『毛利元就』はいいぞ。(おすすめ大河ドラマ紹介 第4回)

※とある大河ドラマ & 動画投稿者様の紹介文です。 ネタバレ注意!   こんにちは、いのっちです! 約3ヵ月ぶりくらいのブログです♪ 最近は仕事が忙しくなって以前ほど精力的に活動出来ないのがモドカシイ…💦   それはさておき、まずは何と言いましても、新しいメンバー(アフリカ推しの魔理沙さん)をお迎えして、益々精力的に活動している「世界史べーた(仮)」をこれからもよろしくお願い致します!   最近は生放送企画や質問フォームなどを始めました。 今後もメンバーが多い強みを生かして、色々な新しいことに挑戦していきたいです♪     さて、今回も好きな「大河ドラマ」の御紹介をさせて頂きたいと思います(今回で4回目)。   過去ブログはこちら  ⇒ 第1回「草燃える」  第2回「花神」  第3回「翔ぶが如く」       今回御紹介させて頂くのは、数多い戦国大河の中でも三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)がほとんど登場しない作品『毛利元就』(1997年[平成9]放送)を御紹介します! (筆者は生まれてはいますが、リアルタイムで観たわけではありません💦)   タイトルの通り、現在の「中国地方」に覇を唱えた戦国大名で、「三本の矢」などの逸話で有名な 「毛利元就」の生涯を描いた作品です。 (因みにタイトルロゴは本人直筆のもので、主人公本人がスタッフとして扱われた唯一の作品)   つまり数多い大河ドラマでも「珍しい舞台(中国地方)」「珍しい時代(三英傑が本格的に活躍する前)」を一気に楽しめるわけですね♪ 九州戦国史が大河ドラマになるのはいつのことやら…(ボソッ)   主人公の「毛利元就(演:中村橋之助 [現・八代目中村芝翫] さん)」は安芸国(現広島県西部)の国人領主の次男として生まれます(去年の鎌倉殿みたいだ)。 しかし、当時の毛利家は絶体絶命。周りは強大な大名(大内氏・尼子氏)に囲まれ、独立性が高い家臣たちも勝手な振る舞い(独自外交など)が多く、内も外もボロボロという状態。   更に父母を早くに亡くした松寿丸(元就)は不良になります。 (実際、「乞食[コジキ]若殿」と呼ばれる有様だったとか)   それでも養母・杉の方(演:松坂慶子さん)たちに支えられた元就は知勇兼備の名将に成長、27歳で毛利家を継ぎます。 とはいえ毛利家の苦境は変わらず、大国の庇護下を大胆かつ慎重に渡り歩きながら勢力を少しずつ拡大、遂には中国地方の覇者になっていくというのがおおまかなストーリーになります。   今作の見所といえばやはり主人公の成長(というか覚醒)でしょうか。当初は真面目で実直な若者だった元就ですが、乱世の現実や権謀術数に揉まれていく中で、毛利を守るためには冷酷な策謀も辞さない老獪な謀将に成長していきます(去年の鎌倉殿みたいだ)。   因みに、本作のキーワードの一つである「謀多きは勝ち、少なきは負ける」は、実際に元就が遺言状に記したものだとか。乱世とは恐ろしい…   終盤には、少年時代の元就を演じた森田剛さんが、孫の輝元(元就曰く「子供の頃の自分にそっくり」)として再登場するというサプライズがあるのですが、それだけに元就の変貌というものを直に感じることができます。人の一生を1年で演じきる役者さんって本当に凄いなあ。     さてそんな元就に、謀略とは何たるかを示して尊敬されつつも恐れられる存在(いうならば「謀略の師匠」)として描かれるのが尼子経久(演:緒形拳さん)です。敵を欺くためには味方の兵の犠牲すら容認する冷徹さは、個性的な登場人物が多い本作の中でも特に強烈なインパクトを視聴者に与えました(ファンも多いのでは)。  … Continue reading 『毛利元就』はいいぞ。(おすすめ大河ドラマ紹介 第4回)

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フロリダ旅行の備忘録

はい皆様ここではお久しぶりです。 新型コロナの流行も一段落はして、最近海外旅行に関する広告や案内が増えてきた気がします。 しかしまだまだ自由に旅行できる雰囲気ではない上、私自身としても年一で海外旅行ができた自由な身分ではなくなってしまったため、やはり今回も過去を懐かしみながらブログを書いていこうと思います。 今回紹介していくのはアメリカのフロリダ旅行の様子です。 フロリダには何がある? なにがあるでしょう。正解はディズニーランド。 ディズニーランドと言えば我々日本人には東京ディズニーリゾートが定番ですが、本場アメリカのフロリダにあるディズニーランドは何もかも桁違いです。 まず広さが110平方キロメートルあります。日本のは0.465平方キロメートルなので本当に桁違いです。その差は200倍以上! 私は一週間フルで回りましたが、半分も回りきれませんでした。おそらく隅から隅まで全制覇するには一ヶ月いるんじゃないかな。 しかしながら一週間しか猶予がない中で、私も面白そうなスポットを厳選して臨みました。 今回はその中でも特に面白かったアトラクションを3つご紹介します。 ロックンローラー・コースター   エアロスミスの音楽に合わせて暗い空間をハイスピードで駆け抜けるジェットコースタータイプのアトラクション。(wikipediaより引用) スペース・マウンテンなどと異なり方向転換が少なくスイスイと大回転してくれるので色んな意味でノリやすかったです。 ディズニーパークで最もハードなアトラクションとの評価もありますが、恐怖感は少なく楽しいコースターだと思います。 エクスペディション・エベレスト 2つ目は通称エベレスト、これも絶叫系。名前の通りエベレストを模したコースを駆け抜けるアトラクションとなっています。 最初の上りのコースが長く、途中で線路がなくなったと思えば後ろ向きに超スピードで下るので良い意味で恐怖感満載のコースターでした。 ストーリーもタワー・オブ・テラー並に結構作り込まれていて、没入感もあるクオリティの高いアトラクションとなっていると思います。 ディズニーパークで最も高いアトラクションと言われており、山頂の高さは60.8mあります。 テスト・トラック 最後はテストトラック、名前の通りテスト用の自動車型のアトラクションに乗り、様々なテストを行っていきます。 そして最後には走行テストが待っており、これが最高時速105kmとディズニーパークで最も速いアトラクションとなっています。 ビッグサンダーマウンテンのように外を高速で駆け抜けるコースターなので、爽快感が最もあるアトラクションなんじゃないかな。   いずれのアトラクションも日本にはありませんが、Youtubeで検索すれば乗ってみた動画があがっているので気になる人は一度見てみてほしいです。 また、日本のディズニーランドのアトラクションで、私の中で評価が一番高いのはスペース・マウンテンですが、どうやら2027年までリニューアル工事で閉鎖されるみたいですね。 果たしてどんなアトラクションに進化するのか楽しみです。4年後か……。   そんなわけで今回はここまで、また機会があればお会いしましょう、ではでは~。

アメリカの裁判所について

お久しぶりです。せるヴぁんだです。今回のブログ担当ということで、「アメリカの裁判所」について徒然なるままに書き散らしたいと思います。   アメリカ「合衆国」というちょっと変わった国 The United States of America, 略してU.S.A。一昔前(?) に同タイトルの曲が流行りましたが、日本人としてよくよく考えてみれば、アメリカという国は奇妙な国家形態をしています。日本の場合、「国」と言えば日本国そのもの、その下の行政単位は県、市、区、群、町…というように刻まれていきます。(道州制万歳!) 一方のアメリカは、いわゆる連邦制国家なのです。2023年現在、全部で50州を抱える国ですが、この「州」という存在がいささか厄介なのです。おそらく、多くの人が州=県のようなイメージを持つのではないでしょうか。愛知県豊田市≒ミシガン州デトロイト市のように。   しかし、実際のところ、アメリカの各州は日本の都道府県よりもはるかに強い権限を持っています。なんたって「州の憲法」が作れてしまうのですから。(おまけに州兵という州知事直轄の軍事組織まで!そう、某Grand Theft Autoなゲームで手配度が最高になるとやってくる人たちですね)このため、アメリカという国には、連邦政府たる「アメリカ合衆国政府・議会・司法」と、小さな国家とも呼ぶべき、「州政府・議会・司法」が二重で存在しているのです。日本の地方自治体にもそれぞれ議会と行政は存在し、条例も制定できますが、さすがに憲法や法律(※1)は作れません。国の唯一の立法機関は国会のみと憲法で定められています。(第41条) ※1…多数ある「法」の中でも国会で制定された法を特に「法律」と呼びます。   一番の違いは「裁判所」の構造かも アメリカと日本は「三権分立」型の構造をしています。議会(立法)・行政・司法の三すくみですね。そのなかで、議会と行政については、上に見た通り、権限の強弱があるとはいえ、ある程度は似通っています。しかし、司法たる裁判所はまったく違う構造をとっています(なぜでしょうね?)この違いの原因を探るところまではパワーがないのですが(すみません。。。)ここでは組織構造の違いを簡単に紹介しようと思います。   1.日本 日本の場合、司法制度の頂点たる最高裁判所が1つあり、日本を八つの管区に分けて高等裁判所が設置されています。その下に第一審となる地方裁判所・簡易裁判所・家庭裁判所がたくさん存在することになります。このように、最高裁をトップとする単一ピラミッド構造が日本型司法制度ですね。   2.アメリカ アメリカはというと、裁判所も「連邦政府」と「州政府」の2つのピラミッド構造を取ります。アメリカの統治システムは原則として州政府が責任を負い、州政府ではできないことや特に必要とされる場合に、連邦政府に権限があるようになっています。たとえば、合衆国憲法の解釈・適用に関する問題は、州の裁判所ではなく連邦裁判所が審理する権限(管轄権)を持っています。このように、連邦裁判所が管轄権を持つのか・連邦と州いずれの裁判所にも管轄権があるのかなど、個々の訴訟問題の性質によって、どこで裁判するのかが決まります。連邦と州を比べると、連邦の方が力があり、上下関係があるようにも思えますが、州の裁判所システムが連邦の裁判所システムに従属しているようなことはありません。あくまでも「異なる別の裁判所システム」としてそれぞれ独立しており、管轄権の競合があった場合にのみ、個別に調整されています。(たいていは連邦法が優先します)   A)州裁判所システム アメリカで提起される訴訟のほぼすべては、州裁判所へと持ち込まれます。州の裁判所システムは各州によって様々であり、特に統一されているわけではありません。基本的には州地方裁判所(District Court/Trial Court)・州控訴裁判所(Court of Appeals/Appellate Court)・州最高裁判所(Supreme Court)の三審制ですが、州によっては控訴裁判所がなく、第一審と最高裁判所の二審制を採る州も存在します。(デラウェア州、サウスダコタ州、ワシントンD.C.など)   さらに、州によって憲法や法律の内容、蓄えられた経験(先例となる判例法)も違うため、同一の訴訟を別々の州で提起すると、必ずしも同じ結論や量刑にならない可能性もあります。有名な話では、国際的な企業が準拠法と管轄裁判所(※2)を選ぶ際、アメリカではニューヨーク州とデラウェア州が多いそうです。(デラウェア州なんて何もないのに!)これは、2州が企業紛争に関する豊富な先例を蓄えているからと言われています。 ※2…事件・紛争が起きた時、どの国・州の法律に基づいてどこの裁判所で審理するかということ。   また、アメリカ裁判所制度の最大の特徴と言ってよいのが、「巡回裁判所(Circuit Court)」の存在です。巡回裁判所はその名の通り、管轄する地区をぐるぐると巡回して移動式の裁判をしていたのです。残念ながら今はもう存在しませんが、馬に簡易的な審理台を引かせて、判事が裁判をして回っていたそうですよ。(当時は上等なクッションもなかったので、長時間の移動と審理で判事のお尻が破壊されたとの説も)   (画像引用:HJ Erasmus, Circuit courts in the Cape Colony during the nineteenth century: hazards and achievements,Fundamina… Continue reading アメリカの裁判所について

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重い本が読めなかったので、軽い本をご紹介します。 フランスの文豪、バルザックによる「役人の生理学」。なお、私は文学好きではないので、バルザック作品など初めて読んでいます。なぜ読んだか?行財政史が好きだからですかね… 本書が書かれたのはバルザックにとっては晩年に差し掛かる1841年、7月王政期のフランスでした。当時のフランスといえば産業革命の時代ともいえます。王政といえども、1830年憲法下の立憲君主制であり、貴族制や世襲制が廃止され、直接税200フラン以上の制限選挙(有権者は全人口の1%に満たない)が実施されており、当時としては民主的な社会が始まっていました。そんな社会の縁の下の力持ちが大量の事務を公正に実施する役人たちです。住民登録、都市計画、公金の管理、公共事業の実施。どれをとっても民営化などしたら公共サービスが平等に国民にされず、誰もが平等なはずである民主的な社会の基盤が揺らぎます。今なお私たちを支える黒子たちですが、まぁ、評判が悪いところでは悪いものです。税金泥棒、仕事が遅くて融通が効かない、どうでもよさそうな細かいところばかり気にする、挙げ句の果てにはそう言った仕事のやり方をお役所仕事などと…。そんな悪評は今に始まったことではありません。バルザックの時代も同じ。いえ、むしろバルザックの時代ぐらいに始まったそうです。 以前の時代、第一帝政時代ですが、その当時のことをバルザックは皮肉を込めて懐古的に語ります。 「役人ほど素敵な商売はないといわれた時代があったことを知ってはいる。」 バルザックによれば、当時の役人は最高級の社交界にも出られたし、メチャメチャモテたそうです。というのも皇后など君主の一族が贔屓にしていた役人たちがいたからだそうで、役人の公共性というものがまだ確立していなかったからなのです。それが7月王制の立憲君主制により、信賞必罰をわきまえた君主から、忘恩の大衆に仕えることになり、閑職は攻撃対象となり、その栄華は終わりを迎えたのでした。 7月王政下で役人は事務室に拘束され、自由に立ち去る権利はなく、出世していないものは良いとは言えない賃金で働き続けました。バルザックがとりわけ注目したのはパリの中央官庁に勤める役人でした。今と変わらないじゃないかと思うものがある一方で、細かいところを見ていくと、現代(日本)との違いが浮き出てきます。19世紀のパリにはパソコンはおろか転写機もありません。謄本係という、今ならプリンターで十分代用可能な役職がありました。電子化されたデータもないので、今なら職員の誰かがちょっと兼任すれば済む文書管理責任者が整理係として独立した集団に。縁故採用が根強く、強力な後ろ盾があれば出世できるが、そうでなければ相当な忍耐力や適応能力が必要、などなど。 また、現代日本では見られない雇用形態も興味深いものです。それが試補→書記→課長補佐と続くもので、フランスでは1940年代まで続きました。試補(原文ではsurnumeraire、定員外の職員と言った意味のようです)とは正式な役人ではなく無給の見習いで、実家が太くない者は大変苦労したようです。戦前日本にも同名のもの(翻訳の都合でしょうが)があった制度で、明治20年勅令第37号において定められた「文官試験試補及見習規則」にあります。公立大学か試補試験合格者が役人になると最初に通る道でした。フランスにおいての採用基準の細かいところはバルザックは書いていません。もとよりこの本は役人の実態を詳細に記録するものではなく「こういう奴いるよな」と共感を誘い、一時の娯楽にするためのものなのですから。 そしてこのエッセーの真髄は、行動様式ごとに分けた役人分類で、ごますりだとか蒐集家(オタク)だとか商人だとかに分けています。スプラトゥーンのオオモノシャケみたいで面白いです。この中には大っぴらに副業が許されていた当時の役人事情を反映しているものもあります。その副業の程度は人により様々で、劇作家や小説家(三島由紀夫は大蔵省出身でしたね)、会社役員、演奏家、妻側の内職や店舗経営などなど。当時の役人生活はその薄給から副業せざるを得ず、バルザックはそのことで、国家が役人から俸給を奪い、役人が国家から時間を盗むと嘆いています。または、ロスチャイルド銀行の職員の待遇と比較し、あまりにも無駄があると。講談社学術文庫版では付録がついており、その中の『役人』というエッセイではフランス政府に対する改革案が載せられ、役人にはしっかり給料を支払い、人数を減らしてしっかり働かせるべきだと論じています。 バルザックの視点を離れ、山川出版社の世界歴史体系を見れば、高官は貴族やブルジョワに切望されたポストで、高い俸給にありつけば大ブルジョワ並みの生活となったそうです。昇進や指名の基準はあいまいなため、縁故採用、官職売買の慣行も続いたようです。そして積もり積もった不満はやがて1846年の凶作に端を発した不況、高学歴ワーキングプア、有望な王位継承者の不足から二月革命を招いたそうですが、それは本書の原書の最初の出版の後の話です。

海軍と炭酸飲料のこばなし

海軍さんの嗜好品  戦争において士気などを維持するのに嗜好品は貴重なものでした。なにせ、やる気がない中仕事をしてもなかなか捗らないように、士気が低いと兵士も弱くなるのです。  第一次世界大戦でもフランス軍は、兵士1人につき毎日4分の3リットル(通常のワインの瓶1本に相当)のワインを無料で支給し、イギリス軍も一日一口程度のラム酒を支給して士気の維持に努めたほど。  第二次世界大戦では救国戦闘機のスピットファイアがフランスにいるイギリス軍の為に落下タンクにビールを詰めたり、仕事熱心な米軍のおにいさんが最前線の小島にアイスクリーム製造機を配備したりと……これらは「兵士を甘やかすため」ではなく「効率よく兵士のやる気を出させるため」に用意されたのです。   WWIでガリポリに上陸したフランス軍のワイン  そういう意味では、昨今のミリタリーオタクの皆さんが小馬鹿にしがちであるイギリス軍の現代戦車に搭載されている電気式湯沸し器も士気の維持という点では侮れない装備です。敵の砲爆撃の嵐の中でも安全な装甲に包まれた戦車の中で火をたかずに暖かい食事や飲み物が楽しめたり、布の消毒ができたりするのです。皆さんだって冷たいコンビニ弁当ばっかりだと少しは暖かいものが恋しくなるでしょう?それが安全にできるのですごいんですよ。 とてもつおいイギリス軍の湯沸かし器  ……っと少し話がそれてしまいましたね。  それでは士気向上の嗜好品を大日本帝国の海軍さんはどうやっていたのかというと、甘いものでやる気を出させていました。  泊地などではかの有名な給糧艦間宮の間宮羊羹などの甘味の補給が有名ですが、巡洋艦以上の大型艦には自分たちでそう言ったものを作る手段がありました。    それが「ラムネ製造機」です!  海軍艦艇には、火災の時に火を消すために「二酸化炭素消火装置」というものが備え付けてあり、それを転用して「ラムネ製造機」というものを設置したのです。  この装備の設置については戦前からであり、昭和三年の「艦舷「ラムネ」製造機装備の件」という訓令が出されており、横鎮、呉鎮、佐鎮長官あて(舞鎮がないのは、当時軍縮条約により要港部に格下げされていたため)に海軍省大臣官房から 『其府麾下所属ノ既成戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦、航空母艦、潜水母艦、給糧艦及其他必要ヲ認メタル艦舷ニシテ「ラムネ」製造機ヲ有セサルモノニアリテハ此際艤装品トシテ装備方取計フベシ 右訓令ス(後略)』  とあり、要約しますと 「横須賀、呉、佐世保の各鎮守府長官は、自分の部下所属で竣工済みの戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦、航空母艦、潜水母艦、給糧艦そのほか必要な艦船でラムネ製造機を取り付けていない艦があるのならば、この機会にすべて取りつけるように」  というものになります。ここで駆逐艦や潜水艦等がないのは、ラムネ製造機を設置するにはスペースなどの制約があるからなのでしょうかね?実際に駆逐艦島風や駆逐艦山雲といった艦にはラムネ製造機は設置されていなかったという記述を見たことがあるのでそういう事なのでしょう。  ちなみに火を消すための炭酸ですので、そう無闇に使う事もできません。なので停泊時は「ボンベに入った炭酸ガスを陸上から買って製造」していたそうです。    なおその頃、仕事熱心な米軍さんは大型艦にアイスクリーム製造機を導入しており、米空母艦載機が不時着した際に駆逐艦などがパイロットを回収して引き渡せば、お礼にパイロットの体重分のアイスが貰えたそうな……やっぱり格が違うなぁ……

グラント大統領の記念碑を上野へ見に行こう

上野公園の南北戦争スポット!? 読者の皆さんは上野恩賜公園を訪問した事があるでしょうか? 博物館や動物園で有名な公園ですが、このブログを書いている3月末なら桜が見頃なお花見の名スポットでもあります。 しかしこの公園、日本では数少ない(?)米国史を感じられる場所となっています。と言う事で今回は南北戦争を北軍の勝利に導き、戦後に大統領を務めたユリシーズ・グラント、彼の訪日を今に伝える上野公園の植樹碑訪問ブログです。 この記念碑自体への行き方は結構簡単、上野駅公園口から直進して動物園正門の前で左手に見れば到着です。   ただし結構ひっそりした見た目なので、そこは注意かもしれません。記念碑のレリーフは中央はグラントの肖像、左右に英語と日本語で植樹碑設置の来歴が記されています。 (日本語の碑文は塗装が消えかかっててちょっと読み辛い……)       グラントと言えば1865年に北部の勝利で幕を閉じた南北戦争で北軍の最高司令官に上り詰め、南軍のリー将軍を破り一挙に英雄となった人物です。その後1868年の大統領選に参戦すると、対抗する民主党の候補を獲得選挙人で大差を付け当選し第18代大統領として8年勤めます。 (彼が任期中に取り組んだ南部の再建も南北戦争後の重要な出来事でした) 1877年に大統領任期を終えたグラントは世界各国への訪問へ出発、1879年には日本を訪問し明治天皇への謁見を行い、足を延ばして日光へも訪れました。そしてこの訪日の際に記念植樹を行った場所の一つがこの上野公園なのです。 ちなみに肝心の植樹した木は記念碑から左に向くと今でも姿を確かめられ、二本のうち左側はグラント夫人による泰山木で、右側がグラント本人による檜です。そして明治時代に植樹された由縁が時代と共に薄れる事を憂いて昭和4年に記念碑が建立されました。 今回の訪問記はこの辺で終わろうと思いますが、有名な文化スポットが並び立つ上野で公園に佇む銅像や記念碑にも、普段は意識しない由緒が見つかるかもしれません。  

国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭

臨時ニュースにつき、当初予定しておりましたバルザックのエッセーの読書感想文に代えてお送りします。 ニュースとはニコニコ公式の生放送が私の謎企画を取り上げてくださるらしい(4月18日午後7時から)、ということです。 私の謎企画の経緯からまずは順を追って説明しましょう。 基本的にニコニコ動画で活動していた私ですが、昨年は何をトチ狂ったのか 中世イングランド史動画投稿祭 なる謎の企画をぶち上げておりました。なんか面白そうだから、というふわっとした動機によるものです。 告知動画はこちら 参考文献の提示を求めたりと、そこそこ厳しい参加条件を課していました。最悪自分一人が動画を揚げて「参加者は誰一人来ませんでした」と結果動画を出す覚悟でおりましたが、幸いにも多く参加者に多くの動画がそろい、それなりのお祭りになったのではないかと思っております。 これで一応の成功を収めたのをいいことに、今年も開催することにしたんですね 国王陛下戴冠記念第二回イングランド史動画投稿祭 を。去年と同じ時期にと思ったらなんと国王陛下の戴冠式の時期と被ってしまったのです。こうなればもう乗っかっとけと愛国心を商魂と結合させました。 また、去年は中世に限定していて、古代ローマやヴィクトリア朝が主力の投稿者仲間には少し不自由をさせてしまったことを反省し、投稿可能な範囲を広げており、少しテコの入れ方が変わりました。 こうして少しは練った参加要件を動画にしてアップロードし、あとは自分が期間内に動画をあげてほかの人の動画を見て、結果発表動画を作るのみ、そう思ってました。まぁ宣伝はそんなにしなくてもええやろと構えていたら、なんととんでもないところから宣伝してく出さる旨の申し出が…(もちろんユーザー企画を毎月まとめて動画で宣伝してくださっている方のことも忘れてはおりませんが) ある日(4月17日)職場から帰り、ベトナム製即席麺にお湯を注いで待っている間、某SNSを何気なく開くといつものごとく数件の通知。その中になぜかニコニコ公式によるものがあり、私の企画のことで相談があるからフォローしてDM送れるようにせよとお達しがありました。なにかまずいことでもしただろうか、どこかの団体が権利侵害で訴えてきたのだろうか、と悪い想像がよぎります。 しかし実際は、ニコニコ動画の公式生放送で宣伝してもいいかという承諾を求めるものでした。私はもちろん即承諾し、ついに公式に認知されたのかと恐れ多くなりました(中世イングランド史動画投稿祭の時点でニコニコトップページにユーザー企画ピックアップとして載ってはいましたが)。イングランド史の深い沼への入り口は、広ければ広いほど良いものです。このブログをお読みの皆様、ぜひ公式生放送を見て、イングランド史の動画を出してみませんか? 公式生放送の場所 第二回イングランド史動画投稿祭告知動画の場所

ヤンデレの道真好きに徹底的に恨まれて眠れない防府天満宮縁起

道真以外道真じゃないの  こんにちは、※(米印)です。  ひょっとしたらご存じの方もいるかもしれませんが、実は私、菅原道真が大好きなんです。  それはもう、世界史べーた(仮)で最初に出した動画がこれですもの。 (ただ、一応免罪符として置いておきますが、私はあくまで「好き」なだけで専門家とかではありません。その点は十分ご注意ください)   この漢詩……道真のじゃないよね。誰の?  さて、そこで問題になるのが海鳥さんのこのブログ記事です。海鳥さんは旅行に際して防府天満宮を訪問されたようでして、その由緒などを載せています。まだ読んでいないという方はぜひぜひ。  天満宮の参拝者が増えるのはいち道真ファンとしてとっても嬉しいことで、去年のくないさんの太宰府天満宮訪問を聞いたときと同じく踊り狂いました。    ところが、落ち着いて肩で息をしながら改めて記事を読んでみますと、そこにはこんな文がありました。 「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」  頬を冷や汗がつたいました。「これ、知らない」と。  言葉遣いや音の数からして、和歌ではなさそうです。それなら漢詩か、しかし見覚えがない。「菅家文草」や「菅家後集」に収録されている漢詩なら、見かけたことくらいはありそうなのに……  瞬間、脳内に死ぬほど愛されて眠れなくなりそうなどこぞのヤンデレがインストールされ、「道真のこと世界で一番わかってるのは私なの! 他の誰でもない、私!」と叫び始めます。いやさすがにそれは思い上がりにもほどがある。ガチ研究者とかに勝つのは無理じゃん。そも専門家じゃないし。ただのファンですら私より上がいくらでもいるし……    ともあれ、脳内のヤンデレ妹(妹要素どこ?)をなだめるために、私はこの文について調べなければならなくなったのです。   道真は優しくてかっこよくて、でもちょっと脚色が多すぎるところはわかってた  最初に元文を確認してみましょう。防府天満宮さんのHPによりますと、「九州大宰府への西下の途中」に、「防府の勝間の浦に御着船」し、「『此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ』」と願ったのだといいます。  つまり、昌泰の変により左遷された際のものと考えるべきでしょう。    あれ? 「御着船」なの? 陸路じゃなくて……?  早速雲行きが怪しくなっていますが、ともあれまずは一般のご家庭にある川口久雄校注『菅家文草 菅家後集』を引っ張り出してみます。  道真の左遷後ですから、もし収録されているとすれば年代的に『後集』しかあり得ません。  しかして、川口本を見る限り、昌泰四年(左遷はその年初)の最初の詩は「自詠」で、 離家三四月 とあるのですが、「離家」(=左遷)から数か月経っていると言っているわけで、これは時期的にも既に大宰府に着いてから詠まれたものと思われます。  実際、他の詩を見てもそれらしいものはありません。したがって、『後集』には載っていないことがはっきりしました。    次に確認すべきは『大鏡』です。大鏡も地味にいくつか漢詩を載せており、有名どころでは「一栄一落是春秋」(一応川口本も載せている)はこちらに引きます。  が、駄目……っ! やはりそれらしきものはナシ。念のため和歌も確認しましたがやはり無い。    ひとまず、脳内ヤンデレ妹は「やっぱり私の知らない詩……」と、お兄ちゃん(道真)の浮気を恨みつつも、自分の記憶違いではないことの安堵をわずかばかり含んだ声色に変わりました。よしよし。この調子で頼むぞ。 でも菅家伝さんって面白いっていうより信頼性がないよね  薄々察していたのですが、やはり『後集』や『大鏡』にはなかった。実はこの辺であのツイートをしています。ヤンデレ妹を必死に抑えながら。  となると、次に見るべきはおそらく菅家伝。なお、「菅家伝」というのは俗称でありまして、基本的には『北野天神御伝』というものがそう呼ばれます。  しかし、残念ながら私のような一般家庭にはそんなものは置いてありません。デカい図書館か逸般の誤家庭を訪ねて見せてもらうほかない。  ちょいと出かけまして、一番参照される(と思われる)真壁俊信校注の神道大系本(『北野』(神社編11))を用意しました。    さて、分厚い本をひっくり返してみた結果は……ない。ここにもない。念のため頭から後ろまで漢詩は全部チェックしたのにそれっぽいものがひとつもない。  脳内ヤンデレ妹はこんらんしている!    いや、まぁこれも薄々気づいていたんですよ。防府天満宮の話なんだから防府天満宮の縁起読まなきゃ出てこないかもな~って。なので、読みます。読みました。    用意したのは『防府天満宮縁起集』、ここに『松崎天神縁起絵巻』の詞書が載っています。  で、パラパラめくって漢詩らしきものを探すと……ない、ない!? マジで?   そんなの道真じゃない!!  ヤンデレ妹がいまにも暴発しそうなのですが、なんとかKOOLになって考えます。  こういうときは元文に戻るのがセオリー。「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」ともういっぺん睨めっこをしてみます。    にーらめっこしーましょ。わーらうっとまっけよ。    ……これ、ほんとに漢詩か?… Continue reading ヤンデレの道真好きに徹底的に恨まれて眠れない防府天満宮縁起

『翔ぶが如く』はいいぞ。(おすすめ大河ドラマ紹介 第3回)

※今回は、とある大河ドラマ紹介文です。 ネタバレ注意!   こんにちは、いのっちです!   いよいよ「23年度(令和5年度)」が始まりましたね。登録者も1000人を突破し、新メンバー(メ塩さん)も加わった新たなスタートをきる世界史べーた(仮)を本年度も何卒よろしくお願い致します!   最近は春らしい陽気が続き、ほんわか過ごしている私ですが、今日も歴史好きになった理由の一つ「大河ドラマ」の御紹介をさせて頂きたいと思います(今回で3回目!)。   過去ブログはこちら ⇒ 第1回「草燃える」  第2回「花神」   今回御紹介させて頂くのは、幕末の動乱から「西南戦争」・「紀尾井坂の変」に至る明治維新の激動と葛藤を主に薩摩の人々の目線で描いた作品『翔ぶが如く』(1990年[平成2]放送)を御紹介します! (放送当時、まだ生まれていたわけではないのですが💦)   本作は前回御紹介させて頂いた「花神」と同様に、司馬遼太郎さんの長編小説『翔ぶが如く』が原作になった作品です。   ただし、明治以降が舞台の原作に対して、ドラマは主人公の「西郷隆盛(演:西田敏行さん)」と「大久保利通(演:鹿賀丈史さん)」がまだ若かった時代から始まっており、「第一部(幕末編)」「第二部(明治編)」の二部構成になっています♪ (大河史上初の『二部構成作品』)     因みに「翔ぶ」という言葉は本来「とぶ」と読むことは出来ません(当て字ですから)。それにも拘わらずこの当て字を使っていることをよく目にするので本作の影響力は計り知れませんね♪   本作は舞台が九州(「鹿児島」や「熊本」)ということもあって、九州出身の私にとってはかなり身近に感じられる作品です。父も「司馬遼太郎ファン」ですので西南戦争に関する史跡(熊本城や田原坂)をよく一緒に回ったものです。     本作の名シーンとして有名なものは、征韓の是非を議論する会議の場における「西郷と大久保の激論」でしょうね。   遣欧使節の一員として諸外国を視察し新たな国家体制の構築が急務だと痛感した合理主義者の大久保と、その留守を預かる中で新時代に取り残された人々の嘆きや怒りを一身に引き受けてきた情に厚い西郷は、たとえお互いを最大の理解者だと認めてあっていても激しく衝突せざるを得ませんでした。 (両者とも最期の瞬間は共に過ごした青春時代を思い出していました。(泣))   議論が白熱する中で、普段は標準語を使っていた大久保も薩摩弁(鹿児島弁)に戻り、まるで若かりし頃のように激情をぶつけ合う二人の姿が非常に印象的です。   結局、政争に敗れた西郷は下野(鹿児島へ帰郷)するわけですが、それを告げられた大久保は「赤子にように始末が悪い!」と激怒します。それが二人の別れとなるわけです…   かつて同じ夢を追いかけていたはずの幼馴染二人の悲劇的な決別は、「明治維新」という新時代を創造する一大事業の困難さを象徴するものだと思います。   その過程で生じる矛盾や歪みを二人はハッキリと理解しており、西郷に至っては「(新しい世の中を創る為に行った倒幕の戦で)もっともっと人が死ぬべきだった。公家も大名も士農工商全てを焼き尽くして、その焼け跡の中から新しい日本を築くべきだった。(要約)」と今の大河ドラマでは絶対主人公が言えないような「かなり過激なこと」を言っています(戦後の日本を彷彿とさせる台詞ですね)。   様々な役を大河ドラマで演じてきたことで有名な西田敏行さんですが、その懐の深い将器を有する好人物ながら、時に謀略も厭わず狂気じみた革命論を吐露する本作の西郷隆盛役が個人的には一番好きでね♪(会津を有する福島県出身の西田さん的には複雑な役どころだったみたいですが…)   本作には他にも、実務能力や先見性を評価されながらも急進かつ攻撃的な性格が災いして新政府内で孤立、後に反乱の指導者となる「江藤新平(演:隆大介さん)」。野心家で保身のためには同志も切り捨てる冷徹な面がある一方で、厳しい局面においては身分の低い公家から成り上がっただけの度胸・胆力を見せる「岩倉具視(演:小林稔侍さん)」。若い頃は軽率な面が目立ったものの、経験を積むうちに見識高く成長、後に「敬愛する兄・隆盛」と「尊敬する先輩・大久保」との板挟みで苦しむことになる「西郷従道(演:緒形直人さん)」など様々な魅力的な人物が登場しますよ!   是非御自身の眼でお確かめください!   それでは今回はここで筆をおかせて頂きます。 これからも機会があったら好きな大河ドラマを紹介していきますね♪   それでは失礼致します! 〇(><)