テューダー朝重要人物まとめ

現在ウルジーの動画を作っていますが、テューダー朝の重要人物について軽くまとめたいと思います(唐突)。 また若干書きかけの感もあるので、随時更新していきたいと思います。ひとまずヘンリー8世時代まで。   〇ヘンリー7世時代 ヘンリー7世の時代は薔薇戦争終結後の不安定な情勢を何とか押さえつけていた時代です。そのためにテューダー家の正当性をアピールしたり、有力者を財産罰で徹底的に締め上げ、王位僭称者は執念深く追い続けるなど、徹底的に対策を推し進めていました。この時代に蓄えられた王家の財産はヘンリー8世の活動を大いに支えました。   ①ヘンリー7世(1457-1509)   テューダー朝の創始者。王家に近い血筋ですが、男系をたどるとウェールズ人であり、必ずしも血統がいいわけではありませんでした。ヨーク家のリチャード3世を倒して王位を得ましたが、リチャード3世は男系をたどると12世紀のイングランド王までたどれる由緒正しい王家の血筋のため、イメージ戦略で正統性をアピールせざるを得ませんでした。もちろんヘンリー7世を認めない勢力も多く、王位についてからも割れこそがイングランド王と名乗る人物にたびたび悩まされました。実務面では非常に有能な王で、帳簿を自身で管理したことで知られています。CV.石田彰が似合う王です。   ②エリザベス・オブ・ヨーク(1466-1503) ヘンリー7世が倒したヨーク家の王女です。ただし、叔父のリチャード3世とは対立していたウッドヴィル家の縁者であり、リチャード3世と戦う前から結婚の話がありました。即位後は王を支える王妃であり続けました。また、エリザベス・オブ・ヨークとの間に後継者を得ることは血統的に万全ではないテューダー家には欠かせないことでした。ヘンリー7世はエリザベスとの共同統治を避け、テューダー家の王家としての形式ために結婚式の前に戴冠式を行いましたが、臣民を安心させるにはやはり旧王家との連続が必要だったからです。生まれた後継者は二人で、一人がアーサー、もう一人がヘンリー8世でした。 ③アーサー・テューダー(1486-1503) ヘンリー7世待望の王子でした。幼少期から王にするために育てられ、外交のためスペイン王女との結婚もしましたが、そのあとすぐに流行り病でなくなりました。粟粒熱として知られる病気だったようで、発症したらほぼ死に至る病でした。ヘンリー8世にとっては兄にあたります。 ◯ヘンリー8世時代 言わずと知れたヘンリー8世の治世前半は敬虔なカトリック信者としてウルジーの力を借り、ヨーロッパ外交で存在感を示そうとしました。しかし、後継者不在を解消するために離婚をしようとしたところから宗教改革が始まりました。宗教改革では多くの人物がその渦に巻き込まれます。   ①ヘンリー8世(1491-1547) ヘンリー7世の第二の後継者でした。当初は王として育てる予定がなかったので、比較的自由に育てられましたが、兄アーサーの死で王となるための教育が行われました。兄に比べて開放的な性格で、陰湿だったヘンリー7世から王磯継承したころは歓迎されたようです。即位後はフランス領土奪還や存在感あるイングランド王国を目指しましたが、思うように成果は上がりませんでした。そうこうするうちに後継者ができないまま兄から引き継いだ王妃、キャサリン・オブ・アラゴンがアラフォーを迎え、後継者問題に直面すると子供を埋める若い王妃を求めます。そのための離婚の許可が国際情勢の問題で得ることができず、イングランドの宗教改革のきっかけとなる宗教改革議会を開きました。この過程で何人もの人物が処刑されたことは非常に有名です。しかし、ヘンリー8世にとっての宗教改革のゴールは教皇からの指図を受けない教会であれば十分だったので、教義面の改革についてはあまり問題になっていませんでした。離婚や処刑を繰り返して得られた男子の後継者はエドワード5世だけでした。 ②トマス・ウルジー(1475-1530) 治世前半のヘンリー8世を支えた枢機卿です。即位当初は政治に強い関心がなかった王のために実務の多くを担当していました。王国の本当の支配者はウルジーだと考えられていたほどでした。しかし離婚問題に直面すると、教皇庁の枢機卿としての立場と王国の大法官としての立場で板挟みになり、ヘンリー8世の意に沿った行動をとることができず失脚しました。あくまで教皇庁にイングランド教会が所属する形で離婚を成立させたかったからです。 ③キャサリン ・オブ・アラゴン(1847-1536) ヘンリー8世と最も長く連れそった王妃でした。スペインのカトリック両王の王女として生まれ、アーサー王子に嫁ぎました。アーサーが亡くなると、ヘンリー8世の即位までイングランドで人質のような生活をしましたが、ヘンリー8世の即位後は良き王妃としてその活動を支えました。問題は男子の後継者を残せなかったことで、そのことでイングランドの宗教改革を引き起こしました。キャサリン自身は敬虔なカトリックであり、ヘンリー8世に市場もあったので離婚を徹底的に拒みましたが、教皇庁とイングランドの教会を切り離す力技には勝てず、離婚となりました。 ④トマス・モア(1478-1535) イングランド随一の人文主義者で法律家でした。法律家や庶民院議員としても活動していましたが著作活動がよく知られています。ヘンリー8世の離婚問題については宣誓して認める予定だったが、思想家の性として、自身の心情と相いれない一文を宣誓書に発見したことで宣誓書にサインができず、処刑されることになりました。彼の死は映画にもなり、カトリックでは聖人として認定されています。 ⑤アン・ブーリン(1501-1536) ヘンリー8世の離婚問題の最大の元凶です。王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女でしたが王の愛人となり、最後には王妃に上り詰めました。しかし健康な男子を生むことができず、近親相関等の罪の疑いで処刑されました。よく映画の題材になる人物です。 ⑥トマス・クロムウェル (1485-1540) ヘンリー8世の側近でした。王妃の離婚問題では主導的な役割を果たし、宗教改革を勧める原動力になった人物です。かつてはイングランドの行政が家産的なものから官僚的な物に移行するときに大きな役割を果たしたと考えられていましたが、この点には議論が多いです。王が3番目の王妃、ジェーン・シーモアを亡くすとアン・オブ・クレーヴスを手配しましたが、王はときめかず、婚姻は無効だったとしました。王の気に入らない女性を推薦したせいか、そのあとすぐ反逆罪で処刑されました。 ⑦ジェーン・シーモア(1508-1537) ヘンリー8世3番目の王妃でした。エドワード6世を儲け、ヘンリー8世待望の男子の後継者を産みましたが、そのすぐあとに産褥熱で死亡しました。 ⑧トマス・クランマー(1489-1556) ヘンリー8世の宗教改革を宗教面で支えたカンタベリー大司教でした。プロテスタントとして宗教改革を推し進めましたが、次代のメアリー1世の時代ではカトリックに反する人物だったので、処刑されました。     ◯エドワード6世時代 短い治世でしたが、プロテスタントとして宗教改革が本格化した時代でした。王は若くして亡くなったので、政治の実権は廷臣たちが握っていました。以下に挙げる人物はエドワード6世を除き、首と胴体が切り離された状態で死亡しています。   ①エドワード6世(1537-1553) ヘンリー8世待望の後継者として生まれました。マーク・トウェインの『王様と乞食』に登場する王様なのでご存知の方も多いでしょう(多分プリンセス・プリンシパルも一部元ネタは『王様と乞食』)。元来敬虔なクリスチャンのヘンリー8世の子供なので宗教教育をしっかりと受けましたが、政治的な背景でプロテスタントの教育を受けています。即位後はプロテスタント的政策を推し進め、廷臣たちも出世のためにプロテスタントに順応しました。しかし病弱だった上に、ヘンリー8世時代にスコットランド女王メアリーとの結婚の段取りに失敗したため、後継者を残さずわずか16歳で死去します。 ②メアリー・ステュアート(1542-1587) エドワード6世の結婚相手と目されたスコットランド女王です。スコットランド国内での結婚反対により、縁談は戦争に発展しました。元々父親のジェームズ5世はイングランドとの戦争の最中に死んだので、反発は無理もないことでしょう。なので対抗してフランス王と結婚しますが、すぐに死別し、スコットランド貴族と結婚します。ここまではあまりメアリーの特色は出ていませんが、国内での舵取りの下手さがこの後の悲劇につながりました。不倫問題を起こすし、国内で高まっていた宗教改革には背を向けてカトリックを突き通し、それでいてイングランドに亡命するのですから。さらにその亡命先でなぜかエリザベス1世の暗殺計画に加担して斬首されます。母方がテューダーの血筋なので、カトリック的論理から見れば私生児に過ぎないエリザベス1世を認められなかったというのでしょうが、あまりにも現実と折り合いをつけるのが下手な人物でした。 ③エドワード・シーモア(1500-1552) エドワード6世の母方の実家の人物なので当然のように護国卿の座についてプロテスタント政策を進めました。また、前述のメアリーとエドワード6世の結婚を成立させるために戦争を進めた張本人でもあります。しかし、急激な改革や、囲い込み等の社会変化に反発する反乱への対処が遅れ、ダドリーの台頭を許し、処刑されました。 ④ジョン ・ダドリー(1504-1553) ヘンリー7世時代に辣腕を振るったエドムンド・ダドリーの息子です。ヘンリー7世の財産罰による締め付けの実務を担っていたせいで父親はその王の死後にスケープゴートとして殺されました。幼少期に父親の権利が復活し、上流階級としての基盤が整うと、軍人として頭角を表していきました。その力でシーモアが鎮圧できなかった反乱を鎮圧し、護国卿の地位を得ます。しかし、どのような改革を進めるかなどに明確なビジョンを元々持っていたわけではなかったようで、シーモア以上のプロテスタント化政策を推進しました。彼にとって悲劇なのは、国王が夭折した結果、カトリックが復権することになり、シーモア以上に立場を崩されたことです。後述するジェーン・グレイを急遽対抗馬として女王にするも、メアリーに察知されて失敗し、首を切られました。 ⑤ジェーン・グレイ(1537-1554) ジョン・ダドリーの最後の足掻きの巻き添えになった可哀想な人。敬虔なプロテスタントで、少し遠いながらもテューダーの血筋を引いていたことが悲劇の始まり。元々の婚約者とは別れさせられ、女王に即位させられたと思ったらわずか9日で王座を追われ(トラスよりも短いのである)、命を助けてもらっても父親が反乱に加担してわずか16歳で首を切られました。何か悪いことをしたのでしょうか。なにもしていません。ただ血筋と時代のせいでした。

世界史べーた(仮)のサムネイルができるまで

サムネイルについて はじめましての方ははじめまして。 2022年の5月から世界史べーた(仮)さんの企画以外のサムネイルを制作させていただいております眞白と申します。 現段階で4ヶ月程度ほぼ毎週サムネイルを制作しており、現段階では20枚程度のサムネイルを制作させていただきました。今回はサムネイル制作に関わる中で、制作中に気をつけていることについてまとめていこうと思っております。一般的なサムネイル制作の話はネット上に多くあると思いますので、今回は世界史べーた(仮)さんに合わせてどういうことをしているかというお話になります。   気をつけるようにしたこと 世界史べーた(仮)さんの4ヶ月の間にサムネイルの制作において気をつけるようにしていることはこちらの3点です。   ①YouTubeにあるボイスロイド解説作品であるということがわかるようにすること ニコニコ動画の解説動画を視聴していて、ボイスロイドの声に驚くことはほとんどありませんが、YouTubeでの解説動画のボイスロイド音声に驚くことはあるでしょう。ご存じの通り、世界史べーた(仮)メンバーのほとんどはニコニコ動画での活動に主軸を置いていたため、投稿動画のほとんどがボイスロイドによる作品です。一方で、YouTube解説動画という舞台はまだまだ生声が多い印象があります。他チャンネルと並んだ際に、サムネイルでボイスロイドや二次元イラストを多用した作品であることを匂わせるために、可能な場合は画面の1/5をボイスロイドの立ち絵にするようにしています。(※タイトル自体がメジャーワードな場合や他に掲示する画像がない場合です)   ●基本的にはメンバーさんから動画内で使用しているボイスロイド素材を送っていただいています   YouTubeサムネイル制作のコツの1つオーバーな表情をドアップにすることと言われていますが、無料で配布されているボイスロイド立ち絵イラストのほとんどがドアップには対応できない解像度で配布されています。あまり大胆なことはできないのですが、今後解像度の高いイラストが増えればもっとデザインの幅が広がるかもしれません。 ということで、基本的にはボイスロイドが必ず映るようにデザインを進めております。   ②メンバーの誰が制作しているかがわかるようにすること 世界史べーた(仮)は1人が運営しているチャンネルと異なり、複数人がチャンネルの運営に関わっています。そのため、当初は制作した動画も仲間内では誰が制作したのかがわかっても視聴者からは誰が制作しているのか全くわからない状態でした。メンバーの1人1人に固定のファンの方がいらっしゃることがわかったので明示した方が良いのではということで今の形にしています。 ●最初のテキストのみのサムネイルです   ●丸型でメンバーアイコンを入れるようにしました   当初は文字のみで制作者を表示していたのですが、環境によってはサムネイルが小さく表示されて読めないため、途中からメンバーのアイコンを必ず入れる形に変形させています。小さくしても顔がぎりぎり判別できる今のサイズに一応落ち着きました。   ③使いまわせる汎用性を検討すること 制作当初はいずれ他の方が担当になるという前提でしたので、無料で手に入れられるフォント同士を組み合わせて、文字を打ち替え画像を差し替えるだけで統一感が出るデザインにしていました。諸般の事情があって今ではわりと自由に制作させていただいております。   ●一番最初に制作させていただいたフリードリヒ=ヴィルヘルムさんのサムネイルです。テキストを打ち替えて画像を差し替えるだけで大体どのパターンにも対応できます。   ●方向転換してきた頃のサムネイル、瑞雲さんとトマス・ウルジーさんです。   テキストを打ち替えて〜を考えないことでいろんな表現ができるようになりました。 それでもシリーズとして最低限統一感を持たせるために、「週一の投稿動画には右端にシリーズ判別のための柱をおく」「メンバーの固有カラー、または題材に関連したカラーで外枠を塗る」といった基本的なルールは変えないようにしています。 意外と動画が1本で終わらず、前後編になったり、シリーズものになったりすることが多くあります。視聴者の側としては最初から順番を間違えずに試聴したいと思いますので、可能な限り連作ものは雰囲気を寄せる・レイアウトを変えないようにしています。是非、完走まで動画制作を頑張っていただきたいと思っています。   まとめ ということで、毎週試行錯誤しながらサムネイルを制作しております。少しでもサムネイルを見て気になった方は動画をクリックしていただけますと嬉しいです。   最後に、このブログを読んだべーたメンバーの方々にお願いです。3週連続でショッキング顔のサムネイルになっておりますので、そろそろ笑顔のサムネイルを制作したいと思っております。   今後ともよろしくお願いいたします。   眞白

栗田艦隊の反転について。お話しします。

~まえがき~ 以前、世界史べーたのマシュマロにこのような質問がありました。 戦後、米戦略爆撃調査団に対して「我々の主目的は機動部隊で湾内に入る目的は無かった」「(空母と輸送船が)両方いたら私は断然戦闘艦艇とわたりあったでしょう」という栗田中将の回答が全てを…続き→https://t.co/cJgagQuLrB#マシュマロを投げ合おう pic.twitter.com/FHUUeUHB3h — 世界史べーた(仮) (@sekaishibeta) July 31, 2022 これについてはツイートにもあるように、栗田長官は輸送船団と空母機動部隊を天秤にかけた結果。より価値のある空母を求めて艦隊を反転させたという訳です。 と言われても全然判断材料が足りないでしょうからそこらへんのお話をしていきましょう。 ~謎の反転。その真実~ 1944年10月25日0911時。サマール島近海。 第77.4任務群に属する「タフィ3」と称される護衛空母群との戦闘を終えた栗田艦隊旗艦大和は「逐次集レ」を命令。 大和からの命令を受けた各艦は終結を開始しますが、その中でも米軍機からの空襲は続いており。その規模は徐々に組織だったものになってきていました。 レイテに再度進撃を開始した栗田艦隊ですが、進撃中も空襲は続き、栗田長官の懐疑心は最高潮を迎えていた事でしょう。 なにせレイテ湾の敵情が全く分からないのです。 『サマール沖の戦闘中に目指す輸送船団は退避してしまったのではないか?』 『前日の0650時に最上艦載機の偵察情報であった戦艦4、巡洋艦2からなる戦艦部隊がレイテ湾で待ち構えているのでは?』 『空襲が組織的になってきたのは三群あると思われる敵空母機動部隊の残り二群が向かってきているのではないか?』 この時、小沢艦隊がハルゼー機動部隊を北方に誘引することに成功した報は栗田艦隊には届いておらず、サマール沖で撃破した空母部隊は正規空母の機動部隊の一群と考えられていました。 そして、ここで決定打となる入電が1100時に入ります。「ヤキ一カ」電です。 「0945スルアン灯台ノ5度113浬二敵機動部隊発見」 この南西方面艦隊からの情報に栗田艦隊司令部は大いに揺れました。 もととり「空船(輸送船)との心中は御免」という空気が艦隊首脳部に流れており、目指すレイテも昨日の最上機の情報以外、敵情が一切わからない中での機動部隊発見はまさに闇に差し込む唯一の光と言ってもいいでしょう。 例え戦死するなら艦隊決戦に死に場所を求めていた。栗田長官、小柳参謀長、大谷作戦参謀らによる協議の結果、艦隊は北方の敵艦隊に向かう事を決意し、未だに対空戦闘中だった1236時、栗田長官は「第一遊撃部隊ハ『レイテ』泊地突入ヲ止メ『サマール』東岸ヲ北上シ敵機動部隊ヲ求メ決戦爾後『サンベルナジノ』水道ヲ突破セントス」と打電。 ここに歴史は決したのであります。 ~もしも、栗田艦隊がレイテ湾突入をしていたら~ これはIFのお話です。と言ってもざっくりとしたのは以前にツイッタで話しましたが…… まぁ、あそこで栗田艦隊がターンしないでレイテ湾に突入しようにも、突入前に西村艦隊を打ちのめしたオルデンドルフ艦隊とぶつかるのは必死。 先のサマール沖海戦の結果も加味して日本艦隊が勝てたかというと……まぁ無理寄りでしょうなぁ https://t.co/X1XsCe6ZOt — 肉のZEKE22 (@zeke_22) July 31, 2022 それじゃあ、彼我の戦力差など夢物語では語れない、現実的な架空のお話をしていきましょうか。 さて、サマール沖海戦の後で栗田艦隊に残されていたのは 戦艦 大和、長門、金剛、榛名 重巡 羽黒、利根 軽巡 能代、矢矧 他、駆逐艦8隻といった陣容でした。 栗田艦隊には他にも重巡の鳥海、筑摩、鈴谷、熊野がいましたが、いずれもサマール沖海戦の米軍機による空襲や駆逐艦の雷撃により落伍または撃沈しており、鳥海には駆逐艦藤波、筑摩には野分が警戒艦として派遣されていました。(後に落伍艦、警戒艦は全て米軍の攻撃で撃沈している) その一方で、対峙するであろう米軍は半日前にスリガオ海峡で西村艦隊を撃破したジェス・B・オルデンドルフ少将の上陸支援艦隊が待ち構えており、TF78とTF79から成っており、その陣容は 戦艦 ミシシッピ、メリーランド、ウェストバージニア、ペンシルバニア、テネシー、カルフォルニア 重巡 ルイヴィル、ポートランド、ミネアポリス、シュロップシャー(豪海軍) 軽巡… Continue reading 栗田艦隊の反転について。お話しします。

紫電改part1 参考資料兼一部詳しく

紫電改part1参考資料兼一部詳しく 今回は紫電改解説動画part1の参考資料や動画ではマニアックすぎた内容の一部をご紹介します。 参考資料 ・碇義朗「最後の戦闘機 紫電改 起死回生に賭けた男たちの戦い」光人社  ・野原茂「海軍局地戦闘機」潮書房光人新社 ・海鳥の今までの取材内容一部 非公開の内容 紫電改の改造前機「紫電」では元になった十五試水戦(強風)から多くの変更点がありました。こちらは動画でご紹介しました、発動機、カウリング形状、側面形、垂直尾翼周辺など多くの変更点がありましたが動画で紹介していないものでは、「水銀式センサー自動空戦フラップ」、「操舵比変更装置」はさらに改良を重ねたものを搭載していました。 水銀式センサー自動空戦フラップ 水銀式センサー自動空戦フラップとは、フラップを空戦時に下ろし揚力を高め、旋回半径を小さくする、すなわち運動性能を向上させる空戦機動を”自動的に”最適の舵角をとれるようにしたものです。 作動のメカニズムは、発信機と称した、センサーの下部にある水銀槽の中の水銀が、ピトー管から入る静圧、動圧、および、旋回時の機体にかかる重力によって、上方に伸びる硝子筒の中を上下動します。 この上下動により硝子筒内の二つの電極に水銀が触れると電流が流れ、フラップが作動するメカニズムになっていました。 ちなみに、フラップの最大下げ角は30度となっており、零戦の60度に比べると半分ほどしかありません。 この自動空戦フラップに加え、川西技術陣が、操縦系統に採り入れたメカニズムがもう一つの技術「操舵比変更装置」です。 操舵比変更装置 通常、航空機は高速になるにつれ、各動翼の受ける風圧も強くなり、操作が重く、強い力が必要となります。速度が上がれば舵の動きが少しでもよく効くようになります。 逆に低速飛行時は、舵の受ける風圧が弱いと、操作が軽く、強い力を必要としなくなります。しかし、舵を大きく動かさなければ舵は効きません。 零戦の場合、各操縦索を通常よりあえて細めにし、剛性を低下、つまり伸びやすくし、一定の操縦感覚にしていました。 これを零戦より1tも重い紫電、紫電改で採用するのは不遇であったので、川西航空機は「操舵比変更装置」を作りました。 これは、操縦桿、および方向舵踏棒と昇降舵、方向舵操作索の間に、油圧で連動桿の固定位置を移動できる操舵比変更部を組み込み、フラップの動きに連動し、離着陸時(低速)、飛行時(高速)の二段階に切り替わるようにしたメカニズムです。 これにより、低速飛行時は操縦桿。方向舵踏棒を少し動かすだけで大きな舵角がとれ、高速飛行時はその逆になる、まさにパイロットにとって理想的な操舵感覚が得られました。 実はこれらの「自動空戦フラップ」、「操舵比変更装置」は当時の欧米各国に例がなく日本航空技術として十分誇れるものでした。すごいね 武装 強風 7.7mm機銃二梃 20mm機銃二梃 紫電、紫電改 20mm機銃四艇 上記のように20mm機銃四艇に武装が強化されていました。 まとめ 紫電改part2は紫電→紫電改まで行ければいいなって思ってます。頑張ります。 今週土曜日は神戸に撮影に出かけ「神戸戦跡巡り動画」を作ります。こちらはリアル映像なので私のチャンネル「海鳥のカフエラテ(カフェラテ)」で投稿します。こちらのチャンネルでは毎週土曜日21時から競馬予想配信してるので是非~ 紫電改part1もぜひご覧ください!  

解説動画、台本作る派?一発書き派?

9月3日に投稿されたシャイローの戦い解説動画、現在YouTubeでは前後編で500再生、ニコニコではおかげさまで1000再生を頂いています。   この動画は前後編で分けて制作したのですが、実は後編の途中から制作の方法を変えております…… 「何が変わったのか?」ですか……?   動画の進捗が遅すぎたので台本を作ってみたと言えば伝わるでしょうか。 これまで台本を書かない一発書きで動画を制作していたのですが、今回は中々動画制作が進みません。実際、台詞を考えながら適宜に複数の資料を並行して参照する、これがめちゃくちゃ時間がかかる作業なのでした。一旦整理できた流れを動画にするには一発書きが都合良かったのですが、結局は複数の資料から来る情報を整理する為に台本を使おうとは投稿1週間前まで思い至りませんでした。 そして教科書のまとめノートを作る様に書いたメモを元に台本と動画の流れを作る、こんな政策方針の転換を経て動画は投稿2日前にようやく完成したのでした……

それでもケインズは死んでいる。

いいかげんケインズ経済学をやめよう  今回のブログは、どちらかというと私の思想(?)的な部分が結構出ております。ただ、これはどちらかといえば経済学の世界では主流の考え方ですので、そんなに偏った思想にはなっていないはずです。というかむしろ現実世界が偏りすぎ(は?)。  まぁ前置きはこの辺にしまして。タイトルの通り、「ケインズはもう卒業してくれ」という話です。  ただ、それだけでなく、「なぜケインズが過度に持て囃されるのか?」ということにも触れてゆきます。その辺で少しばかり経済政策史に触れますから、「歴史」の一部ということでお許しくだせえ。    ケインズの理論は、「ケインズ革命」以来かなり長いこと力を持っていました。もしみなさんが経済を学んでいる学生さんなら、学部1年生で習う「IS-LMモデル」などが有名なケインズ的なモデルです。  そのようなモデルも、もちろん、ごくごく初歩的なインプリケーションについて、平易に説明するという意味においては使用することもあります(実際、私も「日銀の金融政策」の動画の補足解説ではIS-LMモデルの解説を行いました)。    ただし、経済学の世界においては、現在IS-LMをはじめとした旧来型のケインズ的モデルが用いられることはありません。    これはもうほとんど断言してしまってよいことだと思います。いわゆる「ルーカス批判」を経て、今は「ミクロ的基礎付け」に基づくマクロ経済学モデルが主流となっているのです。  もっとも、名前の上では「ニューケインジアン」という立場があり、現在もかなりの影響力を持っている学派(有名なDSGEモデルはニューケインジアン的なモデルです)ではあるのですが、彼らもまたミクロ的基礎付けの上に立っています。決して、彼らがIS-LMモデルを採用して議論を行っているわけではないのです。 (なお、この記事で「ケインズ」とか「ケインジアン」というときは、原則として旧来型のケインズ的な立場を指すこととします)  そのような意味において、間違いなくケインズは死にました。      ところが、驚くべきことに、経済学から一歩外に出ると、いまだにケインズが大股で闊歩しています。  それも、ケインズの限界を知った上で、妥当な範囲の含意を得るために使われているのならばよいのですけれど、残念ながら、いまだにまるで万能薬かのように使われていることが多いのです。    といって、私も彼らをあれこれと非難しようというわけではありません。そこには興味深い(イギリス風味)構造的な問題が存在するのです。それは後に触れましょう。   ケインズ、そもそも生きていたのか?  ここで、改めてケインズの死亡確認を行っておきましょう。  ケインズ理論が(短期的に)財政支出や減税を正当化する根幹は、「乗数」にあります。  財政支出と減税では若干の違いがありますが、結局のところは「100万円支出したら、100万円より大きな経済効果があるんだ!」ということを、ケインズ(およびその後継者たち)は主張しました。  もしそれが本当なら、たしかに魅力的な提案です。    が、多くの実証研究が示すのは、その乗数は「1」未満であるということです。  ケインズを信じる人々には残酷な話ですが、「100万円支出しても、100万円より小さな経済効果しかない」というのが、事実なのです。    たとえば、コロナ禍における例の10万円の給付金は、3.5兆円の経済効果があったと言われます。  しかし、給付金は1.2億×10万円ですから、支出は12兆円。つまり、乗数は「0.3」程度です。  さらに悪いことに、この給付金はインフラなどへの投資と異なり、公共財の供給という観点からは正当化できず、一方で所得減税のように労働のインセンティブの観点からも正当化できません。  平たく言ってしまえば、これは失敗でした。    他の例、たとえば戦間期の諸国でもまた、ケインズは生きていなかったようです。  「ニューディール」の効果は、最近になって見直しが進み、想定されていたよりもずっと小さなものだったと判明しています。  ドイツの経済が復活したのはケインズ政策ではなく、通貨の安定が最も重要であった可能性が高いと見られています。  そして日本も、「高橋財政」成功の要因は通貨レートの(疑似的な)切り下げが功を奏したのだという意見が出てきています。 (申し訳程度の歴史要素。でもこの辺の研究はすごく活発で面白いので、よければぜひ)    もはや、現在においてケインズが死んでいることだけでなく、「そもそもケインズは生きていたのか?」(有効であったことはあったのか?)という話にまで発展してしまうのかもしれません。   「大きな政府」というケインズ主義、「小さな政府」というケインズ主義  皆さんは「大きな政府」と「小さな政府」という言葉をご存じでしょうか。  政治学の方に怒られるのを承知でざっくりと言うと、文字通り大きな政府は色々なことを政府がやって、小さな政府は色々なことを民間に任せるスタイルです。  誤解して欲しくないのですが、これはどちらが良いとか、どちらが正しいとかいうものではなく、単なる政治的な態度の区別です。最もわかりやすいのがアメリカで(毎回アメリカの話してる気がするな?)、民主党は「大きな政府」、共和党は「小さな政府」をそれぞれ志向する立場に立っていると言われています。    ここで皆さんに質問です。民主党と共和党、つまりは「大きな政府」と「小さな政府」、ケインズと親和性が高いのはどちらだと思いますか?    たぶん、多くの人は民主党の「大きな政府」だと答えると思うのです。ニューディールなんかも民主党でしたからね。たしかに、民主党はケインズ的政策を重視し、行ってきました。  ところが、実際の所、共和党もまた(場合によっては、意図せざる形で)ケインズ政策を繰り返してきたのです。  これは、共和党が「小さな政府」を放棄して、「大きな政府」を志向したということではありません。  むしろ、「小さな政府」のための政策――減税――こそが、本質的な小さな政府主義者にはおそらく不本意な形で、ケインズ政策として機能してきたのです。  … Continue reading それでもケインズは死んでいる。

Discordで、Googleスプレッドシートを利用した「通知Bot」を作る

今日話すこと まえがき  『世界史べーた(仮)』では、毎週の動画やブログ投稿のタスクが各メンバーに割り振られています。それぞれのタスクの締め切りや予定のアナウンスを「Discord」サーバー上で自動的に送信したい。    ということで、その仕組みを作ったので大まかな方向性を記したいと思います。今回は、Googleドライブ上のスプレッドシートでタスクを管理している人に有用な情報だと思います。    ダイスボットを作るわけでもなく、ただ一定のアルゴリズムに従ってメッセージを送信するだけなので、Webサーバーを設置する必要はありませんでした。   必要なもの  ・GoogleアカウントとGoogleスプレッドシートで管理された「タスク管理表」  ・DiscordアカウントとDiscordサーバー(ウェブフックを作成できる権限が必要)  ・やる気     「Discord」にメッセージを送る Discord上での作業  まず、Discord上でウェブフックを生成します。  「ウェブフックを作成」を押した後の画面で、「ウェブフックURLをコピー」をクリックして、どこかにメモしておきましょう。   Googleスプレッドシートでの作業  タスクを管理しているスプレッドシートを開き、メニューから拡張機能の「Apps Script」を開きましょう。  すると、この画面が出ると思います。  ここに、こんな感じで文字を書きます。   const WEBHOOK_URL = ‘[生成したウェブフックのURL]’;     const payload = {       username: ‘[botの名前]’,       content: ‘[送るメッセージ]’,     }       UrlFetchApp.fetch(WEBHOOK_URL, {    … Continue reading Discordで、Googleスプレッドシートを利用した「通知Bot」を作る

【うみどり旅行記】東京放浪の旅

お久しぶりです。海鳥です。先日東京に行ったのでその話でもしましょうか。 と言いましても特にこれといったことはしてないんですが… いざ東京へ!~東海道本線終点「神戸」~ 今回の旅の始まりは東京駅から続く589.5kmの鉄道路線の終着点、兵庫「神戸駅」からスタートです! このいかにも古そうな駅舎をしており東京駅や上野駅を感じさせるのが東海道本線の終点として古くから多くの優等列車の停車駅となっていた「神戸駅」です。 この建物は1930年に建築され神戸の駅舎としては三代目となっています! 実は神戸駅のある神戸線は戦前より高架区間になっている路線で現在まで当時の橋脚や駅舎、ホームが使われています。そのこともあって神戸、元町、三ノ宮、阪急神戸三宮の駅では戦争の傷跡が見れたりします。こちらはまた機会があれば動画にします。 そして今回神戸に寄ってますが目的の駅は二つ隣の三ノ宮。この神戸では写真を撮ってお別れです。 まさかの遅延!?~出発編~ というわけで神戸の二つ隣にある三ノ宮はすべての列車が止まる駅になっているので関西の化け物普通列車「新快速」にのり三ノ宮へ。まだ時刻は21時私が乗る列車の案内表示はまだありません。まだまだ時間があったので近くのネットカフェに入り一人カラオケをしていました。 これがまさかのめちゃめちゃいい場所を見つけました!三ノ宮、阪急神戸三宮のホームを真上から眺めることができました!鉄道好きにはたまらないのではないでしょうか?私も見ているだけで飽きませんでした!しかしネットカフェの”喫煙所”というのがネック…喫煙者ではないと入りにくいですよね… そんなこんなで時間になり三ノ宮の駅に向かうと… まさかの遅延!って言っても10分ですけど。この前日には2~3時間遅れで東京に到着したみたいですしまだマシな方です。(実際にホームに入線したのは20分ほど遅れてましたが…動かしてもらってる分に文句は言えません!それも旅行の楽しみです!) と思っているとやってきました!私の乗る寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」号です! 特徴的なX字のライトを煌々と照らしながら列車は入線してきます! 来たら早々に乗り込み自分の部屋に向かいます!今回私が予約した部屋はシングルでお値段は寝台料金7,700円+乗車券9,460円で17,160円でした。新幹線より少し割高にはなりますが、東京駅に朝7時に到着するので朝から動けるメリットがあります! 窓がでかく景色がよかったですね。 三ノ宮を出発すると次は大阪に向かいます。そして大阪を出発すると次の停車駅は静岡です!まさに新幹線!しかしその何倍もの時間をかけながらゆっくり東京へ向かいます。静岡に到着は4時40分です。夏の時期だと日が昇りだし朝のきれいな富士山が見ることができます。 そんなこんなでだんだん町が大きくなり気が付けば東京です! 暑さに負けず横須賀観光~ほぼ敗北~ 二日目暑さに負けず横須賀に向かいます。横須賀バーガーを食べ、三笠を見て、帰る。過密スケジュールで行きあまり観光できませんでしたが場所の様子見はできました。また行くと思うのでその時は資料集めを行いたいですね。 新宿で遊び秋葉原へ~オタクをする海鳥~ 横須賀から新宿に向かい二日目は新宿で宿を取りました。夜はかなり人が多く楽しくご飯を食べることができました。 次の日昼から秋葉原に向かいオタクしてきました。東方projectの原作ゲーム「東方紺珠伝」、オリジナルサウンドトラック「蓬莱人形」を手に入れることができました! 帰りは成田空港発の航空機なので上野から京成電鉄さんのスカイライナーに乗りました!日本で新幹線以外の鉄道では最速の160kmで走ります! まとめ 今回はあまり横須賀に滞在できなかったのでまたの機会に全力で楽しみます! 東京は観光もいいですがショッピングが楽しかったのでまた行きたいです。次回のブログでは兵庫県の鶉野飛行場について書くか神戸周辺の戦跡についてまとめるかもしれません。まだ神戸にも慣れてないのでこれから慣れていきたいですね。 そして私事ではありますが映画の脚本も再開しました是非そちらもTwitterやどこかで公開するのでよろしくお願いします! では最後までありがとうございました!