じこしょうかいなんかするよ! どうも、ブログの世界では初めまして。ZEKE22と申します。 最近だと動画の世界では「豊和銃解説の人」Twitterでは「肉屋の人」なんて言われています。つまり要約すると「豊和製の銃を乱射している肉屋」ですね。なんて物騒な奴なんだ。 そんな事は置いておいて、もう少しだけ真面目に自分を紹介していきましょうか。 名前の「ZEKE22」とは中学の頃、とある蛇が潜入ミッションするゲームをプレイする時に英語のニックネームしかつけられず、その頃からミリタリーオタクをやっていた私は「英語なんも分からんし、前にコンビニで買った軍用機の本に乗っていた零戦のコードネームで良いか!」と「ZEKE」と名付けたのです。 「中学のガキならば普通に自分の名前でも付けろや」とか言われそうですが、その頃に一緒によく遊んでいた友人が「自分の名前つけるとかダセエし、何よりネットリテラシーがねえぜ!」と言って名前を変えていたので、その影響を大きく受けた結果ですね。 それから暫く「ZEKE」を使っていた私。ある日とあるロシア企業(最近ウクライナで起きた騒乱で本社がEUに移っていたの知ったけれど)の戦争ゲームをプレイする際、いつものようにニックネームをつけたところ「ZEKEは既に使われてるぜバーカ」と言われ、尾びれに22がついた「ZEKE22」という今のスタイルに落ち着いたという訳です。 ちなみに22の数字は零戦の二二型を意識しています。カッコイイですよね二二型。初期生産の二一型、特徴的な翼端の三二型、戦争末期の五二型系列なんかに比べるとパッせず、人気もイマイチな気がしますが、二一型よりラジエーターが減ってスッキリとし、五二型のように無理に性能を上げるべくゴチャゴチャと排気管が付いているわけでもない、まさに「美しい零戦」は二二型だと個人的には思っています。そんな二二型でも個人的には九九式二号三型20粍機銃に換装された甲型が好きです。翼から突き出た20粍機銃の銃身がとてもエッチで良い……と脱線はこれまでにしときましょう。 とまぁ、つけた理由が適当で「いつかニックネーム変えてぇ」と思っていたのですが、ありがたいことに投稿した動画は再生数が伸び、肉を売りだしたら「ジーク肉」なんて妙なブランド名がついてしまったので、このニックネームとは生涯仲良くしていくんだろうなぁ……なんて思っています。はい。 ……ってかこんなに自分について語ってても良いのかな?他のメンバーの自己紹介があまりにもあっさりしすぎていて不安になるんですけど。 ロレンス動画について語ろうね ……と言っても、ロレンスについて話したいことは大体動画に落とし込んでしまっているので「ロレンスの話が聞きたい?動画見ろや!」となってしまうんですよね。うーんこの。という訳で動画の話をしましょう。動画!トーマス・エドワード・ロレンスですよ!アラビアのロレンス!(謎テンション) 編集時については……あれは難産でした。はい。 なんせ、いつも解説に扱っているのは兵器等の「物体」で「人物」について深堀した解説って今回が初めてなんですよね。「物体も人物もさほど変わらんやろー!」と私自身もタカをくくっていたんですけれど、案外勝手が違う。 兵器等の人工物は、見たり読んだりしていると「設計者の意向」というのがある程度推測できるのですが、人物だとそういった意向が少し見えにくい。なんなら「何してんのお前」という部分もあるんですよ。 人工物なら「これは、謎です」と言えば済む(済ますな)のですが、人物は「どこまで心理を読み解けばいいんだこれ……」と悩んでしまいました。ひとつに「解説」といってもいろいろ違うんだなと思い知らされた瞬間でした。 まぁ、来月も似たようなことを書くのでこの辺りにしておきましょう。では、来月にまた。
Category: 年代
フィリップス曲線くん『おはよう!!』 私『寝てろバカ!』 という話
インフレと物価について ※若干の時事ネタを含みますが、政治的な主張を含んでいるわけではありません。どうかその点をよく理解して、視野を明るくし、共感から離れて見てください(テレビのテロップ並感)。 現在、インフレがアメリカで大きな問題となっています。1月のCPI(消費者物価指数)は前年同月比で7.5%も上昇しました。少し前までは、このインフレは「transitory」(一時的なもの)と言われていましたが、どうやら一時的では収まらなさそうだ、という見方が大勢になってきたようです。 「いやいや、そんなツマラナイ話はいいから、歴史の話をしなさいよ」と思ったあなた。申し訳ない。しかし、ちょっとばかり歴史とも絡んできますから、もう少し我慢してください。 それは「フィリップス曲線」です。 フィリップス曲線は ぐうぐう ねむっている フィリップス曲線とはなんぞや、という話を少ししましょう。これは「失業率と物価上昇率」または「失業率と(名目)賃金上昇率」の間にある関係を示した曲線です。ここで物価上昇率と賃金上昇率をあげているのは、ふつう、この2つは強く相関するためです。以後は物価で統一しましょう。 横軸に失業率を取り、縦軸に物価上昇率を取ると、負の相関(すなわち右下がりの関係)があらわれることがわかっています。こういうことを言うと数学者に怒られますが、形状としては反比例の曲線をイメージするとわかりやすいと思います。 つまり、失業率が下がると、物価が上がってしまい、インフレになるのです。経済学者は「トレードオフ」という言葉が好きなので、この関係を「失業率とインフレのトレードオフ」とか言ったりします。あっちを立てればこっちが立たず。人生はだいたいそんなもんです。 ところが! 最近、「フィリップス曲線のフラット化」が指摘されるようになりました。フラット化というのは、文字通り平らになってしまうということです。横たわる直線をイメージしてみてください。そう、失業率が下がってもインフレにならないのです! じゃあいくらでも失業率を下げられるじゃないか! そう思った時期が私たちにもありました。 フィリップス曲線は めをさました! みんなが「平ら」とか「絶壁」とか言うから、フィリップス曲線くんは目を覚ましてしまいました。お前らのせいです。あーあ。 冗談はさておき、事実として、アメリカはインフレになってしまったのです。失業率は3%台まで改善しましたが、物価は上がりました。もちろん、賃金も上昇しています。フィリップス曲線はフラットではなくなってしまいました。 ここで、当然疑問が出てきます。「なんでインフレになったの?」ということです。あるいは質問を変えても良いでしょう。「なんで今まではインフレにならなかったの?」と。 残念ながら、どちらの問いにも、経済学者は断定的には答えられません。 物価はとにかく難解なのです。いまだに経済学者は物価のことをよくわかっていません。なにせ、2020年の段階では「これはデフレになる」と言われていたのですから。現実は皆さんがよくご存じの通り、インフレになっています。 もっと言ってしまえば、「フィリップス曲線のフラット化」の原因として、経済学者たちはたびたび「インフレ予想」を話題に上げていました。簡単に言ってしまえば、「インフレになると思っていないからインフレにならない」という話です。それなら、むしろ「デフレになる」と言っていた今回は、どうしてインフレになったのでしょうか。わからないことだらけです。 けれども、推論することはできます。今回はその手掛かりの一つとして、歴史上のインフレについて見てみましょう。 そう、ようやく本題なのです もっともわかりやすいインフレの例は、江戸末期の万延貨幣改鋳でしょう。 背景をちょっとだけ説明すると、当時は金銀比価(金と銀の交換比率)が日本と外国で違ったため、その差を利用して儲けることができたのです。これでは日本国内から金が流出してしまいます。そこで、幕府はやむを得ず金貨(小判)をおよそ1/3の価値(量目)まで下落させる改鋳を行いました。これで流出の危険は去ります。 ところが、ちょっと思い出していただきたいのが、江戸期の金貨は計数貨幣であったということです。金貨の価値が下がろうと、1枚は1両と決まっています。さらに、このときの幕府は、改鋳をスムースに進めるため、市中の旧金貨1枚と新金貨3枚をただちに交換し、差額(出目)を懐に入れたりはしなかったといいます。つまり、市中の貨幣量がいきなり3倍になってしまったのです。 貨幣で買えるもの(たとえばお米とか)の価値は変わらないのに、貨幣だけが増えてしまえば、当然貨幣の魅力は下がります。したがって、物価は上がり、猛烈なインフレが起きました。 次の例を見てみましょう。第二次世界大戦後の日本に目を向けてみます。 このとき、いわゆる傾斜生産と復興のために、復興金融金庫(以下復金)は莫大なお金を市中に供給しました。有名な「復金インフレ」です。 正直なところ、このインフレについての解説はほとんどこれで済んでしまうのですが……ひとつだけ付け加えたいことがあります。というのも、実は復金が設立される前から既にインフレははじまっていたのではないか、という議論があるのです。これは復金では説明できません。 しかし、その時期にインフレが起きていたとしても、原因はかなりはっきりしています。馬場財政以来(高橋財政以来ではないか、という指摘もありますが)無頓着に発行され続けた赤字国債の日銀引き受けです。やはり莫大なお金を市中に供給していたものが、戦後になって統制経済がゆるみ、顕在化したというのが今のところの定説です。結局、その議論の結論も復金とほとんど同じ、「市中でお金がだぶついた」ということになります。 最後の例は私たちにもなじみ深い、「狂乱物価」です。 (また日本か! という突っ込みはご勘弁を……) この例は、一見今までの事例と異なるように思えます。私たちは「オイルショックによって狂乱物価が起きた」という文脈で語りがちです。たしかに、石油製品(トイレットペーパーなど)は、当時大きな問題となりました。ところが、よくよく調べてみると、石油製品以外も値上がりしていたとわかってきました。これはオイルショックでは説明しきれません。 ひとつの説として、ここでも「市中でお金がだぶついた」のではないかという指摘があります。田中内閣の列島改造や、ニクソンショックからの一連の通貨混乱の中、金融緩和が続けられたことなどによって、市中のお金がだぶついたという議論です。 物価ちゃんは一筋縄では攻略できない さて、ここまで3つの例を見てきました。どの例も、「市中のお金がだぶつく」というのが原因になっていそうだ、ということがわかりますね。インフレになったのは、市中のお金がだぶついたからで、インフレにならなかったのは市中のお金がだぶついていなかったから。そういう説明ができそうな気がしてきます。 現在のアメリカの場合なら、コロナ禍の対応でかなりの財政支出を行ったことや、それまでずっと行って来た金融緩和(単純に言えば、市中のお金を増やすことです)が原因になるでしょう。 ところが、実はこれだけでは不十分です。市中のお金がだぶつくことが原因だとしても、どうにもインフレまでの間には時間的ラグがあるように見えます。 赤字国債の日銀引き受けは戦前から行われていましたが、インフレが問題になったのは戦後です。田中内閣がはじまったのは「狂乱物価」よりも前です。現在のアメリカの場合も、新型コロナウイルスがcovid“19”と言われるように、コロナ禍のはじまりはもっと前です。 個別に説明のしようはありそうですが、もっと簡素にモデル化できなければ、経済学者は「物価がわかった」なんて口が裂けても言えません。 もちろん、ラグがまったくないという主張もできるでしょう。たとえば「あるラインを越えたらインフレがはじまる」という考え方です。しかし、その「あるライン」が明確でない以上、やはり問題は残ります。 ちなみに、この問題は上記の説明にも言えます。「だぶつく」が明確に数値化されなければ、経済学者は不満顔のままなのです。 しかし、わからないことに何かしらの解釈をあてて、モデルを作ってゆくのが経済学者の仕事でもあります。今回ご紹介したフィリップス曲線はその一つです。そして、今回は起き上がってしまった理由に「市中のお金がたぶつく」という解釈を与えました。… Continue reading フィリップス曲線くん『おはよう!!』 私『寝てろバカ!』 という話
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
兵隊王 フリードリヒ=ヴィルヘルム1世は後代のフリードリヒ2世の大きな功績に隠れていますが、プロイセンという国の力を増やした王様です。けれども、戦争という華々しい功績がないためか、世間的にはあまり有名ではないかもしれません。 兵隊王は、あだ名が表しているように軍隊の強化に全力を注ぎました。 ・カントン制(農民徴兵区域) ・将校団の形成 主要な功績はこの二つだと思います。これに加えて、8万人の軍隊を維持するだけの財力をつけました。詳しくは動画を見てもらった方が早いので、省略します。 動画以上の情報はなんだかんだ言って専門の書籍を当たるのが一番だと思うので、下に動画で使用した本を載せておきます。 年表 1688年 生誕 1701年 プロイセン公国が王国になる 1713年 プロイセンにおける王に即位 1715年 大北方戦争に参戦 1720年 スウェーデンと講和 1723年 総監理府を設置 1730年 皇太子逃亡事件 1732年 ザルツブルクから追放された新教徒を東プロイセンに入植 1733年 カントン制 1740年 崩御 (4月7日追記、始まり) 動画の台本 動画の台本を、この場を借りて載せておきます。 注意点ですが、台本なので読みやすいように作ってありません。 所々編集中にセリフを変えてる場所もあると思います。 また、ボイロちゃんに読んでもらう関係上、どうしても句読点が多い文章になってます。 導入 『君主は国家第一の下僕である』 これは啓蒙君主フリードリヒ大王の言葉です。 フリードリヒ大王はシュレージェンと西プロイセンを獲得し、オーストリア、フランス、ロシアなどと戦った七年戦争にも勝利しました。 さて、今回紹介する人物は、そのフリードリヒ大王のお父さん、「プロイセンにおける王、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世」です。 前置き フリードリヒ=ヴィルヘルム1世とは1713年から1740年に在位していたプロイセンという国の王様です。 治めていた領地はこの地図の通りです。 現在のドイツからポーランドを中心に、東西にロシア、オランダあたりまで。 けれど、プロイセンという地域は東の方で、先祖代々受け継いできたベルリンを中心としたブランデンブルクという場所の王様ではないのです。 この経緯だけで動画一本作れるので詳細は省略しますが、簡単に説明すると、王様という称号があまりにも尊すぎたので上司の神聖ローマ皇帝から許可が出なかったということです。 「まあ、辺境の地域、プロイセンにおける王様なら名乗っていいよ」と言われ、プロイセン公国は、フリードリヒ=ヴィルヘルム1世の先代フリードリヒ1世の時代、1701年に王国になりました。 軍隊について … Continue reading フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
最近の戦跡巡り事情
はじめに 初めてのブログですが…今回は私の趣味でもある戦跡巡りについて書いていきたいと思います。 まず私がどこに行ってきたのか簡単にまとめていきます。いずれ動画でも触れる可能性があるので簡単に触れます。 どういう場所に行くのか? 私は瀬戸内海周辺の遺跡によく行ってます。特に砲台跡ですね。砲台跡は残りやすいですし地形のみでもそれなりに残り続けていますのでわかりやすいです。もちろんそれ以外の場所も行きますが今回は芸予要塞メインで書かせていただきます。 芸予要塞とは? 芸予要塞とは日露戦争前後に瀬戸内海への敵船の侵入を防ぐために設置された砲台跡群で、現在のしまなみ海道(愛媛 今治ー広島 尾道)の真下にある「大久野島」と「小島」に設置されています。 これらの島は今も渡し船があり安価で渡ることができます。 それぞれの島にはそれぞれのいいところがあり、大久野島は今では「うさぎの島」として人気のある観光地となっています。 今回は小島の説明は省かせていただいて「大久野島」のみ説明させていただきます。 大久野島 うさぎの島? 前述の通り、大久野島はうさぎの島として非常に有名です。理由としては島には1000羽近くのうさぎが生息しておりどこを歩いてもウサギに会えるほどです。とても癒されました。本当に良かったまた行こう。 そんな「うさぎの島」大久野島ですが、実は影の歴史が存在します 大久野島に砲台が設置されたのは日露戦争前の1897年で、1900年に竣工しました。その後、四国佐田岬半島の先にある豊予要塞の完成で1924年に廃止されました。しかしその後1929年より毒ガスを研究、開発するための施設が旧日本陸軍により設置されました。これがこの島の影の歴史です。 この島は「うさぎの島」と言われている一方「毒ガスの島」とも言われています。 当時は軍事関係でもあり「地図から消された島」でもありました。その痕跡は今も見ることができ当時の様々な施設が現存しています。毒ガス研究で使われた貯蔵タンク置き場などでは戦後米軍によって無毒化のための焼却作業が行われた証拠として壁や天井に黒い煤が今も残り続けています。個人的にきれいだと思ったのは発電所跡ですね。すっごいきれいでびっくりしました。 現在もその汚染は続いており島に存在する井戸水は使用禁止となっており、土壌からはヒ素が検出された事例もあります。 ですが現在は国民休暇村があったり非常に安全に観光できました!是非次訪れた際には一泊でもしてみたいです。 ちなみに島には「毒ガス資料館」なるものがあり島の歴史を知ることができます。(展示物は日本軍のものと言われるソ連製兵器があったりソースが怪しい毒ガス使用記録が複数見られましたが歴史的価値はあるものも複数あります) 他にもこの島では様々なことが言われていますが争いの種になりうるので割愛させていただきます。 さいごに 今回は芸予要塞の大久野島について説明させていただきました。興味を持たれた方は是非訪れてみてください!ウサギに癒されます。(うさぎのエサは本土の乗船場で購入しましょう。) ではまた。 アクセス方法 広島県 忠海港→大久野島 愛媛県 大三島盛港→大久野島 大久野島休暇村公式HP・・・https://www.qkamura.or.jp/sp/ohkuno/access/
ホッブズ編集後記
哲学系の動画はほとんど上げてきたことはなかったのですが「少しは勉強した方がいいだろう」と言うことで挑んでみました。もともと哲学に興味があったわけではないのですが、知識人と言われているような人はよく哲学用語などを使いますので、私もカッコつけたいという不純な動機で哲学をかじるようになった次第です。 さて、ホッブズ以前の時代と言うのはキリスト教が科学であり法律であり、教育でした。何か物事を考えるうえでは何かしら神にさかのぼることが当然のことだったわけです。なぜ王が国を支配できるのか、それは神に選ばれた存在だからです。そうした思想を背景に儀式などが進められているのは聖書に倣って即位時に油を塗られることなどからもわかるでしょう。しかし、宗教改革でキリスト教が分裂すると宗教と言うものが相対化されます、本来宗教は一つの正しいものがあってそれ以外はこの世界の説明に適さないものでした。宗教改革では様々な説明が生まれました。この世界に人が死後天国に行くにはどうすればいいのか、善行を積めばいいのか、神様があらかじめ決めているからどうしようもないのか。どれか一つが正しい説明であるならば、そして神が存在するならば、誤った方が消えてもよいと思うのですが、そうはならず、様々な見解が長年にわたって共存することになりました。私は浅学の身なのでこの辺りに限らず思想史についてはまだまだ読書不足ですが、このカオスの中で神を抜きにして世界の説明を試みる人が現れても不思議ではなかったのでしょう。ホッブズは王が国を支配する理屈において、神を抜きに語りました。ホッブズ自身は無神論者だとは言っていませんが、他人からは無神論者だといわれる程度には神と言うものを重視しする説明はしていなかったようです。 神を手放してしまったことについて、私はそこまで理性的な人間ではないので、実にもったいないことをしたなと思います。特に小学生の頃でしたが、自分は死んだらどうなるんだろうかと言うことを考えて恐怖を覚えたものです。脳機能が停止して夢すらも見ることが無くなった「私」はどこに行くのか、外部からの刺激が一切ない真っ暗闇の中永遠の時を過ごすのか、そもそも永遠の時を認識する「私」はいなくなっているのだろうか、でもいまキーボードをたたく「私」が途切れたとしてその先に何があるのか。死んだ人の体験談が聞きたいのですが、死んだのなら聞けるはずもなく、死ぬ時まで持っていく疑問なのだろうと思います。死んだら煉獄に行くやら、もう一度生まれ変わるやら、単純にそう信じて、信じ込んでおきたかったなと思う次第です。
ご挨拶と今回(ジャクソン大統領)の動画について
皆さまこんにちは、Fieseler(フィーゼラー)です 自己紹介 南北戦争など近代アメリカ史に興味があり、個人企画ではその戦史解説をしていければと思っております。ただ洋風かぶれなのでこれまで興味が欧米に偏っているので、日本史に詳しいメンバーの方が語るお話や動画で皆さまと学んで行ければと思います。 今回の動画について このページを視聴者の皆さまがご覧になる頃には「アンドリュー・ジャクソン人物紹介」の動画が上がっていると思います、ここでは少し動画制作時のお話をさせて頂きます。 動画に入れるエピソードを考えていた際 「そう言えばジャクソン大統領って弾劾訴追されてたっけ……」 と思っていたのですが、動画制作に当たって生涯を調べていても一向にそんな記述は見当たりませんでした。 それもその筈、弾劾訴追を受けたのは アンドリュー・ジャクソン大統領 ではなく、南北戦争後の南部の再建(リコンストラクション)で活躍した アンドリュー・ジョンソン大統領 なのでした。そのころ弾劾訴追が話題となったトランプ大統領がジャクソンを尊敬していたことや名前の似ていることより、実際に取り違う報道もあったようです。 取りあえず思わぬ罠を回避したり久しぶりの動画制作の感覚を取り戻しながら完成したこの動画を楽しんでいただければ幸いです。