マシュマロ回答『ぶっちゃけ今の円安って何が問題なんですか?』

これは何の記事?  ちょっと前から設置している、世界史べーたのマシュマロに来た質問に答えよう! というコーナーです。  ……ええ、私が張り切り過ぎたせいで、Twitterで答えると「『世界史』じゃなかったんですか?」とか言われそうな長さになってしまったのです。申し訳ない。    あとは、マシュマロ投げやすくなるよう、どんな質問にも答えますよ~という姿勢を見せていきたいな、という思いもあります。ほんとにどんな質問でも、質問じゃなくても構わないので、ぜひぜひマシュマロをください。「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」とかでもいいですよ。ちなみにその答えは42です。    あ、言い忘れておりましたが、本マシュマロ回答はあくまでも※(米印)の見解であることをご承知おきください。   マシュマロ回答なので、ちょっと真面目寄りに行きます。 円安の原因  まず、(対米ドル)円安の原因についてです。今回の円安の原因は、主に日米の金利差によるものであろうと考えられています。金利差があると、資本が移転することによって為替相場が変動するのです。  もう少し詳しく言うと、現状のような金利差がある場合、日本の低い金利でお金を借りて、金利の高い米国に持って行くだけで利益をあげられてしまいますね(裁定取引)。すると、日本から米国に資本が移動しますから、為替相場は日本円を低く評価し、米ドルを高く評価します。これは円安ドル高にほかなりません。  (ただし、理論上は金利と為替相場が同時に、かつただちに調整されますから、裁定取引による利益はあげられないことが知られています)    このことはいわゆるトリレンマの問題としてみなすことができます。今は自由な資本移動と、独立した金融政策(低金利)を維持しているので、安定的な為替相場が保てない、ということです。  もっとも、上記はあくまでも理論上の話であり、現実の金利や為替相場が必ずしもそうなっているわけではありませんが、現状の円安ドル高とは整合的です。 円安の問題点(悪い影響)  次に、円安の問題点について言及しましょう。直接的な影響としては、輸入産業が苦境に陥る可能性があります。  とくに、実質為替相場という概念を考えると影響は顕著です。「実質」とある通り、両国の物価も考慮した為替相場のことで、いわゆる購買力の変化を加味したものとも言えます。現状、物価上昇率は日本よりも米国の方が高いわけですから、日本の購買力は下落していると見なせます。つまり、実質為替相場はさらなる円安ドル高となっているのです。    ただし、他方で輸出産業は円安の恩恵を受けるであろうという指摘ももちろん成り立ちます。その意味では、円安が良いのか、円高が良いのかというのは、自国の経済構造に依存すると言えます。  とはいえ、現在の為替相場の変動は、急激かつ先が見えないという点で問題があるかもしれません。経済学ではしばしば取引費用がまったくないかのような言説を行いますが、結局のところ、現実において急激な変化に対応しようとするためにはコストがかかります。単純化して言ってしまえば、不安定な為替相場が良い影響をもたらすとは考えにくいでしょう。   また、市場は日銀が為替相場の変動を放任していると見ているようですから、いわゆるvolatilityは高い状態にとどまるかもしれません。ただし、動けない理由は「中央銀行の信認」などとも関連しますから、日銀がどうすべきかということは、簡単に判断できるものではありません。 まとめ  まとめると、現在の円安の主要因は金利差であり、輸入産業は厳しい状況におかれています。円安や円高は必ずしも悪いものではありませんが、現在の急激かつ先行き不透明な変動は、悪い影響を及ぼしている可能性もあります。  ちなみに、本件について参考になるのは、ちょっと前(3月末)のものですが、この記事などでしょうか。 上野剛志「まるわかり”実質実効為替レート” ”50年ぶりの円安”という根深い問題」(ニッセイ基礎研レポート)、ニッセイ基礎研究所。https://www.nli-research.co.jp/files/topics/70706_ext_18_0.pdf    というわけで、マシュマロに回答してみました。どうでしょう、答えになっているでしょうかね……?  私が言うのもなんですけれど、世界史べーたにはめっちゃ色んな人がいます。先史時代から今晩の活動まで、お気軽に質問してみてください。たぶん誰かしら回答できると思います。  (でも、あんまり政治的に敏感な話題は避けた方がいい……かも?)    だから! マシュマロを! ください!     追記:  諸事情によりマシュマロからgoogleフォームでの募集に切り替わりました。以下のリンクからどうぞ! 世界史べーた(仮)への質問!  

日本財政は持続不可能だった? Bohn検定による検証

財政の持続可能性とは?  ドーモ、読者=サン。赤字スレイヤーです。    ああ待って、ブラウザバックなさらないでください。  ……こほん。改めまして、※(米印)です。  今回は、Ihori et al.(2001)(以下、「井堀ら」と記します)を参考に、戦後日本(~98年)の「財政の持続可能性」を検討してみたいと思います。  ただし、ひとつ注意していただきたいのは、これは政治的意図があるものではないということです。あくまでも「歴史」として捉えてくだされば。    ではでは、本題に入りましょう。  財政が持続不可能であるとはどういうことかというと、財政が持続可能ではないということです(小泉構文)。  ……いやいや、大真面目な話なんですって。というのも、「持続可能」の基準は決して明確ではないのです。  とくに近年の計量分析の進歩もあり、「○○が××だから持続可能!」みたいなことを安易に言ってしまうと、「素人質問で恐縮ですが……(素人ですらわかるとこに欠陥があるように見えますが)」とか「基本的な質問ですが(基本的な部分に落ち度があるんだが)」とか、「私もよくわからないのですが(え、そんな初歩的なミスやらかすとは信じられないんですが)」とかが飛んで来ますから……    それを踏まえて井堀らの議論を紹介しますと(責任逃れ)、主に 「公債の中立性」を確認する Bohn(1998)の検定を用いる の2段階によって評価しています。  以下では、この2つについて紹介してゆきましょう。 バーロー、バローの中立性が保たれてなきゃしょうがないんだよ  公債の中立性(中立命題)というのは、「財源に公債を使っても、増税を行っても、結局一緒だよね」という議論です。  え、そんなことあるわけないじゃないか、と思うかもしれません。正直私もそう思います(え  しかし、事実として公債はいずれ返さなければならないわけで、結局は増税を行うことになります。ですから、もし人類がめちゃくちゃ合理的な存在だとしたら、この増税を見越して経済活動を行うでしょう。そうなれば、「全然違わないじゃん!」となるわけです。  もしこれが満たされていれば、公債をいくら発行しても、国民は賢明なことに「どーせ増税するんでしょ?」と考えて行動するので、ほぼ持続不可能にはならないはずです。    これが中立性のおおまかな内容です。  さらに細かい議論に入ってゆくと、中立性には「リカードの中立性」と「バローの中立性」があり、一般にバローの中立性の方が「強い」概念だとされています。  バローの中立性は、子孫代々に対して遺産を残したい、という思いを想定していますから、「いやいや、どーせ増税するんでしょ?」が100年200年先にも適用できるという主張なわけです。  ……うん、ちょっと過剰ですよね。  ちなみに、リカードの中立性はその世代で返すという条件なので、もう少しマイルドです。    で、日本財政はどうなのか、という話です。  井堀らはこれらについて検討したところ、リカードの中立性についてはある程度認められるものの、バローの中立性は不十分であると指摘しています。  リカードの中立性で保証されるのはあくまでも同一世代の間だけですから、クソデカ債務を抱えている日本の例ではちょっと物足りないと言わなくてはならないでしょう。  つまり、公債の中立性という観点からは、持続可能性を担保できないという結論です。 ククク……Bohn検定が敗れたか。奴は我らの中でも最強……  次にBohn(1998)の検定(Bohn検定)について紹介しましょう。  これは簡単に言うと、「借金が増えたら、それを返そうとしているかどうか」ということの判断です。つまり、債務残高が増えたら、歳入を増やしたり歳出を減らしたりして、収支を改善しようとしているかどうかを見るわけです。具体的な説明はBohn(1998)、和文なら土居・中里(2004)などを参照してください。  先にこのことを強調しておきますが、Bohn検定は決して一部の研究者のみが用いているものではなく、むしろ21世紀に入って支配的になってきた手法です。ですから、旧来の単位根検定、共和分検定などよりも優れた特性を有している、とされています。手法に対する疑念は(持たないこともまた不健全ですが)過剰に評価されるべきではありません。    さて、井堀らの議論です。Bohn検定によって導き出された結果は、まず56年~98年、65年~98年のいずれの場合についても、前述の収支改善の反応は有意に観測できなかったということです。これは財政が持続可能であるという主張を支持しません。  ただし、喜ばしいことに、長期的に見るともう少し事情が異なります。  歴史をさらってみると、70年代、とくにオイルショック後に財政支出が大いに増えました。田中角栄内閣はもとより公共事業を盛んに行い、さらには福祉の充実も試みていましたし、もっと悪いことに(選挙対策として)合理性のない減税も行ってしまいました。このような減税は70年代を通じて見受けられますが、ひっくるめて言えば、与党が減税を唱えれば野党はさらなる減税を主張する、という悪循環に陥っていたわけです。  しかし、80年代の行政改革、さらには消費税の導入をもって、90年代初頭には財政状況は大きく改善しました。これらの時期の財政収支を縦軸に、債務残高を横軸に取ると、井堀らが「二次関数的」と言ったような関係が成り立っています。  少なくとも70年代~90年頃までは、一時的な債務拡大こそあれ、概ねにおいては「借金が増えたら、それを返そうとする」意識が保たれていたと言えるでしょう。  ところが、井堀らの議論には続きがあります。バブル崩壊後、いよいよもって政府債務は手が付けられなくなりつつあるというのです。  先ほどの財政収支と債務残高の関係で見てみると、98年には大きく悪化しています。  これでは、「持続可能」と言うことはできません。井堀らは、「近い将来において、財政赤字を削減することが重要である」と結論付けています。 つまりどういうことだってばよ  以上、井堀らの議論からは、70年後半と90年代後半の日本財政は、持続可能ではなかったと言う必要があるようです。70年代の場合はその後に回復期が一応ありましたが、90年代の場合は(井堀らには)それは示されていません。  では、日本財政は破綻してしまうのでしょうか? しかし、実際そうはなっていません。この理由はなんでしょうか。    たとえば、藤井(2010)は、同様の検定を行った結果、90年代以降の財政収支と債務残高の関係に同じく「二次関数的」関係を見出しており、持続可能と結論付けています。  これを解釈するならば、小泉政権下での改革などによって、財政収支が(少なくとも一時的には)改善した可能性があります。井堀らの提言した「近い将来の財政赤字削減」は、まさにその直後に行われたのでした。… Continue reading 日本財政は持続不可能だった? Bohn検定による検証

やあやあ!我こそは(中略)なり!!!

  はじめに動画の話をしよう。 お久しぶりです。一ケ月ぶりくらいですかね? さて、無事にロレンス解説、全四回が終了しました!(予定より一回多いのはナイショ)   にしても、全然まだまだ紹介できるお話は残っているんですけれどね…… 例えばヒジャーズ鉄道の爆破の際に、導火線が短すぎて爆風をモロにくらって血まみれになったり、ロレンスの「人生初の殺人」を味方のアラブ部族のいがみ合いを解決するために決断して行ったりと本当にたくさんのエピソードがあるんですよ。君はもっと落ち着いて第一次世界大戦を生き抜くことはできないのか?   そう、生き抜くと言えば、大戦に従軍したロレンスの兄弟たちはどうなったのかと言いますと。 ロレンスの弟であるフランクは1915年5月9日、フランス北部のアラスにて塹壕内にいたところ、爆弾の破片によって即死。 同じく弟のウィルは英国航空隊の監的手(砲撃の着弾観測)に志願し、1915年10月23日ウィルの乗った飛行機はフランス上空にて撃墜されて戦死。26歳の彼は前線に出て一週間という短さで天に召されてしまいました。 五ヶ月の間に二人の弟を失ったロレンスの心境は内向きとなってしまい、それから数ヶ月の両親に対する手紙は間隔があいていき、その内容もぶっきらぼうなもので、フランクの事は書かなくなり、ウィルの事は一回漠然とほのめかした以外はそれを認めた記録もないそうです。   参考文献とか貼っていきませう。 という事で、今回の動画に使用した参考文献です。 ・コット・アンダーソン 著 ・山村 宣子 翻訳 ・出版社 白水社 ロレンスがいたアラビア(上)・(下) はい、これだけです。 あとはフサインのウィキペディアを少々といった感じですかね?資料少なくて恥ずかしくないの?(恥ずかしい)   次は何をやるんだい!? 次の動画ですけれど……今度はお家芸ともいえる兵器開発なんかをやったりやらなかったりしようかなと、思ったり思わなかったりしています。 ですので、来月以降も適当に待っていただけると幸いです。

スティーヴさんが好きな漫画について語るだけ② 「アド・アストラ編」

どうも皆様こんにちは、お久しぶりです。作曲家をしていますスティーヴと申します。今回も例のごとく書くネタが見つからなかったので、私の好きな漫画について語ろうと思います。 ということで今回ご紹介する漫画はこちら!! 『カガノミハチ』様、著の、『アド・アストラ スキピオとハンニバル』です。スキピオとハンニバルと言うと、おそらく聞いたことがある人もいるでしょう。この漫画は紀元前ローマ、共和政ローマ時代の『第二次ポエニ戦争』を描いた漫画です。第二次ポエニ戦争というのは、紀元前200年頃に地中海沿岸に位置していた『共和政ローマ』と『カルタゴ』の間で起きた戦争です。この戦争は第一次、第二次、第三次と、計三回にわたって行われ、結果的に海洋貿易国家カルタゴは滅亡の一途をたどりました。このポエニ戦争は、世界史の教科書では一ページにも満たない、約三行ほどでしか語られていないのですが、調べてみたら意外と奥が深いものです。 現在このような形で世界史べーた(仮)様に所属して活動をさせてもらっていますが、実は私は一年ほど前は、文化史なんてもってのほか、歴史が大っ嫌いな人間でした。おそらく学生時代に古代史、中世史でつまずいてしまったのが原因だと思っています。ですがある時、Youtubeにて、この漫画でも登場する、『ハンニバル・バルカ』について語った漫画動画を目にしました。そして、私は少しですが、このポエニ戦争に興味を持ちました。そしてネットでこのポエニ戦争を描いた漫画、アニメはないものかと探していた中出会ったのがこの漫画でした。この漫画は、私の歴史好きへの扉を開いた漫画と言っても過言ではありません。今でも何度かこの漫画は読み直しています。 と、これ以上語ったらネタバレを漏らしかねないので、今回はこんな感じで締めようと思います。ご視聴ありがとうございました。 とても面白い漫画ですので、皆様も是非読んで見てください!! お相手は、作曲家:スティーヴでした。