皆様お久しぶりです!!世界史べーた(仮)様のOP曲、アイキャッチ効果音、及び音楽史動画を主に制作しているスティーヴです!!ブログを書くのも本当に久しぶりですね……。その間に新しく入会される方もいれば、去られた方もおり……時の流れ、そしてそれが過ぎ去る速さを直に感じておりました……。 前までは私がキングダムなりアド・アストラなり好きな歴史漫画について語っていたのですが、せっかく私も本格的にべーた様の音楽要員として活動を開始したので、今回からはフォンスティーヴのクラシック教室と題し、この私スティーヴがとにかくクラシック音楽、そして世界の様々な作曲家、音楽史について語ろうと思います!!Youtubeの方で投稿されている音楽史動画のこぼれ話をするかもですし、行き当たりばったりなのでちょくちょく話が脱線すると思います……どうか温かい目で見守ってください……ちなみに次回は未定です!! さて、じゃあまずはベートーヴェンの話でもしますか、ベートーヴェンが生まれたのは1770年、日本ですと明和7年、江戸時代です。そもそも日本って元から独自の音楽文化を持っていたんですよね。卑弥呼について記されたことで有名な「魏志倭人伝」には、邪馬台国内では葬儀で歌舞をしていたと言う記述があります。また、日本書紀には第14代天皇の仲哀天皇が琴を弾奏していたと言う記述があるそうです。 「琴」という楽器は未だに謎が多くてですねぇ……。古代の日本では呪術に使われていたという噂もあります……。一応「琴」という楽器は弦を使って音を出すので「弦楽器」という分類に入るのですが、ヴァイオリンと琴が兄弟、仲間ってのは少し無理がありますよね笑 弦楽器にはヴァイオリンのように弦をこすって音を出す擦弦楽器、ギターのように弦をはじいて音を出す撥弦楽器、ピアノのような弦を叩いて音を出す打弦楽器(弦打楽器)の、主に三つの種類があります(古代祭りの時の動画で話したっけな……。)。あと古代祭りの動画ではオーケストラで使われる楽器は主に「弦・打・吹」の三つに分かれると言ったと思うんですけど、実はそれよりももっと細かい分類があります(このままだと例外が結構ありますしね)。その分類はドイツの音楽学者である「クルト・ザックス(1881-1959)」とオーストリアの民族音楽学者「エリッヒ・モーリツ・フォン・ホルンボステル(1887-1935)」の2人によって20世紀初頭に作られました。この分類法は2人の名前からとって「ザックス=ホルンボステル分類」と呼ばれています。 ザックスホルンテス分類(以下HS分類)では、楽器は「体・膜・弦・気」の4つの属性に分けられています。現代ではそこに新しく「電」というものが加わったので厳密には5種類ですが、電は少しイレギュラーなケースなので4+1種類と言った方がいいですね。例外はなく、この世にある楽器は全てこの4+1属性がベースとなっています。では体・膜・弦・気とはどういう意味なのか。結論から言いますと、これの鍵は「発音原理」です。 「体」は「体鳴楽器」の略。楽器そのものが発音体となっているケースです。具体的な例ですと「シンバル」や「カスタネット」など。息や弦を必要とせず、楽器をぶっ叩いてそのまま音を出すことができますよね。じゃあ「体は打楽器のことなの?」と言われたらそうでもありません。あとで説明しますが「ティンパニ」や「タンバリン」は膜属性に分類されます。また、「オルゴール」もこの体属性に分類され、ワイングラスやコップに水をはってその縁を湿った指でなぞることで音を出す楽器かどうかすらも怪しい「グラスハープ」もこの体属性に分類されます。例えば、黒板を爪で引っ掻いて「キィィィィィィ!」という音を出すアレは、引っ掻くことで黒板そのものが発音体となっているので体属性に分類されます(どちらかと言えば雑音ですが……笑)。実はそれだけではなく、体属性の中でも、奏法や作りによってさらに細かい分類がされます。例えば細かい音程があるもの、それだけでメロディーを演奏することができるものは「旋律体鳴楽器」、できないものは「非旋律体鳴楽器」と呼ばれたり、それとは別にグラスハープのように擦って音を出すんだったら「擦奏体鳴楽器」、それよりもシンバルのように直接的な方法で音を出す場合は「打奏体鳴楽器」と言われたりします(そしてさらにその中で細かい分類があったり(T_T)……。)。ですが四属性より先の分類に関しては学者や国によって大きく解釈や名称、方法が変わってしまうのであんまり気にしすぎずに聞いてください笑。 「膜」は「膜鳴楽器」の略で、まぁ日本で使われている太鼓は大体これだと思ってもらって大丈夫だと思います。名前の通り木の筒や枠などに薄い皮や紙でできた「膜」をはることで体鳴楽器とはまた違う形の振動を起こします。まぁこれにももっと細かい分類はありますが、他の3つに比べたら簡単だと思います(多分)。ドラムセットで使われるスネアやキックも膜属性が大半だと思います。 「弦(やっとここまできた……)」は、まぁイメージの通り弦鳴楽器です。弦を発音体として振動を起こして音を出す、まぁほぼ弦楽器ですね。さて、最初の琴とヴァイオリンの話に戻りますけど、弦属性って少し特殊でして、ザックスの分類法によるとまぁまず弦属性は四つに分かれるそうです。それぞれ「ツィター」「ハープ」「リュート」「リラ」。 「何度も言うんですけど、この話はマジで諸説がありまくりんなので私のこの話だけでなく、自分の納得できる答えを探してください。無責任ですんません!!!」 まず結論から言いますと、まず琴は「ツィター属」に入ります。ですが、ヴァイオリンは「リュート属」に入るんですね。あと、ピアノも実は「ツィター属」です。なのでどちらかと言えばピアノはヴァイオリンよりも琴の方が仕組みは近いんですねぇ……。 いや、ほんとにここの分類はマジでめんどくさいです。 まずツィター属なんですけど、”主には”共鳴体とされる筒なり箱なりに弦をはったものを指します。なので琴はこれに属します。 「あれ?でもヴァイオリンもそれに近くない?」 そう思った方もいると思います。わかります。ではリュート属ってなんなのかと言いますと、ネックがついているタイプの弦楽器です。ネックがついていたら何ができるのかと言いますと、演奏しながらネックを指で押さえて弦の長さを調整することができるんですね。そこが大きな違いです。ギターもリュート属に入ります。もちろんヴァイオリンも。 はい、この分類法で一番めんどくさくなってくるのが我らがピアノくんです。先ほどは琴とピアノはかなり近い位置にいると言いましたが 「琴とピアノが兄弟?そんな分けねぇだろ!!」 と、そう思いますよね、ご安心ください。私もそう思ってます!!! この話の中で一番大事になってくるのは楽器の構造、そして発音原理です。ピアノという楽器はかつて「チェンバロ」という楽器でした。音は今と比べればギターに近い音で、仕組みとしてはピアノとさほど変わりません。ですが、実はそのチェンバロの前身のような楽器も存在していました。「ツィンバロン」という楽器です。ピアノのご先祖様のようなものですね。 ピアノとツィンバロンの一番の違いは鍵盤の有無です。ツィンバロンには鍵盤がありません。じゃあどうやって音を出していたのでしょうか……? 実際に画像を調べてみてもらったらわかると思うのですが、ツィンバロンはピアノの面影はあるものの、弦は剥き出しになっていて、鍵盤を介さず直接指で弾く、もしくはバチのようなもので叩くという方式をとっており、またその構造はツィター属の定義である「共鳴体に平行に弦をはる(琴をイメージしてもらったらわかりやすいかと)」というのに当てはまっています。そしてそのツィンバロンに鍵盤をつけ弦を直接叩く作業を簡略化したのがチェンバロ、さらにそのチェンバロを改良したものがピアノですので、発音原理的にはピアノはツィター、そして琴と同じなんですね笑。 さて、本当はね、気と電の話をした後に日本音楽史の話に戻ってベートーヴェンの話もしたかったんですけどね……。 意外にも筆が乗ってしまってブログの癖に星新一のショートショートぐらいの分量になってしまいました……。 めっちゃ中途半端なところだと思うんですけど、一旦、一旦今回はここで終わろうと思いますッ……。 いやマジですいません、私もここまで話が広がってしまうとは思ってなかった……。 次回は「楽器分類法後編」「日本の独自の音楽文化」「ベートーヴェンこぼれ話」 の三本でお送りします。お楽しみに!!
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近代中国研究のススメ
https://youtu.be/EONxJgy2WFc さて、先日私の投稿した↑ 「社会主義の中国伝来」ですが、 取り上げたほとんどの人物が日本に亡命または留学していました。 外国研究の難しさ どんな学問であっても研究をするとなったとき、そこでは積み上げられた先行研究を踏まえた上で、どんなに小さいことでもいいから、その山にプラスすることが求められます。 これが外国の歴史、文学、思想となると難しい。 どんな学問であっても 大抵、日本のことを対象とする学問であれば日本が研究の本場であり、アメリカのことを対象とする学問であればアメリカが研究の本場となるでしょう。 中国研究の場合 中国研究においては、日本が最も研究が進んでいるという時代がありました。 要因をパッと思いつくものをあげると 日本 ・前近代までの漢学の伝統の積み重ね ・近代以後の西洋的な学問の受け入れの早さ ・民主化の早さ 中国(大陸) ・民国期の政治的混乱 ・共産党による言論統制 台湾 ・国民党による言論統制 こんなところですかね。 現在は台湾は言論が自由となり、大陸もかつてと比べるとかなり緩和されました。 大陸の50年くらい前の研究を見ると意味もなくマルクスが引用されていて、初めて見たときは閉口したものです。 さて、いまや日本の中国研究は人も予算も減る一方。大陸の研究成果を見ずに研究することは不可能となりつつあります(多少分野の違いはあります) 日本人が近代中国をやるメリット さて、母国でない国のことを研究する意義という点では、近代中国は穴場なのです。 先述のとおり、重要人物の多くが日本に滞在していました。 では日本でどんな情報を得ていたのか?となると、 明治期の日本語文献を読みこなす必要があります。多様な形式の文語文や変体仮名といった、日本語を母語としていないと(していても)非常にとっつきにくいものを読めなければならないのですね。 日本人であることが、非常にメリットとなるのです。 ところが、日本においては、中国近代は研究者の人数が他の時代に比べて少ないのです。(文学は唐、思想は宋が多いかなと思います。歴史学の方はよく分かりません) 卒論のことをこれから考える中国学徒におかれては、近代にも目を向けていただければと思います。 (私も興味を持っていただけるための発信をがんばります……)
グラント大統領の記念碑を上野へ見に行こう
上野公園の南北戦争スポット!? 読者の皆さんは上野恩賜公園を訪問した事があるでしょうか? 博物館や動物園で有名な公園ですが、このブログを書いている3月末なら桜が見頃なお花見の名スポットでもあります。 しかしこの公園、日本では数少ない(?)米国史を感じられる場所となっています。と言う事で今回は南北戦争を北軍の勝利に導き、戦後に大統領を務めたユリシーズ・グラント、彼の訪日を今に伝える上野公園の植樹碑訪問ブログです。 この記念碑自体への行き方は結構簡単、上野駅公園口から直進して動物園正門の前で左手に見れば到着です。 ただし結構ひっそりした見た目なので、そこは注意かもしれません。記念碑のレリーフは中央はグラントの肖像、左右に英語と日本語で植樹碑設置の来歴が記されています。 (日本語の碑文は塗装が消えかかっててちょっと読み辛い……) グラントと言えば1865年に北部の勝利で幕を閉じた南北戦争で北軍の最高司令官に上り詰め、南軍のリー将軍を破り一挙に英雄となった人物です。その後1868年の大統領選に参戦すると、対抗する民主党の候補を獲得選挙人で大差を付け当選し第18代大統領として8年勤めます。 (彼が任期中に取り組んだ南部の再建も南北戦争後の重要な出来事でした) 1877年に大統領任期を終えたグラントは世界各国への訪問へ出発、1879年には日本を訪問し明治天皇への謁見を行い、足を延ばして日光へも訪れました。そしてこの訪日の際に記念植樹を行った場所の一つがこの上野公園なのです。 ちなみに肝心の植樹した木は記念碑から左に向くと今でも姿を確かめられ、二本のうち左側はグラント夫人による泰山木で、右側がグラント本人による檜です。そして明治時代に植樹された由縁が時代と共に薄れる事を憂いて昭和4年に記念碑が建立されました。 今回の訪問記はこの辺で終わろうと思いますが、有名な文化スポットが並び立つ上野で公園に佇む銅像や記念碑にも、普段は意識しない由緒が見つかるかもしれません。
国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭
臨時ニュースにつき、当初予定しておりましたバルザックのエッセーの読書感想文に代えてお送りします。 ニュースとはニコニコ公式の生放送が私の謎企画を取り上げてくださるらしい(4月18日午後7時から)、ということです。 私の謎企画の経緯からまずは順を追って説明しましょう。 基本的にニコニコ動画で活動していた私ですが、昨年は何をトチ狂ったのか 中世イングランド史動画投稿祭 なる謎の企画をぶち上げておりました。なんか面白そうだから、というふわっとした動機によるものです。 告知動画はこちら 参考文献の提示を求めたりと、そこそこ厳しい参加条件を課していました。最悪自分一人が動画を揚げて「参加者は誰一人来ませんでした」と結果動画を出す覚悟でおりましたが、幸いにも多く参加者に多くの動画がそろい、それなりのお祭りになったのではないかと思っております。 これで一応の成功を収めたのをいいことに、今年も開催することにしたんですね 国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭 を。去年と同じ時期にと思ったらなんと国王陛下の戴冠式の時期と被ってしまったのです。こうなればもう乗っかっとけと愛国心を商魂と結合させました。 また、去年は中世に限定していて、古代ローマやヴィクトリア朝が主力の投稿者仲間には少し不自由をさせてしまったことを反省し、投稿可能な範囲を広げており、少しテコの入れ方が変わりました。 こうして少しは練った参加要件を動画にしてアップロードし、あとは自分が期間内に動画をあげてほかの人の動画を見て、結果発表動画を作るのみ、そう思ってました。まぁ宣伝はそんなにしなくてもええやろと構えていたら、なんととんでもないところから宣伝してく出さる旨の申し出が…(もちろんユーザー企画を毎月まとめて動画で宣伝してくださっている方のことも忘れてはおりませんが) ある日(4月17日)職場から帰り、ベトナム製即席麺にお湯を注いで待っている間、某SNSを何気なく開くといつものごとく数件の通知。その中になぜかニコニコ公式によるものがあり、私の企画のことで相談があるからフォローしてDM送れるようにせよとお達しがありました。なにかまずいことでもしただろうか、どこかの団体が権利侵害で訴えてきたのだろうか、と悪い想像がよぎります。 しかし実際は、ニコニコ動画の公式生放送で宣伝してもいいかという承諾を求めるものでした。私はもちろん即承諾し、ついに公式に認知されたのかと恐れ多くなりました(中世イングランド史動画投稿祭の時点でニコニコトップページにユーザー企画ピックアップとして載ってはいましたが)。イングランド史の深い沼への入り口は、広ければ広いほど良いものです。このブログをお読みの皆様、ぜひ公式生放送を見て、イングランド史の動画を出してみませんか? 公式生放送の場所 第二回イングランド史動画投稿祭告知動画の場所
ヤンデレの道真好きに徹底的に恨まれて眠れない防府天満宮縁起
道真以外道真じゃないの こんにちは、※(米印)です。 ひょっとしたらご存じの方もいるかもしれませんが、実は私、菅原道真が大好きなんです。 それはもう、世界史べーた(仮)で最初に出した動画がこれですもの。 (ただ、一応免罪符として置いておきますが、私はあくまで「好き」なだけで専門家とかではありません。その点は十分ご注意ください) この漢詩……道真のじゃないよね。誰の? さて、そこで問題になるのが海鳥さんのこのブログ記事です。海鳥さんは旅行に際して防府天満宮を訪問されたようでして、その由緒などを載せています。まだ読んでいないという方はぜひぜひ。 天満宮の参拝者が増えるのはいち道真ファンとしてとっても嬉しいことで、去年のくないさんの太宰府天満宮訪問を聞いたときと同じく踊り狂いました。 ところが、落ち着いて肩で息をしながら改めて記事を読んでみますと、そこにはこんな文がありました。 「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」 頬を冷や汗がつたいました。「これ、知らない」と。 言葉遣いや音の数からして、和歌ではなさそうです。それなら漢詩か、しかし見覚えがない。「菅家文草」や「菅家後集」に収録されている漢詩なら、見かけたことくらいはありそうなのに…… 瞬間、脳内に死ぬほど愛されて眠れなくなりそうなどこぞのヤンデレがインストールされ、「道真のこと世界で一番わかってるのは私なの! 他の誰でもない、私!」と叫び始めます。いやさすがにそれは思い上がりにもほどがある。ガチ研究者とかに勝つのは無理じゃん。そも専門家じゃないし。ただのファンですら私より上がいくらでもいるし…… ともあれ、脳内のヤンデレ妹(妹要素どこ?)をなだめるために、私はこの文について調べなければならなくなったのです。 道真は優しくてかっこよくて、でもちょっと脚色が多すぎるところはわかってた 最初に元文を確認してみましょう。防府天満宮さんのHPによりますと、「九州大宰府への西下の途中」に、「防府の勝間の浦に御着船」し、「『此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ』」と願ったのだといいます。 つまり、昌泰の変により左遷された際のものと考えるべきでしょう。 あれ? 「御着船」なの? 陸路じゃなくて……? 早速雲行きが怪しくなっていますが、ともあれまずは一般のご家庭にある川口久雄校注『菅家文草 菅家後集』を引っ張り出してみます。 道真の左遷後ですから、もし収録されているとすれば年代的に『後集』しかあり得ません。 しかして、川口本を見る限り、昌泰四年(左遷はその年初)の最初の詩は「自詠」で、 離家三四月 とあるのですが、「離家」(=左遷)から数か月経っていると言っているわけで、これは時期的にも既に大宰府に着いてから詠まれたものと思われます。 実際、他の詩を見てもそれらしいものはありません。したがって、『後集』には載っていないことがはっきりしました。 次に確認すべきは『大鏡』です。大鏡も地味にいくつか漢詩を載せており、有名どころでは「一栄一落是春秋」(一応川口本も載せている)はこちらに引きます。 が、駄目……っ! やはりそれらしきものはナシ。念のため和歌も確認しましたがやはり無い。 ひとまず、脳内ヤンデレ妹は「やっぱり私の知らない詩……」と、お兄ちゃん(道真)の浮気を恨みつつも、自分の記憶違いではないことの安堵をわずかばかり含んだ声色に変わりました。よしよし。この調子で頼むぞ。 でも菅家伝さんって面白いっていうより信頼性がないよね 薄々察していたのですが、やはり『後集』や『大鏡』にはなかった。実はこの辺であのツイートをしています。ヤンデレ妹を必死に抑えながら。 となると、次に見るべきはおそらく菅家伝。なお、「菅家伝」というのは俗称でありまして、基本的には『北野天神御伝』というものがそう呼ばれます。 しかし、残念ながら私のような一般家庭にはそんなものは置いてありません。デカい図書館か逸般の誤家庭を訪ねて見せてもらうほかない。 ちょいと出かけまして、一番参照される(と思われる)真壁俊信校注の神道大系本(『北野』(神社編11))を用意しました。 さて、分厚い本をひっくり返してみた結果は……ない。ここにもない。念のため頭から後ろまで漢詩は全部チェックしたのにそれっぽいものがひとつもない。 脳内ヤンデレ妹はこんらんしている! いや、まぁこれも薄々気づいていたんですよ。防府天満宮の話なんだから防府天満宮の縁起読まなきゃ出てこないかもな~って。なので、読みます。読みました。 用意したのは『防府天満宮縁起集』、ここに『松崎天神縁起絵巻』の詞書が載っています。 で、パラパラめくって漢詩らしきものを探すと……ない、ない!? マジで? そんなの道真じゃない!! ヤンデレ妹がいまにも暴発しそうなのですが、なんとかKOOLになって考えます。 こういうときは元文に戻るのがセオリー。「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」ともういっぺん睨めっこをしてみます。 にーらめっこしーましょ。わーらうっとまっけよ。 ……これ、ほんとに漢詩か?… Continue reading ヤンデレの道真好きに徹底的に恨まれて眠れない防府天満宮縁起
『翔ぶが如く』はいいぞ。(おすすめ大河ドラマ紹介 第3回)
※今回は、とある大河ドラマ紹介文です。 ネタバレ注意! こんにちは、いのっちです! いよいよ「23年度(令和5年度)」が始まりましたね。登録者も1000人を突破し、新メンバー(メ塩さん)も加わった新たなスタートをきる世界史べーた(仮)を本年度も何卒よろしくお願い致します! 最近は春らしい陽気が続き、ほんわか過ごしている私ですが、今日も歴史好きになった理由の一つ「大河ドラマ」の御紹介をさせて頂きたいと思います(今回で3回目!)。 過去ブログはこちら ⇒ 第1回「草燃える」 第2回「花神」 今回御紹介させて頂くのは、幕末の動乱から「西南戦争」・「紀尾井坂の変」に至る明治維新の激動と葛藤を主に薩摩の人々の目線で描いた作品『翔ぶが如く』(1990年[平成2]放送)を御紹介します! (放送当時、まだ生まれていたわけではないのですが💦) 本作は前回御紹介させて頂いた「花神」と同様に、司馬遼太郎さんの長編小説『翔ぶが如く』が原作になった作品です。 ただし、明治以降が舞台の原作に対して、ドラマは主人公の「西郷隆盛(演:西田敏行さん)」と「大久保利通(演:鹿賀丈史さん)」がまだ若かった時代から始まっており、「第一部(幕末編)」「第二部(明治編)」の二部構成になっています♪ (大河史上初の『二部構成作品』) 因みに「翔ぶ」という言葉は本来「とぶ」と読むことは出来ません(当て字ですから)。それにも拘わらずこの当て字を使っていることをよく目にするので本作の影響力は計り知れませんね♪ 本作は舞台が九州(「鹿児島」や「熊本」)ということもあって、九州出身の私にとってはかなり身近に感じられる作品です。父も「司馬遼太郎ファン」ですので西南戦争に関する史跡(熊本城や田原坂)をよく一緒に回ったものです。 本作の名シーンとして有名なものは、征韓の是非を議論する会議の場における「西郷と大久保の激論」でしょうね。 遣欧使節の一員として諸外国を視察し新たな国家体制の構築が急務だと痛感した合理主義者の大久保と、その留守を預かる中で新時代に取り残された人々の嘆きや怒りを一身に引き受けてきた情に厚い西郷は、たとえお互いを最大の理解者だと認めてあっていても激しく衝突せざるを得ませんでした。 (両者とも最期の瞬間は共に過ごした青春時代を思い出していました。(泣)) 議論が白熱する中で、普段は標準語を使っていた大久保も薩摩弁(鹿児島弁)に戻り、まるで若かりし頃のように激情をぶつけ合う二人の姿が非常に印象的です。 結局、政争に敗れた西郷は下野(鹿児島へ帰郷)するわけですが、それを告げられた大久保は「赤子にように始末が悪い!」と激怒します。それが二人の別れとなるわけです… かつて同じ夢を追いかけていたはずの幼馴染二人の悲劇的な決別は、「明治維新」という新時代を創造する一大事業の困難さを象徴するものだと思います。 その過程で生じる矛盾や歪みを二人はハッキリと理解しており、西郷に至っては「(新しい世の中を創る為に行った倒幕の戦で)もっともっと人が死ぬべきだった。公家も大名も士農工商全てを焼き尽くして、その焼け跡の中から新しい日本を築くべきだった。(要約)」と今の大河ドラマでは絶対主人公が言えないような「かなり過激なこと」を言っています(戦後の日本を彷彿とさせる台詞ですね)。 様々な役を大河ドラマで演じてきたことで有名な西田敏行さんですが、その懐の深い将器を有する好人物ながら、時に謀略も厭わず狂気じみた革命論を吐露する本作の西郷隆盛役が個人的には一番好きでね♪(会津を有する福島県出身の西田さん的には複雑な役どころだったみたいですが…) 本作には他にも、実務能力や先見性を評価されながらも急進かつ攻撃的な性格が災いして新政府内で孤立、後に反乱の指導者となる「江藤新平(演:隆大介さん)」。野心家で保身のためには同志も切り捨てる冷徹な面がある一方で、厳しい局面においては身分の低い公家から成り上がっただけの度胸・胆力を見せる「岩倉具視(演:小林稔侍さん)」。若い頃は軽率な面が目立ったものの、経験を積むうちに見識高く成長、後に「敬愛する兄・隆盛」と「尊敬する先輩・大久保」との板挟みで苦しむことになる「西郷従道(演:緒形直人さん)」など様々な魅力的な人物が登場しますよ! 是非御自身の眼でお確かめください! それでは今回はここで筆をおかせて頂きます。 これからも機会があったら好きな大河ドラマを紹介していきますね♪ それでは失礼致します! 〇(><)
条約ができるまで
こんにちは。せるヴぁんだです。 今週のブログ担当、略してブロ担となりました。 皆さんは『条約』という単語をご存じですか? 世界には数えきれないくらいの条約が存在しています。 日本に関係する有名な条約だと、日米安保条約・ワシントン海軍軍縮条約などがありますね。(社会科の授業で聞いたことあるはず!) 時代を遡れば、いわゆる不平等条約と言われた日米修好通商条約なんかもあります。 たくさんある条約の種類 実は、『条約』と名がついているものだけが条約ではありません。タイトルの最後に必ずその文言を付けて『〇〇条約』とする必要はなく、名称は何でもよいのです。 条約と名がついていないからと言って、条約でないということにはなりません。 国際連合憲章 国際連盟規約 国際司法裁判所規程 いずれも『条約』という文言は入っていませんが、立派な条約なのです。 条約ができるまで 条約案の作成 まずは条約案を作らないといけません。 たくさんの国が加盟国となるような条約(多数国間条約)の場合、その成立にはそれなりの期間を必要とします。 例えば、国際連合が旗振り役となっている条約の場合、最初から国連の全加盟国が条約の作成に関わるというよりも、一部の国が作業部会といった委員会を立ち上げて条約の骨子を作成することのほうが多いように感じます。 失礼ですが、全権委任状はお持ちでない? 各国は『全権代表』と呼ばれる代表者を自国から派遣し、条約交渉に関わるプロセスの責任者とします。 昔は、全権委任状という書状を提示しなければ、全権代表であると認めらませんでした。 明治時代に岩倉使節団がヨーロッパへ条約改正交渉に赴いた際、全権委任状がなかったため改正交渉に参加させてもらえず、大久保利通と伊藤博文が慌てて日本まで取りに帰ってきたというエピソードが有名です。 条約案がまとまったら 出来上がった条約案は、条約作成会議の全出席国の間で採決にかけられます。 要は、あなたの国はこの条約内容に賛成ですか?反対ですか?という訳です。 原則は全出席国の同意がなければ、条約として採択されません。けれども、非常に多くの国が参加している場合、全会一致が難しいことも多くあります。 そのため、出席国の2/3以上の賛成があれば成立する場合もあったりします。 そうして賛成多数/全会一致で条約内容が認められると、晴れて採択となり、各国代表の署名によって内容が確定します。 署名したら終わり?もう帰っていい? 署名行為には「条約の内容を確定させる」という効果があります。しかし、条約が正式に『法的文書』として拘束力を持つには発効要件を満たす必要があります。 例えば10か国の署名が必要だとか、アメリカを含む20か国の批准が必要、といった具合ですね。 前者では、10か国が署名されすれば、条約は法的拘束力を持ちます(発効)。ところが、発効要件が後者のような場合、さらに批准という手続きを踏まねばならず、署名の段階では、極論『紙切れ』状態にすぎないのです。 さぁ閣下、これに批准にしてくださいね 批准とは、『国家として正式に条約に従う意思を表明する』ことと言われます。重要な条約のほとんどは、署名だけではなく批准手続きを要求しています。それはなぜでしょうか。 第一に、全権代表(署名をした人=国連大使等)が、その国の本来の条約締結権を持っている人(国家元首等)の意思に反していないか、与えられた権限を越えて署名していないか、ということを確認するためです。 第二に、条約締結権者に「やっぱりや~めた!」の機会を与えるためです。最初見たときはイイと思ってGOサインを出しちゃったけど、改めて考えてみるとダメだこれ!なんてことがあるかもしれません。署名から批准に至るまでに、もう一度熟考してくださいね、という意味も込められているのです。 第三に、民主的手続きのためです。言い換えれば、議会において本当に結んでよいか判断するためです。自衛隊の文民統制と同じような考え方で、条約の締結にも民主的な統制をはたらかせるべき、というものです。 日本国憲法では、条約の締結は内閣の仕事です。したがって、原則として議会は条約締結の手続きに関与しません。しかし、それでは条約の民主的な統制が効かず、内閣が好き勝手に条約を結びまくることができてしまいます。 そこで、次の3つの性格のいずれかに当てはまる条約については、締結(批准等)に際して国会の承認が必要な条約として国会に提出しなければならないとしています。 法律事項を含むもの 財政事項を含むもの 政治的に重要で、批准が発効要件となっているもの この考え方は、1974年当時、外務大臣だった大平正芳氏の答弁に基づくものであるため、『大平三原則』と呼ばれています。 批准しましたことをご報告申し上げます 最後に、批准した旨を寄託国と呼ばれる国に通知します。条約の発起国だったり、大きな国だったり様々です。国連事務総長が寄託者になることもあります。… Continue reading 条約ができるまで
世界史べーた(仮)を卒業します by眞白
春がやってきました こんにちは、眞白です。ついさっきまでは冬だと思っていたのに、いつのまにか桜があちこちで見られる季節になっていて驚きました。春は出会いと卒業の季節ですね。ということで、わたし眞白もこの世界史べーた(仮)を2023年3月末で卒業させていただくことになりました。2021年の暮れごろから近いところにはいたのですが、メンバーになってからはおおよそ1年ぐらいお世話になりました。折角ですので、今回は今までの自分の活動を振り返ってみたいと思います。 サムネイル制作 一番大きな活動としてはサムネイル等をほぼほぼ毎週作らせていただいていました。以下は最近のサムネイルです。 実は昨年までYouTubeにフォーカスしたサムネイルを制作することはほとんどなかったので、非常に良い勉強になりました。というのも、はじめはWEBサイトのOGPカード(TwitterなどでURLを共有する際に画像が出てくるアレです)に近い印象で作っていました。タイトル・キャッチコピーと名前が明示的にわかりやすいラベルのようなものを想像していたのです。 「どうもこれは優先順位が違うんじゃないか……」ということに気がつくまでしばらくかかりました。 YouTubeという媒体の特性上、画像を小さくしても文字が読めることや、勢いでキャッチコピーを読ませることの方が重要なようです。色合いやフォントで動画の温度感や勢いを出したり、袋文字やグラデーションで文字の流れを作ったり、この部分にデザインが必要とされていることに気がつきました。動画が自動再生されるInstagramやTikTokと異なり、YouTubeはサムネイルが勝負になることも多いため、一瞬で興味を持ってもらう画像を用意することの重要性を学べました。何事も継続してやってみないとわからないことは多いですね。 ちなみにメスキィタさんのヒル・フォートの動画が非常に面白かったので、未視聴の方はこちらからどうぞ。 HP関連のあれこれ ブログ機能付きのHPが欲しいということで、2021年末にHPを制作することになりました。当時、事前情報は「ニコニコ動画に解説動画を投稿していた方々が集まって、YouTubeに歴史系解説動画を投稿する」「収益化を目指している」の主に2点でした。当時は投稿予定の動画も謎、テイストも謎、ターゲットは「学生から社会人までのあらゆる人たち」ということで、どのようなサイトデザインをしたものかと非常に悩んだ思い出があります。 結果的に、世界史のイメージカラーでよく用いられる水色を基調にしてポップな方向性で進めることになりました。社会科のイメージカラーは総称としては黄色を用いられることが多いですが、日本史は赤〜オレンジ、世界史は水色〜青、政経科目は黄〜オレンジが用いられることが多いですね。ロゴなどもこの際デザインしています。 ●YouTube投稿動画の自動取得 週に1回、動画投稿予定ということでTOPに常に最新の動画が自動で表示されるように配置しました。 昨年掲載されていた鎌倉殿企画などは、YouTubeの単語検索を用いた自動投稿取得機能で自動で最新の動画が上がるとアーカイブに加えられる機能なども置いていました。 ●ブログ機能 ブログ機能で一番こだわったのは、実は著者情報部分です。 十数人ものメンバーを記憶するのは正直大変です。メンバーがそれぞれブログを書くと書いたメンバーの情報が下に表示されて「この人誰だっけ……」と検索しなくても良いようにしています。内部的にはブログを公開すると自動でツイートが流れる機能なども装備しています。 ●べーらじ!まとめページ 生放送、べーらじ!のまとめページを制作しました [※アーカイブなし] ●今日は何の日機能 こちらは2022年の企画です。月に2回ほどメンバーから何の日ネタを収集して掲載していました。 2022年12月今日は何の日アーカイブ 表面では、日付を取得して文字列をHPの上部に自動で掲載する機能をつけました。 裏面では便利エクセル関数シートなどを制作しています。①年号を入れると2022年から何年前かを計算する(紀元前込みで) ②タイトルと出来事を入力すると、テンプレの間に文字列をうまく配置する ③出力見本とTwitterに貼り付けが可能な文字列を生成する という3つの機能を軸にシートを制作しました。 ●Amazonアソシエイト機能 「動画制作にあたって読んだ本のリンクを貼ることで活動資金にできるのでは?」という考えから、アソシエイトリンクの申請からテンプレート化までを行いました。結果的に今は掲載されていませんが、今後別の何かに役立てたいところです。 [※アーカイブなし] ●おすすめ動画ページ はじめての人に向けて人気動画や初心者向けの動画をまとめたページを制作しました。他の人に紹介する際に「この動画さえ見ておけばチャンネルの雰囲気がわかる!」というコンテンツは抑えておきたいと思って制作しています。 おすすめ動画:YouTubeチャンネルを「観る」 ●プリント機能 プリントを掲載する機能を制作しました。結果的に公開はしませんでしたが、PDFなどをUPして赤丸をする動線などを考えたのでこの経験は今後何かに活かせたらと思います。 [※アーカイブなし] ●予定表機能 更新予定がわかる機能を追加しました。 ●入会希望ページ+フォーム 入会希望者向けのページやGoogleフォームを用意しました。 新規メンバーを募集しています! ●誕生日企画 2023年の企画です。1日に3人、その日誕生日の偉人を紹介するページを制作しました。こちらは毎日決まった時間にTwitter上でリンクが公開されるように調整をしています。 本日、「3月20日」生まれの歴史上の人物! ●オウィディウス(紀元前43年、古代ローマの詩人)… Continue reading 世界史べーた(仮)を卒業します by眞白
【呼び名の違い】”儒教”か? それとも”儒学”か? : ついでに”儒家”も
儒教・儒学・儒家の呼び方の違い 「儒教」は「儒学」と呼ばれることがあります。この両者はほぼイコールであり、「儒教」と書いてあるのを「儒学」と書き換えても差し支えのないことがほとんどです。そのほか「儒家」と書き換えてもいい場合も多いかと思います。 日本史・世界史・倫理・国語等の教科書や資料集・便覧でも、これらは統一されず、場面場面によって異なる名前で登場します。 私が1月に投稿したこちらの動画においても、呼称は統一していません。「儒教」「儒学」「儒家」の3つすべての名を場面場面で使いわけています。 この呼称の問題については儒教全般の入門書である以下の2書でふれられています。 ・宇野 精一 『儒教思想』講談社(学術文庫) 1984 ・土田 健次郎『儒教入門』東京大学出版会 2011 「儒教」「儒学」については、両書ともに以下のような使い分けをする傾向があるとします。 宗教的側面を強調する場合……「儒教」 学問的側面を強調する場合……「儒学」 本のタイトルで「儒教」を使っているように、一般的な呼称は「儒教」の方になります。 とはいえ、近代以前においては「儒」の一字で指し示すことが多く、富永仲基も『翁の文』において「儒教」「儒学」「儒家」のどれも全く使っていません(「儒道」「仏道」という語はみえます) 「儒教」と「儒学」使い分けは上述の宇野・土田両氏の言うとおりだと思いますが、両氏があまり触れていないが、敬仲個人がよく使う「儒家」を加えて使い分けを考えてみたいと思います。 (「儒教」の言い換えは他にもたくさんあり、魯迅はよく「礼教」を使いますね。近代には「孔子教」と言うこともありました。土田氏は現代中国では「儒学」の呼称をよく使う旨を述べていますが、「儒家」も日本よりも現代中国の書物のほうが使用頻度が高い気がします。) ここで「儒家」の語を用いた場合の例示をしておくと、 「儒教では~」と同義で用いる場合は「儒家の説では~」「儒家思想では~」となります。 敬仲の普段やっている使い分け 具体的には対比するものによって使い分けするのがしっくりくると思います。 仏教・道教・神道・キリスト教等の他宗教と並べた場合……「儒教」 江戸期において「国学」「蘭学」と並べた場合……「儒学」 古代において「道家」「法家」「墨家」と並べた場合……「儒家」 富永仲基の動画においては、基本は仏教・神道と並べますから、「儒教」を使いました。 しかし、仲基当人が学んだ学問としては「儒学」と言い、 仲基の中国思想の考察の際には、墨家や道家と並べますから儒家と言いました。 (まあ儒家は人や学派を指す呼称ですから、「儒教」「儒学」とイコールにするより、「儒学者」の方が意味としては近いかもしれませんね) 董仲舒以前を「儒家」、以後を「儒教」とする見解について メンバーのいのっちさんの「世界史ザックリ解説part3/12」では 漢の武帝の時代に行なわれた董仲舒による儒教の「官学化」について触れられています。 前漢においては、「黄老の術」(道家)が流行したり、法家的な官僚がいて、儒家の勢力は強くありませんでした。しかし董仲舒の献策によって、儒教が王朝の正式な学問と認められたことで、以後の歴代王朝では基本的に、官僚=儒教を学んだ人物となります。 これも「国教化」というべきだとか、実際に儒教一尊となったのはもっと後だとか様々な議論があります。 (董仲舒の研究者である鄧紅氏が諸説を整理しています。) https://kitakyu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=394&item_no=1&page_id=13&block_id=431 その中の一つに、儒家を中心に諸子の思想が統一され、儒教が成立したという説があります。 私は大学の講義においてこの見解を聞き、この立場をとる板野長八氏の著書を読んだものだから、ずっと董仲舒以前を「儒家」とし、以後を「儒教」と区別するのが通説だと誤解していました。 (板野長八『儒教成立史の研究』岩波書店 1995 ) (そのためいのっちさんには大変な迷惑をおかけしました。当初を「儒教の官学化」だったのを、余計な私の指摘で「儒家が官学となり儒教成立」に変更。さらに私がそれが通説でないことに気が付いて「儒教の官学化」に戻していただく、ということがありました。)… Continue reading 【呼び名の違い】”儒教”か? それとも”儒学”か? : ついでに”儒家”も
誰でも読める! 今日から読める! 英語論文の読み方
論文を読もう! 急に何か知りたいことができたとき、皆さんならどうしますか? そりゃあ、まずは今この記事を見ているパソコンやスマホから検索するのだと思います。wikipediaとか見たりして。お手軽ですしね。 ただ、やや込み入った内容になったりすると、wikiちゃんだけでは物足りなくなってくるでしょう。そういうときには違う媒体に浮気する必要があります。 真っ先に思いつくのは書籍です。本にありついてしまえばこっちのもの。もうwikiちゃんのことなんて、末尾の参考文献くらいしか見なくなります。 とはいっても、本を読むためには図書館なり本屋なりに行かないといけません。お外怖い……花粉怖い…… ネットで注文して届くのを待つという手もありますが、いずれにしてもちょっと時間がかかります。 ああ、図書館の中に住めたら良いのに!! できれば国会図書館の中に! でも、その「図書館」が目の前の小さなハコに収まるような手段があったとしたら……? 一度外に出たら目の痛みと呼吸困難に襲われるこの最悪の季節でも、部屋の中から一歩たりとも出ずに、書籍と同じか、場合によってはそれよりも正確で充実した情報を無料で摂取できる方法が、あるとしたら…… それこそが論文です。 論文もお金かかるんじゃないの? と思うかもしれません。いいえ、そうでもないのです。近年はとくにオープンアクセス化が進んでおり、かなりの割合の論文は無料で読むことができます。 お目当ての論文を見つけた後は、たとえば、「Unpaywall」というgoogle chromeの拡張機能などを使えば、その論文のPDFを合法的にダウンロードできる方法を探してくれますよ。 さらに、もしもあなたが大学生や大学の教員、または研究機関の職員等である場合、論文ジャーナルと包括的な契約が結ばれている可能性が高く、有料で出版されている論文たちも読むことができるかもしれません。 論文はお手軽です。お金はかからない、本よりずっとページ数が少ない、しかも、だいたいは一つの決まった目的のために書かれているので、趣旨も理解しやすい。 「論文」なんて言うから小難しく感じるだけで、英語にすればだいたいはarticle「記事」かpaper「ペーパー」ですから、そんな大げさなものじゃあないのです。むしろ本よりずっと楽ですよ。 英語論文を読もう! さて、これでもう皆さんは論文を読もうという気概に満ち満ちていると思いますけれども、ついでにもう一つおすすめしたいことがあります。 それは英語の論文を読んでみないかということです。 英語。イングリッシュ。えげれすやあめりかという、はいからな国々で使われているらしいあの言語のことです。 「英語なんて読みたくないよ~~~大学入試でもう一生分読んだよ~~~」というそこのあなた。お気持ちはわかります。けれども、どちらかといえばこれは英語で読まなければならない、読まざるを得ないという話なのです。 とくに経済学では顕著なのですが、一流の研究はほとんどが英語です。今一番流行っている研究が、というだけでなく、これまでに積み重ねられてきた、研究の核になる重要な文献がみな英語なのです。 ほとんどの自然科学、社会科学、また歴史や地域研究であっても、よほど日本に密着している研究でもなければ、大抵の研究は英語です。 なんなら、私の高度経済成長(まさに日本史!)の動画ですら、参考文献を見ればLincolnさんの”Japan, Facing Economic Maturity”という本があります。 私たちは英語を避けては通れません。その分野を研究し続けようとすれば、いつかは英語文献に出会ってしまって、読むしかない状況に追い込まれてしまうのです。「わたし英語文献、いまあなたの後ろにいるの……」と。 英語論文、ざぁ~こ けれども、実は英語論文なんてなんにも怖くありません。雑魚ですよ雑魚。 大真面目な話、あなたが思っているよりも3000倍は楽勝です。「英語読むのやだな~」を乗り越えるのが一番難易度高いレベル。 この落差にはちゃんと理由があります。大きく分けて2つ、前提知識があることと、「数字」があることです。 大学入試や何かで英語に苦手意識のある方、ご安心ください。あれはむしろ大学入試の難易度がおかしいのです。 他言語の文章を読む際に大切なのは、文脈の理解と言葉の理解の両面です。試験でよくある長文読解の問題は、いきなり文脈も何もないで英語が羅列されるのですから、読めたもんじゃありません。単語から必死に文脈を推測するという、わけのわからない作業が要求されてしまいます。 一方、あなたが自分から英語論文を読もうとするなら、それはあなたが既に日本語の文献で既に知っている分野のものでしょう。前提知識、とりもなおさず文脈への理解が十全にあるのです。多少単語がわからないくらい、どうとでもなります。 それに、別に試験のような重箱の隅をキツツキのようにつつきまくるような問題を解く必要もありません。だいたいの意味がつかめれば勝ち。あとは気になったところだけしっかりと読めばもう120点です。 もう一つの理由なのですが、これはとくに経済学や理系分野では「数字」だけでなくアイツがいます。そう「数式」が。 日本語で学んでいる間、おそらく皆さんを散々苦しめたであろう数式。けれども、日本語だろうが英語だろうが、数式の書き方は何一つ変わりません。つまり、数式が理解できているなら、日本語であれ英語であれ、あるいはいっそもっと違う言語だとしても、同じように通用するのです。 散々戦ったライバルがいざというときに味方になる熱い展開です。もちろん、そういうゲームにありがちな、「味方になると弱い」なんてこともありません。むしろ、ある友人は数式だけ追っときゃ文章なんて読む必要ないと言い出すほど。……それは言い過ぎだと思いますけどね。 もちろん、文系分野でも、近年は統計やデータを用いた研究が増えています。こういった部分は、ただ数字が羅列されているだけですし、英語の能力がなくとも簡単に理解することができます。そして文脈がわかっていれば、データの意味もある程度推測がつくわけで。内容も「やっぱりそういうこと言いたいのよね」というように、すんなり入ってきます。 論文の読解テクニック ようやくこの記事の題名と関係しそうなところにやってきました。 さて、いざ英語論文を読む覚悟がついたとして、では頭から最後まで通して一気に……というのではちょっと大変です。私もやりません、そんなこと。 ならばどうするか、ちょっとしたテクニックを使います。… Continue reading 誰でも読める! 今日から読める! 英語論文の読み方