日本の「産業革命」 皆さんは、「industrial revolution」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本語に訳せば「産業革命」です。 「バカを言うな、それくらい誰だって知ってらぁ」という声が聞こえて来そうですが、ちょっとばかしindustrial revolutionの話を聞いてってくだせえ。 「それはいいけれど、英語にしてるのがしゃらくさい」ですって? それにもちゃんと超重要な意味がありますから、しばしお付き合いをば。 さて、皆さんは、「産業革命」と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか。機械の導入、飛躍的な生産効率向上、労働者の誕生…… おそらくは「革命」という言葉に引っ張られて、まるで天地がひっくり返るかのような大転回をイメージしがちなのではないかな、と思います。しかし、この世の大概の物事については(クソデカ主語)、「革命」などと大上段から論じるのはナンセンスと言わざるを得ません。 むしろ、緩やかな、しかし着実な変化にこそ注目しよう……というのが、近年の政治史や経済史研究の潮流なのです。 極端な話になると、いわゆる産業革命否定論なんてのも出てきますけれども、とりあえずのところ、本稿では少なくともその時代に起きた進歩の行程は肯定してあげましょう。行程だけに。 在来産業「私のこと、忘れちゃった……かな。あはは……私、影薄いもんね……」 では、そのindustrial revolution、「産業革命」というやつはいつ日本で始まったのでしょうか。ほとんどの人は、明治期だろうと答えると思います。事実として、この時期の殖産興業政策などを経て、日本には機械化の波が押し寄せてきました。その結果、有名な富岡製糸場なんかがにょきにょき生えてくるわけです。 しかして、皆さんがイメージするような、でっかい機械がガッコンガッコン動くような工場労働というのを、みんながみんなやっていたわけではありません。 この辺りはマルクスファンクラブの皆さんが喧々諤々の議論をやっていらした分野で、彼らが言うには工場での機械工業の前に、「マニュファクチュア」(工場制手工業)という段階があるという話になっています。で、さらに彼らの議論を紹介するのですが、日本は幕末期には「厳密な意味でのマニュファクチュア」に達していたのではないかと言います。 厳密がどうこうってのについては神学論争が掃いて捨てるほどあったのですけれども、ともあれ、幕末期に一部では工場制手工業が見られていたのは事実です。 もしかすると勘の良い方は気づかれているかもしれませんが、この「一部では」という文句が重要です。というのも、結局のところ、「いっせーの」で工場が降ってきたり、機械がぽこじゃか湧いてきたりするわけがないんですよね。ファンクラブの方々が「マニュファクチュア」よりもさらに前段階だとしていた家内工業までも、明治期以降も随所にみられるわけです。なんなら、大隈財政期ころならば、工業製品の大部分は江戸期以来の技術によってつくられていたのです。 日本経済は、工場で機械を動かすような近代産業と、旧来の在来産業が併存しながら発展しました。在来産業は読んで字のごとく江戸期から存在した産業ですから、私たちが注目したい対象そのものです。 それでは、近代産業は江戸期からの連続性がなく、西欧からどんぶらこ、カイコクシテクダサーイとやってきただけのものなのでしょうか。もちろん違います。そこには江戸期からの連続性ももちろんあります。 それこそが、日本における近代産業発展の要因の一つ、industrious revolution(勤勉革命)なのです。 ただの言葉遊びなんだ。すまない 賢明な読者の皆様は既にお気づきのことかと思いますが、速水らが唱えた「industrious revolution(勤勉革命)」の「インダストリアス」は、「industrial revolution(産業革命)」の「インダストリアル」にかけているのです。だから、私は先ほど「超重要な意味」があると述べたのですよ。 ……あんまりこんなことをやっていると、そのうち批判的なトマトがカイコクシテクダサーイと飛んで来そうですので、本題に行きましょう。 速水らの主張は次のようなものです。 江戸期には、長時間の労働を行うことで生産量を高めるという「勤労」が、人々の間に広まりました。これは彼らが「独立した経済主体として行動し得るようになった」ことによるものであり、より具体的には、生産量を高めることで生活水準を高められる、という信頼が生まれたことによるものです。 何を当たり前のことを、そんなのオセアニアじゃ常識なんだよ! と仰る方もいるかもしれません。 たしかに、私たちはふつう、働けば働くほど豊かになると信じています。もちろん部分的にはそうでないこともありますが。たとえば3人分の仕事がなぜか1人に押し寄せているとか、それを下手に頑張っちゃうと補充が来ないとか…… んんっ、ともあれ、少なくとも社会の大部分にはその信念が成り立ちます。成り立つことにしておいてください。成り立たなかったら悲しいので。 ところが、前近代の、とくに農業セクターでは必ずしもそうではありませんでした。 というのも、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るもの」などと言われたように、農業従事者のもとには最低限を残して、それ以外を全部年貢でとってしまう、というようなシステムも珍しくはなかったのです。 しかし、近代に向かうにつれ、「勤勉革命」が起きてゆきました。 そのためのひとつの画期は、速水らも提示している「定免法」の導入です。 それまでの、生産量に応じて年貢量を決める「検見法」に対して、毎年一定量の年貢を取るシステムを「定免法」といいます。すなわち、米俵で10俵と年貢が決まっていれば、15俵収穫しても、20俵収穫しても、あるいは100俵収穫しても、10俵以外は全部自分のものにできるのです。 これは経済学者の大好きな「インセンティブ」(動機)というものに他なりません。定免法は生産量を増やすインセンティブとして機能したと考えられています。 そして、生産量を増やせば、余分な分を生活水準向上に使ったり、あるいはさらに翌年の生産量を増やすための肥料を買ったり、なんてこともできるようになるのです。そこで、先に述べたような、「生産量を高めることで生活水準を高められる」という信頼が生まれます。これが「勤勉革命」です。 維新後の近代産業導入の中で、「勤勉革命」は様々な形で表出します。たとえば職工の勤労はわかりやすい例でしょうし、あるいは庶民の教育への意欲もこの文脈に位置づけられるかもしれません。 既成の経済成長モデルであるSolow-Swan modelなどは、もっぱら資本蓄積と技術進歩(と人口)に着目しますから、速水の労働力の投下への着目は非常に鋭い指摘だったのです(と私は思います)。 まとめにかえて 今回は、主に「産業革命」前後の連続性に着目して論じました。ただし、私が「一部」や「~もある」という言い方を繰り返してきたように、これらは連続性「だけ」で語れるものでもありません。そこには断絶だって存在しますし、さらには連続性と断絶性がミックスされたような分野もあります。 経済は複雑なのです。それを言っちゃあおしめえよ、という感じですが、論文一本や書籍一冊なんかで語り切れるものでは到底ありません。いわんやこんなブログをや。 けれども、他のブログでも言及したと思いますが、それを理解した上でどのような視角で見るのか、というのが大切になってきます。… Continue reading 日本の「インダストリアル」revolutionと「インダストリアス」revolution
Category: 雑記
やあやあ!我こそはロレンス(中略)なり!!!
はじめに お久しぶりです。ニケ月ぶりくらいですかね? なんか二ヶ月の間に同人誌即売会に二回ほどサークル側で参加していたらいつの間にかこんな時期になっていました。なんか早いですね、時が経つのって ちなみに9月にも即売会に出る予定です。会場でジークさんと握手だ!!! そんなことより、動画の話をしよう そうです。動画の話ですよ。 といっても前回は第一次大戦序盤、発言力が無かったばっかりに傍観者でしかなかったロレンス君。 それが今回では、自信のあるアラビア半島でのゆめ作文が思ったより評判が良く、本人は不本意ながらもアラビア半島へ行くって感じですね。 ちなみに、動画では尺の都合でほとんど触れていませんけれど、ロレンスがアラビアでフサインの息子たちに会っている間、どっかのカエル国家が虎視眈々とアラブの土地を狙ってたり狙ってなかったりするんですよね。 そして、そんなカエル君の右手には悪名高き英国三枚舌外交の産物「サイクス・ピコ協定」が…… この時期になってくると同盟国である英国ですら眉を顰めるほどフランスのアラブに対する領土欲が露わになってきます。なんせ本土の北部がジャガイモ国家と地下足袋だけになって泥遊び(総力戦)してたら砲弾や毒ガスまみれでもうめちゃくちゃですからね、その補填としてオスマンの土地を欲しがったのでしょう。知らんけど。 そのせいでロレンスもなかなかに妨害されたりされなかったり……(ここら辺も動画に出せたらいいな。多分無理) そんなわけで、恐らく次回にはロレンスの解説動画も完結になる予定です! ……終わるよね? 終わらなかったら7月も画面の向こうでジークさんと握手だ!!!!!
世界史べーた(仮)GW企画全3弾
GWを世界史べーた(仮)のメンバーと楽しみましょう! 世界史べーた(仮)では、このGWにみなさまに歴史と世界史べーた(仮)に少しでも興味を持っていただくために3つの企画をご用意いたしました!GWに少しでも時間があるなというあなた!世界史べーた(仮)の企画を覗いてみませんか? GW企画第一弾 4/30 21:30~24:00(予定) 【ネタバレあり】マーダーミステリー『エドワーズ伯爵家の使用人(サーヴァント)〜5人の憂鬱な使用人〜』をメンバーとプレイ!【チレキスキー(探偵)視点 ↓↓↓会場リンク[当日開始時間より有効]↓↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=8KuSbbfP0gU このブログをご覧のみなさまは、近年流行している「マーダーミステリー」なるものをご存知ですか? 日本語訳そのままのようですが、殺人事件を題材としたゲームになります。メンバーが推理小説の登場人物になりきって、とある殺人事件の謎を議論していくのですが、なんと、このメンバー達には他の人に知られたくない秘密や思惑があって……? べーたメンバー達は果たして犯人を見つけることが出来るのか? 19世紀ヴィクトリア朝について解説してくれるのか? 乞うご期待ください。 また、今回使用させていただくシナリオはnekozedou(猫ゼ堂)様の以下のシナリオブックになります。 【英国マーダーミステリー】エドワーズ伯爵家の使用人〜5人の憂鬱な使用人〜 https://booth.pm/ja/items/3519137 GW企画第二弾 5/1 21:00~22:00(予定) 【世界史べーた】歴史好きたちのフリートーク! 中世イングランド編【歴史雑談生放送】 ↓↓↓会場リンク[当日開始時間より有効]↓↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=QouSMNz8AKo みなさんは中世イングランドはお好きですか? お好きですよね。中世イングランドといえば、教科書の知識だと国王の権限を制限したことで有名な「マグナ・カルタ」やジャンヌ・ダルクが活躍した「百年戦争」、「ペスト」の流行などが浮かぶでしょうか。今回はイングランド大好きメスキィタさんをMCとして世界史べーた(仮)メンバーが中世イングランドについて語ります。みなさまもどうぞ、好きなイングランド国王の名前をメモして放送にコメントをいただければと思います。 GW企画第三弾 5/3 19:00~23:00(予定) 【EU4 マルチプレイ生放送】三十年戦争チャレンジ! オーストリア視点【世界史べーた(仮)】 ↓↓↓会場リンク[当日開始時間より有効]↓↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=LCmT1Y1fzGY ※EU4が初めての方は画像に説明がありますのでご覧ください。 今回は三十年戦争が舞台ということで、簡単に三十年戦争についておさらいさせていただきます。主にドイツ(神聖ローマ帝国)で1618年〜1648年にかけて戦われた宗教的・政治的な戦争が三十年戦争と呼ばれています。(最も、30年間ずっと戦い続けていた訳ではなく、休戦や和平を挟みながら何度も戦争がありました)神聖ローマ帝国内のプロテスタント派の貴族達がカトリックを強要する神聖ローマ帝国に反発した宗教対立をきっかけに、ヨーロッパ各国が介入してくる戦争になります。 と、史実ではこのような流れになるのですが、必ずしも史実通りにならないのがEU4の世界だそうです。 EU4はどこの国から始めるかを選べるゲームということで、べーたメンバーがどこの国を選び、どんな選択肢を選んでゲームを進めていくのか、是非真相はその目でご覧になってください。 まとめ 気になる企画はありましたでしょうか? いつもの人物解説や企画動画とは毛色の違う、ゲームや雑談メインの少しゆるっとしたどなたにも入りやすい内容になっているかと思います。 是非、GWは世界史べーた(仮)の動画を見てみてくださいね!
ブラックジョークの万国博覧会!?「ポーランドボール」について
人類の進歩と調和これは1970年の大阪万博で称えられたテーマです、この標語が掲げられたEXPO’70を始めとした大規模な国際博覧会は5年に1回の文化の進歩が一同に会する貴重な行事なのだそうです。 一方でインターネット上では擬球化した国のイラストで人類の進歩と調和を目指した軌跡である人類の軋轢と闘争、そして世界に存在するあらゆるお国ネタを風刺気味に描くジョークの万博博覧会「ポーランドボール(PB)」が開催されているのです。 まずは世界の国々がカントリーボール(擬球化した国)となった姿を見てはいかがでしょう 中欧の小国、リヒテンシュタインのPB化イラスト(ぴらʓくさん twitterid @tqwu1atsyhvq8b2 より) 普通にかわいいと思います。 南洋の島国、パラオのPB化イラスト(あいのさん twitterid @AInoo1124 より) 元々の国々とは離れた二次創作イメージが発展する場合もあります アメリカのPB化イラスト、50個の星が省略されています ポーランドボールはアメリカはサングラス、イギリスはシルクハットなど各国家のステレオタイプアイテムと共に描かれます じゃあ結局「ポーランドボール」ってどんな作品があるの? と言われた際の最適解は「何でもあります」となるのではないでしょうか 上のあらゆる「お国ネタ」を風刺気味に描くとの様にその話題のレパートリーはそれはアレクサンドリア図書館を凌ぐほどで枚挙に暇がありません、例えば記憶に新しい英国のEU離脱は多くのイラストのモチーフとなりました ブレグジットのPB化イラスト(ぴらʓくさん twitterid @tqwu1atsyhvq8b2 より) ポーランドボール以前にもお国柄を題材にしたエスニックジョークが存在しましたが、そんなお馴染みネタもPBの国々が登場するとマンガとしてすらすらと新鮮に読めてしまいます 英中米伊の食文化と国民性ジョークのPB化イラスト(匿名希望の方より) ここまでご覧いただいて「言う程ブラックジョークか?」とか「タイトル詐欺ぢゃん」と申されたい方々、ご安心ください このポーランドボール、なまじ先鋭的な風刺や皮肉を描いてもまろやかに見えます、そのお陰で発展してきたポーランドボールの多様性は今や文字通りタブーがない領域へ達したので近年話題の政治的正しさに背反する概念となっております (youtubeの方ではブラック強めのPB動画があるので何でも許せる方は……) かわいいカントリーボールに癒されたいな方も際どい皮肉で自身の懐の深さを確かめたいな方もそれぞれの好みの作品や創作から世界の文化や歴史を覗いてみてはいかがでしょうか
道真第二回の参考文献と、寛平遣唐使問題の諸説
文人官僚の限界を超えて♪ 道真は来たんだよ おひさしぶりです。「みっちざねにしてあげる♪(してやんよ)」という曲(捏造)が頭から離れない※(米印)です。 菅原道真解説の第二回、ご覧いただきありがとうございます(見ろよ、という圧)。 さて、今回は文献紹介と補足解説を行っていきます。前回も言いましたが、私は平安期日本史の専門家ではありませんので、参考程度にしてくださいね。 参考文献紹介 渤海使関連 上田雄(2004)『渤海国 東アジア古代王国の使者たち』講談社学術文庫。 ※文庫本なのでお手軽。渤海使の基礎情報はほとんどこれが網羅しています。ちなみにこれは1992年の『渤海国の謎 知られざる東アジアの古代王国』(講談社現代新書)を元にした本なので、どっちかが見つかればぜひ読んでください。 古畑徹(2018)『渤海国とは何か』(歴史文化ライブラリー 458)、吉川弘文館。 ※渤海の国自体についてはこれがおすすめです。ただ、渤海使についてはそこまで詳しく扱っていないのです…… 上田雄(2002)『渤海使の研究 日本海を渡った使節たちの軌跡』明石書店。 ※専門書です。各回の渤海使(違期入朝含む)を詳細に記しています。ちなみに都言道くんの下心もこれのおかげで知りました。 寛平遣唐使問題 渡邊誠(2013)「寛平の遣唐使派遣計画の実像」『史人 5号』広島大学大学院教育学研究科下向井研究室。 ※論文です。増村~石井の議論がよくまとまっています。寛平遣唐使問題に興味を持った方はまず読んでみてください(リポジトリに公開されているので無料で読めます) 石井正敏著、村井章介、榎本渉、河内春人編(2018)『遣唐使から巡礼僧へ』(石井正敏著作集 第二巻)、勉誠出版。 ※石井の論文集です。「いわゆる遣唐使の停止について」と「寛平六年の遣唐使計画について」、それから「寛平六年の遣唐使計画と新羅の海賊」が寛平遣唐使問題を扱っています。「いわゆる~」は「其日」問題、「~新羅の海賊」は「新羅賊」説まわりの否定なので、もし個別に論文を探すなら「~計画について」(道真の二つの文章の読解)をどうぞ。 増村宏(1988)『遣唐使の研究』同朋舎出版。 ※結構古いですが、だいぶ先進的な議論を行っています。ただし、他説批判がメインなので増村自身の説は見えにくいかもしれません。だいたいの古い説は「増村を見ろ」で終わります(え 滝川幸司(2019)「菅原道真と遣唐使(一) 『請令諸公卿議定遣唐使進止状』『奉勅為太政官報在唐僧中瓘牒』の再検討」『詞林 65』大阪大学古代中世文学研究会 滝川幸司(2020)「渡唐の心情は詠まれたのか 寛平の遣唐使と漢詩文」『語文 115』大阪大学国語国文学会。 ※滝川先生の論文です。直前までこれに気づかずに作ってしまって、「まぁどうせそんな変わらんやろ」と読んでみたら論理でぶん殴られてしましました。上のやつはweb上で公開されてますので、ぜひ読んでみてください。 道真の再検討要請の理由の諸説(紹介しきれなかったもの) 鈴木靖民の「新羅賊」説 石井らが否定。そもそも、史料を素直に読めば道真が理由にしたのは「唐に着いてからの困難」だったはずなので、唐に着く前(渡航)を問題にするのはナンセンスだと私は思う。 「大義名分説」や「社会経済説」などなど。 増村によくまとまってるからそっちを読んでください……でよろしいでしょうか。早期の説なのでちょっと…… 「藤原氏陰謀説」 藤原氏が道真を遠ざけようとして、というのは明らかに無理筋。ただし、個人的には、本編で述べたような「意思疎通不足」は陰謀に求めることもできなくはないのかなと思ったり。というのも、道真は結構全方面から嫌われていたので(悲しい)、宇多の近臣に道真を疎む者が居てもおかしくはない。ただ、あえて陰謀があったと考える必要性は薄いと思う。 ほか、私の個人的な雑感 滝川は遣唐使再検討の根拠は「中瓘の録記」と断じているが、個人的には早計な感がある。道真が個人的に持っていた伝手を辿ったり、(場合によってはあまり公にできない)商人などから得た情報をもとにしていた可能性は考えられる。その場合は森説に近いものがあるのかもしれない。 ただ、中瓘録記未読説を取らないなら、中瓘の録記で既に渡唐停止を勧めているわけで、それ以上に何か決め手となる情報とは一体なんぞや、という疑問は残る。やはり本編で出したようなコミュニケーション不足に求めた方が無難な気が……しかし根拠はないわけで。やっぱりわからん。 今回は寛平遣唐使問題をかなり深堀りできたと思います。たぶん最新研究とそこそこ同じ景色が見られているのではないかと。ただ、そのせいでちょっと次回の目途が立っておりません……6月に投稿できたらいいなぁ……(そして今回に比べたら薄味でも許して下さい。むしろ今回が異常なんです)
はじめまして
せるヴぁんだに関するブログ 第1条 目的 本ブログ記事の目的は、次のとおりである。 せるヴぁんだについて理解すること。そのために簡単な自己紹介を行う。 第2条 せるヴぁんだの定義 せるヴぁんだとは、主としてニコニコ動画において国際法学に関する解説動画の投稿行為を行っている者である。 せるヴぁんだとは、ラテン語の法格言”Pacta Sunt Servanda”-合意は拘束する-からとられたものである。 第3条 過去の投稿動画 代表的なものとして、紲星あかりの3分即決!国際法廷!シリーズなど。 他に、単発モノがニコニコ動画に寄託されている。 3分の題名は、時間概念としての3分に何ら影響を及ぼすものではない。 第4条 今後の方針 国際法全体の解説動画の投稿を試みることに努めなければならない。 前項に並行して、既存シリーズの拡充に努めなければならない。 世界史ベーた(仮)を盛り上げられるように、積極的に貢献するよう努めなければならない。 第5条 コメント このブログは、日本語を正文とし、世界史ベーた(仮)公式に寄託しておく。 というわけで、よろしくお願いいたします。 附則 リンク 3分即決!国際法廷「コルフ海峡事件」 STATE WARS 拒否権の覚醒
やあやあ!我こそはロレンス動画を作ったZEKE22と言ふ者なひけり!!!
じこしょうかいなんかするよ! どうも、ブログの世界では初めまして。ZEKE22と申します。 最近だと動画の世界では「豊和銃解説の人」Twitterでは「肉屋の人」なんて言われています。つまり要約すると「豊和製の銃を乱射している肉屋」ですね。なんて物騒な奴なんだ。 そんな事は置いておいて、もう少しだけ真面目に自分を紹介していきましょうか。 名前の「ZEKE22」とは中学の頃、とある蛇が潜入ミッションするゲームをプレイする時に英語のニックネームしかつけられず、その頃からミリタリーオタクをやっていた私は「英語なんも分からんし、前にコンビニで買った軍用機の本に乗っていた零戦のコードネームで良いか!」と「ZEKE」と名付けたのです。 「中学のガキならば普通に自分の名前でも付けろや」とか言われそうですが、その頃に一緒によく遊んでいた友人が「自分の名前つけるとかダセエし、何よりネットリテラシーがねえぜ!」と言って名前を変えていたので、その影響を大きく受けた結果ですね。 それから暫く「ZEKE」を使っていた私。ある日とあるロシア企業(最近ウクライナで起きた騒乱で本社がEUに移っていたの知ったけれど)の戦争ゲームをプレイする際、いつものようにニックネームをつけたところ「ZEKEは既に使われてるぜバーカ」と言われ、尾びれに22がついた「ZEKE22」という今のスタイルに落ち着いたという訳です。 ちなみに22の数字は零戦の二二型を意識しています。カッコイイですよね二二型。初期生産の二一型、特徴的な翼端の三二型、戦争末期の五二型系列なんかに比べるとパッせず、人気もイマイチな気がしますが、二一型よりラジエーターが減ってスッキリとし、五二型のように無理に性能を上げるべくゴチャゴチャと排気管が付いているわけでもない、まさに「美しい零戦」は二二型だと個人的には思っています。そんな二二型でも個人的には九九式二号三型20粍機銃に換装された甲型が好きです。翼から突き出た20粍機銃の銃身がとてもエッチで良い……と脱線はこれまでにしときましょう。 とまぁ、つけた理由が適当で「いつかニックネーム変えてぇ」と思っていたのですが、ありがたいことに投稿した動画は再生数が伸び、肉を売りだしたら「ジーク肉」なんて妙なブランド名がついてしまったので、このニックネームとは生涯仲良くしていくんだろうなぁ……なんて思っています。はい。 ……ってかこんなに自分について語ってても良いのかな?他のメンバーの自己紹介があまりにもあっさりしすぎていて不安になるんですけど。 ロレンス動画について語ろうね ……と言っても、ロレンスについて話したいことは大体動画に落とし込んでしまっているので「ロレンスの話が聞きたい?動画見ろや!」となってしまうんですよね。うーんこの。という訳で動画の話をしましょう。動画!トーマス・エドワード・ロレンスですよ!アラビアのロレンス!(謎テンション) 編集時については……あれは難産でした。はい。 なんせ、いつも解説に扱っているのは兵器等の「物体」で「人物」について深堀した解説って今回が初めてなんですよね。「物体も人物もさほど変わらんやろー!」と私自身もタカをくくっていたんですけれど、案外勝手が違う。 兵器等の人工物は、見たり読んだりしていると「設計者の意向」というのがある程度推測できるのですが、人物だとそういった意向が少し見えにくい。なんなら「何してんのお前」という部分もあるんですよ。 人工物なら「これは、謎です」と言えば済む(済ますな)のですが、人物は「どこまで心理を読み解けばいいんだこれ……」と悩んでしまいました。ひとつに「解説」といってもいろいろ違うんだなと思い知らされた瞬間でした。 まぁ、来月も似たようなことを書くのでこの辺りにしておきましょう。では、来月にまた。
フィリップス曲線くん『おはよう!!』 私『寝てろバカ!』 という話
インフレと物価について ※若干の時事ネタを含みますが、政治的な主張を含んでいるわけではありません。どうかその点をよく理解して、視野を明るくし、共感から離れて見てください(テレビのテロップ並感)。 現在、インフレがアメリカで大きな問題となっています。1月のCPI(消費者物価指数)は前年同月比で7.5%も上昇しました。少し前までは、このインフレは「transitory」(一時的なもの)と言われていましたが、どうやら一時的では収まらなさそうだ、という見方が大勢になってきたようです。 「いやいや、そんなツマラナイ話はいいから、歴史の話をしなさいよ」と思ったあなた。申し訳ない。しかし、ちょっとばかり歴史とも絡んできますから、もう少し我慢してください。 それは「フィリップス曲線」です。 フィリップス曲線は ぐうぐう ねむっている フィリップス曲線とはなんぞや、という話を少ししましょう。これは「失業率と物価上昇率」または「失業率と(名目)賃金上昇率」の間にある関係を示した曲線です。ここで物価上昇率と賃金上昇率をあげているのは、ふつう、この2つは強く相関するためです。以後は物価で統一しましょう。 横軸に失業率を取り、縦軸に物価上昇率を取ると、負の相関(すなわち右下がりの関係)があらわれることがわかっています。こういうことを言うと数学者に怒られますが、形状としては反比例の曲線をイメージするとわかりやすいと思います。 つまり、失業率が下がると、物価が上がってしまい、インフレになるのです。経済学者は「トレードオフ」という言葉が好きなので、この関係を「失業率とインフレのトレードオフ」とか言ったりします。あっちを立てればこっちが立たず。人生はだいたいそんなもんです。 ところが! 最近、「フィリップス曲線のフラット化」が指摘されるようになりました。フラット化というのは、文字通り平らになってしまうということです。横たわる直線をイメージしてみてください。そう、失業率が下がってもインフレにならないのです! じゃあいくらでも失業率を下げられるじゃないか! そう思った時期が私たちにもありました。 フィリップス曲線は めをさました! みんなが「平ら」とか「絶壁」とか言うから、フィリップス曲線くんは目を覚ましてしまいました。お前らのせいです。あーあ。 冗談はさておき、事実として、アメリカはインフレになってしまったのです。失業率は3%台まで改善しましたが、物価は上がりました。もちろん、賃金も上昇しています。フィリップス曲線はフラットではなくなってしまいました。 ここで、当然疑問が出てきます。「なんでインフレになったの?」ということです。あるいは質問を変えても良いでしょう。「なんで今まではインフレにならなかったの?」と。 残念ながら、どちらの問いにも、経済学者は断定的には答えられません。 物価はとにかく難解なのです。いまだに経済学者は物価のことをよくわかっていません。なにせ、2020年の段階では「これはデフレになる」と言われていたのですから。現実は皆さんがよくご存じの通り、インフレになっています。 もっと言ってしまえば、「フィリップス曲線のフラット化」の原因として、経済学者たちはたびたび「インフレ予想」を話題に上げていました。簡単に言ってしまえば、「インフレになると思っていないからインフレにならない」という話です。それなら、むしろ「デフレになる」と言っていた今回は、どうしてインフレになったのでしょうか。わからないことだらけです。 けれども、推論することはできます。今回はその手掛かりの一つとして、歴史上のインフレについて見てみましょう。 そう、ようやく本題なのです もっともわかりやすいインフレの例は、江戸末期の万延貨幣改鋳でしょう。 背景をちょっとだけ説明すると、当時は金銀比価(金と銀の交換比率)が日本と外国で違ったため、その差を利用して儲けることができたのです。これでは日本国内から金が流出してしまいます。そこで、幕府はやむを得ず金貨(小判)をおよそ1/3の価値(量目)まで下落させる改鋳を行いました。これで流出の危険は去ります。 ところが、ちょっと思い出していただきたいのが、江戸期の金貨は計数貨幣であったということです。金貨の価値が下がろうと、1枚は1両と決まっています。さらに、このときの幕府は、改鋳をスムースに進めるため、市中の旧金貨1枚と新金貨3枚をただちに交換し、差額(出目)を懐に入れたりはしなかったといいます。つまり、市中の貨幣量がいきなり3倍になってしまったのです。 貨幣で買えるもの(たとえばお米とか)の価値は変わらないのに、貨幣だけが増えてしまえば、当然貨幣の魅力は下がります。したがって、物価は上がり、猛烈なインフレが起きました。 次の例を見てみましょう。第二次世界大戦後の日本に目を向けてみます。 このとき、いわゆる傾斜生産と復興のために、復興金融金庫(以下復金)は莫大なお金を市中に供給しました。有名な「復金インフレ」です。 正直なところ、このインフレについての解説はほとんどこれで済んでしまうのですが……ひとつだけ付け加えたいことがあります。というのも、実は復金が設立される前から既にインフレははじまっていたのではないか、という議論があるのです。これは復金では説明できません。 しかし、その時期にインフレが起きていたとしても、原因はかなりはっきりしています。馬場財政以来(高橋財政以来ではないか、という指摘もありますが)無頓着に発行され続けた赤字国債の日銀引き受けです。やはり莫大なお金を市中に供給していたものが、戦後になって統制経済がゆるみ、顕在化したというのが今のところの定説です。結局、その議論の結論も復金とほとんど同じ、「市中でお金がだぶついた」ということになります。 最後の例は私たちにもなじみ深い、「狂乱物価」です。 (また日本か! という突っ込みはご勘弁を……) この例は、一見今までの事例と異なるように思えます。私たちは「オイルショックによって狂乱物価が起きた」という文脈で語りがちです。たしかに、石油製品(トイレットペーパーなど)は、当時大きな問題となりました。ところが、よくよく調べてみると、石油製品以外も値上がりしていたとわかってきました。これはオイルショックでは説明しきれません。 ひとつの説として、ここでも「市中でお金がだぶついた」のではないかという指摘があります。田中内閣の列島改造や、ニクソンショックからの一連の通貨混乱の中、金融緩和が続けられたことなどによって、市中のお金がだぶついたという議論です。 物価ちゃんは一筋縄では攻略できない さて、ここまで3つの例を見てきました。どの例も、「市中のお金がだぶつく」というのが原因になっていそうだ、ということがわかりますね。インフレになったのは、市中のお金がだぶついたからで、インフレにならなかったのは市中のお金がだぶついていなかったから。そういう説明ができそうな気がしてきます。 現在のアメリカの場合なら、コロナ禍の対応でかなりの財政支出を行ったことや、それまでずっと行って来た金融緩和(単純に言えば、市中のお金を増やすことです)が原因になるでしょう。 ところが、実はこれだけでは不十分です。市中のお金がだぶつくことが原因だとしても、どうにもインフレまでの間には時間的ラグがあるように見えます。 赤字国債の日銀引き受けは戦前から行われていましたが、インフレが問題になったのは戦後です。田中内閣がはじまったのは「狂乱物価」よりも前です。現在のアメリカの場合も、新型コロナウイルスがcovid“19”と言われるように、コロナ禍のはじまりはもっと前です。 個別に説明のしようはありそうですが、もっと簡素にモデル化できなければ、経済学者は「物価がわかった」なんて口が裂けても言えません。 もちろん、ラグがまったくないという主張もできるでしょう。たとえば「あるラインを越えたらインフレがはじまる」という考え方です。しかし、その「あるライン」が明確でない以上、やはり問題は残ります。 ちなみに、この問題は上記の説明にも言えます。「だぶつく」が明確に数値化されなければ、経済学者は不満顔のままなのです。 しかし、わからないことに何かしらの解釈をあてて、モデルを作ってゆくのが経済学者の仕事でもあります。今回ご紹介したフィリップス曲線はその一つです。そして、今回は起き上がってしまった理由に「市中のお金がたぶつく」という解釈を与えました。… Continue reading フィリップス曲線くん『おはよう!!』 私『寝てろバカ!』 という話
最近の戦跡巡り事情
はじめに 初めてのブログですが…今回は私の趣味でもある戦跡巡りについて書いていきたいと思います。 まず私がどこに行ってきたのか簡単にまとめていきます。いずれ動画でも触れる可能性があるので簡単に触れます。 どういう場所に行くのか? 私は瀬戸内海周辺の遺跡によく行ってます。特に砲台跡ですね。砲台跡は残りやすいですし地形のみでもそれなりに残り続けていますのでわかりやすいです。もちろんそれ以外の場所も行きますが今回は芸予要塞メインで書かせていただきます。 芸予要塞とは? 芸予要塞とは日露戦争前後に瀬戸内海への敵船の侵入を防ぐために設置された砲台跡群で、現在のしまなみ海道(愛媛 今治ー広島 尾道)の真下にある「大久野島」と「小島」に設置されています。 これらの島は今も渡し船があり安価で渡ることができます。 それぞれの島にはそれぞれのいいところがあり、大久野島は今では「うさぎの島」として人気のある観光地となっています。 今回は小島の説明は省かせていただいて「大久野島」のみ説明させていただきます。 大久野島 うさぎの島? 前述の通り、大久野島はうさぎの島として非常に有名です。理由としては島には1000羽近くのうさぎが生息しておりどこを歩いてもウサギに会えるほどです。とても癒されました。本当に良かったまた行こう。 そんな「うさぎの島」大久野島ですが、実は影の歴史が存在します 大久野島に砲台が設置されたのは日露戦争前の1897年で、1900年に竣工しました。その後、四国佐田岬半島の先にある豊予要塞の完成で1924年に廃止されました。しかしその後1929年より毒ガスを研究、開発するための施設が旧日本陸軍により設置されました。これがこの島の影の歴史です。 この島は「うさぎの島」と言われている一方「毒ガスの島」とも言われています。 当時は軍事関係でもあり「地図から消された島」でもありました。その痕跡は今も見ることができ当時の様々な施設が現存しています。毒ガス研究で使われた貯蔵タンク置き場などでは戦後米軍によって無毒化のための焼却作業が行われた証拠として壁や天井に黒い煤が今も残り続けています。個人的にきれいだと思ったのは発電所跡ですね。すっごいきれいでびっくりしました。 現在もその汚染は続いており島に存在する井戸水は使用禁止となっており、土壌からはヒ素が検出された事例もあります。 ですが現在は国民休暇村があったり非常に安全に観光できました!是非次訪れた際には一泊でもしてみたいです。 ちなみに島には「毒ガス資料館」なるものがあり島の歴史を知ることができます。(展示物は日本軍のものと言われるソ連製兵器があったりソースが怪しい毒ガス使用記録が複数見られましたが歴史的価値はあるものも複数あります) 他にもこの島では様々なことが言われていますが争いの種になりうるので割愛させていただきます。 さいごに 今回は芸予要塞の大久野島について説明させていただきました。興味を持たれた方は是非訪れてみてください!ウサギに癒されます。(うさぎのエサは本土の乗船場で購入しましょう。) ではまた。 アクセス方法 広島県 忠海港→大久野島 愛媛県 大三島盛港→大久野島 大久野島休暇村公式HP・・・https://www.qkamura.or.jp/sp/ohkuno/access/
ホッブズ編集後記
哲学系の動画はほとんど上げてきたことはなかったのですが「少しは勉強した方がいいだろう」と言うことで挑んでみました。もともと哲学に興味があったわけではないのですが、知識人と言われているような人はよく哲学用語などを使いますので、私もカッコつけたいという不純な動機で哲学をかじるようになった次第です。 さて、ホッブズ以前の時代と言うのはキリスト教が科学であり法律であり、教育でした。何か物事を考えるうえでは何かしら神にさかのぼることが当然のことだったわけです。なぜ王が国を支配できるのか、それは神に選ばれた存在だからです。そうした思想を背景に儀式などが進められているのは聖書に倣って即位時に油を塗られることなどからもわかるでしょう。しかし、宗教改革でキリスト教が分裂すると宗教と言うものが相対化されます、本来宗教は一つの正しいものがあってそれ以外はこの世界の説明に適さないものでした。宗教改革では様々な説明が生まれました。この世界に人が死後天国に行くにはどうすればいいのか、善行を積めばいいのか、神様があらかじめ決めているからどうしようもないのか。どれか一つが正しい説明であるならば、そして神が存在するならば、誤った方が消えてもよいと思うのですが、そうはならず、様々な見解が長年にわたって共存することになりました。私は浅学の身なのでこの辺りに限らず思想史についてはまだまだ読書不足ですが、このカオスの中で神を抜きにして世界の説明を試みる人が現れても不思議ではなかったのでしょう。ホッブズは王が国を支配する理屈において、神を抜きに語りました。ホッブズ自身は無神論者だとは言っていませんが、他人からは無神論者だといわれる程度には神と言うものを重視しする説明はしていなかったようです。 神を手放してしまったことについて、私はそこまで理性的な人間ではないので、実にもったいないことをしたなと思います。特に小学生の頃でしたが、自分は死んだらどうなるんだろうかと言うことを考えて恐怖を覚えたものです。脳機能が停止して夢すらも見ることが無くなった「私」はどこに行くのか、外部からの刺激が一切ない真っ暗闇の中永遠の時を過ごすのか、そもそも永遠の時を認識する「私」はいなくなっているのだろうか、でもいまキーボードをたたく「私」が途切れたとしてその先に何があるのか。死んだ人の体験談が聞きたいのですが、死んだのなら聞けるはずもなく、死ぬ時まで持っていく疑問なのだろうと思います。死んだら煉獄に行くやら、もう一度生まれ変わるやら、単純にそう信じて、信じ込んでおきたかったなと思う次第です。