AtCoderで茶色になりました

はじめに    私は毎学期ごとの長期休みに、何かに取り組むことにしています。去年の夏は基本情報技術者の勉強を、冬は応用情報技術者の勉強をしました。残念ながら応用情報技術者の春季試験は午後問題の点数が59点で落ちてしまったので、来月に秋試験を受ける予定です。けれども、今年の夏も冬にやったものと同じことをしても、打ち込んだとは言えないような気がしたため、今年の夏はAtCoderを少し頑張ってみようと思いました。     取り組む前  さて、AtCoderをやろうとして最初にABC(AtCoder Beginner Contest)に何回か参加しましたが、まず気づいたことがありました。私が全くプログラムを書けないということです。一番痛感したのは、単純なソートの実装を標準ライブラリを叩くのではなく、愚直にバブルソートで書いていた点です。遅くてTLEします。そのため、最初にやった競技プログラミングの勉強は、標準ライブラリを用いてソートを行う方法でした。これがおそらく7月の真ん中辺りだったと思います。     何をしたか  最初の方は、有名な「競技プログラミングの鉄則」の星4までの問題をヒューリスティクスを除いて9割くらい解きました。そして、AtCoderのサイト上で常設されている「競プロ典型 90 問」の星4までを30問目まで進めました。その後は実際の問題を解いた方が良さそうと考え、直近のABCの過去問を少なくともC問題まで、できればD問題までを解くようにしました。「AtCoder Problems」によると、7月終わりから1ヶ月間でおよそ150問くらい解いたみたいです。いつの間にか「Longest Streak」という値が1ヶ月分を超えて、結構順位が上がってきたので、最近は忙しくても最低1問解くようにしてます。多分、どこかでやり忘れるとは思いますが……       結果  一回レートがあまり伸びなかった回がありましたが、それ以外では50前後ずつ順調に伸びていき、9月2日のABCで茶色になることができました。しかし、まだ本番でD問題を通したことがないので、もう少し勉強しないとすぐに頭打ちになってしまいそうな感じがします。    最初の方は、Go言語のスライスの意味のわからなさや文字列の扱い方に悩まされましたが、個人的なライブラリの整理や簡単なドキュメントの整備などをして対応しました。他の言語では標準ライブラリを叩くだけのものが、Go言語では結構な分量を書いて実装しなければいけない点は少し大変でした。    プログラムの問題を解くサイトではAtCoderの他にPaizaもやっていましたが、このサイトは一回Sランクを取ってしまうと、頑張るインセンティブがなくなってしまって、それ以降は全く開いていません。PaizaでSランクを取れても、当時のAtCoderランクは灰色だったので、いかにAtCoderのレベルが高いかがわかりますね。   ・AtCoder https://atcoder.jp/users/kunaisn  

国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭参加作品参考文献リンク集

※本ブログはメスキィタ主催による動画投稿祭のまとめ的なものです。投稿祭開催告知動画はこちらです→https://www.nicovideo.jp/watch/sm41574665 ご挨拶 今回も多くの動画投稿者の方にご参加いただけました本投稿祭でございますが、前回よりも参考文献数の多い動画が目立っております。好奇心旺盛な視聴者の皆様方に置かれましては、すべて読んで動画の内容の正否を確認したいと思われることでしょう。しかし、それぞれ文字をタイプして検索するのは大変面倒であります。そこで今回主催が参考文献のリンク集を作成しました。本リンク集をご活用いただき、イングランド史に対する関心が世でさらに高まることを期待しております。 なお参考文献の書式については統一するのが面倒であったので、各投稿者のもの及び、主催者によるフリーダムな書式としました。ネットで無料で閲覧できるものは太字としています。 学生か先生か、学術系データベースにアクセスして情報を入手していると思われる投稿者もいらっしゃいますね。つまり一般人が容易にアクセスできないものも含まれています。 リンク集  【英蘭祭】ケルトの要塞ヒルフォート【VOICEROID解説】 https://www.nicovideo.jp/watch/sm42150520 Hillfort survey – notes for guidance ヒルフォート現地踏査に関する手引書 https://hillforts.arch.ox.ac.uk/assets/guidance.pdf MAIDEN CASTLEについてのEnglish Heritageのサイト https://www.english-heritage.org.uk/visit/places/maiden-castle/ 木村正俊編著『ケルトを知るための65章』明石書店、2018 https://www.akashi.co.jp/book/b351970.html 高野美千代「17世紀好古学文献の変容と読者の受容」『山梨国際研究 : 山梨県立大学国際政策学部紀要』第8巻、2013、pp.46‐pp.56 https://www.yamanashi-ken.ac.jp/media/kgk2013005.pdf 新納泉『鉄器時代と中世前期のアイルランド』岡山大学文学部研究叢書37、2015 https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/53167/20160528120953688360/pso_37.pdf 久末 弥生「イギリスの考古遺産法制と都市計画」 『創造都市研究e』 12巻1号、大阪市立大学大学院創造都市研究科電子ジャーナル、2017 https://e-journal.gsum.osaka-cu.ac.jp/ejcc/article/view/774 Campbell, Lorrae”The Origins of British Hillforts: A comparative study of Late Bronze Age hillfort origins in the Atlantic West”. PhD thesis, University of Liverpool,2021 https://livrepository.liverpool.ac.uk/3135296/ 孫文、清国公使館に囚わる!?~倫敦被難記~【第二回イングランド史投稿祭】 https://www.nicovideo.jp/watch/sm42161162 Sun, Yat-sen(1897) Kidnapped… Continue reading 国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭参加作品参考文献リンク集

空母機動部隊のなおしかた。(日本海軍の場合)前編

何もしてないのに機動部隊が壊れました。 1942年6月5日、日本海軍はミッドウェー海戦において空母四隻を失う大敗北をしました。 この敗因は、米軍が暗号を解読したことによる待ち伏せだったのですが、日本海軍は「攻勢に使える手札が大きく減った事」と「米空母部隊を撃破しない限り作戦行動が不可能になる」という点で大きな衝撃を受けていました。 なにせ、本海戦も前のポートモレスビー攻略作戦も米空母部隊の反撃により頓挫しており、これを撃破してしまえばそもそも待ち伏せを受けることもないという考えに至ります。 この時点では、後年に言われるような「攻勢から守勢に変わった転換点」と日本軍は考えておらず、あくまで「攻勢」を諦めていなかったのです。 その為、以後の日本海軍は「待ち伏せする米空母部隊の排除」を念頭に置いた対空母戦に特化した艦隊編成や搭載編成へと変わっていくのです。 さぁ、空母を緊急で増産しませう。 ミッドウェーでの敗戦で海軍は空母の緊急増勢計画を研究し、⑤計画等既定の軍備計画修正の中に含められることになり『戦艦、超甲巡の建造は全て取りやめ、航空母艦の建造を優先する。軽巡洋艦の建造隻数を減少し、駆逐艦、潜水艦、掃海艇、海防艦、駆潜艇の建造を大幅に増加する。』という内容の改⑤計画に改められていきます。 この改⑤計画で新造される空母は 5021号艦(改大鳳型)5隻 302号・改302号艦(雲龍型)13隻 となっていました。 ですが、空母の新規建造は最低でも2年の年月を必要とし、今すぐに空母が欲しい現状では即効性に欠けました。 それらに対し、比較的短期間で戦力化が望めそうだったのが使い道のなくなった水上機母艦・甲標的母艦を軽空母に改装することと、艦爆による先制攻撃の母艦として低速戦艦を改装することでした。 軽空母は、当時すでに飛行甲板の狭さから現行の機体を運用するのがやっとであり、次期新鋭機(彗星や天山など)の運用は困難なのは火を見るよりも明らかだったのですが、上層部は現状の対空母戦に対処できればいいと考えていたのだと思われます。 まぁ、その結果、軽空母が空母部隊に増えていくことで現地部隊は扱いに困ることになるのですが、それはまた別のお話。 さらに言うと、使い道がないと思われていた甲標的母艦が、直後のガダルカナル島輸送作戦で一番必要とされていた高速輸送艦の要件を満たしており、投入の機会を空母改装により逸したのもまた別のお話。 さぁ、ある物で機動部隊を再編しませう。 1942年6月12日に軍令部に出頭した源田実中佐はミッドウェー海戦の戦訓も取り入れた空母部隊再建案を提出します。 その内容は、一個航空戦隊の空母を大型空母2、小型空母1とし艦戦、艦爆の搭載数を増加させ代わりに艦攻減らすというものでした。 小型空母は主に艦隊の防御を担当し、大型空母を攻撃に専念させることを目的としており、空母の絶対数が不足している現状で使い道の限られている二線任務に割り当てられていた小型空母を艦隊で活用させようとしたのです。 また艦爆の増加は1939年頃の編成にあった機動航空隊の任務である敵機動部隊を先制攻撃し、飛行甲板を爆撃によって使用不能にするという方針に回帰した物でした。 また、戦前の艦隊決戦構想の最終目標であった米戦艦部隊の撃破は開戦劈頭の真珠湾攻撃により達成されており、日本の戦艦部隊はこの時にはすでにその存在意義を失いつつありました。また、艦隊決戦構想では空母部隊、巡洋艦部隊が前衛として進出し、決戦の障害となる米空母部隊を撃破した後に戦艦部隊同士の決戦に臨むといった方針でしたが、ミッドウェーではそれが逆に仇となり、航空決戦に敗れ制空権を喪失したために連合艦隊は戦艦などの有力な戦力を持ちながら撤退を余儀なくされただけでなく、その後の敵航空部隊の追撃に苦しみました。 その結果、当然の帰結ではありますが艦隊決戦のメインとなった対空母戦の艦隊編成として、巡洋艦部隊を進出させ、その後方に空母部隊を配置して米空母部隊を攻撃するという編成になり、たとえ先制攻撃を受けたとしても米空母艦載機の攻撃は前衛で吸収し、その間に後方の空母部隊の攻撃隊が米空母を叩くという構想になっていきます。 そして「艦隊決戦の主力艦隊」であった第一艦隊は解体が進み、伊勢、扶桑型の戦艦四隻は航空戦艦への改装が検討され、艦隊決戦の秘密兵器であった重雷装巡洋艦の大井と北上は南西方面艦隊への輸送作戦用として転出していくことになります。 こうして、戦前に日本海軍が夢見た「大艦巨砲主義による艦隊決戦構想」はここに崩壊したのでした。   そしてこの「航空機主体による艦隊決戦構想」がそのような結果を迎えたのかは次にお話することにしましょう。

フォンスティ音楽教室② 楽器分類法の話の続きとほか

こんちゃっす!!フォンスティーヴです。お久しぶりです。 ということでフォンスティ音楽教室の第二回です。前回は楽器分類法について話した途中で辞めちゃったんですよね……。なので今日は前回の楽器分類法の話の続きをしたのちにちょいとだけ近況報告、及びベートーヴェンの話などをしてしめようと思います。 ※記録や文献に則ってお話いたしますが一部主観が入りますのでご注意ください。 確か前回は楽器分類4+1属性のうち「体」「膜」「弦」についてお話ししたと思います。ですので残りは「気」と「電」です。ではまず気属性から行きましょう。   「気」についてですが、これはもう字から普通に推測できますね。「気」は気鳴楽器、空気そのものの振動が主となって音が発せられる楽器を指します。一般的に”管楽器”と表されるトランペット、クラリネット、リコーダーなどは基本的に全て気属性と考えてもらって構いません。また、私たちが普段から行っている「歌」という行為、それを行う「喉」は空気を体内で振動させて音を発しているのでこの分類法では気属性に入ります。他にも「パイプオルガン」や「アコーディオン」「ハーモニカ」なども空気そのものが発音体となっているのでこちらの気属性に分類されます。   ここまで楽器、音の四つの属性について学んできましたが、恐らく世の中の9割以上の音はこれを使えば分類分けすることができると思います。たとえば今私が打っているパソコンのキーボードの音はキーボードそのものが発音体となっているので体属性ですし、口笛は空気が発音体となっているので気属性に入ります。ですが、実はもう1つ、ごく最近登場した「第5の属性」があります。この第5の属性を持つ楽器は世の中にあふれている4属性に比べたらごくわずか、0.01%にも満たないと思いますが、恐らくさっきまで紹介した4つの属性以上に身近だと思います。それが「電」、「電鳴楽器」です。   「電」は主に電気楽器と電子楽器の二種類に分かれています。電気楽器はいわゆる「エレキギター」や「エレキベース」のような、従来の四属性の発音原理を電気信号を使って増幅させるものです。普通のギターならば楽器内に空洞を作り音を反響させる必要がありますが、電気を使うことで空洞を作る必要がなくなります。発音体は確かに弦なのですが、発音原理に電気を使用しているのでエレキギター、エレキベースなどは電属性、その中の電気楽器に入ります。そう、電属性は非常にめんどくさいのです!!!! では、もう1つの電子楽器についてもお話しておきましょう。電子楽器は電気楽器と同じように「電気」の力を利用して音を出していることに変わりないのですが、電気楽器のように発音体を用意する必要がありません。それだけで音や音階を作ってしまうのです。分かりやすい例で言うと「電子ピアノ」や「電子キーボード」などです。ここら辺になってくると電磁気学や量子力学などの分野になってくるので詳しく解説することは控えますが、電属性に関しては発音体、原理、振動方法などまだいくつか曖昧なところもあり、世界の至る所で議論が続いています。   「さて、ようやく楽器分類法を完走することができました!!」 (このために海外の文献を持ってきたりで結構骨が折れました……。)   これを知ったからと言って明日から暮らしが楽しくなるわけでもなければ豊かになるわけでもないですが、これを一つ知っとくだけでいつの日か人生に訪れるモヤモヤを一つか二つ解消できるかもしれません……笑 それでは、少しだけ日本独自の音楽文化の話をちょこっとしてからしめましょうか。日本の音楽文化の中で、世界に比べて特に異質だと思うのは個人的には「声楽」ですね。声楽というのは見て分かるように「声」を主に使った文化です。一応「歌」というものに入るのでしょかね……?声楽はもう1つの日本独特の芸能文化、「舞」と融合しながら数百年をかけて「能」、「狂言」はたまた「歌舞伎」など、様々な形態に変化します。特に1603年(慶長3年)の江戸幕府時代に突如現れた「出雲阿国(イズモ ノ オクニ)」という女性は男装をしながら狂言や能などの要素を取り入れた舞を街で披露し、江戸の街に一大ブームを引き起こしました。(まあそのあと風紀を乱すとかなんやらで禁止令を出されてしまうのですが……。)他にも中国から伝来した「傀儡まわし」「傀儡子」などの人形を使った芸能も吸収するなど、日本人だからこそできた文化なのかなぁ……と、思いますね。   さて、ちょうどいい感じなのでここから先は次回に回しましょうかね。次回は日本の音楽文化について語る 後半、そして今度こそベートーヴェンとかの話をしたい!!の2本です。お楽しみに!!またどこかで!!フォンスティーヴでした!!

フロリダ旅行の備忘録

はい皆様ここではお久しぶりです。 新型コロナの流行も一段落はして、最近海外旅行に関する広告や案内が増えてきた気がします。 しかしまだまだ自由に旅行できる雰囲気ではない上、私自身としても年一で海外旅行ができた自由な身分ではなくなってしまったため、やはり今回も過去を懐かしみながらブログを書いていこうと思います。 今回紹介していくのはアメリカのフロリダ旅行の様子です。 フロリダには何がある? なにがあるでしょう。正解はディズニーランド。 ディズニーランドと言えば我々日本人には東京ディズニーリゾートが定番ですが、本場アメリカのフロリダにあるディズニーランドは何もかも桁違いです。 まず広さが110平方キロメートルあります。日本のは0.465平方キロメートルなので本当に桁違いです。その差は200倍以上! 私は一週間フルで回りましたが、半分も回りきれませんでした。おそらく隅から隅まで全制覇するには一ヶ月いるんじゃないかな。 しかしながら一週間しか猶予がない中で、私も面白そうなスポットを厳選して臨みました。 今回はその中でも特に面白かったアトラクションを3つご紹介します。 ロックンローラー・コースター   エアロスミスの音楽に合わせて暗い空間をハイスピードで駆け抜けるジェットコースタータイプのアトラクション。(wikipediaより引用) スペース・マウンテンなどと異なり方向転換が少なくスイスイと大回転してくれるので色んな意味でノリやすかったです。 ディズニーパークで最もハードなアトラクションとの評価もありますが、恐怖感は少なく楽しいコースターだと思います。 エクスペディション・エベレスト 2つ目は通称エベレスト、これも絶叫系。名前の通りエベレストを模したコースを駆け抜けるアトラクションとなっています。 最初の上りのコースが長く、途中で線路がなくなったと思えば後ろ向きに超スピードで下るので良い意味で恐怖感満載のコースターでした。 ストーリーもタワー・オブ・テラー並に結構作り込まれていて、没入感もあるクオリティの高いアトラクションとなっていると思います。 ディズニーパークで最も高いアトラクションと言われており、山頂の高さは60.8mあります。 テスト・トラック 最後はテストトラック、名前の通りテスト用の自動車型のアトラクションに乗り、様々なテストを行っていきます。 そして最後には走行テストが待っており、これが最高時速105kmとディズニーパークで最も速いアトラクションとなっています。 ビッグサンダーマウンテンのように外を高速で駆け抜けるコースターなので、爽快感が最もあるアトラクションなんじゃないかな。   いずれのアトラクションも日本にはありませんが、Youtubeで検索すれば乗ってみた動画があがっているので気になる人は一度見てみてほしいです。 また、日本のディズニーランドのアトラクションで、私の中で評価が一番高いのはスペース・マウンテンですが、どうやら2027年までリニューアル工事で閉鎖されるみたいですね。 果たしてどんなアトラクションに進化するのか楽しみです。4年後か……。   そんなわけで今回はここまで、また機会があればお会いしましょう、ではでは~。

アメリカの裁判所について

お久しぶりです。せるヴぁんだです。今回のブログ担当ということで、「アメリカの裁判所」について徒然なるままに書き散らしたいと思います。   アメリカ「合衆国」というちょっと変わった国 The United States of America, 略してU.S.A。一昔前(?) に同タイトルの曲が流行りましたが、日本人としてよくよく考えてみれば、アメリカという国は奇妙な国家形態をしています。日本の場合、「国」と言えば日本国そのもの、その下の行政単位は県、市、区、群、町…というように刻まれていきます。(道州制万歳!) 一方のアメリカは、いわゆる連邦制国家なのです。2023年現在、全部で50州を抱える国ですが、この「州」という存在がいささか厄介なのです。おそらく、多くの人が州=県のようなイメージを持つのではないでしょうか。愛知県豊田市≒ミシガン州デトロイト市のように。   しかし、実際のところ、アメリカの各州は日本の都道府県よりもはるかに強い権限を持っています。なんたって「州の憲法」が作れてしまうのですから。(おまけに州兵という州知事直轄の軍事組織まで!そう、某Grand Theft Autoなゲームで手配度が最高になるとやってくる人たちですね)このため、アメリカという国には、連邦政府たる「アメリカ合衆国政府・議会・司法」と、小さな国家とも呼ぶべき、「州政府・議会・司法」が二重で存在しているのです。日本の地方自治体にもそれぞれ議会と行政は存在し、条例も制定できますが、さすがに憲法や法律(※1)は作れません。国の唯一の立法機関は国会のみと憲法で定められています。(第41条) ※1…多数ある「法」の中でも国会で制定された法を特に「法律」と呼びます。   一番の違いは「裁判所」の構造かも アメリカと日本は「三権分立」型の構造をしています。議会(立法)・行政・司法の三すくみですね。そのなかで、議会と行政については、上に見た通り、権限の強弱があるとはいえ、ある程度は似通っています。しかし、司法たる裁判所はまったく違う構造をとっています(なぜでしょうね?)この違いの原因を探るところまではパワーがないのですが(すみません。。。)ここでは組織構造の違いを簡単に紹介しようと思います。   1.日本 日本の場合、司法制度の頂点たる最高裁判所が1つあり、日本を八つの管区に分けて高等裁判所が設置されています。その下に第一審となる地方裁判所・簡易裁判所・家庭裁判所がたくさん存在することになります。このように、最高裁をトップとする単一ピラミッド構造が日本型司法制度ですね。   2.アメリカ アメリカはというと、裁判所も「連邦政府」と「州政府」の2つのピラミッド構造を取ります。アメリカの統治システムは原則として州政府が責任を負い、州政府ではできないことや特に必要とされる場合に、連邦政府に権限があるようになっています。たとえば、合衆国憲法の解釈・適用に関する問題は、州の裁判所ではなく連邦裁判所が審理する権限(管轄権)を持っています。このように、連邦裁判所が管轄権を持つのか・連邦と州いずれの裁判所にも管轄権があるのかなど、個々の訴訟問題の性質によって、どこで裁判するのかが決まります。連邦と州を比べると、連邦の方が力があり、上下関係があるようにも思えますが、州の裁判所システムが連邦の裁判所システムに従属しているようなことはありません。あくまでも「異なる別の裁判所システム」としてそれぞれ独立しており、管轄権の競合があった場合にのみ、個別に調整されています。(たいていは連邦法が優先します)   A)州裁判所システム アメリカで提起される訴訟のほぼすべては、州裁判所へと持ち込まれます。州の裁判所システムは各州によって様々であり、特に統一されているわけではありません。基本的には州地方裁判所(District Court/Trial Court)・州控訴裁判所(Court of Appeals/Appellate Court)・州最高裁判所(Supreme Court)の三審制ですが、州によっては控訴裁判所がなく、第一審と最高裁判所の二審制を採る州も存在します。(デラウェア州、サウスダコタ州、ワシントンD.C.など)   さらに、州によって憲法や法律の内容、蓄えられた経験(先例となる判例法)も違うため、同一の訴訟を別々の州で提起すると、必ずしも同じ結論や量刑にならない可能性もあります。有名な話では、国際的な企業が準拠法と管轄裁判所(※2)を選ぶ際、アメリカではニューヨーク州とデラウェア州が多いそうです。(デラウェア州なんて何もないのに!)これは、2州が企業紛争に関する豊富な先例を蓄えているからと言われています。 ※2…事件・紛争が起きた時、どの国・州の法律に基づいてどこの裁判所で審理するかということ。   また、アメリカ裁判所制度の最大の特徴と言ってよいのが、「巡回裁判所(Circuit Court)」の存在です。巡回裁判所はその名の通り、管轄する地区をぐるぐると巡回して移動式の裁判をしていたのです。残念ながら今はもう存在しませんが、馬に簡易的な審理台を引かせて、判事が裁判をして回っていたそうですよ。(当時は上等なクッションもなかったので、長時間の移動と審理で判事のお尻が破壊されたとの説も)   (画像引用:HJ Erasmus, Circuit courts in the Cape Colony during the nineteenth century: hazards and achievements,Fundamina… Continue reading アメリカの裁判所について

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重い本が読めなかったので、軽い本をご紹介します。 フランスの文豪、バルザックによる「役人の生理学」。なお、私は文学好きではないので、バルザック作品など初めて読んでいます。なぜ読んだか?行財政史が好きだからですかね… 本書が書かれたのはバルザックにとっては晩年に差し掛かる1841年、7月王政期のフランスでした。当時のフランスといえば産業革命の時代ともいえます。王政といえども、1830年憲法下の立憲君主制であり、貴族制や世襲制が廃止され、直接税200フラン以上の制限選挙(有権者は全人口の1%に満たない)が実施されており、当時としては民主的な社会が始まっていました。そんな社会の縁の下の力持ちが大量の事務を公正に実施する役人たちです。住民登録、都市計画、公金の管理、公共事業の実施。どれをとっても民営化などしたら公共サービスが平等に国民にされず、誰もが平等なはずである民主的な社会の基盤が揺らぎます。今なお私たちを支える黒子たちですが、まぁ、評判が悪いところでは悪いものです。税金泥棒、仕事が遅くて融通が効かない、どうでもよさそうな細かいところばかり気にする、挙げ句の果てにはそう言った仕事のやり方をお役所仕事などと…。そんな悪評は今に始まったことではありません。バルザックの時代も同じ。いえ、むしろバルザックの時代ぐらいに始まったそうです。 以前の時代、第一帝政時代ですが、その当時のことをバルザックは皮肉を込めて懐古的に語ります。 「役人ほど素敵な商売はないといわれた時代があったことを知ってはいる。」 バルザックによれば、当時の役人は最高級の社交界にも出られたし、メチャメチャモテたそうです。というのも皇后など君主の一族が贔屓にしていた役人たちがいたからだそうで、役人の公共性というものがまだ確立していなかったからなのです。それが7月王制の立憲君主制により、信賞必罰をわきまえた君主から、忘恩の大衆に仕えることになり、閑職は攻撃対象となり、その栄華は終わりを迎えたのでした。 7月王政下で役人は事務室に拘束され、自由に立ち去る権利はなく、出世していないものは良いとは言えない賃金で働き続けました。バルザックがとりわけ注目したのはパリの中央官庁に勤める役人でした。今と変わらないじゃないかと思うものがある一方で、細かいところを見ていくと、現代(日本)との違いが浮き出てきます。19世紀のパリにはパソコンはおろか転写機もありません。謄本係という、今ならプリンターで十分代用可能な役職がありました。電子化されたデータもないので、今なら職員の誰かがちょっと兼任すれば済む文書管理責任者が整理係として独立した集団に。縁故採用が根強く、強力な後ろ盾があれば出世できるが、そうでなければ相当な忍耐力や適応能力が必要、などなど。 また、現代日本では見られない雇用形態も興味深いものです。それが試補→書記→課長補佐と続くもので、フランスでは1940年代まで続きました。試補(原文ではsurnumeraire、定員外の職員と言った意味のようです)とは正式な役人ではなく無給の見習いで、実家が太くない者は大変苦労したようです。戦前日本にも同名のもの(翻訳の都合でしょうが)があった制度で、明治20年勅令第37号において定められた「文官試験試補及見習規則」にあります。公立大学か試補試験合格者が役人になると最初に通る道でした。フランスにおいての採用基準の細かいところはバルザックは書いていません。もとよりこの本は役人の実態を詳細に記録するものではなく「こういう奴いるよな」と共感を誘い、一時の娯楽にするためのものなのですから。 そしてこのエッセーの真髄は、行動様式ごとに分けた役人分類で、ごますりだとか蒐集家(オタク)だとか商人だとかに分けています。スプラトゥーンのオオモノシャケみたいで面白いです。この中には大っぴらに副業が許されていた当時の役人事情を反映しているものもあります。その副業の程度は人により様々で、劇作家や小説家(三島由紀夫は大蔵省出身でしたね)、会社役員、演奏家、妻側の内職や店舗経営などなど。当時の役人生活はその薄給から副業せざるを得ず、バルザックはそのことで、国家が役人から俸給を奪い、役人が国家から時間を盗むと嘆いています。または、ロスチャイルド銀行の職員の待遇と比較し、あまりにも無駄があると。講談社学術文庫版では付録がついており、その中の『役人』というエッセイではフランス政府に対する改革案が載せられ、役人にはしっかり給料を支払い、人数を減らしてしっかり働かせるべきだと論じています。 バルザックの視点を離れ、山川出版社の世界歴史体系を見れば、高官は貴族やブルジョワに切望されたポストで、高い俸給にありつけば大ブルジョワ並みの生活となったそうです。昇進や指名の基準はあいまいなため、縁故採用、官職売買の慣行も続いたようです。そして積もり積もった不満はやがて1846年の凶作に端を発した不況、高学歴ワーキングプア、有望な王位継承者の不足から二月革命を招いたそうですが、それは本書の原書の最初の出版の後の話です。

海軍と炭酸飲料のこばなし

海軍さんの嗜好品  戦争において士気などを維持するのに嗜好品は貴重なものでした。なにせ、やる気がない中仕事をしてもなかなか捗らないように、士気が低いと兵士も弱くなるのです。  第一次世界大戦でもフランス軍は、兵士1人につき毎日4分の3リットル(通常のワインの瓶1本に相当)のワインを無料で支給し、イギリス軍も一日一口程度のラム酒を支給して士気の維持に努めたほど。  第二次世界大戦では救国戦闘機のスピットファイアがフランスにいるイギリス軍の為に落下タンクにビールを詰めたり、仕事熱心な米軍のおにいさんが最前線の小島にアイスクリーム製造機を配備したりと……これらは「兵士を甘やかすため」ではなく「効率よく兵士のやる気を出させるため」に用意されたのです。   WWIでガリポリに上陸したフランス軍のワイン  そういう意味では、昨今のミリタリーオタクの皆さんが小馬鹿にしがちであるイギリス軍の現代戦車に搭載されている電気式湯沸し器も士気の維持という点では侮れない装備です。敵の砲爆撃の嵐の中でも安全な装甲に包まれた戦車の中で火をたかずに暖かい食事や飲み物が楽しめたり、布の消毒ができたりするのです。皆さんだって冷たいコンビニ弁当ばっかりだと少しは暖かいものが恋しくなるでしょう?それが安全にできるのですごいんですよ。 とてもつおいイギリス軍の湯沸かし器  ……っと少し話がそれてしまいましたね。  それでは士気向上の嗜好品を大日本帝国の海軍さんはどうやっていたのかというと、甘いものでやる気を出させていました。  泊地などではかの有名な給糧艦間宮の間宮羊羹などの甘味の補給が有名ですが、巡洋艦以上の大型艦には自分たちでそう言ったものを作る手段がありました。    それが「ラムネ製造機」です!  海軍艦艇には、火災の時に火を消すために「二酸化炭素消火装置」というものが備え付けてあり、それを転用して「ラムネ製造機」というものを設置したのです。  この装備の設置については戦前からであり、昭和三年の「艦舷「ラムネ」製造機装備の件」という訓令が出されており、横鎮、呉鎮、佐鎮長官あて(舞鎮がないのは、当時軍縮条約により要港部に格下げされていたため)に海軍省大臣官房から 『其府麾下所属ノ既成戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦、航空母艦、潜水母艦、給糧艦及其他必要ヲ認メタル艦舷ニシテ「ラムネ」製造機ヲ有セサルモノニアリテハ此際艤装品トシテ装備方取計フベシ 右訓令ス(後略)』  とあり、要約しますと 「横須賀、呉、佐世保の各鎮守府長官は、自分の部下所属で竣工済みの戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦、航空母艦、潜水母艦、給糧艦そのほか必要な艦船でラムネ製造機を取り付けていない艦があるのならば、この機会にすべて取りつけるように」  というものになります。ここで駆逐艦や潜水艦等がないのは、ラムネ製造機を設置するにはスペースなどの制約があるからなのでしょうかね?実際に駆逐艦島風や駆逐艦山雲といった艦にはラムネ製造機は設置されていなかったという記述を見たことがあるのでそういう事なのでしょう。  ちなみに火を消すための炭酸ですので、そう無闇に使う事もできません。なので停泊時は「ボンベに入った炭酸ガスを陸上から買って製造」していたそうです。    なおその頃、仕事熱心な米軍さんは大型艦にアイスクリーム製造機を導入しており、米空母艦載機が不時着した際に駆逐艦などがパイロットを回収して引き渡せば、お礼にパイロットの体重分のアイスが貰えたそうな……やっぱり格が違うなぁ……

小樽旅行記……?

小樽に行って来ました  お疲れ様です。※(米印)です。  タイトルの通り、ちょっと前に小樽旅行に行っておりましたので、そこで見かけた面白かったものなどをば。    ……え、なんで小樽に行ったのかって? 気になります? 気になっちゃいます? そっかぁ、仕方ないなぁ(ウザい)  もちろん!!!! 小樽潮風高校プロジェクトです!!!!!    まぁ、小樽六花要素はこの画像程度のレベルなので、小春六花を“まだ”知らないという人も気軽に見て行ってください。 (これがなぜ小樽六花要素なのかすぐにわかっちゃった人はちょっと異常なオタクです。反省してください)   小樽旅行だと言ったな。アレは嘘だ  まず紹介するのは北海道開拓の村です。  札幌の東の方、野幌森林公園のとこにあります。小樽ではない。  だってせっかく北海道に行ったらいろいろ行きたかったんだもん……    ともかく、ここはまぁやべーとこでして。当時の建物を再現×内部に史料を展示、という見るべきものしかない最強の布陣。公式サイトに「最低でも2時間以上のご滞在をお勧めします」とか書かれるレベルです。  ちなみに2時間じゃまったく足りません。歴史オタクなら丸一日の滞在をお勧めします。  あ、そうそう。近くに北海道博物館もあるんで、そちらもぜひぜひ。   旅行記に書くことがそれか?  次はこれ! これマジで性癖に刺さりまくりました。  小樽市役所内にあったポスターです。一見して何の変哲もない、北海道新幹線開業のポスター……しかし、実はとんでもない秘密があったんです。  「新幹線」と「開業」の間、なんだか不自然な空白がありませんか? 拡大してみましょう。  完全に手作り感満載で超かわいい……だけじゃありません。勘の良い方はポスターを見た瞬間に薄々気づいていたんじゃないかと思いますが、ちょうどこの4文字分の下に「まもなく」があったはずなのです。  古いポスターを、うまいこと時間がバレちゃうとこだけ手作りの紙で隠して使い続けるやつ、私の性癖ど真ん中です。本当にありがとうございました。   Q. 神を信じますか? A. 小樽で見た  さすがに異常性癖を出すのはあれっきりです。お次は住吉神社。そこそこ王道な観光場所のはず。  神社にお参りといっても、私にはさして願い事もなく。  私はなんとなしに「六花のことをよろしくお願いします」と拝んでみました。    するとどうでしょう。賽銭箱がひとりでに音をたてたのです。  そりゃもちろん、単なる偶然と言えばそれまでですけれども、私にはもう神様からのお返事にしか聞こえませんでした。  私だって、あんな可愛い子のことをお願いされたらついつい「もちろんいいよ、めっちゃやるわ」って賽銭箱の一つや二つ揺らしてしまいそうですからね。    ほんとうに、六花は神様に守られているんだなぁと感じました(スピリチュアル系に染まる親並感)   オタク、いますぐに龍宮神社に行け  続いても神社、榎本武揚ゆかりの「龍宮神社」です。  ちゃんと「武揚建立」と……ちょっと待って!? 画像左の幟!  なんかかわいい子がいる!(ちょい別の場所ですが)  境内のあちこちにこの子がいました。しかも別のバージョンもある。かわいい……    しかもこの子、オリキャラなのだそうです。熱意が凄い。  オタクも今すぐ行け。いや小樽旅行の際にはぜひお立ち寄りください。小樽駅から徒歩5分です。   実は観光がメインではないんだなこれが  これだけ見るとなんかめっちゃ遊んでる感じなんですが、実は結構な量の時間を図書館と文書館に費やしてました……  まぁどっちも調べようと思ったきっかけは六花なんで、だいたい遊びみたいなところはある。  まず、榎本武揚の取材について。  この前、私は榎本武揚動画を出したわけですが、ご覧になりましたか? なりましたよね? 見たって言え。  ともあれ、この動画のためにちょっと色々資料を集めるなどしていました。  参考文献欄にあるものだと、小樽市総合博物館紀要や、『志蘇る』は小樽で手に入れた資料です。他にも使わなかっただけで結構コピー機と格闘したものがあったりなかったり。… Continue reading 小樽旅行記……?

この「コード」を額に入れて飾りたい

はじめに    近況報告になりますが、サムネイル制作者兼HP管理者だったましろさんが退会されたことで、私が今年の4月からましろさんのポジションにそのままスライドする形になりました。ですので、4月1日の「紫電改パート2」の動画からサムネイル制作を担当しています。最初は全く使い方が分からなかった「Adobe Illustrator」ですが、最近はある程度基本的なことはわかったような気がします。ましろさんからいただいたテンプレートを元に、毎回楽しくサムネイルを作っています。       Golang    最近はプログラミング言語のGoにハマっていて、Javaから浮気しそうな感じです。言語としては、Javaよりは若干レベルが低い感じがしました。ポインタの概念がある程度には低レベルですね。Javaより低レベルですけど、勉強の難しさはJavaより高い感じがします。Java8のドキュメントは日本語で転がっていますし、Javaの解説ブログ、動画の類いもたくさんあります。しかし、Goのドキュメントは多分英語しかないので、標準ライブラリの仕様を見に行く時に若干めんどくさいのです。まあ、日本語の解説ブログが全くないわけではないので、色々探してみると参考になるものがたくさんあったりします。   ・Java8のドキュメント(日本語) https://docs.oracle.com/javase/jp/8/docs/api/overview-summary.html ・Goのドキュメント(英語) https://go.dev    このブログを書いている10日くらい前から勉強を始めましたが、色々な方法で勉強しています。大学の課題を捌きつつ別のこともやっているので牛の歩みですが、主に下記の2種類の方法をやっています。    ・「A tour of Go」をすすめてみる。  ・競プロ(「AtCoder」とか「Paiza」)をやってみる。   「A tour of Go」  日本語で書かれたGo言語のチュートリアルです。ブラウザ上で記述して実行して結果が得られるので、実行環境をインストールしなくても使えるというのが利点でしょうか。現時点で、大体半分くらいやりました。 https://go-tour-jp.appspot.com/welcome/1   競プロ  以前Javaで書いたものをGoで書き直すとか、普通に新しい問題をやったりしています。あ、もちろん難しい問題は、そもそもJavaですら書けないのでやってません。Paizaで言うところのD,C,B問題、AtCoderの「AtCoder Beginner Contest」のA,B問題あたりをやっています。       この「コード」    結論から言えば、このブログのタイトルの「コード」とは、標準入力を受け取る一連の処理のことです。このブログを額に見立てて最後に飾っておきましょう。  勉強を始めてから昨日までは「fmt.Scan(&n)」で何も問題がなかったのですが、今日解いた競プロの問題では使えなかったのですよね。短い文字列であれば問題なくて、長いと不具合が生じるのではないかと、私は思ったりしました。これを解決するために、いろいろネットの海をさまよって、それっぽいコードを見つけてきました。しかし、意外とこのコードが複雑で理解に少し時間がかかってしまいました。  そもそも、標準入力から文字列を受け取るというのは競プロの問題では初歩の初歩といいますか、前提条件、出来ないやつは提出することを許さず、的なものです。したがって、この理解したものを消してしまうと、次に書く時に覚えていられる不安になりました。そういうわけで、この初心者コードを貼り付けておきたいと思うに至ったわけです。   package main import ( “bufio” “fmt” “os” “strconv” ) func main()… Continue reading この「コード」を額に入れて飾りたい