安全な暗号と共通鍵 まえがき 最近は冷え込みも激しく、椅子の上であぐらをかいて足の指先を温める季節となりました。そんな今日は12月中旬です。大学のレポートを書く時のように、「だ・である」調か「です・ます」調のどちらを選ぼうか悩んでいるところではございますが、早速本題に入りましょう。 前回書いたブログでは、シーザー暗号だとか単一換字式暗号だとかの話をしました。昔から使われている暗号化技術ではありましたが、無線やコンピュータが発明されるにあたって急速に陳腐化することになります。 安全な暗号 そもそも、安全な暗号とは何でしょう? この疑問に答えるためには、別にアマゾンの奥地に行く必要はありません。ネットの海を泳げば自ずと、「ケルクホフスの原理」にたどり着くでしょう。 ご推察の通り、「ケルクホフスの原理」はケルクホフスが1883年に発表したものです。この原理は6つの条件があり、特に下記の2番目のものが重要とされています。 ・「ケルクホフスの原理」 暗号化通信は以下を満たさねかればならない(何となくの意訳、正確なものはURLから) 1. 現実的に解読不能であること 2. 暗号化の方法は広く知られていても問題ないこと 3. 鍵は簡単に通信と保持ができ、容易に変更可能であること 4. 電信通信できること 5. 携帯可能で、一人で使えること 6. とっても楽で使いやすいこと 『Kerckhoffs’ principles – Cryptographie militaire』 https://www.petitcolas.net/kerckhoffs/ 前回説明したシーザー暗号は、暗号化方法がわからなければただの文字の羅列に見られるかもしれません。最初からシーザー暗号と知っていれば解読は容易ですが、知らなければちょっとした時間がかかるでしょう。けれども、「ケルクホフスの原理」は暗号化方法は知られていると思っておけ、と言っているのです。つまり、安全な暗号とは秘密の鍵さえ守ることができれば、解読されないもののことを言います。 共通鍵暗号 暗号通信の基本的な方法は、次のようになります。まず、送信者と受信者が通信の同意を行い、秘密の鍵を共有します。次に送信者が鍵を使用して暗号化を行い、安全でない経路を使用して暗号文を受信者へ送ります。最後に、受信者が受け取った暗号文に鍵を使用して復号することで、平文得ることができます。 このような暗号通信の方法を「共通鍵暗号化方式」と言ったりします。 DES DES(Data Encryption Standard)は、1977年にアメリカで標準化された「共通鍵暗号化方式」の暗号です。この暗号は標準化された当時は、解読不能とされていました。しかし、現在ではこの暗号化方式は使用されていません。コンピュータの進化が早すぎるせいで、さっくり鍵を見つけることができてしまうのです。現在主流の共通鍵暗号方式は、AESというものです。 今回はこのDESを試してみよう、と思ったりもしましたが、この暗号化方式はパソコン通信のために開発されたものです。つまり、ブログにひたすら0と1が並んでしまいます。世の中には、数式を見ただけで今日の夕食の献立を考えてしまう人がいるそうです。それと同様に、0と1が並ぶ世界を見せつけると、おそらく似たような人が現れるかもしれません(ちなみに、夕食にはコンソメを牛乳に溶かして作ったクリームシチューなんかが良いでしょう)。私が綺麗に説明し切れるかどうかという話は置いておくとして、今回は大まかに記述するにとどめます。 まず、鍵の長さは64bitです。64bitというのは、0か1のどちらかが64個並んでいると言うことです。エラー検出用の8bitを除くと実質的に鍵長は54bitとなります。この54bitの鍵を使って16個のサブ鍵を生成し、これを暗号化に使用します。… Continue reading 2-少しだけ難しい暗号を話してみる
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『宮廷文化と民衆文化』読書メモ
歴史を学ぶものは動画なんか見ずにちゃんとした本を読むべきなのは当然のことなのですが、私は動画を作るために本を読んでばかりで、いつの間にか本を読むことを目的とした読書ができなくなっておりました。 そこで今回からは今後の読書モチベーションのために本を紹介していくこととしました。しかし、読書がはかどっていなかった私に紹介できる本は今のところこの以下の本ぐらいでしょうか。 『宮廷文化と民衆文化』世界史リブレット …薄い本です。今度はごつい本を紹介するので許して… 本書はブルゴーニュからブルボンまでの宮廷文化とフランスの近世民衆文化を取り上げて、その二者がブルジョワ階級の勃興で統合されるところまでを扱っています。とはいっても内容はほぼ宮廷文化で、民衆文化とブルジョワの説明はわずかです。私は民衆文化やブルジョワ文化などより宮廷文化に興味があったので全く問題ありませんでしたが、民衆文化側に興味を持たれている方にはお勧めできないでしょう。ただし18世紀の生活に付随した文化を勉強し始めるためならいいのではないかと思います。 さて軽く各章の内容をお伝えしますと以下のようなものです。 ①ブルゴーニュとウルビーノの宮廷 本章で宮廷文化の始まりは15世紀ごろのブルゴーニュであると述べられています。それ以前の宮廷文化、シャルル・マーニュやアリエノール・ダキテーヌと分けたのは武だけではなく文の力を有して形成された文化だからだとしています。晩餐はもちろん、音楽や蔵書、入市式などの儀礼において当時西欧において最も壮麗なことでブルゴーニュは知られていたのです。そのブルゴーニュに次いで紹介されるのはルネサンス期のイタリア宮廷であり、特にウルビーノを中心にしています。宮廷は王の住居であるだけでなく、それまでの修道院や教会に代わる文化の発信地でもあることが様々な部分から語られています。 ②フランスの宮廷 宮廷と言えばだれもが思い浮かべるバロックからロココの時代のヴェルサイユ。ベルばらの聖地です。ブルゴーニュやウルビーノが栄えていたころのフランスは、内乱やらペストやらで悲惨な状況でした。それが収まっても宗教改革による動乱が起こり、七転八倒の時代が続きました。そうした状況の中でも着実にルイ14世時代に花開く宮廷文化の下地が出来上がっていることを示しています。特に下積み時代のフランスに特徴的な移動宮廷の記述は興味深いです。そのあとは皆さんご存知の、ヴェルサイユに固定された宮廷文化の王道です。国王の行動がすべて儀式と化す、24時間舞台の上のような生活。そして収入源を求める貴族たちの阿諛追従。そりゃプチ・トリアノンに農場を作ってのんびりもしたくなりますね。 ←プチ・トリアノンです。こっちはヴェルサイユ宮殿。たまに来る分には豪華でいいところですが、ここで暮らせとなれば話は別。 ③民衆文化 民衆文化は普段の自分の周りでも何か片鱗が見えてきそうな内容です。不安から逃れるようにお祭りの時には騒ぎ、情けない男は集団でつるし上げて制裁する。暴力性が垣間見える部分もありますが、なんだ人間ってそんなに変わってないんだなと思えます。庶民本の普及で本が非日常を与える役割を担い始めたと書かれているところは、あぁ古き良き時代が去っていくのだなと郷愁を感じずにはいられません。 ④ブルジョワ文化による統合 本章はわずか4ページです。放埓な財政が生み出した買官制度により宮廷にやってきたブルジョワが、宮廷外にその高度な文化を持ち出していくというところを説明しているのですが、それがどうやって民衆文化と融合して現代文化になったかまでは説明してはいません。そこからさきは読者が調べる課題なのかもしれません。 と以上のように後半は記述が少ないのですが、その直後に参考文献が列挙されています。初学者にやさしい世界史リブレット、とりあえず何から読んだらいいか悩んだときにぜひおすすめのシリーズです。
戦時中の鉄筋コンクリートについて、お話します。
まず、鉄筋コンクリートとはなんぞや。 明けましておめでとうございます。2023年もよろしくお願いしたりしなかったりしますね。 そんな新年の挨拶もほどほどに、今回の主題である鉄筋コンクリートについてますは話しておきましょうか。 鉄筋コンクリートとは、コンクリートの芯に鉄筋を配することで強度を高めたものを指し、コンクリートは圧縮力に強い反面、引張力には弱く、一度破壊されると強度を失う一方鉄はその逆で、引張強度が高い反面、圧縮によって座屈しやすいが、容易には破断しない粘り強さ(靱性)を持つを両者を組み合わせることで互いの長所・短所を補い合い、強度や耐久性を向上させるものが鉄筋コンクリートであります。 これは現代の鉄筋コンクリート 戦時中の鉄事情 さて、そんな鉄筋コンクリート君ですが、戦時中はどうだったのでしょうか? 戦時中で鉄と言えば、ある程度ミリタリーや近代史を齧っている皆様でしたら、昭和16年に公布された金属類回収令による金属供出によって寺の鐘やら学校や公園やらの銅像が撤去されて溶かされて資源化、軍事転用されたというのは良く知っている事でしょう。 何を隠そう、戦前の日本は鉄鋼産業に問題を抱えていた国でした。 まぁ、仮想敵国である米帝から屑鉄を輸入していた時点である程度は察してください。 鉄鋼産業は、鉄鉱石を製錬して鉄を作る「製鉄」と、鉄鋼製品の元である銑鉄を加工して鋼鉄や特殊鋼を作る「製鋼」に分けられます。 そして、鉄鉱石を製鉄して鉄にするよりも、屑鉄を溶かして鉄にするほうが、ずっと安く鉄を作れます。 戦前の日本は、後者の製鋼はそれなりの水準でしたが、前者の製鉄はイマイチでした。 で、屑鉄を買ってくれば「製鉄」する必要が無かったので、日本は屑鉄需要がとても高かったのです。 実際、日本は鉄鋼は80%程度を自給していましたが、その元となる銑鉄の自給率は60%に届きません。 さらに、日本の製鉄産業は経営が苦しくて技術革新が進まず、その製品である銑鉄の品質もイマイチでした。 そんな中で、船、自動車、鉄道、建築材などで大量のスクラップを出し、比較的品質の良い屑鉄をたくさん出すアメリカからは禁輸、果てには戦争までしようというのです。頭を抱えたくなりますよね。 鉄不足の中での鉄筋コンクリート建築 なので戦時中の日本は鉄不足に悩まされました。それは戦時中に建てられた鉄筋コンクリート建築にも見るとこができます。 例えば、「戦争」で「コンクリートの塊」と言えばまず頭に浮かぶと思われるのが、トーチカ、特火点とか言われる奴ですね。 私は昔、北海道に住んでいたのですが、北海道はその土地の広大さからか、あまり戦争遺構が撤去されずに放置されているパターンが多く見られます。そのため、苫小牧や網走といった米軍の上陸が予想された海岸線には未だにトーチカが多く残っています。 北海道に今も残るトーチカ跡。こういうのが多いのが北海道のいい所である。 その中でも私は厚真町の海岸線にあるトーチカを5年ほど前に見に行き、天井に登ったりしたのですが、崩れた壁面からは一本も鉄骨が出ていない。 少し離れたところにあったトーチカの基礎らしき場所も鉄骨が30センチ間隔で1本ずつ出ているといった状況。完全に鉄不足から鉄筋をケチったり使用しないでこれらを乱造していたという切羽詰まった当時の状況がこういったところからも見て取ることができます。 これだと鉄筋の引張力と粘り強さの恩恵を受けられない訳ですから、強度の落ちたトーチカで米軍の砲爆撃に耐えられるのかとても心配です。 また、去年の夏に南相馬市に行った時……と言っても本来の目的は相馬野馬追と南相馬市博物館に静態保存されているC50形蒸気機関車を見に行くのが目的だったのですけれど。 南相馬市博物館に静態保存されているC50。大正の傑作8620形を再設計したものの、その優秀な点を再設計でほぼほぼ潰してしまった悲しい子である。 この103号機はC50の特徴の一つであった調子の悪い本省細管式給水温め器を取り外してあるようだ。 その南相馬市博物館には戦時中に製造されたコンクリート柱の断面があり、それには鉄筋の代わりに竹が骨組みとして使われていたのです。鉄筋ならぬ竹筋コンクリートです。竹のしなやかさを鉄筋の代用としようとしたのでしょうがそれでも強度は落ちているであろう事と、腐食に弱い事は想像に難くありません。 これが博物館内と、静態保存されているC50の隣に腰掛けとして置いてあるのです。 「こんな貴重なものを腰掛けにするだなんて……なんて贅沢なことをしているんだ」と思いながら腰掛けてきました。 いい歴史成分の摂取になりました。 C50の隣に腰掛けとして設置されている竹筋コンクリート。環状に空いた穴の部分に竹が通っている。 鉄道レールと鉄筋コンクリート建築 さて、交通面では同じく昭和16に、不要不急線と指定された鉄道は線路がはがされ、レール等の金属が軍事転用されました(札沼線や白棚線など) 鉄道レールは不要不急線から引っぺがされた後は、もちろん溶かされたものもあったでしょうが、レールは入ってしまえばまっすぐな棒。なので鉄筋コンクリートの鉄筋として建材に流用されたものもありました。 例えば、厚真町にある共和トーチカでは崩れたコンクリート壁面からレールが見えるところがあり、レールをそのまま建材として流用したのが分かります。 このように戦時中の日本は深刻な鉄不足に悩まされながら、あるものを節約したり流用したりして、今の建築基準ではお粗末と言わざるをえない鉄筋コンクリート建築をして祖国防衛をしようと奮闘していたのです。
サンタさんは大悪人!? プレゼントの経済学
水差し野郎こと経済学さん クリスマス。ある人は家族と、ある人は恋人と、ある人は友人と。みな楽しく過ごす日です。 いくら経済学者たちの性格が一人残らず捻じ曲がっていて、恋人はおろか友人だってろくすっぽ作れるはずがないという事実があるとはいえ、クリスマスくらいは場を読んで、水を差さないように気を配るに違いありません。 ……と言いたいところなのですが、残念ながら、経済学者の性格のひねくれようは我々の想像をはるかに超えています。 その経済学者がやり玉にあげたのは…… クリスマスプレゼントだろ!! クリスマスの象徴、プレゼントなのです。 もちろん、いくらあの経済学者たちであっても、どこぞのイーデン校の経済学担当の先生のような無根拠の難癖をつけることはそれほど多くありません。 そこには一応の経済学的根拠があります。何も僻みや妬みだけで言っているわけではないのです。 ……ここまで経済学者の面の皮よりぶ厚いオブラートに包んでいますけど、流石にこの先は放送禁止用語が出かねんぞ。 というわけで(?)、このブログ記事では、経済学の観点から(クリスマス)プレゼントについて議論します。 ではでは、さっそくやっていきましょう。 ここは読み飛ばしてもおkです まずは、教科書的なプレゼントの経済学的な意味について述べ……るために、経済学の考え方の基礎をお話します。 数学があんまり好きじゃないって人はここは読み飛ばしちゃっても構いません。 経済学の世界においては、私たちは日々難解な数式を解き、効用(うれしさ)を最大化すべく消費計画を決めることになっています。 代表的な効用最大化問題は、こんな感じです。 (x_iは第i財の消費量、p_iは第i財の価格、Yは予算) これを皆さんは世の中の膨大な量の財に対して解いているのです。 え、そんなわけないだろって? ごもっとも。もちろんそんなわけがありません。こんなの、世の中の人間の9割は解き方すらわからないと思います。 とはいえ、私たちは理由もなく消費計画を決めているわけではありません。皆さん自身は、何か商品を買ったり買わなかったりすることを、「なんとなく」決めていると思い込んでいるかもしれませんが、実は非常に多くの要素を考慮に入れた上で判断しているようなのです。 皆さんの意思決定はとても複雑で、ほんとうに様々な要素に左右されています。たとえば、今日の朝聞いたニュース、お隣さんの噂話、給料日、お財布の中身、空腹感、などなど。 しかもその上、時々の選択が必ずしも一つの目的のために行われている訳でもありません。これらをそのまますべてモデル化する、つまり数式で表すことは、どう考えてもできっこありません。 しかし、他の近似、とくに数学が扱いやすい形で表すことは可能です。これこそが上の効用最大化問題というやつなのです。 つまり、私たちは次のように考えます。 人々はあたかも効用最大化を行っているかのように行動する、と。 これなら、皆さんもある程度納得できるのではないでしょうか。そして、この考えの当てはまりは非常に良いのです。 ……ここまでずいぶんと文字数を使って説明しましたが、結局は、この記事では効用最大化で考えますよ、というだけの話です。 そして、効用最大化を前提にすれば、「プレゼント」の意味がひっじょーーーーにわかりやすくなるのです。 経済学者「『これプレゼントするね!』はすべて悪」 経済学上では、プレゼントはおおむね2種類に分けることができます(厳密にはグラデーション様だとは思いますが)。 第1がお金、ないしはそれに近い金券などのプレゼントです。代表例はお年玉でしょうか。最近ならアマギフもここに含まれると思います。 このようなお金のプレゼントは、当然ながら受け取り手が自由に使い道を決めることができます。何かおいしいものを食べてもいいし、自分の趣味に使ってもいいし、どこかお出かけをしてもいい。もちろん貯金することも可能です。 上の経済学的なお話を踏まえて言うと、「予算」が増えるということになります。もっとも、その分贈り手のお金は減っていますが。お金がただ移動するだけなので、皆が効用最大化を行うとみなせる限り、社会全体の効用はほとんど変わりません。 私が自分で1万円を使って本か何かを買っても、その1万円を娘の六花にプレゼントして、六花が六花自身のために何かを買っても、経済学の観点で見れば、結局この家族のうれしさは同じくらいになるのです。 第2が具体的な財やサービスのプレゼントです。ふつう、皆さんがイメージするプレゼントと言えばこちらでしょう。 このようなプレゼントは、お金と違って、受け取り手は自由に使い道を決めることができません。 お菓子をプレゼントされから、その価値の分のCDを買う、なんてことは無理な話ですね。あるいは飛行機のチケットを貰っても、お腹はちっとも膨れません。貯金なんてどうあがいても不可能です。パンを貯めておいたら腐ってしまいます。 これまた上の経済学的な話からは、特定の財の消費量だけが増えるということになります。この場合も、贈り手のお金が減っていますね。… Continue reading サンタさんは大悪人!? プレゼントの経済学
『花神』はいいぞ。(おすすめ大河ドラマ紹介 第2回)
※今回は、とある大河ドラマ紹介文です。 ネタバレ注意! こんにちは、いのっちです! 年末の忙しい時期にも関わらず、私のブログを読みに来てくださって本当にありがとうございます! 「世界史べーた(仮)」開設からもうすぐ1年が経ちます。 先日はVtuber様との出張コラボ生放送が実現するなど、活動の幅が益々広がってきて非常に嬉しい限りです♪ 今日は私が歴史好きになった理由の一つ「大河ドラマ」の御紹介をさせて頂きたいと思います(季節感なし!)。 今回御紹介させて頂くのは、幕末の長州を描いた作品『花神』(1977年[昭和52]放送)を御紹介します! (例によってリアルタイムで視聴していたわけではなく、総集編を観たことがあるだけですが💦) 本作は司馬遼太郎さんの小説『花神』を中心に、『世に住む日々』『十一番目の志士』『峠』などの小説を組み合わせた物語が原作になった作品です。 主人公は原作と同じく日本近代軍制の創始者である「大村益次郎(村田蔵六)(演:中村梅之助さん)」です。ただし、本作は長州藩を中心とする群像劇なので、「吉田松陰(演:篠田三郎さん)」や「高杉晋作(演:中村雅俊さん)」など松下村塾周辺の人々についても大きく取り上げています。 ドラマの中でも、変革の時代は三種類の人間によって成されると紹介されていました(思想家:吉田松陰、戦略家:高杉晋作、技術者:村田蔵六[大村益次郎])。 因みにタイトルの「花神」ですが、「花咲か爺さん」という意味だそうです。幕末という短くも激動の時代に命を燃やして一花咲かせた人々を描いた本作に相応しいタイトルだと思います♪ 長州の村医者出身の村田蔵六が蘭学修行の為、大阪にある緒方洪庵の「適塾」(同窓には福沢諭吉・橋本左内などがいる)の門を叩くところから本作は始まります。 好学家で優秀だった蔵六ですが、特段野心があるというわけではなかったので、平穏な時代であれば故郷の町医者として一生を終えていたはずでした。しかし時代がそれを許しません。蔵六は技術者、そして軍人として故郷長州の動乱に巻き込まれていきます。 あと開明的で合理的な学者肌の印象が強い蔵六ですが、本作では少し違う一面を垣間見ることが出来るシーンもあります。 恩師・緒方洪庵の弔問の席において、蔵六は福沢諭吉に「なんで(蘭学を学んだあんたが、無謀な攘夷を主導している)長州なんかにいるんだ?」と問われす。 それに対して蔵六は憤然として答えます。 「攘夷の何が悪い!福沢のように物分かりのいい奴ばかりでは日本は滅びる。確かに俺たちは蘭学を学んだがそれがどうした。小さい国の癖に横柄な面をしている奴を討ち払うのは当たり前だ!(要約)」 ただの冷静な合理主義者ではない村田蔵六の熱い内面がほとばしる名シーンだと思います。(実際に『福翁列伝』に似たようなエピソードがあるとか) 他にも魅力的な人物はたくさん登場しますが、個人的なお気に入りはやっぱり「高杉晋作」ですね。 どこまでが史実なのかは存じ上げませんが、本作では高杉の破天荒エピソードがこれでもかというくらい採用されています。 例えば… ・将軍の行列にやじを飛ばす。 ・突然出家する。 ・講和会議の席で古事記を暗唱して相手の要求を有耶無耶にする。 などなど(これでもごく一部です) しかし、「強質清識凡倫に卓越す(吉田松陰)」「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し(伊藤博文)」と称された高杉晋作。 勿論ただの問題児というわけではなく、「維新回天の原動力」として要所要所で大活躍していきます! 個人的に一番好きなエピソードでは「功山寺挙兵」ですね。 京都での戦い(禁門の変)に敗れたうえに、列強の連合艦隊にも完膚なきまでに叩きのめされ、窮地に立たされた長州藩。藩の上層部は幕府への恭順を決定、隊の存続を優先する奇兵隊の同志たちもその方針に理解を示そうとします… Continue reading 『花神』はいいぞ。(おすすめ大河ドラマ紹介 第2回)
オリジナル立ち絵を描こう!
オリジナル立ち絵について はじめましての方ははじめまして。 世界史べーた(仮)メンバーの眞白です。最近の活動としては、企画準備のためにオリジナル立ち絵を描かせていただきました。その関係で、今回のブログはオリジナル立ち絵のメリットから作り方のコツについて解説させていただきます。実は立ち絵を描くのは初めてです。イラストの練習方法的な話ではなく表現したいものに近づけるために気を付けるいちあっぷ的な記事として、実際にオリジナル立ち絵を制作する流れをご覧ください。 今回の記事にご協力いただくのは世界史べーた(仮)メンバーのカレルさんです。大河ドラマ放送や中国〜日本史関連の動画をよくUPされていらっしゃいます。大河ドラマまとめ放送などでスライドご協力をさせていただくなどの交流があるので今回実験台になっていただきました。ありがとうございます。 オリジナル立ち絵が欲しいとき 解説動画を投稿される方の多くは、ボイスロイドの無料で配布されているイラストを動画内の立ち絵や自身を示すアイコンとして使用されていらっしゃるのではないでしょうか。可愛いキャラクターが沢山居て選ぶ楽しみがあって良いですよね。 全ての画像を可愛いボイスロイドにしたい……けれど、活動が多岐につれてオリジナルのアイコンが欲しくなることがあるのではと思います。それは、生放送やゲームなどの参加時が顕著でしょう。個人的には「自分の作品(動画)にも注目してもらいたいけれど、その作品を作っている自分自身にも注目して欲しい」という思いをいだいたタイミングがオリジナル立ち絵を制作するタイミングだと思っています。もし、あなたが自分のオリジナルの立ち絵を持っていたら、どんな活動をしていてもあなたの活動を見つけてもらいやすくなります。 オリジナル立ち絵のメリット3選 ①動画ごとに同じ雰囲気を保つことができる >違うシリーズの動画でもあなたのオリジナル立ち絵を使うことで同じ作者の動画だとすぐにわかってもらえます! ②他の人と被らない >人気ボイスロイドの人気絵師の立ち絵は他の投稿主さんの動画でも使われがちです。自分だけのオリジナリティを模索したい方はオリジナルへ! ③生放送でも大丈夫! >立ち絵をアイコン等に使う場合、編集動画はボイスロイドの声が使えても生放送だと地声やボイスチェンジャーの声になります。その際、「ボイスロイドの声ではないけれどボイスロイドのアイコン」という情報の不一致を防ぐことができます。 (※生放送文化に慣れている方には違和感がないのですが、完全な外野から見ると不思議な状態になります) キャラクターを作るには? とはいっても、何も情報がない状態からいきなりキャラクターをメイキングするのは難しいもの。まずは、Picrewさんなどのつくってあそべる画像メーカーから自分の好きな絵柄や髪の色、シルエットや表情を探しましょう。ネット上では女の子になりたい、メガネは相棒だ。色んな意見があって良いと思います。自分でラフが描ける方はここの工程は飛ばしてください。 [Picrewさん] https://picrew.me/ 名前がピンポイントに親戚なメーカーさんがいらっしゃったのでわたしも制作させていただきました。アバターは可愛い(かっこいい)方がみんなが幸せになれるので羞恥心は捨てましょう。 [ましろ製造機さん] https://picrew.me/image_maker/960805 もし、ここで十分に自分好みなキャラクターができたならば、商用利用可能なメーカーかどうかを確認して、ここでつくったキャラクターを動画で使うことも可能です。 ※Picrewさんの〇〇メーカーはクリエイターごとに「商用利用」「非商用利用」「個人利用」「加工」などの使用可能範囲が設定されています。利用されるメーカー、およびクリエイターの注意喚起・規約をよく読んで楽しく使いましょう。動画のサムネイルやアイコン使用が禁止されているメーカーもあります。 ※動画投稿で収益化を視野に入れる場合はかならず商用利用が可能なメーカーからつくりましょう。 特徴を掴もう Picrewさんなどで、もしくは自力のラフで描きたいキャラクターが決まったならば、そのキャラクターの特徴を掴みましょう。例えばカレルさんの場合、既存アイコンのイラストを見ると大きな丸メガネと茶髪(もみあげ)が特徴的ですね。青い本(手帳?)を持っていて全体的に優しそうな雰囲気が出ています。 この時点で季節感が出てしまうマフラーは意図的に取らせていただきました。通年イラストの場合は極端に寒い・暑いを出してしまうよりは春秋ベースの格好をして小物で後から付け足すなどで考えた方が使い勝手が良いです。 (※季節感は単体アイコンの場合はあまり気にならないのですが、季節モノ集団企画に参加する際には気になることがあるので、最初は季節アイテムは外すことをおすすめします) まずはミニキャラにしてみよう 「それ完全に間違ってますよ!」が決め台詞、イラストレーターのさいとうなおき先生の教えによると大きな立ち絵を描く前にミニキャラを描いておくとシルエットが整うそうです。実際、髪型のバランスや衣装の方向性などはミニキャラを描いておくと実際に等身の高い絵にした場合に悩む時間が少なくなるので、おすすめです。 イメージカラーを入れてみよう 折角世界史べーた(仮)として活動をしているので、べーた要素を入れたいと思います。今回着目したのは、世界史べーた(仮)のメンバーが1人1人決めている「メンバーカラー」です。カレルさんのメンバーカラーは「#000080(Navy)」ですので、青色をアクセントとしてイラストに入れることにします。数年前から流行っている髪の毛のインナーカラーや小物の一部として今回は入れさせていただきました。 色相環を意識してみると? もう少しだけメンバーカラー「#000080(Navy)」を活用しましょう。色相環で青の反対側にある色(補色)をうまく活用すると、インパクトの強い画面を作ることができます。青の反対は黄色ですので、黄色をシャツや本の紐などに使用することにします。 (この色相環自体を覚える必要はありませんが、自分のイメージカラーの反対の色を覚えておくとイラストやデザインを作る際にとても役に立ちます) 色度差・明度チェック ミニキャラの段階でイラストを大きくしたり、小さくしたりしてみましょう。配色でわかりにくくなる部分がある場合は色相や明度を調整すると解決することがあります。今回はカレルさんの持っている本がコートの色と被ってしまいがちでしたので、本来であればマフラーで使っていた緑をベースに色相や明度を変えて持ち物をもっていることが分かりやすくなるようにしました。 等身を上げてみよう ミニキャラができたら、今度は等身を上げたイラストを描いてみましょう。意識するところはミニキャラと同じですが、頭身があがることにより細かい描き込みが必要になりますので、バランスに気をつけながら制作していきましょう。実際の解説動画では足などは使われることはないのですが、足まで描いていると全身のバランスが取りやすい上に、いざ必要になった際に新たに描き直さなくて良いのでおすすめです。 … Continue reading オリジナル立ち絵を描こう!
編集後記(11月5日公開 さとうささらの憲法解説)
お久しぶりです。今日のブログはタイトルの通り、編集後記です。 さて、先日の動画はお楽しみいただけたでしょうか? 国際法をメインに取り扱っている身でありながら、趣向を変えて憲法学にチャレンジしてみました。動画ではお伝えしきれなかったことを書いていきたいと思います。 法学×歴史学? 動画でも述べている通り、「憲法」は義務教育で唯一習う法かと思います。 あれは今から三万六千、いや一万六千年前だったかもしれません。私が小学生だった頃は、憲法前文を全文丸暗記しようね、などと言われ、覚えさせられた記憶があります。 当時はただの難しい長文でしたが、動画で触れた通り、憲法の立憲的意味があるからこそ、あそこまで重要視されるんですね。 これはまさに、人類が長い歴史の中で「権力に好き勝手させたら回りまわって国民が苦しむ」という事に気づいてしまい、さぁどうしようか?と頭をひねった結果なのでしょう。 そういう意味では、法学は歴史学と非常に密接な関係があるのではないでしょうか? 実際、著名な法が制定される前には、必ず何かしらの歴史的事件があるものです。 先日、SNSでこんな投稿を見た(気がします)。 『ロシアによるウクライナ侵攻で、国際法を受講する大学生が増えている。一方で、国際法はロシアの侵攻を防げなかったのだから無意味だ。国際政治学の方がよっぽど実用的だ』 まぁ、その通りかもしれませんが、このままでは国際法に限らず、法学全体が少し可哀そうなので補足をしておきます。 法学とは、『過去を省み、未来を見据える』学問と言えると思います。(※個人の感想です) 法を考えるときは、まず過去を振り返ります。「過去、こんなに凄惨な事件があったよ」「なんでだろうね」と。 そして、未来に視座を移し、「将来二度と起こさないためにはどうしようか?」と、う~んう~んと悩みぬく訳ですね。 そんな感じで、法を考える時は、その背景となった歴史上の出来事も関連してるんだよ~と思ってもらえれば、法学or歴史学のお勉強がもっと楽しくなるかもしれません。 憲法といえば改憲云々の議論は避けて通れませんが、改憲を考える時は、某条がどうのこうのだけに囚われず、動画で述べた「憲法の基本的な考え方」を是非とも思い出して頂ければ。 哲学者ってすごいよ 自然法思想に触れる際、避けて通れないのがT・ホッブズ、J・ロック、J・J・ルソーの御三方です。 他にも、法学に影響を与えた思想家としては、私の前々回動画で取り上げたグロティウス、ベンサム、JS・ミルなどがいらっしゃいます。 私は哲学分野はさっぱりなので、動画を作るにあたって資料を読むんですが、まぁ~すごいですね。 彼らの考えはなんかもう「私じゃ完全に理解するの無理だな~」となるくらい壮大です。 これを研究する哲学科って本当にすごいですね。(哲学科の先生に大抵ぶっ飛んでる人が多いのはひみつ) 人の思想を追いかけるのには、根気が要ります笑 要約ノートなんかがあればすごく便利なんですが・・・。 話は変わりますが、後年、私の動画を発見した哲学者が私の思想を研究対象にしないとも限りません。 そんなときに「このせるヴぁんだとかいうやつは何を考えて動画を作っていたんだ?」と貴重な時間を割いて頂くもの恐縮なので、ここに答えを書いておきます。 ささらちゃんもかわいいじゃん 編集もっと楽ちんにならへんかな~ 大学図書館に住みたい!24時間空いていて欲しい! 無料でコピーできませんか! 洋書を自動で日本語化してほしい(翻訳メガネ的なの欲しい) 以上です。ちなみに、今回ささらちゃんを起用したのは、仕事で全六花航空を利用したためです。 さて、ほぼ駄文でしたが、憲法解説「も」続くとおもいますので、また次回~。(シリーズものをやりすぎなんだよ)
2019年にロシア行ったって話
どうもゆはるです。 今回は私の旅行記第三弾として、2019年に行ったロシア旅行の様子をお伝えします。 言わずもがな、2022年11月現在、ロシアに観光旅行なんて考えることもできない状況です。 外務省が出してる危険情報ではロシア全土が「危険レベル3」でウクライナ国境付近は「危険レベル4」、ロシア政府が自国民含め出入国を著しく制限していますから、入国はできても出国できないなんて事態に陥るかもしれません。 ロシア、まぁそこそこに観光する場所がある国です、今回惜別の意も込めましてロシアの見どころをいくつか写真も合わせてお伝えしたいと思います。この記事に載っている写真は全て私ゆはるが撮影したものです。 赤の広場 やはりロシアといえば最初に思いつく観光地はここでしょう。正教会独特の建造物は一度見れば印象に残ります。 一応遠目で見た写真もあったのでペタり。2019年の赤の広場は自分以外にも観光客がたくさんいて平和でした。 また、写真はありませんが(写真撮影禁止のため)、赤の広場の近くにはレーニンの遺体を見ることができる施設がありました。レーニンの身長は165cmで、おそらく見物した人の多くは小柄だなという印象を持ったでしょう。ちなみにプーチン大統領の身長は168cm、スターリンの身長は163cm(両人共に諸説あり)で、ロシアの歴史的重要性を持つ人物は小柄な人が多いんですね。エリツィンは187cmだったけど。 エルミタージュ美術館 エルミタージュ美術館もロシアの観光名所として三本指に入るくらい有名ですね。 私は会えませんでしたが、展示物をネズミから守るため、エルミタージュ美術館では70匹もの猫を飼っているというのは有名な雑学です。 美術館では様々な展示が行われていましたが、一番印象に残っているのは2018年より展示が始まったというニコライ2世のワイシャツです。 そう、あの大津事件の時のやつです。 警察官の津田三蔵に右耳上部をサーベルで切りつけられたこの事件、その時に付いたと思われる血痕がワイシャツの首元部分にはっきりと残っていました。ちなみに写真撮影OKでした。 このワイシャツが展示されているという情報、なぜか日本語圏ではあまり知られていませんね。日本語で検索をかけてもロシア政府系メディアの「スプートニク」の日本語版の記事しか主にヒットしませんでした。 2022年にはロシアへの観光旅行が制限されたことを考えると、展示が開始された2018年からの4年間しか日本人が生で見る機会がなかったのかな? この写真実は貴重だったりして。 そんなわけでいかがだったでしょうか。 ロシア旅行はしばらく行けん、児島惟謙な情勢ですが、死ぬまでにはもう一度訪れてみたいとも思っています。西欧色の濃いサンクトペテルブルクと東欧色の濃いモスクワの対比とかね、楽しかったですよ。ロシア人も観光客の私には人懐っこくて親切でした。 ロシア旅行が気軽に行けるくらい平和な世界情勢に早く戻ることを願っています。それでは。
テューダー朝重要人物まとめ
現在ウルジーの動画を作っていますが、テューダー朝の重要人物について軽くまとめたいと思います(唐突)。 また若干書きかけの感もあるので、随時更新していきたいと思います。ひとまずヘンリー8世時代まで。 〇ヘンリー7世時代 ヘンリー7世の時代は薔薇戦争終結後の不安定な情勢を何とか押さえつけていた時代です。そのためにテューダー家の正当性をアピールしたり、有力者を財産罰で徹底的に締め上げ、王位僭称者は執念深く追い続けるなど、徹底的に対策を推し進めていました。この時代に蓄えられた王家の財産はヘンリー8世の活動を大いに支えました。 ①ヘンリー7世(1457-1509) テューダー朝の創始者。王家に近い血筋ですが、男系をたどるとウェールズ人であり、必ずしも血統がいいわけではありませんでした。ヨーク家のリチャード3世を倒して王位を得ましたが、リチャード3世は男系をたどると12世紀のイングランド王までたどれる由緒正しい王家の血筋のため、イメージ戦略で正統性をアピールせざるを得ませんでした。もちろんヘンリー7世を認めない勢力も多く、王位についてからも割れこそがイングランド王と名乗る人物にたびたび悩まされました。実務面では非常に有能な王で、帳簿を自身で管理したことで知られています。CV.石田彰が似合う王です。 ②エリザベス・オブ・ヨーク(1466-1503) ヘンリー7世が倒したヨーク家の王女です。ただし、叔父のリチャード3世とは対立していたウッドヴィル家の縁者であり、リチャード3世と戦う前から結婚の話がありました。即位後は王を支える王妃であり続けました。また、エリザベス・オブ・ヨークとの間に後継者を得ることは血統的に万全ではないテューダー家には欠かせないことでした。ヘンリー7世はエリザベスとの共同統治を避け、テューダー家の王家としての形式ために結婚式の前に戴冠式を行いましたが、臣民を安心させるにはやはり旧王家との連続が必要だったからです。生まれた後継者は二人で、一人がアーサー、もう一人がヘンリー8世でした。 ③アーサー・テューダー(1486-1503) ヘンリー7世待望の王子でした。幼少期から王にするために育てられ、外交のためスペイン王女との結婚もしましたが、そのあとすぐに流行り病でなくなりました。粟粒熱として知られる病気だったようで、発症したらほぼ死に至る病でした。ヘンリー8世にとっては兄にあたります。 ◯ヘンリー8世時代 言わずと知れたヘンリー8世の治世前半は敬虔なカトリック信者としてウルジーの力を借り、ヨーロッパ外交で存在感を示そうとしました。しかし、後継者不在を解消するために離婚をしようとしたところから宗教改革が始まりました。宗教改革では多くの人物がその渦に巻き込まれます。 ①ヘンリー8世(1491-1547) ヘンリー7世の第二の後継者でした。当初は王として育てる予定がなかったので、比較的自由に育てられましたが、兄アーサーの死で王となるための教育が行われました。兄に比べて開放的な性格で、陰湿だったヘンリー7世から王磯継承したころは歓迎されたようです。即位後はフランス領土奪還や存在感あるイングランド王国を目指しましたが、思うように成果は上がりませんでした。そうこうするうちに後継者ができないまま兄から引き継いだ王妃、キャサリン・オブ・アラゴンがアラフォーを迎え、後継者問題に直面すると子供を埋める若い王妃を求めます。そのための離婚の許可が国際情勢の問題で得ることができず、イングランドの宗教改革のきっかけとなる宗教改革議会を開きました。この過程で何人もの人物が処刑されたことは非常に有名です。しかし、ヘンリー8世にとっての宗教改革のゴールは教皇からの指図を受けない教会であれば十分だったので、教義面の改革についてはあまり問題になっていませんでした。離婚や処刑を繰り返して得られた男子の後継者はエドワード5世だけでした。 ②トマス・ウルジー(1475-1530) 治世前半のヘンリー8世を支えた枢機卿です。即位当初は政治に強い関心がなかった王のために実務の多くを担当していました。王国の本当の支配者はウルジーだと考えられていたほどでした。しかし離婚問題に直面すると、教皇庁の枢機卿としての立場と王国の大法官としての立場で板挟みになり、ヘンリー8世の意に沿った行動をとることができず失脚しました。あくまで教皇庁にイングランド教会が所属する形で離婚を成立させたかったからです。 ③キャサリン ・オブ・アラゴン(1847-1536) ヘンリー8世と最も長く連れそった王妃でした。スペインのカトリック両王の王女として生まれ、アーサー王子に嫁ぎました。アーサーが亡くなると、ヘンリー8世の即位までイングランドで人質のような生活をしましたが、ヘンリー8世の即位後は良き王妃としてその活動を支えました。問題は男子の後継者を残せなかったことで、そのことでイングランドの宗教改革を引き起こしました。キャサリン自身は敬虔なカトリックであり、ヘンリー8世に市場もあったので離婚を徹底的に拒みましたが、教皇庁とイングランドの教会を切り離す力技には勝てず、離婚となりました。 ④トマス・モア(1478-1535) イングランド随一の人文主義者で法律家でした。法律家や庶民院議員としても活動していましたが著作活動がよく知られています。ヘンリー8世の離婚問題については宣誓して認める予定だったが、思想家の性として、自身の心情と相いれない一文を宣誓書に発見したことで宣誓書にサインができず、処刑されることになりました。彼の死は映画にもなり、カトリックでは聖人として認定されています。 ⑤アン・ブーリン(1501-1536) ヘンリー8世の離婚問題の最大の元凶です。王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女でしたが王の愛人となり、最後には王妃に上り詰めました。しかし健康な男子を生むことができず、近親相関等の罪の疑いで処刑されました。よく映画の題材になる人物です。 ⑥トマス・クロムウェル (1485-1540) ヘンリー8世の側近でした。王妃の離婚問題では主導的な役割を果たし、宗教改革を勧める原動力になった人物です。かつてはイングランドの行政が家産的なものから官僚的な物に移行するときに大きな役割を果たしたと考えられていましたが、この点には議論が多いです。王が3番目の王妃、ジェーン・シーモアを亡くすとアン・オブ・クレーヴスを手配しましたが、王はときめかず、婚姻は無効だったとしました。王の気に入らない女性を推薦したせいか、そのあとすぐ反逆罪で処刑されました。 ⑦ジェーン・シーモア(1508-1537) ヘンリー8世3番目の王妃でした。エドワード6世を儲け、ヘンリー8世待望の男子の後継者を産みましたが、そのすぐあとに産褥熱で死亡しました。 ⑧トマス・クランマー(1489-1556) ヘンリー8世の宗教改革を宗教面で支えたカンタベリー大司教でした。プロテスタントとして宗教改革を推し進めましたが、次代のメアリー1世の時代ではカトリックに反する人物だったので、処刑されました。 ◯エドワード6世時代 短い治世でしたが、プロテスタントとして宗教改革が本格化した時代でした。王は若くして亡くなったので、政治の実権は廷臣たちが握っていました。以下に挙げる人物はエドワード6世を除き、首と胴体が切り離された状態で死亡しています。 ①エドワード6世(1537-1553) ヘンリー8世待望の後継者として生まれました。マーク・トウェインの『王様と乞食』に登場する王様なのでご存知の方も多いでしょう(多分プリンセス・プリンシパルも一部元ネタは『王様と乞食』)。元来敬虔なクリスチャンのヘンリー8世の子供なので宗教教育をしっかりと受けましたが、政治的な背景でプロテスタントの教育を受けています。即位後はプロテスタント的政策を推し進め、廷臣たちも出世のためにプロテスタントに順応しました。しかし病弱だった上に、ヘンリー8世時代にスコットランド女王メアリーとの結婚の段取りに失敗したため、後継者を残さずわずか16歳で死去します。 ②メアリー・ステュアート(1542-1587) エドワード6世の結婚相手と目されたスコットランド女王です。スコットランド国内での結婚反対により、縁談は戦争に発展しました。元々父親のジェームズ5世はイングランドとの戦争の最中に死んだので、反発は無理もないことでしょう。なので対抗してフランス王と結婚しますが、すぐに死別し、スコットランド貴族と結婚します。ここまではあまりメアリーの特色は出ていませんが、国内での舵取りの下手さがこの後の悲劇につながりました。不倫問題を起こすし、国内で高まっていた宗教改革には背を向けてカトリックを突き通し、それでいてイングランドに亡命するのですから。さらにその亡命先でなぜかエリザベス1世の暗殺計画に加担して斬首されます。母方がテューダーの血筋なので、カトリック的論理から見れば私生児に過ぎないエリザベス1世を認められなかったというのでしょうが、あまりにも現実と折り合いをつけるのが下手な人物でした。 ③エドワード・シーモア(1500-1552) エドワード6世の母方の実家の人物なので当然のように護国卿の座についてプロテスタント政策を進めました。また、前述のメアリーとエドワード6世の結婚を成立させるために戦争を進めた張本人でもあります。しかし、急激な改革や、囲い込み等の社会変化に反発する反乱への対処が遅れ、ダドリーの台頭を許し、処刑されました。 ④ジョン ・ダドリー(1504-1553) ヘンリー7世時代に辣腕を振るったエドムンド・ダドリーの息子です。ヘンリー7世の財産罰による締め付けの実務を担っていたせいで父親はその王の死後にスケープゴートとして殺されました。幼少期に父親の権利が復活し、上流階級としての基盤が整うと、軍人として頭角を表していきました。その力でシーモアが鎮圧できなかった反乱を鎮圧し、護国卿の地位を得ます。しかし、どのような改革を進めるかなどに明確なビジョンを元々持っていたわけではなかったようで、シーモア以上のプロテスタント化政策を推進しました。彼にとって悲劇なのは、国王が夭折した結果、カトリックが復権することになり、シーモア以上に立場を崩されたことです。後述するジェーン・グレイを急遽対抗馬として女王にするも、メアリーに察知されて失敗し、首を切られました。 ⑤ジェーン・グレイ(1537-1554) ジョン・ダドリーの最後の足掻きの巻き添えになった可哀想な人。敬虔なプロテスタントで、少し遠いながらもテューダーの血筋を引いていたことが悲劇の始まり。元々の婚約者とは別れさせられ、女王に即位させられたと思ったらわずか9日で王座を追われ(トラスよりも短いのである)、命を助けてもらっても父親が反乱に加担してわずか16歳で首を切られました。何か悪いことをしたのでしょうか。なにもしていません。ただ血筋と時代のせいでした。
世界史べーた(仮)のサムネイルができるまで
サムネイルについて はじめましての方ははじめまして。 2022年の5月から世界史べーた(仮)さんの企画以外のサムネイルを制作させていただいております眞白と申します。 現段階で4ヶ月程度ほぼ毎週サムネイルを制作しており、現段階では20枚程度のサムネイルを制作させていただきました。今回はサムネイル制作に関わる中で、制作中に気をつけていることについてまとめていこうと思っております。一般的なサムネイル制作の話はネット上に多くあると思いますので、今回は世界史べーた(仮)さんに合わせてどういうことをしているかというお話になります。 気をつけるようにしたこと 世界史べーた(仮)さんの4ヶ月の間にサムネイルの制作において気をつけるようにしていることはこちらの3点です。 ①YouTubeにあるボイスロイド解説作品であるということがわかるようにすること ニコニコ動画の解説動画を視聴していて、ボイスロイドの声に驚くことはほとんどありませんが、YouTubeでの解説動画のボイスロイド音声に驚くことはあるでしょう。ご存じの通り、世界史べーた(仮)メンバーのほとんどはニコニコ動画での活動に主軸を置いていたため、投稿動画のほとんどがボイスロイドによる作品です。一方で、YouTube解説動画という舞台はまだまだ生声が多い印象があります。他チャンネルと並んだ際に、サムネイルでボイスロイドや二次元イラストを多用した作品であることを匂わせるために、可能な場合は画面の1/5をボイスロイドの立ち絵にするようにしています。(※タイトル自体がメジャーワードな場合や他に掲示する画像がない場合です) ●基本的にはメンバーさんから動画内で使用しているボイスロイド素材を送っていただいています YouTubeサムネイル制作のコツの1つオーバーな表情をドアップにすることと言われていますが、無料で配布されているボイスロイド立ち絵イラストのほとんどがドアップには対応できない解像度で配布されています。あまり大胆なことはできないのですが、今後解像度の高いイラストが増えればもっとデザインの幅が広がるかもしれません。 ということで、基本的にはボイスロイドが必ず映るようにデザインを進めております。 ②メンバーの誰が制作しているかがわかるようにすること 世界史べーた(仮)は1人が運営しているチャンネルと異なり、複数人がチャンネルの運営に関わっています。そのため、当初は制作した動画も仲間内では誰が制作したのかがわかっても視聴者からは誰が制作しているのか全くわからない状態でした。メンバーの1人1人に固定のファンの方がいらっしゃることがわかったので明示した方が良いのではということで今の形にしています。 ●最初のテキストのみのサムネイルです ●丸型でメンバーアイコンを入れるようにしました 当初は文字のみで制作者を表示していたのですが、環境によってはサムネイルが小さく表示されて読めないため、途中からメンバーのアイコンを必ず入れる形に変形させています。小さくしても顔がぎりぎり判別できる今のサイズに一応落ち着きました。 ③使いまわせる汎用性を検討すること 制作当初はいずれ他の方が担当になるという前提でしたので、無料で手に入れられるフォント同士を組み合わせて、文字を打ち替え画像を差し替えるだけで統一感が出るデザインにしていました。諸般の事情があって今ではわりと自由に制作させていただいております。 ●一番最初に制作させていただいたフリードリヒ=ヴィルヘルムさんのサムネイルです。テキストを打ち替えて画像を差し替えるだけで大体どのパターンにも対応できます。 ●方向転換してきた頃のサムネイル、瑞雲さんとトマス・ウルジーさんです。 テキストを打ち替えて〜を考えないことでいろんな表現ができるようになりました。 それでもシリーズとして最低限統一感を持たせるために、「週一の投稿動画には右端にシリーズ判別のための柱をおく」「メンバーの固有カラー、または題材に関連したカラーで外枠を塗る」といった基本的なルールは変えないようにしています。 意外と動画が1本で終わらず、前後編になったり、シリーズものになったりすることが多くあります。視聴者の側としては最初から順番を間違えずに試聴したいと思いますので、可能な限り連作ものは雰囲気を寄せる・レイアウトを変えないようにしています。是非、完走まで動画制作を頑張っていただきたいと思っています。 まとめ ということで、毎週試行錯誤しながらサムネイルを制作しております。少しでもサムネイルを見て気になった方は動画をクリックしていただけますと嬉しいです。 最後に、このブログを読んだべーたメンバーの方々にお願いです。3週連続でショッキング顔のサムネイルになっておりますので、そろそろ笑顔のサムネイルを制作したいと思っております。 今後ともよろしくお願いいたします。 眞白