超ゆるいフランス旅行記

パリに行ってきました   皆様いかがお過ごしでしょうか?現在10月25日21時49分、私は今、夕食後の満腹感を味わいながらこのブログを書いています。実は、私は9月の下旬にフランスの首都、パリへ行ってまいりました。今回は旅の中で書いた手記を紹介したいと思います。元大関、鳴門親方のブログを見るような感覚でお読みください。     日記 1日目 機内食うまい。クリームキノコソースが最高。うま味がやばい。ソーセージの肉々しさが凄い。ヨーグルトの全てが甘い。フルーツが新鮮だった。 シャルル・ド・ゴール空港の周りがマジでなんもない。草原、畑、林しかない。滑走路もでかい。そりゃコンコルドも飛ばせるわ。 なんかいい匂いがする。野花の匂いかな?多分香水だな。   解説:調べてみたらシャルルドゴール空港は羽田空港の2倍の大きさだそうです。     2日目 路上喫煙パーティだな。いいなぁ。火の貸し借りが結構軽い。 パリは左岸がいい。落ち着く。なんか黒人の方が親切な気がする。 ベジタリアン食うまい。やさいの出汁が効いてる。 解説:この日の昼食はパリ左岸「Torre di pizza」のイタリア料理店に行き、ベジタリアン用の野菜パスタを食べました。昼間は空いていますのでお勧めです。     3日目 バスが広くて助かる。 ベビーカーと一緒にバスに乗る人がおおい。 メトロに広いスペースはない。メトロでベビーカー持ってきている人いて大変だな。 レストランの親父がいい人だった。凄い嬉しい。でも量が多いわ。残してごめんね。 解説:夕食はホテルの近くのレストラン「Madame Gen」に行きました。店員さん全員がとても親切でしたので近くに行かれる際はお勧めします。     4日目 マツケンサンバを聴きながら迎えるパリの朝は格別。思ったよりおしゃれな人少ない。 オランジュリー美術館最高。モディリアーニ良か。セザンヌいっちゃん好き。 メトロ快適。治安は案外大丈夫。   解説:美術館系は当日券を買うにはすごく時間がかかることが多いので、有名な美術館はネット予約がお勧めです。     5日目 バス停に立っていた人がチェンソーマンのパーカー着てた。しかもアニメ版。理解かっている奴がフランスにいたとは。 シャルル・ド・ゴール空港の出発ゲート豪華すぎる。椅子が豪華すぎてビビった。ここがエコノミーが待つ席だと思えなかった。 出発ゲート内の売店で、本のコーナーの3分の1がフランス語訳された日本の漫画だった。なんか嬉しい。 解説:本のコーナーでは「ブルーロック」が一番目につく位置に置かれていました。サッカー大国のフランスで、日本サッカーの話が人気になるんだと驚きました。

紅毛城、台湾北部の要塞

ふらふらと散歩に行ってきましたので軽いお話をさせてもらいましょう。 地元にもいろんなお城がある私ですが、たまには遠くの城でも見に行こうと思い、行ってきました「台北」に!! 紅毛城は17世紀にスペインが1632年にサント・ドミンゴ城(聖多明哥城)を台湾北部(現在の新北市の淡水地区)に建築したのが始まりと言われます。なんかちょうどいい拠点が東シナ海に見つからなかったからできたらしいです。ついでに淡水は台北盆地への入り口にあたり、現在でも交通の要衝です。海巡署分署は現在も淡水にあり、淡水河は台北に至る重要な道でもあります。台北に入る船を打ち払うこともできる高台に築かれたわけです。しかしフェリペ2世のいないスペインは弱く、世界最初のヘゲモニー国家として語られるネーデルラントが1642年に城砦を占拠し、アントニー要塞(安東尼堡)として1646年に生まれ変わります。この当時建築された部分は鮮やかな橙色の部分で、手前煉瓦部分は日帝時代らしいです。 1662年、今度は鄭氏が台湾を征服し、本格的に漢族の入植がはじまります。漢族は西洋人を紅毛と呼ぶものですからこの城も紅毛城と呼ばれるようになりました。その後鄭氏は清朝に帰属しますがそのころから城は多少使われもしますが放棄されます。そして19世紀、アロー戦争の講和条約、1858年の天津条約により淡水が開港され、英国領事館がこの要塞に入りました。二回の出窓みたいなところはイギリス時代の増築のようです。 領事のお部屋 その後日本が台湾を占領すると改めて日本と交渉して領事館を設置し、戦後には在中華民国領事館として機能します。1972年に中華民国は日本をはじめ各国と国交断絶し、領事館の役割を終えました。アメリカやオーストラリアの管理を経て1980年に返還、84年に公開施設となった歴史があります。 そんな歴史のあるお城にふらふらと行きましたが、お城っていうのはどこも高台にあるものでして(小諸城などは例外)、軽い運動にはもってこいなところです。 近くには清仏戦争の頃に使われた清軍の砲台跡もあり、うろつくにはうってつけな場所でしょう。城は地形とセットと思いますが、それもよく感じられるところでした。

小樽旅行記……?

小樽に行って来ました  お疲れ様です。※(米印)です。  タイトルの通り、ちょっと前に小樽旅行に行っておりましたので、そこで見かけた面白かったものなどをば。    ……え、なんで小樽に行ったのかって? 気になります? 気になっちゃいます? そっかぁ、仕方ないなぁ(ウザい)  もちろん!!!! 小樽潮風高校プロジェクトです!!!!!    まぁ、小樽六花要素はこの画像程度のレベルなので、小春六花を“まだ”知らないという人も気軽に見て行ってください。 (これがなぜ小樽六花要素なのかすぐにわかっちゃった人はちょっと異常なオタクです。反省してください)   小樽旅行だと言ったな。アレは嘘だ  まず紹介するのは北海道開拓の村です。  札幌の東の方、野幌森林公園のとこにあります。小樽ではない。  だってせっかく北海道に行ったらいろいろ行きたかったんだもん……    ともかく、ここはまぁやべーとこでして。当時の建物を再現×内部に史料を展示、という見るべきものしかない最強の布陣。公式サイトに「最低でも2時間以上のご滞在をお勧めします」とか書かれるレベルです。  ちなみに2時間じゃまったく足りません。歴史オタクなら丸一日の滞在をお勧めします。  あ、そうそう。近くに北海道博物館もあるんで、そちらもぜひぜひ。   旅行記に書くことがそれか?  次はこれ! これマジで性癖に刺さりまくりました。  小樽市役所内にあったポスターです。一見して何の変哲もない、北海道新幹線開業のポスター……しかし、実はとんでもない秘密があったんです。  「新幹線」と「開業」の間、なんだか不自然な空白がありませんか? 拡大してみましょう。  完全に手作り感満載で超かわいい……だけじゃありません。勘の良い方はポスターを見た瞬間に薄々気づいていたんじゃないかと思いますが、ちょうどこの4文字分の下に「まもなく」があったはずなのです。  古いポスターを、うまいこと時間がバレちゃうとこだけ手作りの紙で隠して使い続けるやつ、私の性癖ど真ん中です。本当にありがとうございました。   Q. 神を信じますか? A. 小樽で見た  さすがに異常性癖を出すのはあれっきりです。お次は住吉神社。そこそこ王道な観光場所のはず。  神社にお参りといっても、私にはさして願い事もなく。  私はなんとなしに「六花のことをよろしくお願いします」と拝んでみました。    するとどうでしょう。賽銭箱がひとりでに音をたてたのです。  そりゃもちろん、単なる偶然と言えばそれまでですけれども、私にはもう神様からのお返事にしか聞こえませんでした。  私だって、あんな可愛い子のことをお願いされたらついつい「もちろんいいよ、めっちゃやるわ」って賽銭箱の一つや二つ揺らしてしまいそうですからね。    ほんとうに、六花は神様に守られているんだなぁと感じました(スピリチュアル系に染まる親並感)   オタク、いますぐに龍宮神社に行け  続いても神社、榎本武揚ゆかりの「龍宮神社」です。  ちゃんと「武揚建立」と……ちょっと待って!? 画像左の幟!  なんかかわいい子がいる!(ちょい別の場所ですが)  境内のあちこちにこの子がいました。しかも別のバージョンもある。かわいい……    しかもこの子、オリキャラなのだそうです。熱意が凄い。  オタクも今すぐ行け。いや小樽旅行の際にはぜひお立ち寄りください。小樽駅から徒歩5分です。   実は観光がメインではないんだなこれが  これだけ見るとなんかめっちゃ遊んでる感じなんですが、実は結構な量の時間を図書館と文書館に費やしてました……  まぁどっちも調べようと思ったきっかけは六花なんで、だいたい遊びみたいなところはある。  まず、榎本武揚の取材について。  この前、私は榎本武揚動画を出したわけですが、ご覧になりましたか? なりましたよね? 見たって言え。  ともあれ、この動画のためにちょっと色々資料を集めるなどしていました。  参考文献欄にあるものだと、小樽市総合博物館紀要や、『志蘇る』は小樽で手に入れた資料です。他にも使わなかっただけで結構コピー機と格闘したものがあったりなかったり。… Continue reading 小樽旅行記……?

グラント大統領の記念碑を上野へ見に行こう

上野公園の南北戦争スポット!? 読者の皆さんは上野恩賜公園を訪問した事があるでしょうか? 博物館や動物園で有名な公園ですが、このブログを書いている3月末なら桜が見頃なお花見の名スポットでもあります。 しかしこの公園、日本では数少ない(?)米国史を感じられる場所となっています。と言う事で今回は南北戦争を北軍の勝利に導き、戦後に大統領を務めたユリシーズ・グラント、彼の訪日を今に伝える上野公園の植樹碑訪問ブログです。 この記念碑自体への行き方は結構簡単、上野駅公園口から直進して動物園正門の前で左手に見れば到着です。   ただし結構ひっそりした見た目なので、そこは注意かもしれません。記念碑のレリーフは中央はグラントの肖像、左右に英語と日本語で植樹碑設置の来歴が記されています。 (日本語の碑文は塗装が消えかかっててちょっと読み辛い……)       グラントと言えば1865年に北部の勝利で幕を閉じた南北戦争で北軍の最高司令官に上り詰め、南軍のリー将軍を破り一挙に英雄となった人物です。その後1868年の大統領選に参戦すると、対抗する民主党の候補を獲得選挙人で大差を付け当選し第18代大統領として8年勤めます。 (彼が任期中に取り組んだ南部の再建も南北戦争後の重要な出来事でした) 1877年に大統領任期を終えたグラントは世界各国への訪問へ出発、1879年には日本を訪問し明治天皇への謁見を行い、足を延ばして日光へも訪れました。そしてこの訪日の際に記念植樹を行った場所の一つがこの上野公園なのです。 ちなみに肝心の植樹した木は記念碑から左に向くと今でも姿を確かめられ、二本のうち左側はグラント夫人による泰山木で、右側がグラント本人による檜です。そして明治時代に植樹された由縁が時代と共に薄れる事を憂いて昭和4年に記念碑が建立されました。 今回の訪問記はこの辺で終わろうと思いますが、有名な文化スポットが並び立つ上野で公園に佇む銅像や記念碑にも、普段は意識しない由緒が見つかるかもしれません。  

海鳥腰慰安旅行 ~in 湯田温泉~

皆様お疲れ様です!海鳥です! 先日、私のサークルで旅行に行きました。今回はJR西日本さんの「サイコロきっぷ」を利用しての旅行でした。 「サイコロきっぷ」とは、5000円で新大阪から西日本各地の決められた場所への往復切符が手に入る切符です。今回の目的地には福岡県「博多」、島根県「出雲」、山口県「湯田温泉」、石川県「加賀温泉」の四か所でした。 いざサイコロ! さぁ回すぞ!とのことで 私ともう一人で回し、私が「出雲」。もう一人が「湯田温泉」でした。 温泉好き二人は迷わず湯田へ。まさかの一週間前に決定。金無し二人による限界旅行が始まりました。 旅一日目 集合は新大阪。マジで毎週新幹線乗ってる生活を過ごしているおかげか、集合はすぐでき二人で喫煙所へ。 紫煙を交えつつ近況報告を済ませ、我々はホームへ。 ヤニカスの海鳥の為に指定席は喫煙ルーム目の前に。最高な気遣いである。 新山口到着!! 新山口について時刻は12時過ぎ。新山口で一度改札を降り昼食へ行きました! 私はピザを、連れはステーキを注文し、昼からのお酒で気分は最高!いざ湯田温泉へ! ところが… 車社会山口が我々に牙を向けました。 なんと次の列車は一時間後。新山口周辺で遊べるようなところは見つけることができませんでした… 逆方向!防府へ! 私たちはとりあえず防府へ向かいました! 防府といえば「防府天満宮」! 防府天満宮は「日本最初の天神さま」と言われています。 防府天満宮が祀っているのが菅原道真公 時は平安時代。承和(じょうわ)12年(845年)~延喜(えんぎ)3年(903年)を生きた平安貴族であり学者、漢詩人、政治家だったそうですね。 昌泰4年(901年)、時の権力者藤原氏によって無実の罪を着せられ、九州大宰府へ左遷されることになりました。その2年後、大宰府で薨去されました。 その後、都では天変地異が続き左遷にかかわった人々が次々に亡くなりました。このことから人々は「道真公の怨霊の仕業に違いない」といい、京都で神として祀られたらしいです。今の北野天満宮ですね。 「いや、じゃあここいつできたねん」って話ですけど。道真公が薨去された翌年にできたみたいですね。 道真公は、九州大宰府への西下の途中、時の周防国(山口県)国司である土師氏(道真公と同族)を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に到着。 「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」(解釈:この港を出発すれば次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。願わくはここ松崎の地に住まいを構え「無実の知らせ」を待っていたい。) と願い九州へ向かったそうです。そしてそれから二年後、道真公が薨去された丁度その日、府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせたそうです。 国司を始め里人たちは道真公の御霊魂が光となり雲となって「此地」に帰ってこられたと悟り、翌年の延喜4年(904)道真公の願われた通り、御霊魂の「居」を「この所」である松崎の地に建立して「松崎の社」と号したのが始まりだそうです。 これで私は「太宰府天満宮」、「北野天満宮」、「防府天満宮」の「日本三大天神」すべてへ訪れることができました! なんだかんだ忙しくて行けなかった初詣ということで、おみくじを引かせていただきました。 おみくじ「恋愛:ちょっと待ちなさい」 いやいやいや、ちょっとまて。そんな直球あんの!?マジで笑いましたわ笑 これ以外は普通で「今年も努力しましょう」って感じだったので頑張りたいと思います! そして我々はホットチョコで体を温め湯田へ… 湯田温泉到着! もうマジで最高でした。 温泉大好き海鳥ちゃんたちは即温泉へ!温まりながらここまで来て一生サークルのことを話し続ける物好き二人。のぼせかけたころ我々はお湯から上がり、居酒屋へ! 鯨や馬刺しなどを食べながら酒を飲み交わし、またサークルの話。 もうめちゃくちゃよかったですね。 これだけで終わるはずもなく二軒目へ… 記憶ないです。   旅二日目 なんだかんだ朝早起きすることができました。速攻朝風呂へ向かい、ホカホカになった後「狐の足あと」へ向かいました。 この悪魔配合を食しました。 プリンもお酒もめちゃくちゃおいしかったですね! 一階には中原中也のコスプレがあったのでパシャリ 帰るわよ 新山口へ戻りまた居酒屋へ… 海鮮居酒屋でしたがめっちゃおいしかったですね~ おわりに 山口でも湯田と防府は初めて訪れたのですが、めちゃくちゃ楽しかったですね。山口はお酒もおいしいしまた行きたいですね!今度は「獺祭」をいただきに行きたいと思います! ではこんな適当なものを読んでいただきありがとうございました!… Continue reading 海鳥腰慰安旅行 ~in 湯田温泉~

チェコ旅行の備忘録

はい、皆様ここではお久しぶりです。 なんだか新型コロナに関する規制が徐々に緩和されそうな情勢ですが、やはりまだ海外旅行を自由に楽しめるようになるまでは時間がかかりそうなので、今回も自由に旅行ができたあの頃を懐かしみながらブログを書いていきたいと思います。 今回紹介していくのはチェコ旅行の様子です。 私の動画シリーズでももう何回も擦っていますが、何回も擦るのは今までに行った海外の中でもトップクラスに感動した国だからでもあります。なお記事内の写真は全て筆者撮影です。 1.旧市街広場   やはりチェコと言えば印象に強く残っているのはこの旧市街広場です。旅行時は確か1月初旬とかで、辺りにはクリスマスマーケットの装飾がまだ多く残っていました。 その様子は上から見た写真だと分かりやすいです。屋台でスナックを購入し小腹を満たしたのは良い思い出となっています。   2.プラハ城 プラハ城もまたチェコを代表する観光地でしょう。当時はあまり良いカメラを持っていなかったので(写真はi pod touchの第5世代で撮影)、画質はあまり良くないんですが、遠くに佇む幻想的な城の姿は強く印象に残っています。RPGだとラスボスが住んでそう。   実は… おそらく知る人はかなり少ないかと思いますが、私はチェコを含めた中欧の旅行動画を投稿してた時期があります。(現在は全て非公開) 当時はまだ○学生とか○校生でしたが、今思うと現在更新中の全世界解説につながるようなことをしてたんです。たまには初心を思い出すのもいいですね。   それではまた機会があればお会いしましょう、それでは~!

2019年にロシア行ったって話

どうもゆはるです。 今回は私の旅行記第三弾として、2019年に行ったロシア旅行の様子をお伝えします。   言わずもがな、2022年11月現在、ロシアに観光旅行なんて考えることもできない状況です。 外務省が出してる危険情報ではロシア全土が「危険レベル3」でウクライナ国境付近は「危険レベル4」、ロシア政府が自国民含め出入国を著しく制限していますから、入国はできても出国できないなんて事態に陥るかもしれません。   ロシア、まぁそこそこに観光する場所がある国です、今回惜別の意も込めましてロシアの見どころをいくつか写真も合わせてお伝えしたいと思います。この記事に載っている写真は全て私ゆはるが撮影したものです。 赤の広場 やはりロシアといえば最初に思いつく観光地はここでしょう。正教会独特の建造物は一度見れば印象に残ります。 一応遠目で見た写真もあったのでペタり。2019年の赤の広場は自分以外にも観光客がたくさんいて平和でした。   また、写真はありませんが(写真撮影禁止のため)、赤の広場の近くにはレーニンの遺体を見ることができる施設がありました。レーニンの身長は165cmで、おそらく見物した人の多くは小柄だなという印象を持ったでしょう。ちなみにプーチン大統領の身長は168cm、スターリンの身長は163cm(両人共に諸説あり)で、ロシアの歴史的重要性を持つ人物は小柄な人が多いんですね。エリツィンは187cmだったけど。   エルミタージュ美術館 エルミタージュ美術館もロシアの観光名所として三本指に入るくらい有名ですね。 私は会えませんでしたが、展示物をネズミから守るため、エルミタージュ美術館では70匹もの猫を飼っているというのは有名な雑学です。   美術館では様々な展示が行われていましたが、一番印象に残っているのは2018年より展示が始まったというニコライ2世のワイシャツです。 そう、あの大津事件の時のやつです。 警察官の津田三蔵に右耳上部をサーベルで切りつけられたこの事件、その時に付いたと思われる血痕がワイシャツの首元部分にはっきりと残っていました。ちなみに写真撮影OKでした。 このワイシャツが展示されているという情報、なぜか日本語圏ではあまり知られていませんね。日本語で検索をかけてもロシア政府系メディアの「スプートニク」の日本語版の記事しか主にヒットしませんでした。 2022年にはロシアへの観光旅行が制限されたことを考えると、展示が開始された2018年からの4年間しか日本人が生で見る機会がなかったのかな? この写真実は貴重だったりして。   そんなわけでいかがだったでしょうか。 ロシア旅行はしばらく行けん、児島惟謙な情勢ですが、死ぬまでにはもう一度訪れてみたいとも思っています。西欧色の濃いサンクトペテルブルクと東欧色の濃いモスクワの対比とかね、楽しかったですよ。ロシア人も観光客の私には人懐っこくて親切でした。   ロシア旅行が気軽に行けるくらい平和な世界情勢に早く戻ることを願っています。それでは。

【うみどり旅行記】東京放浪の旅

お久しぶりです。海鳥です。先日東京に行ったのでその話でもしましょうか。 と言いましても特にこれといったことはしてないんですが… いざ東京へ!~東海道本線終点「神戸」~ 今回の旅の始まりは東京駅から続く589.5kmの鉄道路線の終着点、兵庫「神戸駅」からスタートです! このいかにも古そうな駅舎をしており東京駅や上野駅を感じさせるのが東海道本線の終点として古くから多くの優等列車の停車駅となっていた「神戸駅」です。 この建物は1930年に建築され神戸の駅舎としては三代目となっています! 実は神戸駅のある神戸線は戦前より高架区間になっている路線で現在まで当時の橋脚や駅舎、ホームが使われています。そのこともあって神戸、元町、三ノ宮、阪急神戸三宮の駅では戦争の傷跡が見れたりします。こちらはまた機会があれば動画にします。 そして今回神戸に寄ってますが目的の駅は二つ隣の三ノ宮。この神戸では写真を撮ってお別れです。 まさかの遅延!?~出発編~ というわけで神戸の二つ隣にある三ノ宮はすべての列車が止まる駅になっているので関西の化け物普通列車「新快速」にのり三ノ宮へ。まだ時刻は21時私が乗る列車の案内表示はまだありません。まだまだ時間があったので近くのネットカフェに入り一人カラオケをしていました。 これがまさかのめちゃめちゃいい場所を見つけました!三ノ宮、阪急神戸三宮のホームを真上から眺めることができました!鉄道好きにはたまらないのではないでしょうか?私も見ているだけで飽きませんでした!しかしネットカフェの”喫煙所”というのがネック…喫煙者ではないと入りにくいですよね… そんなこんなで時間になり三ノ宮の駅に向かうと… まさかの遅延!って言っても10分ですけど。この前日には2~3時間遅れで東京に到着したみたいですしまだマシな方です。(実際にホームに入線したのは20分ほど遅れてましたが…動かしてもらってる分に文句は言えません!それも旅行の楽しみです!) と思っているとやってきました!私の乗る寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」号です! 特徴的なX字のライトを煌々と照らしながら列車は入線してきます! 来たら早々に乗り込み自分の部屋に向かいます!今回私が予約した部屋はシングルでお値段は寝台料金7,700円+乗車券9,460円で17,160円でした。新幹線より少し割高にはなりますが、東京駅に朝7時に到着するので朝から動けるメリットがあります! 窓がでかく景色がよかったですね。 三ノ宮を出発すると次は大阪に向かいます。そして大阪を出発すると次の停車駅は静岡です!まさに新幹線!しかしその何倍もの時間をかけながらゆっくり東京へ向かいます。静岡に到着は4時40分です。夏の時期だと日が昇りだし朝のきれいな富士山が見ることができます。 そんなこんなでだんだん町が大きくなり気が付けば東京です! 暑さに負けず横須賀観光~ほぼ敗北~ 二日目暑さに負けず横須賀に向かいます。横須賀バーガーを食べ、三笠を見て、帰る。過密スケジュールで行きあまり観光できませんでしたが場所の様子見はできました。また行くと思うのでその時は資料集めを行いたいですね。 新宿で遊び秋葉原へ~オタクをする海鳥~ 横須賀から新宿に向かい二日目は新宿で宿を取りました。夜はかなり人が多く楽しくご飯を食べることができました。 次の日昼から秋葉原に向かいオタクしてきました。東方projectの原作ゲーム「東方紺珠伝」、オリジナルサウンドトラック「蓬莱人形」を手に入れることができました! 帰りは成田空港発の航空機なので上野から京成電鉄さんのスカイライナーに乗りました!日本で新幹線以外の鉄道では最速の160kmで走ります! まとめ 今回はあまり横須賀に滞在できなかったのでまたの機会に全力で楽しみます! 東京は観光もいいですがショッピングが楽しかったのでまた行きたいです。次回のブログでは兵庫県の鶉野飛行場について書くか神戸周辺の戦跡についてまとめるかもしれません。まだ神戸にも慣れてないのでこれから慣れていきたいですね。 そして私事ではありますが映画の脚本も再開しました是非そちらもTwitterやどこかで公開するのでよろしくお願いします! では最後までありがとうございました!

皆さんは「猫島国」を知っていますか?~Season2~

(ピコーン)前回の、あらすじ。 「猫島国」ことマルタ共和国について紹介しました。   前回↓皆さんは「猫島国」を知っていますか? – 世界史べーた(仮) (sekaishi-beta.com)    今回も前回の続きで、マルタとは別の猫島国をご紹介します。  ここでの「猫島国」の定義は「人の数よりも猫の数の方が多い島国」ですが、お察しの通りこの条件を満たす国というのは一つだけではありません。東地中海に浮かぶ島国、キプロス共和国もまた猫島国なのです。      キプロスは現在「南キプロス」と「北キプロス(未承認国家)」に分断された国です。1955年にギリシャ系住民(南側)とトルコ系住民(北側)で「キプロス紛争」が起こり、南北に分断されてしまいました。この紛争は名目上現在も継続中ですが、1974年に国連がグリーンラインと呼ばれる緩衝地帯(停戦ライン)を設置し、情勢は落ち着いています。  そんな歴史を持つキプロスに私はコロナ禍前の2019年に行きました。その時の写真と思い出と共にこの国を少しだけご紹介します。(今回使用してる写真は全て筆者撮影です)  やはりいたるところにいる猫      やはりいます。この写真はまさに南北キプロスの停戦ライン付近(ギリシャ側)で撮った写真なのですが、人間の紛争なんざ知らんとばかりにマイペースな猫がたくさんいました。  古代遺跡でも猫      やはりいます。この写真は「クリオン古代遺跡」という名前の観光地で撮ったものなのですが、人がいるところに猫がいるのが猫島国、たくさんいました。  WoTの本社がある国      この写真はキプロスの空港で撮ったものです。さすがに空港に猫はいませんでしたが、人気オンラインゲームの「World of Tanks」と「World of Warships」の広告的なものがありました。キプロスは企業誘致に力を入れてる国でもあり、WoTの運営会社「Wargaming」の本社はキプロスの首都ニコシアにあります。    こんな感じでキプロスについて語ってきましたがいかがだったでしょうか。キプロスは非常にユニークな国で、いつか歴史動画を作りたいと思ってる国の一つです。歴史、猫、遺跡、Wargaming(?)、魅力に溢れるキプロスですがまだまだ観光地としてメジャーな国ではありません。旅行好きな方は一度訪れてみてはいかがでしょう。それでは。

男いのっち一人旅! in 鎌倉 その3(お墓参り編)

さあ前回のブログ(リンク)の続きです! 約1か月ぶりの続編投稿になってしまい大変申し訳ございません💦 「鎌倉弾丸旅行記」は今回がラストになります!✨   「鶴岡八幡宮」の正門をくぐると正面に広がっているのは参道にあたる「若宮大路」です(何故か写真紛失という大失態💦)。 因みに大路の中央、一段高くなっている歩道は「段葛(だんかずら)」。頼朝が妻・政子の安産祈願の為に御家人たちに築かせた道が原型になっているそうです。   因みにこの「若宮大路」、ただの一本道というわけではなく、八幡宮側に近づくにつれて「道幅が狭く」なっております。「遠近法」を利用して実際以上に距離を長く見せているとか。ほえ~   それはさておき、一旦八幡宮の東側に徒歩で向かいます。「頼朝時代の御所(大倉幕府)」があった方向ですね(現在は小学校になってます♪)。   というわけでまずは「源頼朝」のお墓(いきなりのビックネーム)! 住宅地の奥にある丘の上、そこまで目立つ場所ではなかったのですが、大勢の観光客の方がいらっしゃってました。大河パワー恐るべし!✨   更にその付近には「北条義時」や「大江広元」など御家人たちのお墓がありました! 反抗的な御家人たちが多い中(ドラマ設定)、頼朝を献身的に支えている御二方は、今でも鎌倉殿の側で眠っているんですね♪ 主人公の義時は勿論、広元もドラマ終盤まで活躍する重要人物ですのでこれからの活躍に注目です!      さあ、次は八幡宮を挟んで反対側(西側)に徒歩で移動します。そろそろ足が悲鳴を上げ始めました…💦   次の目的地は鎌倉五山の第三位「寿福寺」です。 「北条政子」が、頼朝の父「源義朝」の館があった場所に建てた禅宗のお寺です。(例によってコロナの為に御朱印は頂けませんでした…) このお寺には「北条政子」とその次男「源実朝」のお墓があります(裏手の山腹)。頼朝と違う場所にお墓があるのはちょっと意外でしたが、息子と一緒なら寂しくないでしょうね。 頼朝夫婦は八幡宮を挟んで東西から今でも鎌倉の街を見守っているのでした(しみじみ)。     最後に徒歩で向かった(本日最長の距離)のは、有名な「鎌倉大仏(高徳院)」です。 鎌倉を代表する寺院ですが、実は誰がどういった経緯で建立したのかよく分かっていないミステリアスなお寺だったりします(鎌倉時代に建てられたのは間違いないようです)。 あと現在大仏様は野ざらしですが、かつては大仏殿があったそうです。    この時点で足は限界、時間も迫っていましたので今回の「鎌倉弾丸旅行」は終了となりました💦(心地よいクタクタ)。   それぞれの場所は巡って歩き回る間にも「和田義盛」や「畠山重忠」など大河ドラマにも登場する人々ゆかりの地を偶然発見するなど、街中至る所が歴史を感じる場所で、九州民の私としては非常に貴重で楽しい時間を過ごすことが出来ました♪✨   実は、今月末に再び関東への出張が決まっておりまして、その際はまた「旅行記」のようなもの執筆できればと思っています。   それでは今回はここまで。   最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました!✨ 〇(><)