各国陸軍の教範を読む 教範とは、各国の軍隊が編纂する教科書・マニュアルのようなもので、 各国の軍事行動のドクトリン(基本的な思想・原則)が反映されている。 したがってこの教範を読めば、その軍隊の戦術教義を理解することができるのである。 本書では、第二次大戦までに編纂されたドイツ、フランス、ソ連、日本の各陸軍の、 師団から軍レベルの運用に関する教範を平易に読み解き、行軍、捜索、攻撃、防御などそれぞれの局面で、 各国軍がどのような戦術に基づいて戦おうとしていたのかを探っていく。 各国軍の戦術の基本となった「教範」から第二次世界大戦の陸戦を研究する一冊である。 理解を助ける図版・図表など40点以上を収録。 おすすめ本です 近代軍事史において、なぜドイツが電撃戦を採用し、なぜソビエト軍は縦深戦術を採用したのかというのがこの「教範」を読むことである程度理解することができます。つまり、各国の戦術志向の根幹を知ることができるのです。これを知っているか、知らないでいるかで「戦史」というものの見方はそれなりに変わってくるかもしれませんね。 書籍情報 著者:田村尚也 翻訳者:– 編集者:– その他:– 出版社:イカロス出版 出版年:2015/9/10 ISBN-10:4802200633 ISBN-13:978-4802200639
Category: 地域
薔薇戦争新史
シェイクスピア史劇を軸にした、わかりやすく本格的な初の通史! 英国初の内戦(1455-1485/87)であり、シェイクスピア史劇(『リチャード二世』『ヘンリー四世』(第1 ~ 2 部)『ヘンリー五世』『ヘンリー六世』(第1 ~ 3 部)『リチャード三世』)の題材としても知られる薔薇戦争を、史劇を足掛かりに、ワット・タイラーの乱、百年戦争、ジャンヌ・ダルクなど戦争期間以外の背景も丁寧にたどり、新説を取り入れながら詳細に記述した英国・欧州中世史・軍事史研究の基本図書。 【アマゾン書籍情報から引用】 おすすめ本です たぶんこれが一番詳しいと思います(日本語では)。 といって私は全部読んだわけではありませんが。やはり歴史をとことん調べるときには一次史料などにあたるのですが、何の事前知識もなく入るのは非常に大変です。読書はステップを踏んで進むものだと思っています。この本は2ステップぐらい踏んだ人が読むことをお勧めします。 本は薔薇戦争の始まる50年以上前までさかのぼって経緯を説明しています。そこまでさかのぼる必要があるほど薔薇戦争は経緯が複雑なものだからです。そもそもランカスター家はなぜ生まれたのか、そしてそこにはどんな問題があったのかを意識すると薔薇戦争は分かりやすくなるでしょう。 ところでプランタジネット朝以降のイングランド史は王に対して次々と有力者たちが行動をエスカレートさせた様子とそれに対し折り合いをつける様子を見ることができます。ヘンリー2世とリチャード1世の時代は王家で争いが起こり、ジョン王の時代には反乱者がマグナカルタを突き付け、ヘンリー3世の時代には反乱者が議会の元を生み出しました。エドワード1世は議会と協力し中世の名君となりましたが、エドワード2世は廃位されて息子が王位につきました。この時イングランドで初めて王が貴族に殺されるのですが、王朝の交代は起こりませんでした。そこから飛んでリチャード2世は子を持たず王朝交代が起こったのですが、このことが50年もたって百年戦争敗戦による諍いが起きたときに利用されたのです。 さて、薔薇戦争は結果として国王の廃位が30年で4回も起こる混乱を引き起こしました。この混乱後はテューダー朝の体制が出来上がるのですが、それも宗教問題で混乱が起こり、引き継がれたステュアート朝では財政問題と合わさって、ついに国王不在の政治体制が出現しました。 イングランドの長い歴史の中で薔薇戦争はどんな意味を持ったのか、そこも考えてみるのも面白いと思います。浅学の身の私ではまだまだ難しいことですが。 書籍情報 著者:トレヴァー・ロイル 翻訳者:陶山 昇平 編集者:– その他:– 出版社:彩流社 出版年:2014/7/24 ISBN-10:4779120322 ISBN-13:978-4779120329
興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国
興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国 人類の今後を占ううえで、「人類の経験のすべてがつまっている」といわれる古代ローマ史ほど、参考になるものはない。小さな都市国家を強大化に導いた、「共和政ファシズム」の熱狂的エネルギー。猛将・ハンニバルが率いるカルタゴとの死闘。カエサルとアウグストゥスに始まる帝政。地中海はもちろん、ブリテン島から中東にいたる「世界帝国」の現出。そして、ローマ帝国が終焉を迎えた時、古代文明はどのように変貌していたのか。 古代ローマの歴史を知りたい方におすすめ! 古代地中海に君臨した「ローマ帝国」の通史を知ることが出来る一冊です! 「都市国家から始まったローマはなぜ地中海の覇権を握るほどの大国に成長できたのか?」 「皇帝が支配する仕組み「帝政」はどのような過程を経て成立したのか?」 「隆盛を極めた大帝国はどうして衰えていったのか?」 そして「帝国が後世に与えた影響は?」 などなど これらの疑問は他の地域や時代の歴史を学んでいく上でも重要なキーワードになると思います。 古今東西問わず、歴史に興味がある方々に是非とも一読して頂きたい一冊です♪ 書籍情報 著者:本村 凌二 翻訳者:– 編集者:– その他:– 出版社:講談社 出版年:2017/9/12 ISBN-10:4062924668 ISBN-13:978-4062924665
スティーヴさんが好きな漫画について語るだけ① 「ジェリコー編」
皆様初めまして、こんにちはこんばんはおはようございます。 この度ご縁がありまして世界史べーた様に入らせていただくことになりました作曲家のスティーヴと申します。よろしくお願い致します。 せっかくの第一回のブログなので何か面白いことを書こうと思っていたのですが、何も思いつかず現在3月21日、かなり急ぎで書いています。何を書こう何を書こうと思い、今ふと思いついたのが、「私の好きな漫画について書こう!!」という考えでした。私自身漫画や小説を読むのが好きで、現在部屋にも数千単位の漫画本、小説があります。なのでこの度の私のブログではその私の部屋に埋まっている漫画本の中から一冊をピックアップしてご紹介していこうと思います。 ということで今回ご紹介する漫画はこちら!! 中原たか穂様 著の「ジェリコー」です!! ジェリコーと聞いてピンと来た方もいらっしゃるのではないでしょうか、この漫画は「メデュース号の筏」で有名な、1 9世紀前半のフランスの画家、「テオドール・ジェリコー」を描いた漫画です。テオドール・ジェリコーは、かの有名なフランス7月革命を描いた「民衆を導く自由の女」の作者、「ウジェーヌ・ドラクロワ」と親友だったともされています。 私がこの漫画に出会ったのは、私が漫画雑誌を買いに本屋に立ち寄った時です。かなり特徴的な表紙だったので真っ先に私の目に入りました。会計を済ませ自宅で読んでみたらびっくり、ページを読む手が止まらないんです。19世紀ヨーロッパを舞台にしたオシャレな華々しい物語かと思いきや、意外にダーク、そしてドロドロ。テオドール・ジェリコーは先ほど出した民衆を導く自由の女を制作したウジェーヌ・ドラクロワに多大な影響を残したのと同時に、絵を描く参考にするために死体すら使っていたことでも有名で、最初の好青年のようなイメージを持つジェリコーがどんどんおかしく、狂っていく様は自分の心を揺れ動かされます。ドラクロワの他にも、ちょい役ですがフランス革命のナポレオン、フランス国王ルイ18世も登場します。 この素晴らしい漫画を、是非、皆様実際にお手にとって読んでみてください。人間とは何か、人生とは何か、その確信に迫る物語です。 ということで今回のお相手は作曲家スティーヴでした。Youtubeやニコニコの私のチャンネルでは自分で制作した楽曲を投稿していますので、もしもお時間がありましたら聞いていただけましたら幸いです。皆様のおすすめ漫画も是非コメント欄で教えてください!!
男いのっち一人旅! in 鎌倉 その2(「鶴岡八幡宮」周辺編)
さあ前回のブログ(リンク)の続きです! 本当は前後編にまとめようと思っていたのですが、後編が長くなりそうでしたので「全3回」でお届けすることにしました♪💦 北鎌倉駅から「巨福呂坂(縁起良さそうだけど、鎌倉幕府滅亡時の激戦地)」を徒歩で超え、ついに鎌倉の中心といっても過言ではない「鶴岡八幡宮」に向かいます! それにしても学生の集団の多いこと多いこと(修学旅行?)。 大河ドラマが放送中ですし、人気のスポットなのでしょうか? 彼らの中から新しい「歴史好き」が生まれるといいですね♪✨ さあ、そしてあの「鶴岡八幡宮」(公式HP)です! 鎌倉を発展させた「源頼朝」はこの鶴岡八幡宮の社殿を中心に「鎌倉の街路」や「幕府の中枢」を整備していきました。つまり文字通り「鎌倉の中心」というわけです。 因みに鶴岡八幡宮の基になった「由比若宮(元八幡とも、鶴岡八幡宮とは別の場所にあります)」(紹介ページ)を創建したのは頼朝から見て約100年前の先祖にあたる「源頼義」という人物です。 その辺りのお話については下記の拙作動画にまとめておりますので是非御覧になってください(ダイマ)♪ リンク:3分で歴代天皇紹介シリーズ! 「70代目 後冷泉天皇」 早速「世界史べーた(仮)」の更なる発展を祈願した後、境内を散策しました(幸せ)。 そして、今年限りの観光スポットにも足を延ばしました。 それは「大河ドラマ館」(公式HP)です! 八幡宮の境内にあるんですね。✨ 「作中で使用された衣装や小道具」、「ドラマ制作の裏側を紹介するムービー」など大河ドラマファンなら興奮必至の展示の数々。九州民の私が2年連続で「関東の大河ドラマ館」を訪問することが出来るとは夢にも思いませんでしたが、素敵な思い出になりました。✨ 今年鎌倉を訪れる予定がある方は是非足をお運びください♪ しかし、「鎌倉弾丸旅行」はまだ中盤。 名残惜しいですが、これからドラマにも登場する人々ゆかりの地を歩いて回らねばなりません!💦 というわけで次回は「お墓参り」編です! (そんなタイトルでいいのか💦)
菅原道真解説の参考文献と、参考文献じゃないけどおすすめな本
道真好きによる道真好きの道真好きのための…… はじめまして、道真を千と二百年前から愛してる(アクエリオン並感)※(米印)です。 菅原道真解説の第一回はいかがでしたでしょうか。 さて、今回はまず純粋におすすめな本と、参考文献の中でとくに紹介したいと思った本を載せておきます。 ただし、断っておきますが私は平安期日本史の専門家ではありません。あくまでも参考程度にどうぞ。 純粋におすすめな本 灰原薬『応天の門』(BUNCH COMICS)、新潮社。 comicです。漫画です。でもこれがほんっとーに良いんだわ。 私の道真イメージドンピシャだし、在原業平なんてそういやこの男に口説かれたわって記憶が捏造されるレベルだし、島田忠臣ですらほのかな薄暗さがよく似合ってるし、紀長谷雄もドリブルがうまい。 紀長谷雄の扱いだけは若干気になりますが、これが将来あんな立派になると思うと目頭が熱くなるのでやっぱり良いかもしれない。 年齢性別種族生死問わず全存在が読んでください。 本来は「リンクはちゃんと用意するよ~」って言われてるけど我慢ならんのでもう貼っちゃいます。 全人類が読む(しなさい)(極度乾燥しながら) 応天の門 1巻(book walkerさんのサイトにジャンプします) 滝川幸司(2019)『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』中公新書。 正直これだけ読んでおけばいいんじゃないかな。滝川幸司氏は後述する専門書も書いていらっしゃる方なので、信頼性も十分。それでいてわかりやすく道真を紹介しています。 あれ? 私の動画の存在価値どこ……? となってしまったので、私は「ここに載ってないことを解説してやろう」とか思ってしまったんですね。 その結果がこれ(大量の資料の山)だよ! 参考文献 (以下、文献はそれぞれ年代順に並べています) 漢詩メインタイプ 川口久雄校注(1966)『菅家文草 菅家後集』(日本古典文学大系 72)、岩波書店。 ※ちゃんと漢詩を読むならこれは必須。冒頭の「解説」には川口久雄の道真論が載っている。これだけでも読む価値あり。ただし価格が…… 後藤昭雄(1993)『平安朝文人志』吉川弘文館。 ※題の如く、平安期の漢詩について触れている。菅原是善、島田忠臣(この本では「嶋」の字を用いている)、紀長谷雄にもそれぞれ一章を割いていることが特徴的。道真の兄弟についての議論はこの本に大いに助けられた。ただし、このような悪く言えば些末な議論が多いため、全体の流れをつかむというような趣ではないように思う。 小島憲之、山本登朗(1998)『菅原道真』(日本漢詩人選集 1)、研文出版。 ※漢詩がメインの書籍。「はじめに」の議論には見るべきところがあり、また本編では川口以後の研究もある程度反映されている。が、全体としてみれば川口の下位互換という感じが否めない。「お金ないけど道真の漢詩読みたい」という場合には選択肢に入るか。 興膳宏(2005)『古代漢詩選』(日本漢詩人選集別巻)、研文出版。 ※万葉歌人から道真までの漢詩を載せている。菅原清公の漢詩も解説付きで載っていたり。また、道真の師の島田忠臣にも一章を割いている。道真も当然一章が割かれているが、古体詩を取り上げているのは特徴的。平仄や押韻のわかりやすい解説もあり、漢詩の流れをつかみたいという方には勧められるが、道真だけ知りたいという場合には適さないか。 (例外) 文草の会(2014)『菅家文草注釈 文章篇 第一冊(巻七上)/第二冊(巻七下)』勉誠出版。 ※詩以外の文について注をつけている。川口のやり残した仕事を担ってくれるすっごい有能……なのだが、当然一般向けではない。それから巻八以降は出るのでしょうか…… 一般書(非漢詩タイプ) 坂本太郎著、日本歴史学会編(1962)『菅原道真』(人物叢書シリーズ)、吉川弘文館。 新装版-1990第一刷。 ※道真研究には必須級の書籍。文体は古めながらも平易で読みやすい。ただし、当然ながら新しい研究などは反映されていないので、その点には注意。… Continue reading 菅原道真解説の参考文献と、参考文献じゃないけどおすすめな本
男いのっち一人旅! in 鎌倉 その1(北鎌倉編)
皆さん、こんにちは「いのっち」です! 今回は初の「旅行記」です♪ 実は絶賛関東出張中の私ですが、大河ドラマの影響で「鎌倉に行ってみたい!」と思い立ち、普段あまり使うことがない電車やバスを乗り継いで、人生初の「鎌倉」に行ってまいりました。 (九州民にとって、こういう機会が無いとなかなか行くことが出来ませんから💦) 普通なら「鎌倉駅に到着後、若宮大路を通って鶴岡八幡宮を目指す!」というのが王道なのでしょうが、ひねくれ者の私は敢えて一つ手前の「北鎌倉駅」で下車、歩いて鎌倉の中心部を目指すことにしました♪ ※因みに北鎌倉駅周辺は「山ノ内」という地名でして、室町時代に活躍した「山内上杉氏」の館があった場所です(豆知識)。 最初に訪れたのが駅のすぐ側にある「円覚寺」(公式HP) 元寇の時の執権「北条時宗」が、戦争の犠牲者を供養する目的で建立した寺院です。 鎌倉五山の「第二位」としても有名ですね♪ 「九州民としては是非お参りせねば!」と早速参拝しました。 ありがたやありがたや~(因みに私の宗派は「浄土真宗」です。) 次に路線は挟んで反対側にある「浄智寺」(公式HP)に向かいます。(五山の第四位) … と思ったのですが、その手前に縁切り寺として名高いあの「東慶寺」(公式HP)が!? (豊臣秀頼の娘「天秀尼」が住持を務めたことでも有名ですね) 流石は鎌倉、有名な寺院が歩ける範囲にたくさんあります♪✨(幸せ) 今のところ切りたいような御縁は御座いませんが(むしろくださいお願いします)、折角なのでお参りしました。 因みに浄智寺ですが、コロナのせいで御朱印は頂けませんでした… おのれコロナぁ!!! (# ゚Д゚) さあ次はいよいよ鎌倉五山の第一位「建長寺」(公式HP) ! 時宗の父である「北条時頼」が南宋の禅僧「蘭渓道隆」を御招きして創建した「禅宗(臨済宗)」のお寺です(日本史の御勉強)♪ (高校時代、京都の「建仁寺」とゴチャゴチャになっていたのはいい思い出…💦) 流石は第一位、規模が大きい….(絶句)! 壮大な「三門」を通って「仏殿」でお参りしてきました。 時間が限られていたのが本当に惜しかったです(一ヵ月くらい滞在したい)💦 というわけで、どちらかというと神社に行くことが多い私にとって、立て続けに寺院を参拝する(しかも鎌倉五山のうち三寺を含む)という貴重な経験をすることができた「北鎌倉」でした♪ (因みにこの時点でだいたい約1km歩いてます) しかし、余韻に浸っている時間はありません! 休む間もなく建長寺を出発、『太平記』や『梅松論』にも登場する激戦地「巨福呂坂」を超え、いよいよあの「鶴岡八幡宮」を目指します!(建長寺から約800m) というわけで、次回「鎌倉中心部編」です♪(続く) (`・ω・´)ゞ
やあやあ!我こそはロレンス動画を作ったZEKE22と言ふ者なひけり!!!
じこしょうかいなんかするよ! どうも、ブログの世界では初めまして。ZEKE22と申します。 最近だと動画の世界では「豊和銃解説の人」Twitterでは「肉屋の人」なんて言われています。つまり要約すると「豊和製の銃を乱射している肉屋」ですね。なんて物騒な奴なんだ。 そんな事は置いておいて、もう少しだけ真面目に自分を紹介していきましょうか。 名前の「ZEKE22」とは中学の頃、とある蛇が潜入ミッションするゲームをプレイする時に英語のニックネームしかつけられず、その頃からミリタリーオタクをやっていた私は「英語なんも分からんし、前にコンビニで買った軍用機の本に乗っていた零戦のコードネームで良いか!」と「ZEKE」と名付けたのです。 「中学のガキならば普通に自分の名前でも付けろや」とか言われそうですが、その頃に一緒によく遊んでいた友人が「自分の名前つけるとかダセエし、何よりネットリテラシーがねえぜ!」と言って名前を変えていたので、その影響を大きく受けた結果ですね。 それから暫く「ZEKE」を使っていた私。ある日とあるロシア企業(最近ウクライナで起きた騒乱で本社がEUに移っていたの知ったけれど)の戦争ゲームをプレイする際、いつものようにニックネームをつけたところ「ZEKEは既に使われてるぜバーカ」と言われ、尾びれに22がついた「ZEKE22」という今のスタイルに落ち着いたという訳です。 ちなみに22の数字は零戦の二二型を意識しています。カッコイイですよね二二型。初期生産の二一型、特徴的な翼端の三二型、戦争末期の五二型系列なんかに比べるとパッせず、人気もイマイチな気がしますが、二一型よりラジエーターが減ってスッキリとし、五二型のように無理に性能を上げるべくゴチャゴチャと排気管が付いているわけでもない、まさに「美しい零戦」は二二型だと個人的には思っています。そんな二二型でも個人的には九九式二号三型20粍機銃に換装された甲型が好きです。翼から突き出た20粍機銃の銃身がとてもエッチで良い……と脱線はこれまでにしときましょう。 とまぁ、つけた理由が適当で「いつかニックネーム変えてぇ」と思っていたのですが、ありがたいことに投稿した動画は再生数が伸び、肉を売りだしたら「ジーク肉」なんて妙なブランド名がついてしまったので、このニックネームとは生涯仲良くしていくんだろうなぁ……なんて思っています。はい。 ……ってかこんなに自分について語ってても良いのかな?他のメンバーの自己紹介があまりにもあっさりしすぎていて不安になるんですけど。 ロレンス動画について語ろうね ……と言っても、ロレンスについて話したいことは大体動画に落とし込んでしまっているので「ロレンスの話が聞きたい?動画見ろや!」となってしまうんですよね。うーんこの。という訳で動画の話をしましょう。動画!トーマス・エドワード・ロレンスですよ!アラビアのロレンス!(謎テンション) 編集時については……あれは難産でした。はい。 なんせ、いつも解説に扱っているのは兵器等の「物体」で「人物」について深堀した解説って今回が初めてなんですよね。「物体も人物もさほど変わらんやろー!」と私自身もタカをくくっていたんですけれど、案外勝手が違う。 兵器等の人工物は、見たり読んだりしていると「設計者の意向」というのがある程度推測できるのですが、人物だとそういった意向が少し見えにくい。なんなら「何してんのお前」という部分もあるんですよ。 人工物なら「これは、謎です」と言えば済む(済ますな)のですが、人物は「どこまで心理を読み解けばいいんだこれ……」と悩んでしまいました。ひとつに「解説」といってもいろいろ違うんだなと思い知らされた瞬間でした。 まぁ、来月も似たようなことを書くのでこの辺りにしておきましょう。では、来月にまた。
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
兵隊王 フリードリヒ=ヴィルヘルム1世は後代のフリードリヒ2世の大きな功績に隠れていますが、プロイセンという国の力を増やした王様です。けれども、戦争という華々しい功績がないためか、世間的にはあまり有名ではないかもしれません。 兵隊王は、あだ名が表しているように軍隊の強化に全力を注ぎました。 ・カントン制(農民徴兵区域) ・将校団の形成 主要な功績はこの二つだと思います。これに加えて、8万人の軍隊を維持するだけの財力をつけました。詳しくは動画を見てもらった方が早いので、省略します。 動画以上の情報はなんだかんだ言って専門の書籍を当たるのが一番だと思うので、下に動画で使用した本を載せておきます。 年表 1688年 生誕 1701年 プロイセン公国が王国になる 1713年 プロイセンにおける王に即位 1715年 大北方戦争に参戦 1720年 スウェーデンと講和 1723年 総監理府を設置 1730年 皇太子逃亡事件 1732年 ザルツブルクから追放された新教徒を東プロイセンに入植 1733年 カントン制 1740年 崩御 (4月7日追記、始まり) 動画の台本 動画の台本を、この場を借りて載せておきます。 注意点ですが、台本なので読みやすいように作ってありません。 所々編集中にセリフを変えてる場所もあると思います。 また、ボイロちゃんに読んでもらう関係上、どうしても句読点が多い文章になってます。 導入 『君主は国家第一の下僕である』 これは啓蒙君主フリードリヒ大王の言葉です。 フリードリヒ大王はシュレージェンと西プロイセンを獲得し、オーストリア、フランス、ロシアなどと戦った七年戦争にも勝利しました。 さて、今回紹介する人物は、そのフリードリヒ大王のお父さん、「プロイセンにおける王、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世」です。 前置き フリードリヒ=ヴィルヘルム1世とは1713年から1740年に在位していたプロイセンという国の王様です。 治めていた領地はこの地図の通りです。 現在のドイツからポーランドを中心に、東西にロシア、オランダあたりまで。 けれど、プロイセンという地域は東の方で、先祖代々受け継いできたベルリンを中心としたブランデンブルクという場所の王様ではないのです。 この経緯だけで動画一本作れるので詳細は省略しますが、簡単に説明すると、王様という称号があまりにも尊すぎたので上司の神聖ローマ皇帝から許可が出なかったということです。 「まあ、辺境の地域、プロイセンにおける王様なら名乗っていいよ」と言われ、プロイセン公国は、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世の先代フリードリヒ1世の時代、1701年に王国になりました。 軍隊について … Continue reading フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
最近の戦跡巡り事情
はじめに 初めてのブログですが…今回は私の趣味でもある戦跡巡りについて書いていきたいと思います。 まず私がどこに行ってきたのか簡単にまとめていきます。いずれ動画でも触れる可能性があるので簡単に触れます。 どういう場所に行くのか? 私は瀬戸内海周辺の遺跡によく行ってます。特に砲台跡ですね。砲台跡は残りやすいですし地形のみでもそれなりに残り続けていますのでわかりやすいです。もちろんそれ以外の場所も行きますが今回は芸予要塞メインで書かせていただきます。 芸予要塞とは? 芸予要塞とは日露戦争前後に瀬戸内海への敵船の侵入を防ぐために設置された砲台跡群で、現在のしまなみ海道(愛媛 今治ー広島 尾道)の真下にある「大久野島」と「小島」に設置されています。 これらの島は今も渡し船があり安価で渡ることができます。 それぞれの島にはそれぞれのいいところがあり、大久野島は今では「うさぎの島」として人気のある観光地となっています。 今回は小島の説明は省かせていただいて「大久野島」のみ説明させていただきます。 大久野島 うさぎの島? 前述の通り、大久野島はうさぎの島として非常に有名です。理由としては島には1000羽近くのうさぎが生息しておりどこを歩いてもウサギに会えるほどです。とても癒されました。本当に良かったまた行こう。 そんな「うさぎの島」大久野島ですが、実は影の歴史が存在します 大久野島に砲台が設置されたのは日露戦争前の1897年で、1900年に竣工しました。その後、四国佐田岬半島の先にある豊予要塞の完成で1924年に廃止されました。しかしその後1929年より毒ガスを研究、開発するための施設が旧日本陸軍により設置されました。これがこの島の影の歴史です。 この島は「うさぎの島」と言われている一方「毒ガスの島」とも言われています。 当時は軍事関係でもあり「地図から消された島」でもありました。その痕跡は今も見ることができ当時の様々な施設が現存しています。毒ガス研究で使われた貯蔵タンク置き場などでは戦後米軍によって無毒化のための焼却作業が行われた証拠として壁や天井に黒い煤が今も残り続けています。個人的にきれいだと思ったのは発電所跡ですね。すっごいきれいでびっくりしました。 現在もその汚染は続いており島に存在する井戸水は使用禁止となっており、土壌からはヒ素が検出された事例もあります。 ですが現在は国民休暇村があったり非常に安全に観光できました!是非次訪れた際には一泊でもしてみたいです。 ちなみに島には「毒ガス資料館」なるものがあり島の歴史を知ることができます。(展示物は日本軍のものと言われるソ連製兵器があったりソースが怪しい毒ガス使用記録が複数見られましたが歴史的価値はあるものも複数あります) 他にもこの島では様々なことが言われていますが争いの種になりうるので割愛させていただきます。 さいごに 今回は芸予要塞の大久野島について説明させていただきました。興味を持たれた方は是非訪れてみてください!ウサギに癒されます。(うさぎのエサは本土の乗船場で購入しましょう。) ではまた。 アクセス方法 広島県 忠海港→大久野島 愛媛県 大三島盛港→大久野島 大久野島休暇村公式HP・・・https://www.qkamura.or.jp/sp/ohkuno/access/