道真第二回の参考文献と、寛平遣唐使問題の諸説

文人官僚の限界を超えて♪ 道真は来たんだよ  おひさしぶりです。「みっちざねにしてあげる♪(してやんよ)」という曲(捏造)が頭から離れない※(米印)です。    菅原道真解説の第二回、ご覧いただきありがとうございます(見ろよ、という圧)。  さて、今回は文献紹介と補足解説を行っていきます。前回も言いましたが、私は平安期日本史の専門家ではありませんので、参考程度にしてくださいね。   参考文献紹介 渤海使関連   上田雄(2004)『渤海国 東アジア古代王国の使者たち』講談社学術文庫。 ※文庫本なのでお手軽。渤海使の基礎情報はほとんどこれが網羅しています。ちなみにこれは1992年の『渤海国の謎 知られざる東アジアの古代王国』(講談社現代新書)を元にした本なので、どっちかが見つかればぜひ読んでください。   古畑徹(2018)『渤海国とは何か』(歴史文化ライブラリー 458)、吉川弘文館。 ※渤海の国自体についてはこれがおすすめです。ただ、渤海使についてはそこまで詳しく扱っていないのです……   上田雄(2002)『渤海使の研究 日本海を渡った使節たちの軌跡』明石書店。 ※専門書です。各回の渤海使(違期入朝含む)を詳細に記しています。ちなみに都言道くんの下心もこれのおかげで知りました。   寛平遣唐使問題 渡邊誠(2013)「寛平の遣唐使派遣計画の実像」『史人 5号』広島大学大学院教育学研究科下向井研究室。 ※論文です。増村~石井の議論がよくまとまっています。寛平遣唐使問題に興味を持った方はまず読んでみてください(リポジトリに公開されているので無料で読めます)   石井正敏著、村井章介、榎本渉、河内春人編(2018)『遣唐使から巡礼僧へ』(石井正敏著作集 第二巻)、勉誠出版。 ※石井の論文集です。「いわゆる遣唐使の停止について」と「寛平六年の遣唐使計画について」、それから「寛平六年の遣唐使計画と新羅の海賊」が寛平遣唐使問題を扱っています。「いわゆる~」は「其日」問題、「~新羅の海賊」は「新羅賊」説まわりの否定なので、もし個別に論文を探すなら「~計画について」(道真の二つの文章の読解)をどうぞ。   増村宏(1988)『遣唐使の研究』同朋舎出版。 ※結構古いですが、だいぶ先進的な議論を行っています。ただし、他説批判がメインなので増村自身の説は見えにくいかもしれません。だいたいの古い説は「増村を見ろ」で終わります(え   滝川幸司(2019)「菅原道真と遣唐使(一) 『請令諸公卿議定遣唐使進止状』『奉勅為太政官報在唐僧中瓘牒』の再検討」『詞林 65』大阪大学古代中世文学研究会 滝川幸司(2020)「渡唐の心情は詠まれたのか 寛平の遣唐使と漢詩文」『語文 115』大阪大学国語国文学会。 ※滝川先生の論文です。直前までこれに気づかずに作ってしまって、「まぁどうせそんな変わらんやろ」と読んでみたら論理でぶん殴られてしましました。上のやつはweb上で公開されてますので、ぜひ読んでみてください。   道真の再検討要請の理由の諸説(紹介しきれなかったもの) 鈴木靖民の「新羅賊」説  石井らが否定。そもそも、史料を素直に読めば道真が理由にしたのは「唐に着いてからの困難」だったはずなので、唐に着く前(渡航)を問題にするのはナンセンスだと私は思う。   「大義名分説」や「社会経済説」などなど。  増村によくまとまってるからそっちを読んでください……でよろしいでしょうか。早期の説なのでちょっと……   「藤原氏陰謀説」  藤原氏が道真を遠ざけようとして、というのは明らかに無理筋。ただし、個人的には、本編で述べたような「意思疎通不足」は陰謀に求めることもできなくはないのかなと思ったり。というのも、道真は結構全方面から嫌われていたので(悲しい)、宇多の近臣に道真を疎む者が居てもおかしくはない。ただ、あえて陰謀があったと考える必要性は薄いと思う。   ほか、私の個人的な雑感  滝川は遣唐使再検討の根拠は「中瓘の録記」と断じているが、個人的には早計な感がある。道真が個人的に持っていた伝手を辿ったり、(場合によってはあまり公にできない)商人などから得た情報をもとにしていた可能性は考えられる。その場合は森説に近いものがあるのかもしれない。  ただ、中瓘録記未読説を取らないなら、中瓘の録記で既に渡唐停止を勧めているわけで、それ以上に何か決め手となる情報とは一体なんぞや、という疑問は残る。やはり本編で出したようなコミュニケーション不足に求めた方が無難な気が……しかし根拠はないわけで。やっぱりわからん。        今回は寛平遣唐使問題をかなり深堀りできたと思います。たぶん最新研究とそこそこ同じ景色が見られているのではないかと。ただ、そのせいでちょっと次回の目途が立っておりません……6月に投稿できたらいいなぁ……(そして今回に比べたら薄味でも許して下さい。むしろ今回が異常なんです)

やあやあ!我こそはロレンス動画を作ったZEKE22と言ふ者なひけり!!!

じこしょうかいなんかするよ! どうも、ブログの世界では初めまして。ZEKE22と申します。 最近だと動画の世界では「豊和銃解説の人」Twitterでは「肉屋の人」なんて言われています。つまり要約すると「豊和製の銃を乱射している肉屋」ですね。なんて物騒な奴なんだ。   そんな事は置いておいて、もう少しだけ真面目に自分を紹介していきましょうか。 名前の「ZEKE22」とは中学の頃、とある蛇が潜入ミッションするゲームをプレイする時に英語のニックネームしかつけられず、その頃からミリタリーオタクをやっていた私は「英語なんも分からんし、前にコンビニで買った軍用機の本に乗っていた零戦のコードネームで良いか!」と「ZEKE」と名付けたのです。 「中学のガキならば普通に自分の名前でも付けろや」とか言われそうですが、その頃に一緒によく遊んでいた友人が「自分の名前つけるとかダセエし、何よりネットリテラシーがねえぜ!」と言って名前を変えていたので、その影響を大きく受けた結果ですね。 それから暫く「ZEKE」を使っていた私。ある日とあるロシア企業(最近ウクライナで起きた騒乱で本社がEUに移っていたの知ったけれど)の戦争ゲームをプレイする際、いつものようにニックネームをつけたところ「ZEKEは既に使われてるぜバーカ」と言われ、尾びれに22がついた「ZEKE22」という今のスタイルに落ち着いたという訳です。 ちなみに22の数字は零戦の二二型を意識しています。カッコイイですよね二二型。初期生産の二一型、特徴的な翼端の三二型、戦争末期の五二型系列なんかに比べるとパッせず、人気もイマイチな気がしますが、二一型よりラジエーターが減ってスッキリとし、五二型のように無理に性能を上げるべくゴチャゴチャと排気管が付いているわけでもない、まさに「美しい零戦」は二二型だと個人的には思っています。そんな二二型でも個人的には九九式二号三型20粍機銃に換装された甲型が好きです。翼から突き出た20粍機銃の銃身がとてもエッチで良い……と脱線はこれまでにしときましょう。 とまぁ、つけた理由が適当で「いつかニックネーム変えてぇ」と思っていたのですが、ありがたいことに投稿した動画は再生数が伸び、肉を売りだしたら「ジーク肉」なんて妙なブランド名がついてしまったので、このニックネームとは生涯仲良くしていくんだろうなぁ……なんて思っています。はい。 ……ってかこんなに自分について語ってても良いのかな?他のメンバーの自己紹介があまりにもあっさりしすぎていて不安になるんですけど。 ロレンス動画について語ろうね ……と言っても、ロレンスについて話したいことは大体動画に落とし込んでしまっているので「ロレンスの話が聞きたい?動画見ろや!」となってしまうんですよね。うーんこの。という訳で動画の話をしましょう。動画!トーマス・エドワード・ロレンスですよ!アラビアのロレンス!(謎テンション)   編集時については……あれは難産でした。はい。 なんせ、いつも解説に扱っているのは兵器等の「物体」で「人物」について深堀した解説って今回が初めてなんですよね。「物体も人物もさほど変わらんやろー!」と私自身もタカをくくっていたんですけれど、案外勝手が違う。 兵器等の人工物は、見たり読んだりしていると「設計者の意向」というのがある程度推測できるのですが、人物だとそういった意向が少し見えにくい。なんなら「何してんのお前」という部分もあるんですよ。 人工物なら「これは、謎です」と言えば済む(済ますな)のですが、人物は「どこまで心理を読み解けばいいんだこれ……」と悩んでしまいました。ひとつに「解説」といってもいろいろ違うんだなと思い知らされた瞬間でした。 まぁ、来月も似たようなことを書くのでこの辺りにしておきましょう。では、来月にまた。

フィリップス曲線くん『おはよう!!』 私『寝てろバカ!』 という話

インフレと物価について ※若干の時事ネタを含みますが、政治的な主張を含んでいるわけではありません。どうかその点をよく理解して、視野を明るくし、共感から離れて見てください(テレビのテロップ並感)。    現在、インフレがアメリカで大きな問題となっています。1月のCPI(消費者物価指数)は前年同月比で7.5%も上昇しました。少し前までは、このインフレは「transitory」(一時的なもの)と言われていましたが、どうやら一時的では収まらなさそうだ、という見方が大勢になってきたようです。  「いやいや、そんなツマラナイ話はいいから、歴史の話をしなさいよ」と思ったあなた。申し訳ない。しかし、ちょっとばかり歴史とも絡んできますから、もう少し我慢してください。  それは「フィリップス曲線」です。 フィリップス曲線は ぐうぐう ねむっている  フィリップス曲線とはなんぞや、という話を少ししましょう。これは「失業率と物価上昇率」または「失業率と(名目)賃金上昇率」の間にある関係を示した曲線です。ここで物価上昇率と賃金上昇率をあげているのは、ふつう、この2つは強く相関するためです。以後は物価で統一しましょう。  横軸に失業率を取り、縦軸に物価上昇率を取ると、負の相関(すなわち右下がりの関係)があらわれることがわかっています。こういうことを言うと数学者に怒られますが、形状としては反比例の曲線をイメージするとわかりやすいと思います。  つまり、失業率が下がると、物価が上がってしまい、インフレになるのです。経済学者は「トレードオフ」という言葉が好きなので、この関係を「失業率とインフレのトレードオフ」とか言ったりします。あっちを立てればこっちが立たず。人生はだいたいそんなもんです。      ところが!  最近、「フィリップス曲線のフラット化」が指摘されるようになりました。フラット化というのは、文字通り平らになってしまうということです。横たわる直線をイメージしてみてください。そう、失業率が下がってもインフレにならないのです!  じゃあいくらでも失業率を下げられるじゃないか! そう思った時期が私たちにもありました。 フィリップス曲線は めをさました!  みんなが「平ら」とか「絶壁」とか言うから、フィリップス曲線くんは目を覚ましてしまいました。お前らのせいです。あーあ。    冗談はさておき、事実として、アメリカはインフレになってしまったのです。失業率は3%台まで改善しましたが、物価は上がりました。もちろん、賃金も上昇しています。フィリップス曲線はフラットではなくなってしまいました。    ここで、当然疑問が出てきます。「なんでインフレになったの?」ということです。あるいは質問を変えても良いでしょう。「なんで今まではインフレにならなかったの?」と。    残念ながら、どちらの問いにも、経済学者は断定的には答えられません。  物価はとにかく難解なのです。いまだに経済学者は物価のことをよくわかっていません。なにせ、2020年の段階では「これはデフレになる」と言われていたのですから。現実は皆さんがよくご存じの通り、インフレになっています。  もっと言ってしまえば、「フィリップス曲線のフラット化」の原因として、経済学者たちはたびたび「インフレ予想」を話題に上げていました。簡単に言ってしまえば、「インフレになると思っていないからインフレにならない」という話です。それなら、むしろ「デフレになる」と言っていた今回は、どうしてインフレになったのでしょうか。わからないことだらけです。    けれども、推論することはできます。今回はその手掛かりの一つとして、歴史上のインフレについて見てみましょう。 そう、ようやく本題なのです  もっともわかりやすいインフレの例は、江戸末期の万延貨幣改鋳でしょう。  背景をちょっとだけ説明すると、当時は金銀比価(金と銀の交換比率)が日本と外国で違ったため、その差を利用して儲けることができたのです。これでは日本国内から金が流出してしまいます。そこで、幕府はやむを得ず金貨(小判)をおよそ1/3の価値(量目)まで下落させる改鋳を行いました。これで流出の危険は去ります。  ところが、ちょっと思い出していただきたいのが、江戸期の金貨は計数貨幣であったということです。金貨の価値が下がろうと、1枚は1両と決まっています。さらに、このときの幕府は、改鋳をスムースに進めるため、市中の旧金貨1枚と新金貨3枚をただちに交換し、差額(出目)を懐に入れたりはしなかったといいます。つまり、市中の貨幣量がいきなり3倍になってしまったのです。  貨幣で買えるもの(たとえばお米とか)の価値は変わらないのに、貨幣だけが増えてしまえば、当然貨幣の魅力は下がります。したがって、物価は上がり、猛烈なインフレが起きました。      次の例を見てみましょう。第二次世界大戦後の日本に目を向けてみます。  このとき、いわゆる傾斜生産と復興のために、復興金融金庫(以下復金)は莫大なお金を市中に供給しました。有名な「復金インフレ」です。  正直なところ、このインフレについての解説はほとんどこれで済んでしまうのですが……ひとつだけ付け加えたいことがあります。というのも、実は復金が設立される前から既にインフレははじまっていたのではないか、という議論があるのです。これは復金では説明できません。  しかし、その時期にインフレが起きていたとしても、原因はかなりはっきりしています。馬場財政以来(高橋財政以来ではないか、という指摘もありますが)無頓着に発行され続けた赤字国債の日銀引き受けです。やはり莫大なお金を市中に供給していたものが、戦後になって統制経済がゆるみ、顕在化したというのが今のところの定説です。結局、その議論の結論も復金とほとんど同じ、「市中でお金がだぶついた」ということになります。      最後の例は私たちにもなじみ深い、「狂乱物価」です。 (また日本か! という突っ込みはご勘弁を……)  この例は、一見今までの事例と異なるように思えます。私たちは「オイルショックによって狂乱物価が起きた」という文脈で語りがちです。たしかに、石油製品(トイレットペーパーなど)は、当時大きな問題となりました。ところが、よくよく調べてみると、石油製品以外も値上がりしていたとわかってきました。これはオイルショックでは説明しきれません。  ひとつの説として、ここでも「市中でお金がだぶついた」のではないかという指摘があります。田中内閣の列島改造や、ニクソンショックからの一連の通貨混乱の中、金融緩和が続けられたことなどによって、市中のお金がだぶついたという議論です。 物価ちゃんは一筋縄では攻略できない  さて、ここまで3つの例を見てきました。どの例も、「市中のお金がだぶつく」というのが原因になっていそうだ、ということがわかりますね。インフレになったのは、市中のお金がだぶついたからで、インフレにならなかったのは市中のお金がだぶついていなかったから。そういう説明ができそうな気がしてきます。  現在のアメリカの場合なら、コロナ禍の対応でかなりの財政支出を行ったことや、それまでずっと行って来た金融緩和(単純に言えば、市中のお金を増やすことです)が原因になるでしょう。    ところが、実はこれだけでは不十分です。市中のお金がだぶつくことが原因だとしても、どうにもインフレまでの間には時間的ラグがあるように見えます。  赤字国債の日銀引き受けは戦前から行われていましたが、インフレが問題になったのは戦後です。田中内閣がはじまったのは「狂乱物価」よりも前です。現在のアメリカの場合も、新型コロナウイルスがcovid“19”と言われるように、コロナ禍のはじまりはもっと前です。  個別に説明のしようはありそうですが、もっと簡素にモデル化できなければ、経済学者は「物価がわかった」なんて口が裂けても言えません。  もちろん、ラグがまったくないという主張もできるでしょう。たとえば「あるラインを越えたらインフレがはじまる」という考え方です。しかし、その「あるライン」が明確でない以上、やはり問題は残ります。  ちなみに、この問題は上記の説明にも言えます。「だぶつく」が明確に数値化されなければ、経済学者は不満顔のままなのです。    しかし、わからないことに何かしらの解釈をあてて、モデルを作ってゆくのが経済学者の仕事でもあります。今回ご紹介したフィリップス曲線はその一つです。そして、今回は起き上がってしまった理由に「市中のお金がたぶつく」という解釈を与えました。… Continue reading フィリップス曲線くん『おはよう!!』 私『寝てろバカ!』 という話

最近の戦跡巡り事情

はじめに 初めてのブログですが…今回は私の趣味でもある戦跡巡りについて書いていきたいと思います。 まず私がどこに行ってきたのか簡単にまとめていきます。いずれ動画でも触れる可能性があるので簡単に触れます。 どういう場所に行くのか? 私は瀬戸内海周辺の遺跡によく行ってます。特に砲台跡ですね。砲台跡は残りやすいですし地形のみでもそれなりに残り続けていますのでわかりやすいです。もちろんそれ以外の場所も行きますが今回は芸予要塞メインで書かせていただきます。 芸予要塞とは? 芸予要塞とは日露戦争前後に瀬戸内海への敵船の侵入を防ぐために設置された砲台跡群で、現在のしまなみ海道(愛媛 今治ー広島 尾道)の真下にある「大久野島」と「小島」に設置されています。 これらの島は今も渡し船があり安価で渡ることができます。 それぞれの島にはそれぞれのいいところがあり、大久野島は今では「うさぎの島」として人気のある観光地となっています。 今回は小島の説明は省かせていただいて「大久野島」のみ説明させていただきます。 大久野島 うさぎの島? 前述の通り、大久野島はうさぎの島として非常に有名です。理由としては島には1000羽近くのうさぎが生息しておりどこを歩いてもウサギに会えるほどです。とても癒されました。本当に良かったまた行こう。 そんな「うさぎの島」大久野島ですが、実は影の歴史が存在します 大久野島に砲台が設置されたのは日露戦争前の1897年で、1900年に竣工しました。その後、四国佐田岬半島の先にある豊予要塞の完成で1924年に廃止されました。しかしその後1929年より毒ガスを研究、開発するための施設が旧日本陸軍により設置されました。これがこの島の影の歴史です。 この島は「うさぎの島」と言われている一方「毒ガスの島」とも言われています。 当時は軍事関係でもあり「地図から消された島」でもありました。その痕跡は今も見ることができ当時の様々な施設が現存しています。毒ガス研究で使われた貯蔵タンク置き場などでは戦後米軍によって無毒化のための焼却作業が行われた証拠として壁や天井に黒い煤が今も残り続けています。個人的にきれいだと思ったのは発電所跡ですね。すっごいきれいでびっくりしました。 現在もその汚染は続いており島に存在する井戸水は使用禁止となっており、土壌からはヒ素が検出された事例もあります。 ですが現在は国民休暇村があったり非常に安全に観光できました!是非次訪れた際には一泊でもしてみたいです。 ちなみに島には「毒ガス資料館」なるものがあり島の歴史を知ることができます。(展示物は日本軍のものと言われるソ連製兵器があったりソースが怪しい毒ガス使用記録が複数見られましたが歴史的価値はあるものも複数あります) 他にもこの島では様々なことが言われていますが争いの種になりうるので割愛させていただきます。 さいごに 今回は芸予要塞の大久野島について説明させていただきました。興味を持たれた方は是非訪れてみてください!ウサギに癒されます。(うさぎのエサは本土の乗船場で購入しましょう。) ではまた。   アクセス方法 広島県 忠海港→大久野島 愛媛県 大三島盛港→大久野島   大久野島休暇村公式HP・・・https://www.qkamura.or.jp/sp/ohkuno/access/

ホッブズ編集後記

哲学系の動画はほとんど上げてきたことはなかったのですが「少しは勉強した方がいいだろう」と言うことで挑んでみました。もともと哲学に興味があったわけではないのですが、知識人と言われているような人はよく哲学用語などを使いますので、私もカッコつけたいという不純な動機で哲学をかじるようになった次第です。 さて、ホッブズ以前の時代と言うのはキリスト教が科学であり法律であり、教育でした。何か物事を考えるうえでは何かしら神にさかのぼることが当然のことだったわけです。なぜ王が国を支配できるのか、それは神に選ばれた存在だからです。そうした思想を背景に儀式などが進められているのは聖書に倣って即位時に油を塗られることなどからもわかるでしょう。しかし、宗教改革でキリスト教が分裂すると宗教と言うものが相対化されます、本来宗教は一つの正しいものがあってそれ以外はこの世界の説明に適さないものでした。宗教改革では様々な説明が生まれました。この世界に人が死後天国に行くにはどうすればいいのか、善行を積めばいいのか、神様があらかじめ決めているからどうしようもないのか。どれか一つが正しい説明であるならば、そして神が存在するならば、誤った方が消えてもよいと思うのですが、そうはならず、様々な見解が長年にわたって共存することになりました。私は浅学の身なのでこの辺りに限らず思想史についてはまだまだ読書不足ですが、このカオスの中で神を抜きにして世界の説明を試みる人が現れても不思議ではなかったのでしょう。ホッブズは王が国を支配する理屈において、神を抜きに語りました。ホッブズ自身は無神論者だとは言っていませんが、他人からは無神論者だといわれる程度には神と言うものを重視しする説明はしていなかったようです。 神を手放してしまったことについて、私はそこまで理性的な人間ではないので、実にもったいないことをしたなと思います。特に小学生の頃でしたが、自分は死んだらどうなるんだろうかと言うことを考えて恐怖を覚えたものです。脳機能が停止して夢すらも見ることが無くなった「私」はどこに行くのか、外部からの刺激が一切ない真っ暗闇の中永遠の時を過ごすのか、そもそも永遠の時を認識する「私」はいなくなっているのだろうか、でもいまキーボードをたたく「私」が途切れたとしてその先に何があるのか。死んだ人の体験談が聞きたいのですが、死んだのなら聞けるはずもなく、死ぬ時まで持っていく疑問なのだろうと思います。死んだら煉獄に行くやら、もう一度生まれ変わるやら、単純にそう信じて、信じ込んでおきたかったなと思う次第です。

『経済史』は何の役に立つの?

A. 立ちません  正直に言うと、経済史は本流の経済学とはあんまり縁がございません。え、そもそも「本流」ってなんだよって? ……なんだろうね。  さておき、大多数の経済学は経済史の、あるいはもっと言ってしまえば歴史のことを顧みようとはほとんどしません。せいぜい、統計の数字として見るだけなのです。  もちろん、一般向けの本なんかには具体例として過去の事例が挙げられていたりはしますが……   「歴史学」の中の経済史  けれども、それはあくまでも「経済学」として捉えるから、「要らなくね?」みたいな目で見られてしまうのです。発想を変えましょう。「歴史学」の一分野としての経済史、ということなら、まぁ受け入れてもらえる……のではないでしょうか? 受け入れて欲しいな。受け入れてください。受け入れろ。  というわけで、受け入れてもらいました。  でも、ここで一つ問題が生じます。   「歴史学の一分野なら、経済学者じゃなくて歴史学者がやればいいんじゃないの?」    つまり、「経済史」に経済学者っている? という疑問ですね。 A. いる。夕飯のおかずにする  経済学を修めた人間は肉の柔らかさが違う……とかそんなカニバった話ではございません。    冗談は置いておいて、経済は「イメージ」で語られがちです。たとえば、1920年代ごろの日本に目を向けてみましょう。  この時期は、ときには「慢性不況」とか言われるほどに、不況が続いた時代でした。20年ごろから第一次大戦後の戦後恐慌、23年の関東大震災による震災恐慌、さらに震災手形問題が金融恐慌を引き起こし、落ち着いたかと思えば今度は世界恐慌が襲ってくる(昭和恐慌)。まさに泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目です。  でも、だからと言って経済成長をしていなかったかというと、そういうわけでもありません。  事実、名目価格は下落基調にありましたが、実質経済は平均して年率およそ3.5%程度の成長を続けていたと言われています。不況感のイメージは名目価格の下落によるものだったのではないか、というのが中村隆英の議論です。  古典派の二分法と言って、名目と実質はまったく独立したものとして(新古典派経済学では)扱われますから、名目価格が下がっていようと経済は成長していた、と言えるはずです。    では、不況はただのイメージだったのかというと、それも言い切れるものではないでしょう。そもそも、インフレやデフレには様々な弊害があります。  また、これは経済全体の状況を表したものですから、たとえば昭和恐慌では農村が大打撃を受けたように、特定の経済分野だけの成長(や不況)の可能性は十分に考えられることです。ですから、もっと厳密な議論がなされる必要があるわけですね(こんな素人の雑語りブログでは説明しきれるわけがない)。  さらに言えば、どのような経済理論やモデルを採用するのかという段階でも、十分な議論が必要です。  具体的には、冷戦期に日本ではマルクス経済学とかいうゴミカス理論が流行したせいで、経済史がめちゃくちゃになりました。もちろん学べるものがまったくなかったとは言いませんけど……  ……いやほんとに申し訳ない。その節は歴史学に大変ご迷惑をおかけしました。    つまるところ、そういう細かな議論が必要だから経済学者を入れて欲しいなって話なのです。 まとめ  というわけで、まとめます。 経済史は経済学とはご縁がない 歴史学の一分野として受け入れてやってくだせえ そこにできれば経済学者を入れてくださると嬉しいです  ではでは、こんなところで今回は失礼します。  ※(米印)がお送りしました。   あっちょっと待った(宣伝)  今度、ボイコネで本が出ます。ww2期日本の百合小説です。経済学はまったく関係ないんですけどね!  詳しくはzekeさんのTwitterか私のTwitterでも見てやってください。  

よく使う素材について

メスキィタがよく使う素材サイトです。動画を作りたいという方がいらっしゃったら、参考になさってください。   音源 クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~   http://www.yung.jp/index.php 効果音ラボ      https://soundeffect-lab.info/ wikimedia        https://commons.wikimedia.org/wiki/Main_Page DOVA-SYNDROME     https://dova-s.jp/ 画像 いらすとや   https://www.irasutoya.com/ wikimedia   https://commons.wikimedia.org/wiki/Main_Page   画像の切り抜きにはGIMP 2.10.6を使用していますが、PSDファイルの加工にはFireAlpaca64を使用しているため、今後変わる可能性はあります。 動画編集ソフトはAVIUTLで、音声合成ソフトはVOICELOIDのキャラクターを使用しています。AVIUTLには各種プラグインやスクリプトを導入しています。

世界史べーた(仮)のWEBページにようこそ

このWEBページでできること はじめましての人ははじめまして。世界史べーた(仮)でWEBを担当しております眞白(ましろ)と申します。歴史にゆかりのある学部卒ですが、歴史のことはアカデミーに置いてきました私です。会長(?)のいのっちさんにお誘いいただき再び少しでも歴史に携われることを嬉しく思います。この場を借りて御礼申し上げます。では、ゆるっとこのWEBサイトでできる主なことをご案内させていただきます〜。   ロゴの鑑賞 はい、最初から完全に余談です。世界史べーた(仮)のロゴがご覧いただけます。世界史Bといえば高校生が学ぶ歴史の科目の1つですよね。今回、団体のコンセプトとして高校生に限らず広い世代に向けて世界史の魅力を伝えたいということで、親しみやすさをベースにロゴを制作させていただきました。ロゴを制作しているときにはこんなに活発に活動されるとは思っていなくて、今でも精力的な活動に驚きを隠せません。   開講予定テーマの確認 これからどんな人・話題がYouTubeに投稿されるのか、事前情報が出ている場合は予めご確認いただけます。是非、ご自分の興味のある歴史上の人物や範囲が公開されるかどうかチェックしにきてくださいね。   365日今日は何の日?の復習 WEBサイトのheader(頭の部分ですね)部分とTwitterで毎日公開される365日何の日?のアーカイブを見ることができます。この365日、どこかのテンプレートを使っているわけではなく、メンバーさんが一から考えて画像を探して作っています。恐ろしい情熱ですね!   世界史べーた(仮)のメンバー確認 どんなメンバーが世界史べーた(仮)に参加をしているのか、また、世界史べーた(仮)以外での活動についてもご確認いただけます。ニコニコ動画や個人YouTubeで活動されている方もいらっしゃいますので、もっとこの人のことが知りたい!という際に是非ご確認ください。   メンバーブログの閲覧 「普段メンバーの方がどんなことを考えているのか」また、「あの動画の制作の裏話」という動画にはない情報をご覧いただけます。動画はエンコードしてしまった後は修正や補足が難しい媒体ですが、あのとき実は入れたかったけどこんな情報もあるよ!という追加情報も見れるかもしれません。   さいごに 世界史べーた(仮)の”(仮)”の部分はいつまでも進化を目指す発展途上を示されているそうです。WEBサイトに関しても徐々に先を目指していくような運用ができればなと考えております。 もし、こんな機能がWEBサイトに欲しいというものがありましたらコメント欄に記載していただけますと検討させていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。