一章を割いている。道真も当然一章が割かれているが、古体詩を取り上げているのは特徴的。平仄や押韻のわかりやすい解説もあり、漢詩の流れをつかみたいという方には勧められるが、道真だけ知りたいという場合には適さないか。   (例外) 文草の会(2014)『菅家文草注釈 文章篇 第一冊(巻七上)/第二冊(巻七下)』勉誠出版。 ※詩以外の文について注をつけている。川口のやり残した仕事を担ってくれるすっごい有能……なのだが、当然一般向けではない。それから巻八以降は出るのでしょうか……     一般書(非漢詩タイプ) 坂本太郎著、日本歴史学会編(1962)『菅原道真』(人物叢書シリーズ)、吉川弘文館。 新装版-1990第一刷。 ※道真研究には必須級の書籍。文体は古めながらも平易で読みやすい。ただし、当然ながら新しい研究などは反映されていないので、その点には注意。… Continue reading 菅原道真解説の参考文献と、参考文献じゃないけどおすすめな本

男いのっち一人旅! in 鎌倉 その1(北鎌倉編)

皆さん、こんにちは「いのっち」です! 今回は初の「旅行記」です♪   実は絶賛関東出張中の私ですが、大河ドラマの影響で「鎌倉に行ってみたい!」と思い立ち、普段あまり使うことがない電車やバスを乗り継いで、人生初の「鎌倉」に行ってまいりました。 (九州民にとって、こういう機会が無いとなかなか行くことが出来ませんから💦) 普通なら「鎌倉駅に到着後、若宮大路を通って鶴岡八幡宮を目指す!」というのが王道なのでしょうが、ひねくれ者の私は敢えて一つ手前の「北鎌倉駅」で下車、歩いて鎌倉の中心部を目指すことにしました♪   ※因みに北鎌倉駅周辺は「山ノ内」という地名でして、室町時代に活躍した「山内上杉氏」の館があった場所です(豆知識)。   最初に訪れたのが駅のすぐ側にある「円覚寺」(公式HP) 元寇の時の執権「北条時宗」が、戦争の犠牲者を供養する目的で建立した寺院です。   鎌倉五山の「第二位」としても有名ですね♪   「九州民としては是非お参りせねば!」と早速参拝しました。 ありがたやありがたや~(因みに私の宗派は「浄土真宗」です。)   次に路線は挟んで反対側にある「浄智寺」(公式HP)に向かいます。(五山の第四位)   … と思ったのですが、その手前に縁切り寺として名高いあの「東慶寺」(公式HP)が!? (豊臣秀頼の娘「天秀尼」が住持を務めたことでも有名ですね)   流石は鎌倉、有名な寺院が歩ける範囲にたくさんあります♪✨(幸せ)   今のところ切りたいような御縁は御座いませんが(むしろくださいお願いします)、折角なのでお参りしました。   因みに浄智寺ですが、コロナのせいで御朱印は頂けませんでした… おのれコロナぁ!!! (# ゚Д゚)   さあ次はいよいよ鎌倉五山の第一位「建長寺」(公式HP) !   時宗の父である「北条時頼」が南宋の禅僧「蘭渓道隆」を御招きして創建した「禅宗(臨済宗)」のお寺です(日本史の御勉強)♪ (高校時代、京都の「建仁寺」とゴチャゴチャになっていたのはいい思い出…💦)   流石は第一位、規模が大きい….(絶句)! 壮大な「三門」を通って「仏殿」でお参りしてきました。 時間が限られていたのが本当に惜しかったです(一ヵ月くらい滞在したい)💦   というわけで、どちらかというと神社に行くことが多い私にとって、立て続けに寺院を参拝する(しかも鎌倉五山のうち三寺を含む)という貴重な経験をすることができた「北鎌倉」でした♪ (因みにこの時点でだいたい約1km歩いてます)   しかし、余韻に浸っている時間はありません!   休む間もなく建長寺を出発、『太平記』や『梅松論』にも登場する激戦地「巨福呂坂」を超え、いよいよあの「鶴岡八幡宮」を目指します!(建長寺から約800m) というわけで、次回「鎌倉中心部編」です♪(続く) (`・ω・´)ゞ

最近の戦跡巡り事情

はじめに 初めてのブログですが…今回は私の趣味でもある戦跡巡りについて書いていきたいと思います。 まず私がどこに行ってきたのか簡単にまとめていきます。いずれ動画でも触れる可能性があるので簡単に触れます。 どういう場所に行くのか? 私は瀬戸内海周辺の遺跡によく行ってます。特に砲台跡ですね。砲台跡は残りやすいですし地形のみでもそれなりに残り続けていますのでわかりやすいです。もちろんそれ以外の場所も行きますが今回は芸予要塞メインで書かせていただきます。 芸予要塞とは? 芸予要塞とは日露戦争前後に瀬戸内海への敵船の侵入を防ぐために設置された砲台跡群で、現在のしまなみ海道(愛媛 今治ー広島 尾道)の真下にある「大久野島」と「小島」に設置されています。 これらの島は今も渡し船があり安価で渡ることができます。 それぞれの島にはそれぞれのいいところがあり、大久野島は今では「うさぎの島」として人気のある観光地となっています。 今回は小島の説明は省かせていただいて「大久野島」のみ説明させていただきます。 大久野島 うさぎの島? 前述の通り、大久野島はうさぎの島として非常に有名です。理由としては島には1000羽近くのうさぎが生息しておりどこを歩いてもウサギに会えるほどです。とても癒されました。本当に良かったまた行こう。 そんな「うさぎの島」大久野島ですが、実は影の歴史が存在します 大久野島に砲台が設置されたのは日露戦争前の1897年で、1900年に竣工しました。その後、四国佐田岬半島の先にある豊予要塞の完成で1924年に廃止されました。しかしその後1929年より毒ガスを研究、開発するための施設が旧日本陸軍により設置されました。これがこの島の影の歴史です。 この島は「うさぎの島」と言われている一方「毒ガスの島」とも言われています。 当時は軍事関係でもあり「地図から消された島」でもありました。その痕跡は今も見ることができ当時の様々な施設が現存しています。毒ガス研究で使われた貯蔵タンク置き場などでは戦後米軍によって無毒化のための焼却作業が行われた証拠として壁や天井に黒い煤が今も残り続けています。個人的にきれいだと思ったのは発電所跡ですね。すっごいきれいでびっくりしました。 現在もその汚染は続いており島に存在する井戸水は使用禁止となっており、土壌からはヒ素が検出された事例もあります。 ですが現在は国民休暇村があったり非常に安全に観光できました!是非次訪れた際には一泊でもしてみたいです。 ちなみに島には「毒ガス資料館」なるものがあり島の歴史を知ることができます。(展示物は日本軍のものと言われるソ連製兵器があったりソースが怪しい毒ガス使用記録が複数見られましたが歴史的価値はあるものも複数あります) 他にもこの島では様々なことが言われていますが争いの種になりうるので割愛させていただきます。 さいごに 今回は芸予要塞の大久野島について説明させていただきました。興味を持たれた方は是非訪れてみてください!ウサギに癒されます。(うさぎのエサは本土の乗船場で購入しましょう。) ではまた。   アクセス方法 広島県 忠海港→大久野島 愛媛県 大三島盛港→大久野島   大久野島休暇村公式HP・・・https://www.qkamura.or.jp/sp/ohkuno/access/