日本財政は持続不可能だった? Bohn検定による検証

財政の持続可能性とは?  ドーモ、読者=サン。赤字スレイヤーです。    ああ待って、ブラウザバックなさらないでください。  ……こほん。改めまして、※(米印)です。  今回は、Ihori et al.(2001)(以下、「井堀ら」と記します)を参考に、戦後日本(~98年)の「財政の持続可能性」を検討してみたいと思います。  ただし、ひとつ注意していただきたいのは、これは政治的意図があるものではないということです。あくまでも「歴史」として捉えてくだされば。    ではでは、本題に入りましょう。  財政が持続不可能であるとはどういうことかというと、財政が持続可能ではないということです(小泉構文)。  ……いやいや、大真面目な話なんですって。というのも、「持続可能」の基準は決して明確ではないのです。  とくに近年の計量分析の進歩もあり、「○○が××だから持続可能!」みたいなことを安易に言ってしまうと、「素人質問で恐縮ですが……(素人ですらわかるとこに欠陥があるように見えますが)」とか「基本的な質問ですが(基本的な部分に落ち度があるんだが)」とか、「私もよくわからないのですが(え、そんな初歩的なミスやらかすとは信じられないんですが)」とかが飛んで来ますから……    それを踏まえて井堀らの議論を紹介しますと(責任逃れ)、主に 「公債の中立性」を確認する Bohn(1998)の検定を用いる の2段階によって評価しています。  以下では、この2つについて紹介してゆきましょう。 バーロー、バローの中立性が保たれてなきゃしょうがないんだよ  公債の中立性(中立命題)というのは、「財源に公債を使っても、増税を行っても、結局一緒だよね」という議論です。  え、そんなことあるわけないじゃないか、と思うかもしれません。正直私もそう思います(え  しかし、事実として公債はいずれ返さなければならないわけで、結局は増税を行うことになります。ですから、もし人類がめちゃくちゃ合理的な存在だとしたら、この増税を見越して経済活動を行うでしょう。そうなれば、「全然違わないじゃん!」となるわけです。  もしこれが満たされていれば、公債をいくら発行しても、国民は賢明なことに「どーせ増税するんでしょ?」と考えて行動するので、ほぼ持続不可能にはならないはずです。    これが中立性のおおまかな内容です。  さらに細かい議論に入ってゆくと、中立性には「リカードの中立性」と「バローの中立性」があり、一般にバローの中立性の方が「強い」概念だとされています。  バローの中立性は、子孫代々に対して遺産を残したい、という思いを想定していますから、「いやいや、どーせ増税するんでしょ?」が100年200年先にも適用できるという主張なわけです。  ……うん、ちょっと過剰ですよね。  ちなみに、リカードの中立性はその世代で返すという条件なので、もう少しマイルドです。    で、日本財政はどうなのか、という話です。  井堀らはこれらについて検討したところ、リカードの中立性についてはある程度認められるものの、バローの中立性は不十分であると指摘しています。  リカードの中立性で保証されるのはあくまでも同一世代の間だけですから、クソデカ債務を抱えている日本の例ではちょっと物足りないと言わなくてはならないでしょう。  つまり、公債の中立性という観点からは、持続可能性を担保できないという結論です。 ククク……Bohn検定が敗れたか。奴は我らの中でも最強……  次にBohn(1998)の検定(Bohn検定)について紹介しましょう。  これは簡単に言うと、「借金が増えたら、それを返そうとしているかどうか」ということの判断です。つまり、債務残高が増えたら、歳入を増やしたり歳出を減らしたりして、収支を改善しようとしているかどうかを見るわけです。具体的な説明はBohn(1998)、和文なら土居・中里(2004)などを参照してください。  先にこのことを強調しておきますが、Bohn検定は決して一部の研究者のみが用いているものではなく、むしろ21世紀に入って支配的になってきた手法です。ですから、旧来の単位根検定、共和分検定などよりも優れた特性を有している、とされています。手法に対する疑念は(持たないこともまた不健全ですが)過剰に評価されるべきではありません。    さて、井堀らの議論です。Bohn検定によって導き出された結果は、まず56年~98年、65年~98年のいずれの場合についても、前述の収支改善の反応は有意に観測できなかったということです。これは財政が持続可能であるという主張を支持しません。  ただし、喜ばしいことに、長期的に見るともう少し事情が異なります。  歴史をさらってみると、70年代、とくにオイルショック後に財政支出が大いに増えました。田中角栄内閣はもとより公共事業を盛んに行い、さらには福祉の充実も試みていましたし、もっと悪いことに(選挙対策として)合理性のない減税も行ってしまいました。このような減税は70年代を通じて見受けられますが、ひっくるめて言えば、与党が減税を唱えれば野党はさらなる減税を主張する、という悪循環に陥っていたわけです。  しかし、80年代の行政改革、さらには消費税の導入をもって、90年代初頭には財政状況は大きく改善しました。これらの時期の財政収支を縦軸に、債務残高を横軸に取ると、井堀らが「二次関数的」と言ったような関係が成り立っています。  少なくとも70年代~90年頃までは、一時的な債務拡大こそあれ、概ねにおいては「借金が増えたら、それを返そうとする」意識が保たれていたと言えるでしょう。  ところが、井堀らの議論には続きがあります。バブル崩壊後、いよいよもって政府債務は手が付けられなくなりつつあるというのです。  先ほどの財政収支と債務残高の関係で見てみると、98年には大きく悪化しています。  これでは、「持続可能」と言うことはできません。井堀らは、「近い将来において、財政赤字を削減することが重要である」と結論付けています。 つまりどういうことだってばよ  以上、井堀らの議論からは、70年後半と90年代後半の日本財政は、持続可能ではなかったと言う必要があるようです。70年代の場合はその後に回復期が一応ありましたが、90年代の場合は(井堀らには)それは示されていません。  では、日本財政は破綻してしまうのでしょうか? しかし、実際そうはなっていません。この理由はなんでしょうか。    たとえば、藤井(2010)は、同様の検定を行った結果、90年代以降の財政収支と債務残高の関係に同じく「二次関数的」関係を見出しており、持続可能と結論付けています。  これを解釈するならば、小泉政権下での改革などによって、財政収支が(少なくとも一時的には)改善した可能性があります。井堀らの提言した「近い将来の財政赤字削減」は、まさにその直後に行われたのでした。… Continue reading 日本財政は持続不可能だった? Bohn検定による検証

やあやあ!我こそは(中略)なり!!!

  はじめに動画の話をしよう。 お久しぶりです。一ケ月ぶりくらいですかね? さて、無事にロレンス解説、全四回が終了しました!(予定より一回多いのはナイショ)   にしても、全然まだまだ紹介できるお話は残っているんですけれどね…… 例えばヒジャーズ鉄道の爆破の際に、導火線が短すぎて爆風をモロにくらって血まみれになったり、ロレンスの「人生初の殺人」を味方のアラブ部族のいがみ合いを解決するために決断して行ったりと本当にたくさんのエピソードがあるんですよ。君はもっと落ち着いて第一次世界大戦を生き抜くことはできないのか?   そう、生き抜くと言えば、大戦に従軍したロレンスの兄弟たちはどうなったのかと言いますと。 ロレンスの弟であるフランクは1915年5月9日、フランス北部のアラスにて塹壕内にいたところ、爆弾の破片によって即死。 同じく弟のウィルは英国航空隊の監的手(砲撃の着弾観測)に志願し、1915年10月23日ウィルの乗った飛行機はフランス上空にて撃墜されて戦死。26歳の彼は前線に出て一週間という短さで天に召されてしまいました。 五ヶ月の間に二人の弟を失ったロレンスの心境は内向きとなってしまい、それから数ヶ月の両親に対する手紙は間隔があいていき、その内容もぶっきらぼうなもので、フランクの事は書かなくなり、ウィルの事は一回漠然とほのめかした以外はそれを認めた記録もないそうです。   参考文献とか貼っていきませう。 という事で、今回の動画に使用した参考文献です。 ・コット・アンダーソン 著 ・山村 宣子 翻訳 ・出版社 白水社 ロレンスがいたアラビア(上)・(下) はい、これだけです。 あとはフサインのウィキペディアを少々といった感じですかね?資料少なくて恥ずかしくないの?(恥ずかしい)   次は何をやるんだい!? 次の動画ですけれど……今度はお家芸ともいえる兵器開発なんかをやったりやらなかったりしようかなと、思ったり思わなかったりしています。 ですので、来月以降も適当に待っていただけると幸いです。

スティーヴさんが好きな漫画について語るだけ② 「アド・アストラ編」

どうも皆様こんにちは、お久しぶりです。作曲家をしていますスティーヴと申します。今回も例のごとく書くネタが見つからなかったので、私の好きな漫画について語ろうと思います。 ということで今回ご紹介する漫画はこちら!! 『カガノミハチ』様、著の、『アド・アストラ スキピオとハンニバル』です。スキピオとハンニバルと言うと、おそらく聞いたことがある人もいるでしょう。この漫画は紀元前ローマ、共和政ローマ時代の『第二次ポエニ戦争』を描いた漫画です。第二次ポエニ戦争というのは、紀元前200年頃に地中海沿岸に位置していた『共和政ローマ』と『カルタゴ』の間で起きた戦争です。この戦争は第一次、第二次、第三次と、計三回にわたって行われ、結果的に海洋貿易国家カルタゴは滅亡の一途をたどりました。このポエニ戦争は、世界史の教科書では一ページにも満たない、約三行ほどでしか語られていないのですが、調べてみたら意外と奥が深いものです。 現在このような形で世界史べーた(仮)様に所属して活動をさせてもらっていますが、実は私は一年ほど前は、文化史なんてもってのほか、歴史が大っ嫌いな人間でした。おそらく学生時代に古代史、中世史でつまずいてしまったのが原因だと思っています。ですがある時、Youtubeにて、この漫画でも登場する、『ハンニバル・バルカ』について語った漫画動画を目にしました。そして、私は少しですが、このポエニ戦争に興味を持ちました。そしてネットでこのポエニ戦争を描いた漫画、アニメはないものかと探していた中出会ったのがこの漫画でした。この漫画は、私の歴史好きへの扉を開いた漫画と言っても過言ではありません。今でも何度かこの漫画は読み直しています。 と、これ以上語ったらネタバレを漏らしかねないので、今回はこんな感じで締めようと思います。ご視聴ありがとうございました。 とても面白い漫画ですので、皆様も是非読んで見てください!! お相手は、作曲家:スティーヴでした。

日本の「インダストリアル」revolutionと「インダストリアス」revolution

日本の「産業革命」  皆さんは、「industrial revolution」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本語に訳せば「産業革命」です。  「バカを言うな、それくらい誰だって知ってらぁ」という声が聞こえて来そうですが、ちょっとばかしindustrial revolutionの話を聞いてってくだせえ。  「それはいいけれど、英語にしてるのがしゃらくさい」ですって? それにもちゃんと超重要な意味がありますから、しばしお付き合いをば。    さて、皆さんは、「産業革命」と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか。機械の導入、飛躍的な生産効率向上、労働者の誕生……  おそらくは「革命」という言葉に引っ張られて、まるで天地がひっくり返るかのような大転回をイメージしがちなのではないかな、と思います。しかし、この世の大概の物事については(クソデカ主語)、「革命」などと大上段から論じるのはナンセンスと言わざるを得ません。  むしろ、緩やかな、しかし着実な変化にこそ注目しよう……というのが、近年の政治史や経済史研究の潮流なのです。  極端な話になると、いわゆる産業革命否定論なんてのも出てきますけれども、とりあえずのところ、本稿では少なくともその時代に起きた進歩の行程は肯定してあげましょう。行程だけに。 在来産業「私のこと、忘れちゃった……かな。あはは……私、影薄いもんね……」  では、そのindustrial revolution、「産業革命」というやつはいつ日本で始まったのでしょうか。ほとんどの人は、明治期だろうと答えると思います。事実として、この時期の殖産興業政策などを経て、日本には機械化の波が押し寄せてきました。その結果、有名な富岡製糸場なんかがにょきにょき生えてくるわけです。    しかして、皆さんがイメージするような、でっかい機械がガッコンガッコン動くような工場労働というのを、みんながみんなやっていたわけではありません。  この辺りはマルクスファンクラブの皆さんが喧々諤々の議論をやっていらした分野で、彼らが言うには工場での機械工業の前に、「マニュファクチュア」(工場制手工業)という段階があるという話になっています。で、さらに彼らの議論を紹介するのですが、日本は幕末期には「厳密な意味でのマニュファクチュア」に達していたのではないかと言います。  厳密がどうこうってのについては神学論争が掃いて捨てるほどあったのですけれども、ともあれ、幕末期に一部では工場制手工業が見られていたのは事実です。    もしかすると勘の良い方は気づかれているかもしれませんが、この「一部では」という文句が重要です。というのも、結局のところ、「いっせーの」で工場が降ってきたり、機械がぽこじゃか湧いてきたりするわけがないんですよね。ファンクラブの方々が「マニュファクチュア」よりもさらに前段階だとしていた家内工業までも、明治期以降も随所にみられるわけです。なんなら、大隈財政期ころならば、工業製品の大部分は江戸期以来の技術によってつくられていたのです。    日本経済は、工場で機械を動かすような近代産業と、旧来の在来産業が併存しながら発展しました。在来産業は読んで字のごとく江戸期から存在した産業ですから、私たちが注目したい対象そのものです。  それでは、近代産業は江戸期からの連続性がなく、西欧からどんぶらこ、カイコクシテクダサーイとやってきただけのものなのでしょうか。もちろん違います。そこには江戸期からの連続性ももちろんあります。    それこそが、日本における近代産業発展の要因の一つ、industrious revolution(勤勉革命)なのです。 ただの言葉遊びなんだ。すまない  賢明な読者の皆様は既にお気づきのことかと思いますが、速水らが唱えた「industrious revolution(勤勉革命)」の「インダストリアス」は、「industrial revolution(産業革命)」の「インダストリアル」にかけているのです。だから、私は先ほど「超重要な意味」があると述べたのですよ。    ……あんまりこんなことをやっていると、そのうち批判的なトマトがカイコクシテクダサーイと飛んで来そうですので、本題に行きましょう。  速水らの主張は次のようなものです。  江戸期には、長時間の労働を行うことで生産量を高めるという「勤労」が、人々の間に広まりました。これは彼らが「独立した経済主体として行動し得るようになった」ことによるものであり、より具体的には、生産量を高めることで生活水準を高められる、という信頼が生まれたことによるものです。    何を当たり前のことを、そんなのオセアニアじゃ常識なんだよ! と仰る方もいるかもしれません。  たしかに、私たちはふつう、働けば働くほど豊かになると信じています。もちろん部分的にはそうでないこともありますが。たとえば3人分の仕事がなぜか1人に押し寄せているとか、それを下手に頑張っちゃうと補充が来ないとか……  んんっ、ともあれ、少なくとも社会の大部分にはその信念が成り立ちます。成り立つことにしておいてください。成り立たなかったら悲しいので。  ところが、前近代の、とくに農業セクターでは必ずしもそうではありませんでした。  というのも、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るもの」などと言われたように、農業従事者のもとには最低限を残して、それ以外を全部年貢でとってしまう、というようなシステムも珍しくはなかったのです。    しかし、近代に向かうにつれ、「勤勉革命」が起きてゆきました。  そのためのひとつの画期は、速水らも提示している「定免法」の導入です。  それまでの、生産量に応じて年貢量を決める「検見法」に対して、毎年一定量の年貢を取るシステムを「定免法」といいます。すなわち、米俵で10俵と年貢が決まっていれば、15俵収穫しても、20俵収穫しても、あるいは100俵収穫しても、10俵以外は全部自分のものにできるのです。    これは経済学者の大好きな「インセンティブ」(動機)というものに他なりません。定免法は生産量を増やすインセンティブとして機能したと考えられています。  そして、生産量を増やせば、余分な分を生活水準向上に使ったり、あるいはさらに翌年の生産量を増やすための肥料を買ったり、なんてこともできるようになるのです。そこで、先に述べたような、「生産量を高めることで生活水準を高められる」という信頼が生まれます。これが「勤勉革命」です。    維新後の近代産業導入の中で、「勤勉革命」は様々な形で表出します。たとえば職工の勤労はわかりやすい例でしょうし、あるいは庶民の教育への意欲もこの文脈に位置づけられるかもしれません。  既成の経済成長モデルであるSolow-Swan modelなどは、もっぱら資本蓄積と技術進歩(と人口)に着目しますから、速水の労働力の投下への着目は非常に鋭い指摘だったのです(と私は思います)。 まとめにかえて  今回は、主に「産業革命」前後の連続性に着目して論じました。ただし、私が「一部」や「~もある」という言い方を繰り返してきたように、これらは連続性「だけ」で語れるものでもありません。そこには断絶だって存在しますし、さらには連続性と断絶性がミックスされたような分野もあります。  経済は複雑なのです。それを言っちゃあおしめえよ、という感じですが、論文一本や書籍一冊なんかで語り切れるものでは到底ありません。いわんやこんなブログをや。  けれども、他のブログでも言及したと思いますが、それを理解した上でどのような視角で見るのか、というのが大切になってきます。… Continue reading 日本の「インダストリアル」revolutionと「インダストリアス」revolution

やあやあ!我こそはロレンス(中略)なり!!!

はじめに お久しぶりです。ニケ月ぶりくらいですかね?   なんか二ヶ月の間に同人誌即売会に二回ほどサークル側で参加していたらいつの間にかこんな時期になっていました。なんか早いですね、時が経つのって   ちなみに9月にも即売会に出る予定です。会場でジークさんと握手だ!!!   そんなことより、動画の話をしよう そうです。動画の話ですよ。   といっても前回は第一次大戦序盤、発言力が無かったばっかりに傍観者でしかなかったロレンス君。 それが今回では、自信のあるアラビア半島でのゆめ作文が思ったより評判が良く、本人は不本意ながらもアラビア半島へ行くって感じですね。   ちなみに、動画では尺の都合でほとんど触れていませんけれど、ロレンスがアラビアでフサインの息子たちに会っている間、どっかのカエル国家が虎視眈々とアラブの土地を狙ってたり狙ってなかったりするんですよね。 そして、そんなカエル君の右手には悪名高き英国三枚舌外交の産物「サイクス・ピコ協定」が……   この時期になってくると同盟国である英国ですら眉を顰めるほどフランスのアラブに対する領土欲が露わになってきます。なんせ本土の北部がジャガイモ国家と地下足袋だけになって泥遊び(総力戦)してたら砲弾や毒ガスまみれでもうめちゃくちゃですからね、その補填としてオスマンの土地を欲しがったのでしょう。知らんけど。   そのせいでロレンスもなかなかに妨害されたりされなかったり……(ここら辺も動画に出せたらいいな。多分無理)   そんなわけで、恐らく次回にはロレンスの解説動画も完結になる予定です!   ……終わるよね?   終わらなかったら7月も画面の向こうでジークさんと握手だ!!!!!

世界史べーた(仮)GW企画全3弾

GWを世界史べーた(仮)のメンバーと楽しみましょう! 世界史べーた(仮)では、このGWにみなさまに歴史と世界史べーた(仮)に少しでも興味を持っていただくために3つの企画をご用意いたしました!GWに少しでも時間があるなというあなた!世界史べーた(仮)の企画を覗いてみませんか?   GW企画第一弾 4/30 21:30~24:00(予定) 【ネタバレあり】マーダーミステリー『エドワーズ伯爵家の使用人(サーヴァント)〜5人の憂鬱な使用人〜』をメンバーとプレイ!【チレキスキー(探偵)視点 ↓↓↓会場リンク[当日開始時間より有効]↓↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=8KuSbbfP0gU   このブログをご覧のみなさまは、近年流行している「マーダーミステリー」なるものをご存知ですか? 日本語訳そのままのようですが、殺人事件を題材としたゲームになります。メンバーが推理小説の登場人物になりきって、とある殺人事件の謎を議論していくのですが、なんと、このメンバー達には他の人に知られたくない秘密や思惑があって……? べーたメンバー達は果たして犯人を見つけることが出来るのか? 19世紀ヴィクトリア朝について解説してくれるのか? 乞うご期待ください。   また、今回使用させていただくシナリオはnekozedou(猫ゼ堂)様の以下のシナリオブックになります。 【英国マーダーミステリー】エドワーズ伯爵家の使用人〜5人の憂鬱な使用人〜 https://booth.pm/ja/items/3519137     GW企画第二弾 5/1 21:00~22:00(予定) 【世界史べーた】歴史好きたちのフリートーク! 中世イングランド編【歴史雑談生放送】 ↓↓↓会場リンク[当日開始時間より有効]↓↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=QouSMNz8AKo   みなさんは中世イングランドはお好きですか? お好きですよね。中世イングランドといえば、教科書の知識だと国王の権限を制限したことで有名な「マグナ・カルタ」やジャンヌ・ダルクが活躍した「百年戦争」、「ペスト」の流行などが浮かぶでしょうか。今回はイングランド大好きメスキィタさんをMCとして世界史べーた(仮)メンバーが中世イングランドについて語ります。みなさまもどうぞ、好きなイングランド国王の名前をメモして放送にコメントをいただければと思います。   GW企画第三弾 5/3 19:00~23:00(予定) 【EU4 マルチプレイ生放送】三十年戦争チャレンジ! オーストリア視点【世界史べーた(仮)】 ↓↓↓会場リンク[当日開始時間より有効]↓↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=LCmT1Y1fzGY   ※EU4が初めての方は画像に説明がありますのでご覧ください。 今回は三十年戦争が舞台ということで、簡単に三十年戦争についておさらいさせていただきます。主にドイツ(神聖ローマ帝国)で1618年〜1648年にかけて戦われた宗教的・政治的な戦争が三十年戦争と呼ばれています。(最も、30年間ずっと戦い続けていた訳ではなく、休戦や和平を挟みながら何度も戦争がありました)神聖ローマ帝国内のプロテスタント派の貴族達がカトリックを強要する神聖ローマ帝国に反発した宗教対立をきっかけに、ヨーロッパ各国が介入してくる戦争になります。 と、史実ではこのような流れになるのですが、必ずしも史実通りにならないのがEU4の世界だそうです。 EU4はどこの国から始めるかを選べるゲームということで、べーたメンバーがどこの国を選び、どんな選択肢を選んでゲームを進めていくのか、是非真相はその目でご覧になってください。   まとめ 気になる企画はありましたでしょうか? いつもの人物解説や企画動画とは毛色の違う、ゲームや雑談メインの少しゆるっとしたどなたにも入りやすい内容になっているかと思います。 是非、GWは世界史べーた(仮)の動画を見てみてくださいね!  

ブラックジョークの万国博覧会!?「ポーランドボール」について

人類の進歩と調和これは1970年の大阪万博で称えられたテーマです、この標語が掲げられたEXPO’70を始めとした大規模な国際博覧会は5年に1回の文化の進歩が一同に会する貴重な行事なのだそうです。   一方でインターネット上では擬球化した国のイラストで人類の進歩と調和を目指した軌跡である人類の軋轢と闘争、そして世界に存在するあらゆるお国ネタを風刺気味に描くジョークの万博博覧会「ポーランドボール(PB)」が開催されているのです。   まずは世界の国々がカントリーボール(擬球化した国)となった姿を見てはいかがでしょう 中欧の小国、リヒテンシュタインのPB化イラスト(ぴらʓくさん twitterid @tqwu1atsyhvq8b2 より) 普通にかわいいと思います。 南洋の島国、パラオのPB化イラスト(あいのさん twitterid @AInoo1124 より) 元々の国々とは離れた二次創作イメージが発展する場合もあります アメリカのPB化イラスト、50個の星が省略されています ポーランドボールはアメリカはサングラス、イギリスはシルクハットなど各国家のステレオタイプアイテムと共に描かれます   じゃあ結局「ポーランドボール」ってどんな作品があるの? と言われた際の最適解は「何でもあります」となるのではないでしょうか 上のあらゆる「お国ネタ」を風刺気味に描くとの様にその話題のレパートリーはそれはアレクサンドリア図書館を凌ぐほどで枚挙に暇がありません、例えば記憶に新しい英国のEU離脱は多くのイラストのモチーフとなりました ブレグジットのPB化イラスト(ぴらʓくさん twitterid @tqwu1atsyhvq8b2 より)   ポーランドボール以前にもお国柄を題材にしたエスニックジョークが存在しましたが、そんなお馴染みネタもPBの国々が登場するとマンガとしてすらすらと新鮮に読めてしまいます 英中米伊の食文化と国民性ジョークのPB化イラスト(匿名希望の方より)   ここまでご覧いただいて「言う程ブラックジョークか?」とか「タイトル詐欺ぢゃん」と申されたい方々、ご安心ください このポーランドボール、なまじ先鋭的な風刺や皮肉を描いてもまろやかに見えます、そのお陰で発展してきたポーランドボールの多様性は今や文字通りタブーがない領域へ達したので近年話題の政治的正しさに背反する概念となっております (youtubeの方ではブラック強めのPB動画があるので何でも許せる方は……)   かわいいカントリーボールに癒されたいな方も際どい皮肉で自身の懐の深さを確かめたいな方もそれぞれの好みの作品や創作から世界の文化や歴史を覗いてみてはいかがでしょうか

男いのっち一人旅! in 鎌倉 その3(お墓参り編)

さあ前回のブログ(リンク)の続きです! 約1か月ぶりの続編投稿になってしまい大変申し訳ございません💦 「鎌倉弾丸旅行記」は今回がラストになります!✨   「鶴岡八幡宮」の正門をくぐると正面に広がっているのは参道にあたる「若宮大路」です(何故か写真紛失という大失態💦)。 因みに大路の中央、一段高くなっている歩道は「段葛(だんかずら)」。頼朝が妻・政子の安産祈願の為に御家人たちに築かせた道が原型になっているそうです。   因みにこの「若宮大路」、ただの一本道というわけではなく、八幡宮側に近づくにつれて「道幅が狭く」なっております。「遠近法」を利用して実際以上に距離を長く見せているとか。ほえ~   それはさておき、一旦八幡宮の東側に徒歩で向かいます。「頼朝時代の御所(大倉幕府)」があった方向ですね(現在は小学校になってます♪)。   というわけでまずは「源頼朝」のお墓(いきなりのビックネーム)! 住宅地の奥にある丘の上、そこまで目立つ場所ではなかったのですが、大勢の観光客の方がいらっしゃってました。大河パワー恐るべし!✨   更にその付近には「北条義時」や「大江広元」など御家人たちのお墓がありました! 反抗的な御家人たちが多い中(ドラマ設定)、頼朝を献身的に支えている御二方は、今でも鎌倉殿の側で眠っているんですね♪ 主人公の義時は勿論、広元もドラマ終盤まで活躍する重要人物ですのでこれからの活躍に注目です!      さあ、次は八幡宮を挟んで反対側(西側)に徒歩で移動します。そろそろ足が悲鳴を上げ始めました…💦   次の目的地は鎌倉五山の第三位「寿福寺」です。 「北条政子」が、頼朝の父「源義朝」の館があった場所に建てた禅宗のお寺です。(例によってコロナの為に御朱印は頂けませんでした…) このお寺には「北条政子」とその次男「源実朝」のお墓があります(裏手の山腹)。頼朝と違う場所にお墓があるのはちょっと意外でしたが、息子と一緒なら寂しくないでしょうね。 頼朝夫婦は八幡宮を挟んで東西から今でも鎌倉の街を見守っているのでした(しみじみ)。     最後に徒歩で向かった(本日最長の距離)のは、有名な「鎌倉大仏(高徳院)」です。 鎌倉を代表する寺院ですが、実は誰がどういった経緯で建立したのかよく分かっていないミステリアスなお寺だったりします(鎌倉時代に建てられたのは間違いないようです)。 あと現在大仏様は野ざらしですが、かつては大仏殿があったそうです。    この時点で足は限界、時間も迫っていましたので今回の「鎌倉弾丸旅行」は終了となりました💦(心地よいクタクタ)。   それぞれの場所は巡って歩き回る間にも「和田義盛」や「畠山重忠」など大河ドラマにも登場する人々ゆかりの地を偶然発見するなど、街中至る所が歴史を感じる場所で、九州民の私としては非常に貴重で楽しい時間を過ごすことが出来ました♪✨   実は、今月末に再び関東への出張が決まっておりまして、その際はまた「旅行記」のようなもの執筆できればと思っています。   それでは今回はここまで。   最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました!✨ 〇(><)  

道真第二回の参考文献と、寛平遣唐使問題の諸説

文人官僚の限界を超えて♪ 道真は来たんだよ  おひさしぶりです。「みっちざねにしてあげる♪(してやんよ)」という曲(捏造)が頭から離れない※(米印)です。    菅原道真解説の第二回、ご覧いただきありがとうございます(見ろよ、という圧)。  さて、今回は文献紹介と補足解説を行っていきます。前回も言いましたが、私は平安期日本史の専門家ではありませんので、参考程度にしてくださいね。   参考文献紹介 渤海使関連   上田雄(2004)『渤海国 東アジア古代王国の使者たち』講談社学術文庫。 ※文庫本なのでお手軽。渤海使の基礎情報はほとんどこれが網羅しています。ちなみにこれは1992年の『渤海国の謎 知られざる東アジアの古代王国』(講談社現代新書)を元にした本なので、どっちかが見つかればぜひ読んでください。   古畑徹(2018)『渤海国とは何か』(歴史文化ライブラリー 458)、吉川弘文館。 ※渤海の国自体についてはこれがおすすめです。ただ、渤海使についてはそこまで詳しく扱っていないのです……   上田雄(2002)『渤海使の研究 日本海を渡った使節たちの軌跡』明石書店。 ※専門書です。各回の渤海使(違期入朝含む)を詳細に記しています。ちなみに都言道くんの下心もこれのおかげで知りました。   寛平遣唐使問題 渡邊誠(2013)「寛平の遣唐使派遣計画の実像」『史人 5号』広島大学大学院教育学研究科下向井研究室。 ※論文です。増村~石井の議論がよくまとまっています。寛平遣唐使問題に興味を持った方はまず読んでみてください(リポジトリに公開されているので無料で読めます)   石井正敏著、村井章介、榎本渉、河内春人編(2018)『遣唐使から巡礼僧へ』(石井正敏著作集 第二巻)、勉誠出版。 ※石井の論文集です。「いわゆる遣唐使の停止について」と「寛平六年の遣唐使計画について」、それから「寛平六年の遣唐使計画と新羅の海賊」が寛平遣唐使問題を扱っています。「いわゆる~」は「其日」問題、「~新羅の海賊」は「新羅賊」説まわりの否定なので、もし個別に論文を探すなら「~計画について」(道真の二つの文章の読解)をどうぞ。   増村宏(1988)『遣唐使の研究』同朋舎出版。 ※結構古いですが、だいぶ先進的な議論を行っています。ただし、他説批判がメインなので増村自身の説は見えにくいかもしれません。だいたいの古い説は「増村を見ろ」で終わります(え   滝川幸司(2019)「菅原道真と遣唐使(一) 『請令諸公卿議定遣唐使進止状』『奉勅為太政官報在唐僧中瓘牒』の再検討」『詞林 65』大阪大学古代中世文学研究会 滝川幸司(2020)「渡唐の心情は詠まれたのか 寛平の遣唐使と漢詩文」『語文 115』大阪大学国語国文学会。 ※滝川先生の論文です。直前までこれに気づかずに作ってしまって、「まぁどうせそんな変わらんやろ」と読んでみたら論理でぶん殴られてしましました。上のやつはweb上で公開されてますので、ぜひ読んでみてください。   道真の再検討要請の理由の諸説(紹介しきれなかったもの) 鈴木靖民の「新羅賊」説  石井らが否定。そもそも、史料を素直に読めば道真が理由にしたのは「唐に着いてからの困難」だったはずなので、唐に着く前(渡航)を問題にするのはナンセンスだと私は思う。   「大義名分説」や「社会経済説」などなど。  増村によくまとまってるからそっちを読んでください……でよろしいでしょうか。早期の説なのでちょっと……   「藤原氏陰謀説」  藤原氏が道真を遠ざけようとして、というのは明らかに無理筋。ただし、個人的には、本編で述べたような「意思疎通不足」は陰謀に求めることもできなくはないのかなと思ったり。というのも、道真は結構全方面から嫌われていたので(悲しい)、宇多の近臣に道真を疎む者が居てもおかしくはない。ただ、あえて陰謀があったと考える必要性は薄いと思う。   ほか、私の個人的な雑感  滝川は遣唐使再検討の根拠は「中瓘の録記」と断じているが、個人的には早計な感がある。道真が個人的に持っていた伝手を辿ったり、(場合によってはあまり公にできない)商人などから得た情報をもとにしていた可能性は考えられる。その場合は森説に近いものがあるのかもしれない。  ただ、中瓘録記未読説を取らないなら、中瓘の録記で既に渡唐停止を勧めているわけで、それ以上に何か決め手となる情報とは一体なんぞや、という疑問は残る。やはり本編で出したようなコミュニケーション不足に求めた方が無難な気が……しかし根拠はないわけで。やっぱりわからん。        今回は寛平遣唐使問題をかなり深堀りできたと思います。たぶん最新研究とそこそこ同じ景色が見られているのではないかと。ただ、そのせいでちょっと次回の目途が立っておりません……6月に投稿できたらいいなぁ……(そして今回に比べたら薄味でも許して下さい。むしろ今回が異常なんです)